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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ


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【蓼虫】・3




 紗子は、花座界隈でも指折りの娼婦と名高い。

 それほどの人気であれば客も選べるだろうに、貧しかろうが金を持っていようが、彼女はどんな客でも受け入れ、閨では淡く儚い恋慕の情を囁く。

 例うならば、熱帯夜の氷。

 心地よさに濡れて溶けても、朝が訪れる頃には消えてしまう一夜の涼。

 その手管に惚れる者は多く、夜毎様々な男性のお相手をする。その分客層も広く、常連には普通の労働者だけでなく、地位も資産も持ち飽きたようなお偉い方々もおられる。

 警察の上層部や、造船業で儲けたお人だとか。

 あとは、医師なんかもいたりする。


「私の馴染みのお客様に、お医者様がおられまして。りるちゃんの居所を教えてくださいました」

「こんなすぐ突き止める紗子すげえ」

「あなたの指導の賜物ですよ。寝苦しい夜には、氷が重宝しますから」


 その日、紗子は昼前に弥太郎の自宅を訪ねた。

 紅葉も交えて居間で説明した内容は、「りるの居場所を見つけた」というもの。

 娼婦としての繋がりの広さに期待はしていたが、まさかこうも早く有力な情報を持ってきてくれるとは思っていなかった。 


「お医者様は、二日前水無瀬工務店の方に呼び出され、白い娘を往診したそうです」


 なんでも彼女の常連客である医師は、一日二日前に、肌も髪も白い幼い娘を診たのだという。

 紗子は寝物語にそれとなく聞き出し、粗方の事情は把握していた。

 白い娘……りるは現在、水無瀬工務店の代表である水無瀬三千年の家にいるらしい。


「水無瀬工務店って、家電製品のか?」

「はい、その水無瀬です。代表である三千年という方の家に、りるちゃんはいます。誘拐ではなく、あくまで道で倒れていたところを保護しただけ、とのことです」

「攫われたって訳でもなし。自分で逃げ出して途中で倒れて……って感じかね。別に、事故で動けないとか、そんなんでもないんだよな?」

「ええ、特に怪我はないと」


 弥太郎宅を去った後、あてどなく歩いては倒れ、行く当てのないりるを水無瀬某が保護した。

 別になんらかの事件に巻き込まれた訳でなく、医師に診せているからには軟禁するつもりもない。

 となるとあの娘は。


「その気になれば、いつでも戻って……いえ、帰れるでしょうね」


 その家に、自らの意志で逗留しているということになる。


「ほぉ……」


 弥太郎は顎を弄りながら、ほんの僅か、なにかを考え込んだような。

 けれどそれは本当に一瞬。すぐに普段通りの飄々とした雰囲気に戻る。


「いや、紗子、助かったよ。さっそく、連れ戻しに行ってくらぁな」

「貴方の助けとなれたならば、これ以上の喜びはありません」

「ははっ、まったく、口が上手いなお前さんは」

「娼婦ですから」


 下品な冗談を交わし合うなんて、昔からは想像もつかない。

 それがなんとなく面白くて、二人して小さく笑った。

 やはり弥太郎にとっては、今もって紗子は特別な女性だった。惚れた腫れたではないにしろ、“蓼虫の弥太”を形作ったのは、間違いなく彼女だ。

 だからこそ紗子は何も聞かない。

 ゲスなくせにどこか甘い。そういう女衒が何を考え、どう動こうとしているかなんて、おそらくある程度は見当を付けているのだろう。


「紗子、悪いな」

「いいえ。少しだけ、嫉妬してしまいますけど」


 軽すぎる遣り取りに隠れた意図は、多分、お互いにしか分からなかった。

 それでいいし、それがいい。微妙な距離感が嬉しかったのか、二人して頬を緩める。

 そうして必要な情報を渡し終えると、紗子は丁寧に挨拶をしてから去って行く。颯爽という表現が彼女にはよく似合う。なんとも見事な後ろ姿だった。


「さて、と」


 居場所は分かった。 

 水無瀬工務店の場所は弥太郎でも知っている。そう遠くはない、歩きの距離だ。

