【ウジムシの挽歌】・6(了)
「で、首尾はどうだ」
後日、弥太郎は岩本に呼び出された。
またも喫茶店でおっさん二人アイスを食べつつ、今回の件の顛末を語る。
もっとも正義のあれこれは当然ながら秘密に。
幽霊兵士は本物の幽霊であり、掻き消えた今はもう出ない。それさえ伝われば十分だ。
「そうかそうか。なら後は、適当な犯人でっちあげりゃそれで終わりだな」
意外と信頼されているのか。
怪異どうこうの与太話を驚くほど素直に、一切の疑いなく受け入れる。
理由を聞いてみれば「警官やってりゃ時折妙なのと鉢合わせるし、蓼虫のは下手な嘘でごまかすような真似はしねえだろが」とのこと。
これはまた、本当に無駄な信頼を得てしまったらしい。
まあ普通に犯人をでっちあげると言ってしまう辺りさすがの不良警官ぶりだが、面倒な依頼が終わったと思えば些事には目を瞑っておいた方がいいだろう。
「へへ、そこら辺は岩本の旦那のやりやすいように。そいじゃ、俺はこれで」
「おお。こいつは貸しにしといてやる」
どこが貸しだ、こんちくしょう。
こちとら色々と骨を折ったんだ。文句の一つも言いたくなるが、続く言葉に口をふさがれる。
「“あぶれ”がどうなろうと知ったこっちゃねえが、俺はお前を買ってるんだぜ、蓼虫の」
「へ? もしかして、旦那」
「義理堅いお前が忘れるとは思わねえが、貸しはちゃんと返せよ」
「……うっす。ありがとうございやす」
なるほど、確かに借りだ。
一度向き直り、しっかりと頭を下げてから、弥太郎は喫茶店を後にする。
岩本は、正義のことを“あぶれ”と呼ぶ。
その名前が出てきたのなら、おそらく鉄パイプ片手に深夜徘徊する彼の動きも掴んでいたのだろう。
だから弥太郎に幽霊兵士の解決を押し付けた。
今回の依頼は、もちろん面倒な仕事の丸投げではあったが。
同時に「正義が警察沙汰になるのを嫌うなら、自分で解決しろ」という遠回しな忠告だったのだ。
「意外と、侮れねえ御仁だな……」
粗暴でいやらしい不良警官だと思えば、なかなかどうして。
今更ながら、多少評価を改めねばならないかもしれない。
◆
こうして幽霊兵士を巡る話は、落着かどうかは分からないが、とりあえずの区切りを得た。
正義は相変わらず無職のその日暮らしだが、どことなく肩の荷が下りたような。今迄と打って変わって、とはいかないが、ほんの僅かながら振る舞いに余裕が出てきた。
「りる、お前字は読めるのか?」
「ほとんど、読め、ません」
「ありゃ、じゃあそこら辺も教えなきゃな」
あくる日、弥太郎と正義、りるの三人はナカゴ屋を訪ねた。
“本を片付けたいから、何冊か貰ってくれないか”
“今回の件が終わった後、また寄って欲しい。勿論りるさんや、正義さんもつれて”
藤吉との約束通り三人は彼の私室で、貰う本を物色中。ただりるはあまり文字が読めないらしく、今後は勉強の方も見てやらねばなるまい。
「マサ坊はなにもらう決めたか……って、マサ坊?」
「ん、ああ。済まない、少し考え事をしていた」
正義も本棚を眺めているのだが、それは本当に眺めているだけ。おそらく背表紙の文字が目に入っても頭までは届いていない。
しかし思い悩むというほどの暗さはなく、呟く言葉の調子は想像以上に軽い。
「考え事ね」
「りるの話をな。心に住まう虫を視る<力>や、俺の胸にある後悔とか。まあ、色々と」
「信じられねえか?」
「いや。幽霊兵士を見た以上、信じるしかないだろう」
事が終わってから、正義にはある程度の事情を話してある。驚いたことに、りるが自らだ。
彼女も考えなしではない。どうやらこの融通の利かない青年は、信用に値する人間だと踏んだようだ。
実際、殆ど与太話のような内容をちゃんと正面から受け止めたのだから、その判断に間違いはなかった。
「結局、全ては俺の弱さだったんだな、と思って」
そして正義からすれば、それを真実としたからこそ思うこともある。
やはり口にするのはあの夜の一幕。
かつてと今と。“兄さん”と、後悔と。多少は落ち着いたとはいえ、彼にとっては複雑すぎて、すっぱりと割り切れるものでもないらしい。
「ま、そうなるか」
「弥太には。りるにも、色々と迷惑をかけた」
「気にしちゃいねえよ。しっかし、なんで幽霊兵士は俺を狙ったんだか」
「いや、今なら分かる。もしあれが俺の後悔なら、きっと弥太が邪魔だった。……いつか掲げた正しさを忘れてしまいそうになるから」
幽霊兵士は、弥太郎を見るや『見ツケタ』と襲い掛かった。
その理由を正義は朧気に察する。
狙ったのは殺意や嫌悪のせいではなく、花街での暮らしが穏やかなものだったから。
そうなるよう気遣ってくれた奇妙な女衒が邪魔だった。このままでは、かつて正しいと信じた在り方を忘れ、或いは幸せと呼べる日々に浸ってしまうのではないか。
