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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ


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【花とコガネムシ】・2




 世の理不尽への反骨を抱いたまま、弥太郎はお座敷ストリップを主とする料亭での仕事に精を出す。

 彼はよく働いた。

 働いて働いて、仕事を押し付けられても笑顔で「はい、お任せあれ」。女給のお願いともなれば使い走りでも喜んでやり、加えて空いた時間には勉学にも励んだ。


『こんな店の裏方ごときで、なにを真剣になってるんだか』

『いいじゃねえか、バカが一人いると楽ができる』


 違法の花街で懸命に働く弥太郎を嘲る者は多い。

 この料亭で一番“おいしい”のは料理ではなく女給。彼女達の艶姿こそが花形で、男なんざ所詮は雑用。誰に褒められるでもなかろうに、安い給料で躍起になって、馬鹿じゃないのか。

 同僚に陰口を叩かれているのも知っている。

 しかし逆に、評価してくれる人もいた。

 女口調で喋る先輩はその代表格で、あとは同じ職場にもう一人。藤吉という先輩も、弥太郎をそれなりに買っていた。


「藤吉さん、これはどうすりゃいいんですか?」

「ああ、ここはね……」


 弥太郎の玉の井での住居は、古びたボロアパート。

 便所は兼用で、お世辞にも住みやすいとは言わないが、その分お値段はお安め。料亭からそう遠くない距離にあり、従業員も多く住んでいたから、ほとんど寮みたいなものだった。


「なるほど、藤吉さんの説明って、分かりやすいなぁ」

「そうかい?」


 長い付き合いになる藤吉との始まりも、きっかけは件の先輩にあった。

 何も考えず東京へ来た弥太郎は当然ながら金も住むところもなく、それを聞くと「なら、いいところを紹介してあげる」とにっこり笑顔。

 そうして案内された家賃の安いボロアパート、隣の部屋に住んでいたのが藤吉である。

 

「よっしゃ。今日は結構進んだ気がするぜ」

「うん、実際、弥太郎さんは覚えが早いよ」

「へへ、あんまり褒められると調子に乗っちまうなぁ」


 共に働き、家はお隣さん。相性も悪くなかったから、親しくなるのに然程時間はかからなかった。

 藤吉は温和な性格で、歳が十以上違う弥太郎とも友人のように接する。

 その上、暇があれば読み書きを教えてくれた。

 農村にいた頃は勉強などできなくても問題なかったが、これからはそうもいかない。そう言って自ら勉強しようとする心意気を買って、藤吉は教師役を請け負ってくれたのだ。


「調子に乗ってもいいと思うよ。数か月でここまで文章を作れるようになったんだ。間違いなく、努力の賜物だ」

「いやいや、藤吉さんの教え方が上手いからさ。ほんと、助かってるよ」

「そう言ってくれると、嬉しいね」


 先輩であり歳の離れた友人でもある藤吉は、くすぐったそうに笑う。

 単なるおべっかではない。地方農村の出身で、学校に通ったこともない弥太郎が文字を書けて豊富な知識も持っているのは、藤吉と過ごした時間があったからだ。

 本人の努力があったのは言うまでもなく、しかし教師の腕の良さが“蓼虫の弥太”の文書作成能力を育てたのも間違いない。 

 だから弥太郎は、本当に恵まれていた。

 件の先輩に藤吉。違法の花街で、ここまで世話焼きな二人の男と巡り会えたのは、まさしく僥倖としか言いようがない。


 それはとても嬉しく。

 けれど同時に、今迄の日々が間違いであった証左ともなった。


 農村で毎日のように働き、お上に搾取されて。

 母の今際にすら粥の一杯も作ってやれない。

 そんな故郷での暮らしには価値などなかった。

 結局はどのような手段であっても金を稼いで生活が豊かでなければならない。貧しくても優しく正しくなんて単なるお為ごかし。

 他者を踏み躙ってでも多くを得なければ、心の余裕というものは生まれない。

 暖かな花街での暮らしで、彼は己の正しさに確信をもってしまった。





 こうして違法の花街で世の理を知った弥太郎は、やはり懸命に働く。

 先輩方がどれだけいい人でも性風俗に係わる場所なら、まっとうでない光景だって覗き見てしまうこともある。

 美しい女性が艶やかに肌を晒す、殿方を楽しませる煌びやかな夜も、裏側に回れば綺麗なだけでは済まない。

 痴態を見せる女給はいくらかいるが、長く続けりゃ人気に差は出る。

 そうなれば、金払いのいいお客を取り合って喧嘩なんて日常茶飯事。ご指名の少ない姐さんが苛立ちを裏方の従業員にぶつけるのも普通のこと。

 仕事だって忙しく、給金は花形の女性陣と比べれば雀の涙。

 儲けるのはやはり、働く弥太郎らよりも、女を食い物にする経営側だ。

 それでも玉ノ井での生活は決して嫌いではなかった。


 ストリップ嬢も色々。ワケアリでやってる女性も、腰掛の日雇い仕事の人達もいる。

 ただ、理由はそれぞれ違ったが、少なくとも弥太郎の勤める料亭では、みんなマジメにストリップをしていた。


 服を脱いで裸晒せば男は喜ぶ?

