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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ
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【コオイムシの屋敷】・5




 花街などとは言ったところで咲く花には牢獄と変わりない。

 特に非合法の青線ならば、前借金で女を縛り付けて売春させるなど当たり前。普段は飄々としているが弥太郎だってその類の屑だ。


『娼婦が嫌なら自分で自分を買い戻せ。八十万、きっちり払えばお前さんは自由の身だよ』


 買い付けた時の値段を十割増しで返済するならば自由にしてやる。娼婦となった紅葉くれはに弥太郎はそう言った。

 つまりは『人参にんじんはぶら下げてやるから馬車馬のように。いや、“肌馬”のように働け』ということ。

 別に反感はなかった。所詮は買われた女。普段どれだけあの男に悪態をついて見せても立場が変わる訳ではない。扱いの悪さも当然と言えば当然の扱いだろう。

 

「本当に、嫌な男……」


 居間で体を休めていた紅葉は、下種な女衒の言葉を思い出して、少しだけ顔を顰めた。

 東京での彼女の住居は弥太郎の自宅兼仕事場。あの男は買い付けた女が“もの”になるまではいつも此処で世話をしているのだという。

 その家主は今、東京にはいない。紅葉が稼げるようになりそうだからと、新しい女を仕入れに行った。

 買い叩いた娘を残して離れるのは信頼してのことではない。逃げ場所なんぞ端からないと知っているからで、逃げられないようにと監視も一人置いていった。


「その嫌な男に食べさせてもらっているのは、どこの誰でしょうね」


 監視を頼まれた者も、もとは弥太郎に買われ娼婦となった女だそうだ。

 紅葉の呟きを耳聡く拾い、鼻で笑っては、冷めた目で見下す。


 紗子さえこは二十歳をいくらか過ぎたくらいの女性で、娼婦として勤めて既に六年が経つ。

 きっちりと着物を着こなし、立ち振る舞いには艶があり。整った面立ちといい見た目には分かり易い美女だが、彼女もまた“蓼虫”が買い付けたのならば、相応にワケアリではあるのだろう。


「随分棘があるじゃないか」


 年上に対する礼儀など欠片もない。紅葉は不機嫌な態度を隠さず、紗子を睨み付ける。

 だが返ってくるのはやはり馬鹿にしたような嘲りの笑みだ。 


「事実でしょうに。それとも、まさか自分で稼いでいるつもりですか? 爛れた顔の女に、斡旋もなく客が付くとでも?」


 そこを指摘されれば何も言えない。

 優れた容姿の紗子とは違い、こちらは元々嫁の貰い手がないと蔑まれていたくらい。弥太郎が特殊な性癖の客を連れてきているから仕事になるだけで、黙っていて人気が出るような女ではないと自覚している。


「もう少し弁えて口を開きなさい。あの人に買われなければどうなっていたか、想像できないほど愚かでもないでしょう」


 嫌な女だと思う。けれど正しい。

 青線は非合法の花街、女を道具と扱う人身売買業者など掃いて捨てるほどだ。その中で弥太郎は娼婦としての常識を身に付けるまではと面倒を見て、寝床や食事の世話までしてくれている。

 クズには違いなく恨みだってある。それでも今の生活があの男のおかげで成り立っているのは悔しいが事実だった。


「……言われなくても分かっているさ」


 渋々と、負け惜しみの言葉を捻り出す。

 仏頂面はまるで拗ねた子供のようだ。頭では納得していても、素直な態度はとれなかった。

 それが気に食わないようで、ふいと紗子は顔を背けた。紅葉が逃げないように置かれた監視、そもそも初めから慣れ合うつもりはないらしい。弥太郎が長野へ向かってからこの家の空気はすこぶる重い。

 

 ああ、早く帰って来てくれないものか。

 

 項垂れながら紅葉は強く願う。

 あの男の帰宅を待ち望むのはこれが初めてだった。




 ◆




 伊之狭村で夜を明かし、迎えた朝。

 寝床が変わっても日が昇れば自然と目が覚める。

 以前の生活のせいで、早寝早起きが癖になっているのだ。そう考えると少し嫌な気分にもなるが、自堕落よりはマシかとも思う。

 

