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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ
31/37

【蓼虫】・5(了)




「弥太郎さんは、そもそも、とても分かりやすい人なんです」


 紗子はなんだかんだ弥太郎との付き合いが長い。

 その分、彼の人となりというものを知っている。玉ノ井で働いていた頃から交流のある藤吉とは流石に比べられないが、それでも弥太郎の理解者であるのは間違いなかった。


「ただ“弥太郎”と“蓼虫の弥太”を別けて考えていて、しかも女衒である自分を上に置いているんです。その為ほとんどの行動は、女衒として商人としての道理に沿ったものとなります。ですが時折、“弥太郎”としての判断……というよりも感傷がポンと出てくるものだから、非合理な行動をしているように見えてしまう」


 そういう紗子は、どことなく楽しそうに滔々と語る。

 どことなくも何も、実際彼女は楽しんでいる。普段の楚々とした所作は見る影もなく、まるで「うちのお父さん、社長なんだぞ」と馬鹿みたいな自慢をする子供のようだ


「今回の件で言えば、“金で買われた以上連れ戻す”が“蓼虫”の判断。帰ってきて、一緒に居たいと願うのが“弥太郎”。つまりあの人は、飄々と振る舞ってみせてるけれど、肝心なところでは我慢の利かない人なんです。ね、可愛いでしょう?」