 ふざけんな、そんな簡単なものじゃない。

 時には妖艶に、時には恥じらい。己が手管で物語を描き、お客さんが喜ぶならバカにもなる。

 知りもしない奴らはお座敷ストリップを低俗な見世物とあざ笑う。けれどそこには独特の熱があった。

 戦時中の荒んだ心を癒す、一夜のうちに消える眩さ。

 座敷で肌を晒す美しい女給たちは、確かに多くの男達を救ってきたのだ。


「あ、弥太郎。おつかれー」


 ただ違法な場所だけに、どうにも毛色の違うのが紛れ込むこともある。

 弥太郎が従業員なる半年ほど前に入った少女────“花”も、その類の色街には似合わぬ娘だった。

 歳は幾らか下で、まだ幼さの残る顔立ち。全体に小柄で肉付きも然程よくない。

 この娘は、なんでも父親が死んだせいで食うに困り、否応なく性風俗の世界に身を投じたそうな。

 まあ在り来たりと言えば在り来たり。そういう女性は他にもいると藤吉から聞いた。

 であれば態々根掘り葉掘りも失礼だし、半年であろうと先に在籍していた以上は先輩。そこは年下と侮らず、丁寧に挨拶をする。

 

「お疲れ様です、花姐さん。今日もよろしくお願いしやす」

「敬語なんて使わないでいいのにー。弥太郎の方が年上なんだし」

「いえ、言っても俺の方が後で入ってますし。女給さんに馴れ馴れしいのは、あんま良くないというか……」

「そう?」


 けれど花はけらけらと。困窮からこの業界に入ってきた割には、随分とノリの軽い。

 まあ年下と言っても三つか四つ。気楽に話をできるのならそちらの方が有り難いが、女給に馴れ馴れしく接する新人というのも外聞がよろしくない。

 そう思ってやんわりと断るが少女はあけすけで、特に気にした様子もなく食い下がってくる。

 

「あ、じゃあ人目のないとこくらいだったら?」

「まあ、そのくらいなら……いいんですかね?」

「じゃあお願い。へへ、ここの従業員さんって、みんな十歳以上は年上だから。普通に話せそうな人がきて良かったー」


 そうなると、新人というヤツは弱い。

 同じ新人でも女給の方が立場は上。結局は押し敗けて花の言い分を飲んでしまう。

 気安い同僚を得たのが嬉しかったらしく、やはり彼女は朗らかに笑う。

 初めて会った時からこの調子。彼女の振る舞いは、花街に美しさを見た弥太郎の感性からはかけ離れた……つまるところごくごく普通の年頃の娘で。

 それが懐かしくも新鮮だから、弥太郎も自然と目を細めた。




 繰り返すが、彼は玉の井の料亭での生活が決して嫌いではなかった。

 男の前で肌を晒す女給たちに対しても偏見はない。一般には『はしたない』だの『破廉恥』だのと言われてしまうが、お客を喜ばそうと努力する、自分の仕事に拘りを持つ女性も多かった。

 いがみ合う姿を見ても「狭い場所に女が寄り集まればそりゃあ喧嘩くらいはするさ」くらいのもので、評価が下がるでもない。

 なにより己の身一つで食い扶持を稼ぎ、世の中を渡っていくのだ。搾取される側に甘んじ続けた彼にすれば、てめえの力でしっかり立つ彼女達の在り方は尊敬の対象でさえあった。

 有り体に言えば、見栄えが良いよりお淑やかより。

 多少下品で辛辣でも、活力に満ちた女給たちの方が、弥太郎にはよっぽど美しいと思えたのだ。


「疲れたー、弥太郎肩揉んで」

「お前ね、もうちっとちゃんとした振る舞いのができないもんかね?」

「ごめん、そんだけの気力残ってない……」


 その意味で花という少女には、容姿という意味でも在り方でも、飛び抜けた魅力は感じなかった。

 整ってはいるが派手ではなく、純朴といった印象の面立ち。背が小さく体は細く、ふくよかとは言い難く。もともとが食うものを求めてだったから、そこそこに仕事はこなすが熱意という点では今一つ。

 もっとも客にはそれなりに人気があった。

 体付きはともかくも、花の年齢は違法の花街でしか堪能できない若さだったからだ。


「ま、なんだかんだ人気が出てきてよかったな」

「ふふん、私の魅力ならとーぜん」

「ぬかせ。他の姐さんらと比べりゃまだまだだろうが」


 表情はころころと変わるので、愛嬌という点では中々のもの。

 加えて飾らない性格は接する分には気楽だし、この娘から他人の悪口を聞いたこともない。

 こうやって肩を揉ませる、肌を触らせるくらいには彼女も気を許してくれていて。つまり弥太郎と花は、男と女で従業員と女給で、多少の立場の違いはあったが仲の良い友人同士だった。