 起き上がった正義は、音を立てないよう静かに布団を片付ける。

 隣ではまだ弥太郎がいびきをかいて熟睡中。買い叩いた女の家でこうも気持ちよさそうに眠りこけていられるのだから、まったくもって図太い。

 こちらは、ぐっすりとは眠れなかった。

 昨日は色々と嫌な話を聞いた。そのせいか、無性に外の空気が吸いたかった。





 雨上がりの朝は独特の匂いがする。

 夏とはいえ早い時間なら日差しも弱い。山の清涼な空気も相まって、騒がしい東京よりもいくらか過ごしやすい。

 ふと見れば畑には既に人影がちらほら、農作業に精を出していた。朝も早くからみんなよく働く。煌びやかな夜に溺れ、日が昇れば寝静まる青線とは正反対だ。

 だからといってこの村の方が健全だ、などと言うつもりはない。昨日の話で狭いこの村にも汚い部分があるのは分かっている。


 富豪の死。

 不貞の結果産まれた娘。 

 それを売り飛ばそうとする村長。

 

 ああ、本当に、嫌な話だ。

 けれど責める気にもなれない。敗戦し困窮した日本で生きるには、悪辣に手を染めねばならないこともある。

 善行を積み重ねても腹は膨れなし、台所事情はそれぞれ。悲しいが、弥太郎の言はどうしようもないくらいに正しかった。

 それでも割り切れず、正義は胸の奥の悪い感情を、溜息と共に大きく吐き出す。もう一度山の空気を肺に満たせば、少しは淀んだ心も晴れた気がした。


「……ん?」


 そろそろ戻ろう。

 そう思って踵を返した時、目の端に白いなにかが映った。

 肌も髪も白い、とてとてと小走りに進む女。


「りる……?」


 どうやら、りるが家を抜け出していたらしい。

 玄関では出会わなかった、裏口からだろうか。彼女の方はこちらに気付かなかった様子で、走る速度こそ大したことはないが、脇目も振らずにといった具合だ。

 山へと向かい、鬱蒼と生い茂る木々に紛れ、白い女は見えなくなった。

 もしかしたら逃げるつもりなのかもしれない。

 数舜遅れてそれに気付き、一応のこと追いかけようとするも季節が災いした。蝉の声と重なり合う緑葉に隠され、女の足取りを追うことはできない。

 足跡を辿れるかとも思ったが、草に覆われた地面ではそれも難しい。

 結局正義は諦めて、なにもせず屋敷へ戻った。

 その事実にどこか安心している自分がいた。




 ◆




 再び屋敷へ帰ると弥太郎もようやく起きて、昨夜と同じく村の女が準備した朝食をとる。

 食事の席には、りるもいた。山の方へ行ってから一時間足らず。つまり逃げるつもりではなかったようだ。


「りるが抜け出してた?」


 食後、再びりるが自室へ戻った後。

「伝えるのが遅くなって済まない」と前置きをしてから、今朝のことを弥太郎の耳に入れておく。

 女衒に売られるのが嫌で逃げたのかと思ったが、普通に帰ってきて涼しい顔。なんとなくその態度が気になった。


「ああ。軟禁状態と聞いていたが」

「つっても、それを強要してた爺様はとっくに死んでるしな。気分次第で外にも出るだろ。俺だって仕事放って酒飲む日はあるし」

「そこはもう少し真面目に……う、ん」

「よう、マサ坊。今“女衒はマジメに働かない方が平和だよなぁ”的なこと考えただろ」

「…………いや、そんなことは」

「一応言っとくけどお前さん、あんま表情隠せてねえからな?」


 弥太郎に対して悪感情はなくても、正義が女衒仕事を好んでいないのは知っている。

 それでもこうやって手伝う心境は分からないが、まあそこは置いておく。

 問題は家を抜け出すりるのこと。そしてそれを隠しておけない正義のことだ。


「しかしあれだ、マサ坊は律儀だな」


 一番に出てきた感想はそんなもの。