 なら、とっとと済ませよう。弥太郎は何の気負いもなく、当たり前のようにそう考える。


「……りるは、やっぱり、帰りたくないのかな」


 それに対して紅葉の表情は沈んでいる。

 妙なくらい理解し合った二人の様子に口を挟めなかったが、紗子が帰ってからしばらく、ようやっと短いぼやきを絞り出した。

 先程の話ならば、りるは別に監禁されている訳でもなく、いつでも自分の意志で動ける筈だ。

 なのに戻らないのは、本音では、此処での暮らしを嫌がっていたのではないか。

 仄暗い想像に瞳は揺れ、震える声は年相応の頼りなさを帯びていた。


「いや、まあ、そこら辺は連れ戻してから聞きゃいいじゃねえか?」

「それは、そうだけど。でも……」


 でも……あの娘にとっては、このままの方が幸せなんじゃ。

 本当は連れて帰らないのが正しいのでは。


 濁した言葉はそんなところか。

 ここにきて迷ってしまう紅葉の優しさに、弥太郎は苦笑を落とす。


「色々突っ込みたいところはあるが、取り敢えず、そこら辺はお前さんが頭悩ませんでもいいさね」


 これが、ただの家出娘だったならば、もっと話は簡単だった。

 連れて帰って、ちょっと説教して、「おかえりなさい」でことは済む。

 けれど弥太郎は女衒で、りるは買われた女。

 連れて戻して、しっかり説教して、だけど「おかえりなさい」はおかしいだろう。

 そもそも人身売買業者の下へ戻ることを『帰る』と表現してしまう時点で、紅葉はなにやら致命的に間違えているような。

 まあ、慣れてくれたってのは、喜ばしいのかもしれないが。

 それでも、此処は彼女達にとって『家』ではなく、籠の中に過ぎないのだ。

 十分に理解したうえで、弥太郎はあっけらかんと言う。 


「りるの考えがどうであれ、金払った以上、所有権は俺にある。あいつがどう言おうと、大体からして拒否権なんぞねえよ」


 お前が何を憂慮しようが、どっちみち無理矢理連れ戻す。

 だからそう思い悩む必要はないのだと、慰めにしては乱雑な言葉を吐き捨てる。


「あんた……」


 その声音が柔らかかったから、顔を上げた紅葉はにわかに戸惑った。

 けれど紛れもない本音、弁明はない。

 女衒として、大枚はたいて買った娼婦を取り逃すなんて真似はできやしねえ。

 それが“蓼虫の弥太”の判断だ。連れ戻すことに罪悪感など欠片もありはしない。


 ただ、少しだけ胸がざわめいた。

 きっと、虫が騒いだのだ。







「は? いない?」


 とまあ、さんざん格好つけても、どうにも決め切れないのが弥太郎という男で。

 意気揚々と水無瀬某の自宅へ向かい、その門を叩いたはいいが、返る答えは「そんな娘はおりません」。

 思い切り肩透かしを食らって、あんぐりと大口を開けてしまう。


「いやいやいや。こちとら、ここにいるってちゃんと確認して来たんだが」

「ですから、いないって言っているでしょう」


 そう不機嫌に返すのは噂のやり手、水無瀬三千年その人である。

 女を売っ払って遊んで暮らす花街の女衒とは違い、毎日必死に働き日本の復興に従事するお偉いお方だ。

 年齢は弥太郎よりちょいとばかり上か。着るシャツは糊がきいていて、いかにも真面目そうな雰囲気を纏っている。

 同じ真面目でも正義よりもっと杓子定規な印象を受けるのは、小奇麗で線が細く、神経質そうに見えるからだろう。

 実際、神経質なのだと思う。なにせ戦後に家電製品の製造・販売で一発どでかく当てたこの御仁は、訪ねてきた弥太郎にイライラとした態度を隠そうともしなかった。


「本当に? ちょいと家探しさせてもらえませんかね」

「っ! いい加減にしてください、警察を呼びますよ!」


 その苛立ちは、家探しを提案すると更に高まる。

 不躾な輩に対するものではない。一瞬、目が泳いだ。激昂して誤魔化したかったのだろうが、そこにある動揺を弥太郎はちゃんと見て取った。


「はぁ、そいつぁ困る。んじゃ、今日のところは失礼をば」


 だからといって、強行しても良い結果は生まれない。

 なにせこちらは脛に傷持つ立派な人買い。実際に警察を呼ばれたら、そのまま御用となってしまう。