「おい、なにやってんだ紗子」

「あら、弥太郎さん。お邪魔しています。少し紅葉さんとお話をしておりました」


 ……とまあ、紗子が散々お喋りをしていた相手は、若干あきれ顔の紅葉。

 興味がなかったとは言わないものの、随分と長い時間お話を聞いていたから、それなりに疲れた様子だ。

 しかも場所は弥太郎の自宅。何故か分からないが娼婦二人で自分をネタにわいわいと、帰るや否や顔を顰めるのも無理からんことだろう。


「ああ、お帰り」

「おうよ、あー、ただいま」


 けれどしかめ面もすぐに解ける。

 びっくりするくらいするりと、紅葉が「おかえり」の言って。ちょいと照れは混じるが、それになんとか「ただいま」と返す。

 本当に、毒されている。きっと二人して虫に刺され、その毒にやられたのだ。

 だからこんなにもむず痒く。けれど生憎かゆみ止めのお薬は買い置きしていないので、慣れるまでは放置するしかなかった。


「仲良くなったんだなぁ、二人とも」

「先輩後輩の間柄ですから。ねえ、紅葉さん?」

「まあ、そんなところ」


 なんとなく含みはあるが、そういうもんかと納得もする。

 仲がよくて困ることもない。特に紅葉は、以前の敵意剥き出しの様子を考えれば、現状の方がいいに決まっている。

 藪をつついて蛇を出すよりは流すべきだろうと「ふうん」と適当に相槌を打っておく。


「ほれ、お前さんも。ちゃんと挨拶な」


 代わりという訳ではないが、話題の提供と後ろに隠れていた女の背を押し、無理矢理矢面に立たせる。


「あ……」


 漏れた小さな声は誰のものか。

 姿を見せたのは真っ白い肌に、真っ白い髪。実年齢よりも幼い容姿をした不思議な女性。

 りるは蓼虫の女衒に連れられて、少し気まずそうに、それでもちゃんと帰ってきたのだ。


「ご迷惑を、かけて、申し訳、ありません、でした」


 いの一番にさせたのは、紅葉への謝罪だ。

 迷惑をかけたのだから、まずは謝る。そいつが人として当然の行いというもの。

 自分のしでかしたことをなあなあで済ませるような、ズルい真似は覚えてほしくなかった。


「ううん、無事でよかった。おかえり、りる」

「は、い。紅葉さん、ただいま、です」


 そうやって心を込めて謝れば、許してくれる人がいて、許してくれない人がいる。

 紅葉は前者だったようで、優しく微笑んでりるを受け入れる。

 おかえり、と。その言い様も、もう突っ込めないと思えば、弥太郎としては多少居心地が悪くもある。

 もっとも自分で認めた以上は仕方ない。そこは諦めて、まずは帰宅を喜ぶ。


「紗子も、済まなかったな。色々と気ぃ遣わせた」

「いいえ、弥太郎さんの為ならば。何かお返しがあれば言うこともありませんが」

「ちゃっかりしてんな。そこら辺は、また何か考えるさ」


 今回の功労者はなにより紗子。そちらにも礼を伝えて、今度はりるの方へ向き直る。

 この娘が無事だったのは喜ばしい。が、それはそれとして。


「よし、じゃあ喜んだところで説教だな。りる、正座」


 次は勝手に出て行ったこの放蕩娘を叱り付けてやらねばならないと、弥太郎はどっかりと居間に腰を下ろす。

 迎えに行った時はちゃんと空気を呼んだが、帰ってきたからにはもう我慢する必要もない。

 褒めて叱っては育児の基本だ。子供どころか嫁もいたためしはないが。

 ともかく、今後同じような騒ぎを起こさぬよう、しっかり言い聞かせておかねば。


「ちょ、ちょっと。折角りるが帰ってきたんだから、なにもそんなことしなくても」

「いーや。こいつは俺に買われておきながら逃げ出したんだ。契約を破っておいて、なんの罰もないなんざ許されてたまるかよ。紅葉に示しがつかねぇし、なによりこいつの為にならねぇ」

「別にあたしは気にしてないのに」

「俺が気にする。それに見てみろ、ちゃんとりるだって説教受ける体勢作ってんじゃねえか」


 親指で示した先では、ちょこんと正座する幼気な少女……に見える実年齢二十歳。

 お説教されるのを待ちながらそわそわと、どことなく楽しそうでもある。


「……ねえ、なんでちょっと嬉しそうにしてるの?」


 不思議に思った紅葉が問えば、返ってくる声も微かに弾む。


「弥太郎、さんが。お説教を、するのは、同じ間違いを、させない為に。私のこれからを、慮っての、こと、ですから」


 なんともまあ、殊勝な心掛けで。説教しようとした弥太郎でさえ思わず息を漏らしてしまう。

 叱った後、その裏にある心遣いまでちゃんと汲み取って、それを有難いと喜ぶ。

 流石にこれはちょっと成長しすぎではないだろうか。

『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とは言うけれど、女子の場合は瞬きの間に変わることだってあるのかもしれない。


「いや、まあ、事実ではあるのかもしれないが。微妙に説教し辛ぇな、おい」


 ただこうも真っ直ぐに見つめられ、その上嬉しそうにされると、怒鳴り付けるのも奇妙な感じがする。

 いやいや、そこを気にしたら多分負けだ。

 弥太郎は居住まいを直し、改めてりるに向き直る。


「いい覚悟だが、手は緩めねえぞ」

「は、い」

「契約は、交わした以上守られなきゃなんねぇ。たとえどんなにひどい文面だとしてもな。りる、お前さんは俺に買われた。つまり所有権は現状俺にある。そういう約束を反故にしたんだ。同情の余地なんざねえし、折檻を受けて当然だ。そんくらい、分かってるよな」

「は、い。申し訳、ありませんでした」


 丁寧に頭を下げ謝罪して、けれど説教の効果があるのかないのか、顔を上げると「えへへ」とやはり嬉しそうに頬を緩める。

 澄ました顔ではなく、無防備に微笑むのは初めてのような。

 多少気税は削がれるが、これもまた成長の一つだと割り切って、弥太郎はりるの笑顔をしっかりと心に刻み込む。

 それはそれとしてお叱りの言葉は続き、なのに殊勝な顔をしながらも、彼女の表情は時折和らぎ。そんな二人を生暖かく紅葉と紗子が見守っている。

 女衒の下で、随分と気を緩めてくれるものだ。

 けれど、多少歪ではあるものの、これも平和の肖像といえばそうなのかもしれなかった。






 そうして、説教をしながらも、弥太郎は考える。

 たとえ、ただの“りる”を受け入れたとして、原初の想いが消える訳ではない。


“呪いをかけてあげる”

“私を踏み躙って生きていく貴方が”

“どうか報われないまま、孤独を抱えたまま死に絶えますように”