 意味が分からず眉を顰めると、からからと弥太郎は笑った。


「なにがだ」

「わざわざそうやって報告するところだよ。ホントは“りるが逃げるならそれでもいい”って思ったんだろ?」


 あの時、追えなかった理由はいくつもある。

 けれど、追わなかった理由の一番は、弥太郎の指摘の通り。

 正義は女が娼婦に堕ちるのを、あまり好んではいない。

 だから女衒の付き人でありながら、りるが逃げるのを止めなかった。


“逃げられるのならそれでもいいじゃないか”


 その程度の浅い考えで、追うのを早々に諦めた。

 娼婦は辛い仕事だ。逃げたくて、逃げられるのなら、それでいいと思った。


「だったら朝に会ったこと自体隠しときゃいいのに。報告は俺への、てか雇い主への義理か? なんにせよ、仕事だからと同情心を押し込むんだ、十分律儀だよ」


 買い付ける筈の女を、絆されて見逃した?

 そんな報告わざわざ雇い主にすれば叱責は避けられない。幸い女は帰ってきて大事にもならなかったのだ、朝に会ったこと自体を隠しておけば、それでよかった筈だ。

 なのに義理堅いこの真面目な青年は、嘘偽りなく伝えた。

 それが律儀だというのだ。

 もっとうまく立ち回ればいいだろうに、ここまでいくと馬鹿正直というかただのバカである。


「……そんなもの、どっちつかずの中途半端だろう」

「まあ、そうだな」


 バカの自覚は当然ながら正義にもある。

 りるに同情しながらもそれを貫けず、かといって雇い主にも従い切れず。

 結局はどちらにも筋を通そうとして、どちらにも不義理をしただけ。我ながら愚かすぎると奥歯を噛む。

 だというのに、肝心の雇い主は楽しそうにしていた。


「だが俺は嫌いじゃねえよ。人間そうそう割り切れやしねえわな」

「弥太……」

「優柔不断を責める奴は多いがね。義理と人情の板挟みで悩むヤツの方が、俺は信用できる思うぜ? まあ、“普段接する分には”って頭についちまうけど」


 世知辛い世の中だねぇ、と肩を竦める。

 別に単なる慰めでもない。非合法の花街の女衒ならば、普段相手にするのは腹に一物抱えた輩ばかり。その中で誠実な、それでいて立ち回りのうまくない正義の振る舞いは、弥太郎からすれば微笑ましくさえあった。

 

「そう気にすんな。実際逃げた訳でもなし、面白い話も聞けた」

「すまない」

「だから気にしないでいいっての。そんでだ、俺ぁ、もういっぺん村長さんとこに顔出してくる。その間ここで荷物番をしてくれや。悪いが、出歩くのは勘弁してくれ」


 念を押すのは失態のせいと素直に受け入れて頷く。

 別にそこまで大層な話じゃねえのにな、と弥太郎は真面目で融通の利かない正義に対して苦笑混じりだ。


「分かった。今回は、確実に」

「頼んだ。俺は村長さんをとっちめるからよ」

「とっちめる?」


 事情を知らない正義は意味が分からず戸惑った様子だ。

 しかしこの言葉には何の裏もない。 


“父は、私が殺しました”


 りるはそう語った。

 それが事実ならば、集落の長が知らぬ筈はないのだ。




 ◆




 村の中をぶらぶら歩けば、まじめ一徹、農作業に勤しむ皆々様の姿が見える。

 ご苦労さんで、なんて思いつつも少しだけ昔を思い出す。

 ああやって必死に働いても、田舎の農村じゃ、あんま暮らしは良くならねえんだよな。

 思い出せる昔は、大抵気分のいいものではなかった。


「よう、そこの兄さん」

「へえ、なんでしょうか」


 クワを振るう農夫を乱雑に呼び止めたが、自然と向こうは敬語で応対する。

 作り笑いに低い腰。こうやって下手に出る辺り、村長から弥太郎がどういうお客人かは聞き及んでいるのか。農具さえ持っていなければ下手どころか揉み手すり手もしそうな勢いだ。