「あ、そうだ。晩ご飯食べに行こうよ」

「あー悪い、俺はもうちっと仕事残ってんだ」

「ちゃんと待ってるって」

「いや、疲れてんだし帰って休んだ方がいいと思うんだけどなぁ」


 よく仕事終わった後、遅めの夕食を二人でとった。

 花の理由は幾つか。年齢が近く話しやすかったし、同じく両親のいない身の上。総合すれば、たぶん弥太郎が一番楽な相手なのだろう。

 戦況の悪化により困窮していく日本。皆が皆ぴりぴりしている中、気を抜いて接せる相手というのはそれだけ貴重だ。

 お互い天涯孤独だから通ずるところもあって、ごくごく自然に弥太郎と花は親しくなっていった。




 ◆




 それがもう、十年以上前になる。

 居間で茶をすすりながらの昔語り。りるは静かに耳を傾けてくれていた。

 滔々と自分の過去を聞かせるなんざ、あんまり趣味ではないけれど。下げるような発言も温もりを帯びてしまう、そういう懐かしい思い出がある。


 昭和十七年(1942年)・冬。

 まだ戦争が続いていた頃、彼が十八歳の時の話だ。

 母が死に、故郷を捨てて、流れ着いた玉の井の料亭。

 そこで弥太郎は花という少女に出会った。


「花は愛嬌こそあったが、目の覚めるような美人って訳じゃなかった。いろいろ小さかったしな。性格もどっちかってーとノリが軽くて、花街の女には程遠かった」


 ただ彼女との出会いは、劇的とは言い難い。

 普通に顔を合わせて、普通に交友を持っただけ。女性を比べて評価するなんてクソったれているが、敢えてそういうゲスな物言いをすれば、りるとの出会いの方が余程印象深かった。

 それでも。


「それでも、忘れられない女ってのはいるもんだよな。俺にとっちゃ、そいつが花だった」


 ぐだぐだな初対面ではあったが、弥太郎にとって花は特別な女性だ。

 こうして、戦後十年も経って、尚も少なからず引き摺るくらいには。


「好きだったの、ですか?」

「お前さんは、言いにくいところをズバッとくるね」


 今まで黙って昔話を聞いていたりるの第一声がそれ。

 けれどまあ、その言は、否定しきれず。さりとて素直に認めるのも悔しくて、弥太郎はにへらと笑った。


「あー、なんだ。惹かれてたのは事実だよ」

「なら、どうして?」


 どうして、そういう女性を売り飛ばしたのか。

 責めるではない純粋な疑問に、少しだけ口元を緩める。

 今更、隠したりはしない。引き摺っていると自覚はしているが、多少の痛みを覚えても、動揺しないくらいには気持ちの整理も付いていた。

 

「前にも言ったろ? 俺にゃ、才能がなかったんだ。たぶん、花にもな。だから、あいつとの話は、結局そこに落ち着いちまう」

「幸せに、なれるのは才能……」

「そう、それそれ。才能がないから、幸せの掴み方が分からなくて。お互いに、相手の幸せを祈れなかった」


 だから弥太郎は花を売り飛ばした。

 花もまた別れ際に弥太郎の孤独な死を願った

 普通に出会い、普通に交流を持って。なのに最後の最後で選択を間違えてしまったのだ。


「それ、は、どういう?」


 弥太郎にとってはそれが全て。しかしりるには分かり難かったようで、あまり変化のない表情にも、僅かに困惑が滲んでいる。

 それなら可能な限り端的に表現しようと、弥太郎は結末から伝えた。


「中根って男がいてな。こいつが金持ちで、言うんだ。“花を幸せにしてやる”ってよ。俺も花も、それに飛び付いちまったんだ」


 弥太郎と花は二人して幸せになる才能がなかった。

 そんなだから、中根という貸金業の男がぶら下げた幸福にんじんに、馬鹿みたいに飛びついてしまった。

 これから長々と語る昔話のオチは、そういうくだらないもので。

 弥太郎は自嘲するように小さく笑みを落とした。




【コガネムシ】

 甲虫目コガネムシ科の昆虫。

“黄金虫”と書き、童謡では「コガネムシはお金持ちの虫だ」と歌われたりもする。

 丸っこい外見で可愛らしく、人を害するような毒も持たない。

 ただしこの虫は食葉性で、広葉樹の葉や花弁を食べてボロボロにしまう。

 更に土に卵を産み、生まれた幼虫は植物の根っこを食べて成長する。その為、コガネムシは幼虫も成虫も害虫に分類される。



 つまりコガネムシは、花を食い荒らす害虫である。


 




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