 弥太郎派はにへらと笑い、すぐさま退散しようと踵を返す。

 ただ、およそ人買いとは縁のなさそうな御仁に見えるのだが、以前どこかで会ったような。


「そういや、あんたの顔どっかで見た気がするんだが。俺ら、会ったことありますかね?」

「あなたみたいな最低な男と面識を持った覚えはない」

「さいですか」


 そうして帰り際、藪を突いてみればしっかりと蛇が出た。

“蓼虫の弥太”は池袋界隈ではそれなりに名の通った女衒。どうやら水無瀬三千年という男は、青線に出入りするような男について聞き及んでいるらしい。

 まあ、単なる興味から出た問いだ。背景がどうあれ今はそこまで大事ではない。

 重要なのは、水無瀬某の家に間違いなくりるがいるという点。本人を表に出さないのは単純に警戒してか、他に理由があるのか。

 そこら辺は知り様もないが、ともかく目途は立ったのだ。 

 ならば、少しばかり頑張るとしよう。




 ◆




 水無瀬三千年は、偶然に道で行き倒れている少女を保護した。

 髪の毛も肌も真っ白な、けれど幼いながらに美しい白い娘。

 勿論、下心ではない。年端もいかない子供が倒れているのを見て、放ってなんておけなかった。

 

『お嬢ちゃん、どこから来たの? お家は?』


 けれど目覚めた少女は問い掛けても小さな悲鳴を上げ、怯えて後退ってしまう。

 詳しい話は聞けず、同性ならもう少し対応も柔らかくなるかと、母親を頼ってみた。

 それでも殆ど何も話してはくれなかったが、知れたことも幾らかある。


 まず、名前は『りる』。

 田舎の集落の生まれで、つい最近池袋へ引っ越してきた。

 年齢は二十歳……これはまあ、子供と思われたくないからの嘘だろうが。

 そして両親は既に亡くなっている。


 どうにか聞き出せた内容でも、十分以上に同情してしまう。

 だから三千年は当たり前のように、しばらくウチで逗留するように提案した。

 声をかけると、やはり怯えはしたいけれど。


『でも、帰る場所、ないんだろう?』

『……は、い。もう、どこにも』


 そう答えた少女は本当に寂しそうで。

 持ち前の正義感から、見捨てられないと三千年は強くりるを引き留める。

 まあ、その度に怯えられもしたが、間に母親が入ってくれたおかげで「行き倒れていたんだから、とりあえず体調が戻るまではウチで休む」辺りで落ち着いた。


『あり、がとう、ござい、ます』 


 たどたどしいお礼を経て、りるという女の子との生活は始まった。

 少し喋って気付いたのだが、この娘が怯えるのは三千年だけ、彼の母親に対しては別段普通の応対をする。

 なんでだろう、怖がらせてしまったのか。

 三千年としては精一杯優しくしているつもりなのだが、視線も合わせてもらえない。

 もっとも、りるは喋り方は置いておくにして、礼儀正しい娘ではあった。

 保護したことに感謝してくれているのだろう。何とか怯えを隠して、自然に接しようと努力しているのが分かるから、嫌な気持ちにはならず敢えて指摘もしなかった。


『まあ、あれだよね。よく知らない男の家って、それだけで警戒するか』

『……え、と』

『でも、私も頑張るから。ちょっとずつ、慣れて言ってくれると嬉しいな』

『…………は、い』

 

 今は警戒されても仕方がない。

 けれど父母を亡くし東京に放り出された哀れな娘が、心安らかに在れるよう気遣ってやらなければ。

なんなら、養子にするのも悪くない。

 こうやって関わった以上、中途半端はしたくないし、この子の幸せを考えてあげないとな。

 そう考えていた矢先だった。



『どうも、こんにちは。此処に、りるが……ああいや、真っ白い子供がいるって聞いたんですがね』



 水無瀬の自宅に、胡散臭い風体のにやついた男が訪ねてきた。

 しかも物言いからすると、りるを探している様子ではないか。

 あからさまに怪しく、訝しんで三千年は逆に問う。


『失礼ですが、貴方は?』

『おっとこいつぁ申し訳ない。俺ぁ、弥太郎って言いまして。どうにもうちの子が出っちまったもんで、探してたんですよ。で、聞いた話じゃ、水無瀬の旦那が保護してくれたそうじゃないですか。喜び勇んで訪ねた次第でござい』