「村長さんの家って、あすこで合ってるかい?」

「へい、間違いないです」

「そうかい、あんがとよ」


 一応確認したが、指差した家屋で正解らしい。

 前もって聞いていた訳ではない。療養所、村役場、富豪の屋敷と続いて大きな建物を指差しただけだ。

 まあ合っていたなら問題ない。さっさと向かおうかと思いつつ、せっかくだから物のついでと、もう少し話を続けてみる。


「ところで話は変わるが、神の娘って話知ってるか?」

「そりゃあ、まあ。この村じゃ有名ですんで」

「おお、マジでそう呼ばれてんのかよ」


 適当に声をかけた農夫でも知っているなら、“神の娘”は村民の共通認識ではあるのだろう。

 しかも若干顔を顰めて。とりあえず、話を聞く前からあまり好かれていないのは分かった。


「というか、あの子って実際、村ではどんな扱いなんだ?」

「どんな扱いもなにも、殆ど出て来ないもんで。うちの村でまともに接してんのは、村長と、世話にいってる女くらいですかね」


 普通の村民からは迫害を受けていない、というかどうでもいいといった扱いだと言う。

 どうでもいいから、売っぱらってしまっても構わない。金になるならそっちの方が嬉しい、そんな立ち位置にもなれる。

 そのくらい、りるは村社会から断絶されていたということだ。


「じゃあ別に、恨んだりとかはない訳だ」

「恨みはねえでも、気味悪ぃ娘っ子ですから。できりゃ関わり合いになりたくないってのが正直なところです」

「気味悪ぃとは、随分な言いようだ」

「つっても、あんな真っ白いのは……」


 それでも、村にいてほしくはなかった。

 古い時代、他者と異なる外観を持つ存在は総じて“あやかしのもの”として扱われた。

 人は人とは違うものを排除する。

 赤い目や青い目、白すぎる肌、高すぎる身長、異常なほどの筋力。絶世の美貌。

 人の枠から食み出た特徴を持つ者は、その真贋に関わらず、一括りに人ならざる存在だと信じられた。

 山間の集落ならばそういった信仰も根強い。

 普通の親から生まれたにも関わらず白すぎる女は、余計な与太話は置いておいても気味の悪い存在だ。

 神の娘は、その響きとは裏腹に、村民にとってはあやかしと然程か変わらなかった。


「ふうん。つか、見たことはあんのか」

「オヤジさんの葬式の時には、村のみんなが集まりましたんで」

「ああ、村の中心人物なんだっけか?」

「へい。その時に、少しくらいは見てますよ。髪も肌も真っ白で、オヤジさんが亡くなっても、涙一つ零さずに」


 僅かに農夫の顔が歪む。

 感情表現の薄そうな女だ。正直そういう態度は想像できて、親の死に何も思わない子供を嫌悪する側の気持ちも分からないでもない。

 どうでもいいが、いなくなってくれた方が嬉しい。

 おそらく村民の抱く感情は似通っている。軟禁されずとも、りるには屋敷以外に居場所なんぞなかったのだ。


「まあ、別に実害ある訳でもねえし。このまま迷惑かけず、早めにいなくなってくれりゃあそれでいいですよ」


 農夫は乱暴に、胸糞悪い結論でまとめた。

 村の恩人の娘でも関係ない。そもそも件の富豪自体、妻の不貞、娘の軟禁。そのまま失意のうちに亡くなって、功績はともかく、彼を取り巻く感情はひどく微妙なもの。