 であれば、運命の話は。

 心臓にかけられた呪詛は、まだ残っている。


 もしも運命というヤツが本当に存在するのなら。

 弥太郎の運命を握っているのは、やはり女で。

 いつか終わりを告げるのは、りるなのだろうと。その確信は未だ揺らいでおらず。


“あなたは、最期には。あなたの大切なものに呪い殺される”


 結局弥太郎は、坂を転げ落ちるように、避けようのない末路へと辿り着く。

 いつかの呪いは間違いなく彼を滅ぼし。

 だから、そうなる前に。

 この娘には、花のことを───




 ◆




 水無瀬三千年は土足で踏み荒らされた、誰もいなくなった部屋で一人座り込む。

 つい先日までは、この部屋には少女がいた。

 田舎の集落で生まれ父母を亡くし。女衒に買われ、東京へ無理やり連れてこられた哀れな娘。

 偶然とはいえ彼女を保護し、ほんの僅かな間だったが一緒に暮らした。

 

 女衒に攫われたせいで男に怯えて、それでも精一杯感謝を伝えようとしてくれていた。 

 かわいそうなあの子は、これから幸せにならなければいけなかった。

 なのに、あの男は。

 蓼虫の弥太は、それを踏み躙った。


 かつて成金に死病持ちの女を売りつけ大金をせしめた男は、今度はりるを売り払らい、私腹を肥やそうとしている。

 もう戦後は終わった。誰もが、当たり前のように幸福を得てもいい。そういう時代になろうとしているのだ。

 だというのに、他者を食い物にして生きる輩が平然とのさばる。

 そんな無法が許されていいのか。


「ダメだよ、な。りるちゃんは、俺が守らなくちゃ……」

 

 かさかさ、ぎちぎち。

 彼の胸を沢山の黒い影が、暗い部屋で一人育てた“正義感”が這い回る。

 守らなくちゃ、と。

 三千年は何度も何度も、繰り返し呟き続けた。




 ◆




「お前さんにも迷惑かけたな」

「いや、別に俺は何もしていない」

「心配してくれたじゃねえか」

 

 見えないところで虫が蔓延っても、なんの問題もなく日常は回る。

 かさかさ動くタンスの裏には気付かぬまま、弥太郎は一応のこと花座横丁へと足を運び、正義に事の顛末を報告する。

 仕事をうっちゃってでも探すのを手伝う。そこまで言わせてしまったのだから、このくらいはしておかないといけない。

 りるの家出騒動にはとりあえずの決着が付き、彼女はこれからも青線暮らし。女衒としては、二人も女を預かっている以上、今のところ娼婦を増やすつもりは今のところない。

 三人での生活も相変わらず。

 強いて変わった点を挙げるならば、りるの当たりが少しばかり柔らかくなったくらいか。


「いいことなのか悪いことなのか、今一つ分からねえけどなぁ」

「前以上に懐いたのなら、別に悪くはないだろう」

「つっても、結局お初の客はまだとれてねえし。紅葉もうちで預かりのまま。なんか近頃はうまくいかねえや」


 ある程度の常識が身に付いたなら、りるには乱暴しない弁えたお客を取らせるつもりだった。けれど色々と騒動に巻き込まれて、当初の予定は延び延びに。

 紅葉に関しても身請け話以降は、自宅で面倒見つつ仕事を斡旋。これでは甘やかしていると言われても仕方ない。

 昔はもう少し冷たくもなれたのだが、蓼虫と揶揄される女衒が、思えば温くなったもんだ。


「俺は、今の弥太しか知らないからな。むしろ平常通りにしか思わないんだが」

「ああ、そういやそっか」


 しかし正義は、弥太郎のぼやきをこそ不思議だと言う。

 考えてみればこの真面目な青年と知り合ったのは、紗子との短い共同生活の後。多少なりとも落ち着いてからだ。

 母が死に世を恨んでいた頃や、“花”を成金に売り飛ばした時。キワモノの御嬢さん方をタチの悪い娼館に手あたり次第回していたことなんかも知らないのだ、そういう感想も出てくるのだろう。