 うすら笑う、弥太郎と名乗る輩。

 その名を聞いた瞬間、色々なものが頭の中で結びついた。


『知りません』

『は?』

『そのような娘、うちのはおりませんが』


 だから咄嗟に表情の色を消し、剣呑とした態度を隠さず答えた。

 だってそうだろう。この男は“弥太郎”なのだ。


 水無瀬工務店。

 代表である水無瀬三千年は、家電製品の製造・販売で戦後の復興に従事していた。

 その基盤が戦後の池袋、つまりヤミ市での詐欺まがいの商売だったことはあまり知られていない。

 家族の為、仕方なかった。とはいえ誇れる過去ではない為、三千年自身がそれを口にせず、そうなると周囲も口を噤んだ。

 しかし彼も一応はヤミ市の出。であれば当然、風の噂も耳に届く。


────“蓼虫の弥太”という男は、自分を慕う死病持ちの女を成金に売りつけて、バカほど金をせしめた。

 

 そもそも三千年がヤミ市に出入りしていた時期と、悪辣の女衒の風評が駆け回った時期は一致する。

 だから、彼はちゃんと知っていた。

 家族の為に仕方なく暴利の商売をしてきた自分とは違う、遊び金欲しさに女を攫うくそ野郎。

 弥太郎という男は、強い“正義感”を抱く三千年には、到底受け入れられない輩だった。


『は? いない? いやいやいや。こちとら、ここにいるってちゃんと確認して来たんだが』

『ですから、いないって言っているでしょう』


 であれば、りるの出自も容易に想像がつく。

 おそらくあの娘は、蓼虫の女衒が田舎から買い付けていた娼婦なのだろう。

 そしてそれを嫌って逃げ出し、途中で力尽き倒れた。

 何故、三千年にあれほど怯えていたのか。そんなもの、“男”だからに決まっている。

 男の情欲をその身に受ける道具として扱われる。その境遇に嫌悪を抱かない筈がなかった。


『本当に? ちょいと家探しさせてもらえませんかね』

『っ! いい加減にしてください、警察を呼びますよ!』


 こいつのせいで、りるは男を恐怖するようになったのか。

 怒りのせいで語気も荒くなり、苛立ちが心を固くする。

 とにかく、あの憐れな少女を守らなければ。嫌悪に視線を鋭くすれば、弥太郎は軽薄な態度ですぐさまに退いた。


『はぁ、そいつぁ困る。んじゃ、今日のところは失礼をば』


 その言葉の軽さが、りるの扱いの粗雑さを如実に示していて、はらわたが煮えくり返りそうになる。

 ようやく分かった。

 りるを助けてやれるのは、私だけだ。

 女衒の毒牙にかからぬよう、私が守ってやらなければ。


 胸で黒い“正義感”がカサカサと蠢く。

 

 腹立たしいくらいに軽やかな足取りで遠ざかる背中を、三千年は消え失せるまで睨み続けていた。




 ◆




「……しかし、なんか俺って、格好つけると失敗するよなぁ」


 水無瀬宅を離れてから、弥太郎は特に目的もなく花座横丁をぶらついていた

 りるの居所は分かったが、紅葉に大見え切った手前、一人で自宅へ戻るのは何となく気恥しい。

 かといって、無理矢理侵入して警察のご厄介もご勘弁。

 さてはて、頑張るとはいっても、どうするべきか。

 とりあえず頭を働かせるために酒でも一杯ひっかけるかね、なんて考えると。


「お? マサ坊」

「ああ、弥太か」


 偶然といえば偶然。いつもここいらで日雇い仕事をしているから、当然といえば当然。

 あせくせ働く真面目な無職、正義と店屋の前で出くわした。


「おう、今日も精が出るな」

「まあ、店先の掃除も有難い仕事だ。しっかりとこなさないとな」


 掃除といっても箒で掃く簡単なものではなく、壊れた看板やら椅子やらを運んで綺麗にする、どちらかといえば力仕事だ。

 飲み屋の多い一帯なので、大方酔っ払いが暴れた後片付けなのだろう。

 