 できれば金だけ残してとっとと消えてくれろ、が伊之狭村の総意だった。


「なるほど。いや、悪かったな。仕事の手ぇ止めちまって」

「いんや、大丈夫です」

「ところで、ついでといっちゃなんだがもう一つ。件の富豪さんにご挨拶だけはしときたいんだが、墓地ってどこだい?」


 挨拶なんてのはもちろん方便、単に噂の中心人物の亡骸が眠る場所を見ておきたかっただけ。

 それで事情を探れるとは思わないが、得られるものの一つもあれば儲けた程度の興味だ。


「共同墓地なら村の北側にありますけど、そっちにゃあいませんよ」

「というと?」

「長年村に貢献してくれたからって、別のところに埋葬されてんです」

「そんならそっちの方教えてもらって大丈夫か?」

「へえ、もちろん」


 村の連中にもその程度の良識はあったのかと、弥太郎は感心して小さく頷く。

 農夫から墓の場所を教えてもらい、互いに小さくお辞儀をしあって終わり。意外と実りも多かったし、そこそこに満足して、再びぶらりと歩き出す。

 向かう先は集落でも大きめのお屋敷。

 たぶん、色々と知っておられるお方のところだ。




 ◆




 伊之狭村の村長、嘉六かろく

 彼について分かっている幾つかをまとめれば、つまりは嫌なヤツという結論に至る。

 弥太郎からしてみれば、集落の長である嘉六は、そう言われても仕方のない位置にいるのだ。


 例えば平成の世であれば長距離の移動手段などいくらでもあるが、戦後すぐの時代においては限られている。

 復興の手の入っていない地方はそれが顕著で、長距離以前に道路の整備が進んでおらず、山奥ともなれば数日の雨が降っただけで孤立してしまうようなところも多かった。


 だからこそ田舎の集落というのは都市部から隔絶された、独特の社会を形成している。 

 簡単なことで完全に孤立するが故に、まずは村の内部での力関係が重要視された。狭く小さな社会においては、法律より人道より、村の権威たちの発言こそが絶対だった。

 

 そして嘉六は集落の長。

 彼は自身を“まとめ役”と表現したが、集落の長の権威とはそんなものではない。

 なにかを強要されれば住民は従わざるを得ない。長の不興を買えば、村八分にされてしまうから。

 

 富豪の娘を娼館に売り飛ばす。

 恩人の遺産を村の運営費に充てる。

 

 こういった意見が住民から出たとして、集落の長という立場なら、簡単に跳ね除けられる筈で。

 つまりは嫌なヤツという結論に至る。

 弥太郎が此処にいる以上、嘉六はりるの処遇を容認しているどころか、花街へ売り飛ばすことを率先して推奨しているのだ。


「おや、弥太郎さん?」

「ああ、どうもすんません村長さん。ちょいと、お話を聞かせてもらおうと思いましてね」

 

 勿論そんな内心は完璧に隠し、いつも通りの軽い調子で村長へ会いに行く。

 嫌なヤツというのなら弥太郎だって似たようなものだし、いちいち感情を露わにしては仕事が立ち行かない。

 表向き友好的なツラをして訪ねた村長の家は、富豪の屋敷ほどではないが、しっかりとした造り。案内された居間も小奇麗に。村役場といい療養所といい、あくまで田舎としてはであるが、伊之狭村の豊かさが垣間見える。