「だが、なんつーか。俺ぁ昔は悪かったんだぜ、なんていうつもりはねえがよ。ちょいとこのところ、商人の一分をはみ出し過ぎてる。あんま良いことじゃねえわな」

「いや……」

「よう、マサ坊。今、“女衒らしく働く方が問題ある”とかなんとか思っただろ?」

「そんな、ことは、ない、ぞ?」


 本当に、こいつは顔に出やすい。

 狼狽える正義の様子がおかしくて、弥太郎は小さく噴き出した。


「……なぁ、弥太は。今の自分が嫌なのか?」


 そのくせ時折ぶっこんでくるものだから油断ならない。

 核心を一点狙い撃つような物言いに目を見開き、けれど強張りはせず動揺もなく、ごく自然に言葉を返す。


「いいや、悪くねえとは思ってるよ。ただ、忘れられない景色があるだけで」


 誤魔化しではなかった。

 今の自分が嫌いではない。それでも胸にはきっと虫がいて、今もぞわぞわと蠢いている。

 だから結局、終わりは変わらない。

 いつかは心の虫に食われておしまい。たぶん神の娘と出会うずっと前から、弥太郎の最期は決められている。


「ま、とりあえずりるは無事だから安心してくれ。んじゃな」

「ああ。お前はこれから?」

「喫茶店。岩本の旦那が溜めに溜めたツケ払ってくる」


 そうして軽い挨拶を交わし、気楽な調子でその場を去る。

 実際、暗い感情は殆どない。女衒稼業をしている男だ、ろくな死に方は出来やしないと端から知っていた。

 しかし余計な荷物を余所様に背負わせるのは、どうも気が咎める。

 ならば準備くらいは整えて置かなきゃな。

 飄々と、鼻歌混じりに。弥太郎はそんなことを考えていた。




 ◆




 不良警官の溜め込んだツケを支払い、居酒屋『こまい』にも迷惑かけたと謝罪に行き。

 その他もろもろ後始末を終えて、ようやく自宅へ戻る。


「おかえり、なさい」

「おう。なにもなかったか」

「は、い」


 玄関を潜れば、真っ白い娘がお出迎え。

 やはり、りるの表情は随分と柔らかくなった。

 口の端に浮かぶ優しさは、伊之狭村で軟禁されていた頃からは考えられないものだ。

 ということは、なんとなく癪ではあるが、集落の長であった嘉六のやり様は正しかったのだろう。


「そうだ、りる。済まねえが、茶を淹れてくんねえか?」

「わかり、ました」


 なにも出来なかった虫篭の中のお姫様は、今ではお茶を淹れられるようになった。

 聞く人によっては下らないと思うような些細なことだが、それだって成長の一つだ。

 東京へ出てきて、短い日々を過ごし、りるは変わった。

 家事が出来るようになり、人の心に寄り添い、自分の想いを口にして。 

 だから、きっと、頃合なのだと思う。


「どう、ぞ」

「ありがとよ。まあ、お前さんも座りな」


 居間に腰を落ち着けて、りるが淹れてくれた茶を啜る。

 紅葉に合格点を貰っただけあって、渋みはなく温度もちょうどいい。半分くらい流し込み口を湿らせ喉を潤し、ふうと一心地。

 おかげで、話しもしやすくなった。


「ああ、と。紅葉は仕事だっけか」

「は、い」

「そうか。おあつらえ向きってやつだな」


 幸いにも二人きり。

 ならば遠慮の必要もなく、弥太郎はそれこそ茶飲み話のような軽さで本題を切り出す。


「なあ、りる。折角の機会だ、ちょいと昔話でも聞いてくれねえか?」

「むかしばなし、です、か?」

「ああ……」


 神の娘は、薄汚い女衒に足を引っ張られて人へと堕ちた。

 当たり前に受け入れていた死の意味を知り、失うことを恐れ。

 無様に我儘を言って、転んで起き上がって、何より笑えるようになった。

 だからきっと、今なら、只人の言葉も届いてくれる。


「“花”のことを、お前さんにも知っていてほしいんだ」


 願わくは。

 これから語るお話が、彼女の背負うものを少しでも軽くしてくれますように。




  【蓼虫】・了

次話【花とコガネムシ】




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