「そっちは、また昼間から酒か?」

「また、って出てくる辺り俺の人間性が透けてるねぇ」


 事実だから反論はできないし、するつもりもない。

 むしろこういった距離感は楽しくもあった。


「いや、りるが見つかったんだ。ただ、それを保護した奴が隠してるようでな。どうするか考えにゃならんから、頭に燃料を入れようと思ってよ」

「それはつまり酒を飲むということでは……ん? りるを、隠している?」

「ああ。無事なのは間違いないし、居場所も分かってるんだが」


 聞くや否や、正義の顔付きが変わった。

 りるの行方を案じていたのは彼も同じ。加えて弥太郎に恩義を感じているせいか、発言は想像以上に過激なものとなる。


「分かった。つまり俺は、不逞の輩、誘拐犯を殴り飛ばせばいいんだな?」

「いやいや、待ちなさい。無職から犯罪者になるつもりかお前さんは」

「……犯罪者というのなら、そもそも弥太が」

「……それはそうだけども」


 しかし考えてみると、暴行と人身売買って、どっちが重罪なのか。

 そこを掘り下げていくとあんまり嬉しくない結果になりそうなので、弥太郎は思考を放り投げる。

 代わりに正義がよからぬことをせぬよう、「どうどう」となだめすかす。


「だが、つまるところ相手はりるを手元に置き、返そうとしないのだろう? 端から正当性のない主張だ。金か、暴力かくらいしか手立てはないと思うが」

「なんつーか、お前さんも毒され過ぎたよな……」


 正当性うんぬんを語るならば、同じく女衒である弥太郎にもない訳で。

 おまけに、りるが帰りたがっていると当たり前に考える辺り、紅葉といいどうもピントがずれている。

 まったく、余計な信用背負ったもんだ。思わず苦笑だって零れてしまう。


「まずな、りるが今の暮らしを嫌になって出て行ったって可能性もあってだな」

「ない」

「断言かよ」

「だってそうだろう。あの集落で暮らしていた彼女には、きっと弥太だけが救いだった。……俺も、似たようなものだから、分かるんだ」


 それでも否定をしないのは、きっと正義の胸には、今もウジムシが巣食っているから。

 なら、真っ直ぐ向けられた彼の視線を見ないふりするのは卑怯だと思う。

 なんというか、背中を押された気分だ。

 ほんの少しの惑いを、散々迷ってきた正義に拭われるのだから、人生とは分からないものだ。


「あー、なんだ。その、ありがとよ」

「ああ。だから俺は、なんでもするぞ。それだけの恩義がある」

「だからといって犯罪に手を染めてもらうつもりはないんだが」

「犯罪というなら、誘拐だってそうだろう」

「別に向こうさんは誘拐したつもりじゃ…………ん?」


 そこまで言って、弥太郎は気付く。

 成程、女衒が犯罪者には間違いないが、他人の所有物を勝手に持って行ったんだから向こうさんにも落ち度がないではない。

 だからといって、叩けば埃が出る身。警察になんざ頼れる筈もないが、よくよく考えてみれば例外ってのはどこにだってあるものだ。


「おお、いるじゃねえか。警察で、女衒でも頼れて、こっちの都合のいい様に罪状でっちあげてくれそうな御仁がよ」


 クソったれた性格だが、それでも侮れねえお人だというのはウジムシの件で証明済み。

 話の持っていき方次第では、問題なく手伝ってくるだろう。


「助かったぜ、マサ坊。ちょいと悪い手ぇ思い付いたんで、行かせてもらうわ」

「む、ああ。悪い手? いい手でなく?」


 戸惑った正義を残して、弥太郎は意気揚々と歩いていく。

 向かった先は当然ながら。




















「あん?」


 喫茶店であんみつなんぞ食べていらっしゃる不良警官、岩本の下である。






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