「少々お待ちください。今お茶を」

「ああ、今日は長居するつもりないんでお茶も菓子も結構。聞きたいこと聞けたら、すぐに出ていきますんで」

「そう、ですか? はて、どういったご用件でしょう?」


 元より和やかに会話をするつもりはない。

 居間に案内されれば前置きもそこそこ、弥太郎は一気に本題を切り出した。


「りるが、父親を殺したってーのは、本当ですかね?」


 おまえは、真実を隠したまま、女を売ろうとしたのか。

 決して脅すような物言いではなく、あくまでも軽い雑談といった風情で。

 笑顔を張り付けたまま、しかしほんの僅か目を細めて、弥太郎は目の前の老翁を観察する。


「……は?」


 なのに村長は「なに言ってんだ、こいつ」と思い切り訳が分からないと言った顔。

 演技には見えない。本気で見当はずれな弥太郎の言を理解できず、それどころか変な人を見る目である。


「ありゃ、当てが外れたかね?」


 嘉六の態度に嘘がないと知れば、すぐさま表情は和らいだ

 手をひらひらと、「すんません、ちょいと勘違いしていたみたいで」。

 気の抜けて間の抜けた謝罪をして、姿勢を正してから改めて説明に戻る。


「いやね、りるのヤツが“私は父親を殺した”なんて言うもんだから、もしや殺人犯と知りつつ隠して俺に売ろうとしたんじゃねえかってって思いまして」

「いえ、決してそんなことは」

「ああ、分かってます分かってます。こっちこそ疑って申し訳なかった」


 集落の長である嘉六は、りるの過去を隠したまま売り飛ばそうしたのではないか。

 もしそうならば、そこを突けば動揺を誘えると思ったが、どうやら当てが外れたらしい。


「あの娘が、そう言ったので?」

「ええ、まあ」

「そうですか。ですが、彼女の父親は老衰で亡くなりました。もともと妻を娶った時点でかなり高齢でして」

「りるが二十歳ならオヤジさんは七十くらい? 普通に歳ですしねぇ」


 老衰でも病死でも不思議ではない年齢だ。

 村長に動揺は見られず、隠している風でもなく。とすると、りるの言う“殺した”は直接的な意味ではなかったのかもしれない。


「彼が亡くなった時、傍らには、あの娘がいました。ですが外傷の一つもない。そもそも、誰かに殺されたというのが、まずあり得ません」


 それでも、りるは自らがと語った。

 であれば、「私がいたせいであの人は死んでしまった」とか。

 そう思い込むような出来事があった?


「父親との関係は、案外良かったり?」

「どうでしょう。経緯が経緯だけに、私からはなんとも」


 そういう言葉が自然に出る辺り、村長も“神の娘”など端から信じてはいなかったのだろう。

 おそらくは、集落の民にとっても、それは妻の不貞を誤魔化す詭弁でしかなかった。

 隙間のない村社会では、そうと口に出来なかっただけで。


「ただ父親は虐待も無視もせず何不自由なく育て、娘は不満を言わず反抗もしなかった。傍目には、少なくとも私には、二人の間に嫌悪も憎悪も見られなかった。その意味では、うまくはいっていたのだと思います」


 けれど件の富豪は神の娘に拘り続けた。

 その心中は今更知る由もないが、少なくとも傷付けず大切に育てたということだけは間違いない。

 また娘も軟禁生活をきっと恨んではいなかった。


「私から、すれば。父親は、十分あの娘を気にかけていました」

「多分ですが、りるの方も、嫌っちゃあいなかったでしょうよ」

「そう、思われますか?」

「ええ」


 そうでなければ親の死を気にも留めない筈。

 私が、父を殺したと。そう口にしてしまう程度には、心を置いていたのではないか。勿論それは弥太郎の想像に過ぎないが、そう的外れでもない気がした。


「あの、恐縮ですが。……もしも父を殺したというのが、本当ならば。買うのを、取り止めたりは?」

「ああ、そんなつもりはありませんて」


 今度の問いは村長の側から。おずおずと不安を投げかけられて、しかし否定は殆ど間を置かず。

 まあ売る側としちゃ不安にもなるか。そこを気遣って、多少は穏やかに振る舞ってみせる。


「金も色も男も女も、あらゆるものを受け入れてこその花街ってなもんです。調べたのは単なる興味。多少スネに傷があろうと、神の娘だろうが人殺しだろうが、気にする奴なんぞいやしませんよ」


 青線の住民が過去を問うなどバカげている。

 だいたい弥太郎自身、真っ当に生きてこれなかったから花街にいるのだ。

 もしもりるが本当に神の娘でも、例え父親を殺していたとしても、それを理由に責めるつもりはない。

ただこれでも、いっぱしの商人を気取っている。

 人殺しを買うのはいいが、騙されて買わされるのはごめんだ。

 つまるところ、あの娘の過去を知りたいのは、自分が納得して商売をしたいからにすぎない。


「……そうですか」


 ほっ、と。

 こちらの意図を伝えれば、心底安堵したとでも言わんばかりの暖かい息が零れて、弥太郎は「おや?」と思った。

 今のはまるで、純粋にりるを心配していたような。


「ありがとうございます」

「こちらこそ。聞きたいこと聞けましたし」


 しかしそれもすぐに掻き消えて、集落の長と女衒、二者のなんでもない会話に立ち戻る。

 実際、聞きたい話は聞けた。

 りるは物理的には父を殺しておらず、親子関係も決して悪くなかった。その二点だけでも十分な収穫だ

 

「そんじゃ、そろそろお暇をば。すんませんね。いきなり来ちまって」

「お気になさらず」

「一応、出立は明後日くらいを考えてるんで、それまではよろしくお願いしますよ」


 取り敢えずはこれで仕舞いと、そぞろに立ち上がる。

 居間を離れようと振り返りざま、棚に置かれた人形と目が合った。

 村役場にも、りるの家にもあった。オザシキさんとかいう、不格好というか、珍妙な人形だ。


「そういや、あすこの木彫りの人形」

「オザシキさんですか?」

「そうそう。その、オザシキさん。神の娘の“神”って、多分あれを指してるんですよね。どんな神様なんですか?」


 これに関しては大層な意味はない。

 どこの家にも置いてあるから気になった、くらいの軽い雑談だ。


「古くから伝わる守り神です。オザシキさんは家に住む神で、食事を用意し、部屋をきれいにする。そうやって身の回りの世話をすれば富をもたらしてくださるという」

「あれですね。ほぼ働かないダメ息子ですね」

「一応、白い肌と髪を持つ、美しい女神とされております」

 

 その割には結構面白い話が聞けた。

 典型的な家に住む神で、白い肌と白い髪をしている。

 だから同じく白い肌と白い髪をした神の娘はそれに倣い軟禁された。そう考えれば、富豪の爺様がとった対処はそれほど奇妙なものでもなかったのかもしれない。


「オザシキさんは養蚕の守り神でもあります。伊之狭村は、かつては養蚕が盛んでした。座敷で飼育される真っ白なカイコがこの神の原型なのでしょう」

「へぇ。かつてはって、今は?」

「何十年も前に病気が流行ってカイコは全滅。当然、養蚕は立ち行かなくなりました。そうなってはオザシキさんも意味がなく。信仰も廃れ、今では部屋に飾る妙な人形ですよ」

「そいつぁ世知辛い話で」 

 

 神様もご利益がなくなりゃ用済み。信じるには足らぬということらしい。

 信仰なんて言ってもその程度。今日のメシのタネの方が大事なのは当然だし、弥太郎にも理解しやすかった。


「ん、てこたぁ、療養所は」

「養蚕の廃業によって村は貧しくなりました。ご想像通り、そもそも療養所は、主産業のなくなった村をどうにかしようと建てられたのです」


 それだけに、村の救い手であった富豪の影響力は大きかった、

 なのに死後はこうして女衒が呼ばれるのだから、まったくもって世知辛い。

 まあそこら辺は集落の事情、弥太郎には関係ない。

 ただ気になる点があるとすれば。


「……しっかし、虫のよくたかる村だこと」

「は?」

「いえいえ、なんでも」


 ちょいとばかり虫に縁があり過ぎる。

 いくら蓼虫だからって、仲間と勘違いして寄って来られても困るのだが。

 

「いろいろ面白い話をどうも。そいじゃ、俺はこれで」

「はい。どうか、りるのこと。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる村長に文句ぶつけても仕方がない。弥太郎は適当に誤魔化して、その場を後にした。

 なんとなく、いろいろと繋がったような気がする。

 だから、あとは、りるに直接聞かないといけない。

 神の娘と、それにまつわる、多分胸糞悪い。それでも少しだけ暖かいであろう、家族のお話を。



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