きっと、それが。後悔にはたまらなく怖かった。
「それにしても、正直安心した」
「あん?」
「左目、斬られたからな。もしかしたら死んでしまうのかと思った」
「ああぁ、見ての通り外傷は一つもねえよ。あれだ、所詮お前さんの心が造った幻みたいなもんだからな。斬られたところで蜃気楼に触れるのと同じだろ」
あの時弥太郎は顔の左半分を派手に斬られたが、事が済んで改めて見れば、どこにも傷一つなかった。
自分のせいで大怪我を負わせたと思っていた正義からすれば、本当によかったと心から安堵する。
斬られた当人は然して気にしていないようで、大したことではないと手をひらひら振っていた。
「まぁ、事件は解決、全員無事で。おまけに本を貰えて、更にはこの後藤吉さんが飯に連れてってくれるってよ。めでたしめでたし、でいいんじゃねえか?」
「弥太は、本当に適当だな」
「はは。雑な町に住んでんだから、俺らも雑に構えてるくらいがいいさ」
「まったく、お前は」
大雑把な取り纏め方に溜息を吐きつつも、その表情は柔らかい。
だから自然、弥太郎も楽しそうに口の端を吊り上げる。
いつかの少年の戦争はようやく終わった。正義にとっての戦後は、これからようやく始まるのだ。
真面目で誠実な彼だけに、些細な段差に躓いては深く悩み込むのだろうが。できれば、少しずつでも前に進める日々であればいいと思う。
「なんでもかんでも真面目に誠実にやってたら息苦しいだけだっての。なあ、りる?」
「んぐ……。は、い。そう、です、ね」
そして和やかに語らう男達を傍で見詰めながら、口をもぐもぐと動かすりる。
少女は明らかに、なにかを頬張っている。
なにかなんて想像するのが容易過ぎて、弥太郎は思わず、りるのほっぺたを横に優しく引っ張った。
「ねえ、りるちゃん。今、お口もむもむしてたよね? ぶっちゃけマサ坊の虫食ってたよな?」
「いえ、あの。いっぱい、いるから、少しなら、いいかなぁ、と」
「人様の後悔の念をおやつ感覚でいただくのは如何なものか……って、いっぱい?」
りるの物言いに一瞬からが強張り、そっと手は離れる。
人の心の虫を食う。それに関しては今更だが、気になったのは『いっぱい』という表現。
あの夜、幽霊兵士は消えたのではなかったのか。
「おい。そらぁ、どういうこった?」
「幽霊兵士は、消え、ました。ですが、正義さんの、胸には。今も変わらず、たくさんの、ウジムシがわいています」
それは取りも直さず、心は未だ後悔に囚われているということ。
であれば、まさか。焦燥に弥太郎は勢いよく顔を上げ、しかし覗き見た正義の表情は、ゆるやかな午後の日を思わせる穏やかな微笑だった。
「ああ、りるの言う通りなんだろう。きっと俺はこれからも、胸に宿る後悔を捨てられない」
どれだけ今の暮らしを肯定しようと、かつて掲げた正しさを忘れられはしない。
“兄さん”への憧れは変わらず。
戦えず、無駄メシを食らい、他を踏み躙り。それを仕方なかったと割り切るなんて出来ないし、したくない。
だから後悔はこれからも正義を苛み続ける。
「けれど、それでいい。この後悔を生んだのは、いつか俺を育んでくれたものだから。苦しくないとは言わないが、正しさも間違いも抱えて歩くのが、戦後という生き方なんじゃないかと思う」
犯した罪はもはや変えられず。ならばそのままに抱えて、いつか潰れる時までまっすぐに歩く。
それが俺の戦後なのだと正義は言う。
「ウジのわくような腐った心でも、大切にしたいものはちゃんとあるんだ」
なんともまあ。なにを乗り越えようが本質というものは変わらないらしい。
結局この青年はマジメに誠実で、融通が利かなくて。呆れるくらい頑なに、何一つ捨てずに生きていくのだ。
「ほんと、マジメだねぇ。もうちっと楽にやれないもんか」
「俺には、どうにも難しい。……だから、また集られて身動きできなくなった時。少しだけでいい。助けてくれると、その、嬉しい」
それでも、こうやって弱味を見せられるようになったのだから、多少はマシになったか。
弥太郎は優しい溜息を吐き、肩を竦めてみせる。
「義理くらいは果たしてやるさ。だが、でけえ厄介ごとにならねえよう自重はしてくれよ?」
「ああ、気を付ける」
「頼むぜ、って、ぬおわ!?」
面倒くさそうに言って、返しも簡素。けれど口元は緩むのだから、多分二人はこれでいい。
なんて気取っていられたのも束の間。話してばかりで足元が見えていなかった。弥太郎は床に十数冊も積まれていた本をわざとではないが蹴り飛ばし、結果崩れて散らばりごちゃごちゃになってしまった。
「やべ」
「肝心なところで決め切れないのが、いかにも弥太だな」
「うるせえよ、ちくしょう」
せっかく格好付けたのに、締まらないオチだ。
気恥しくなりつつも本を片付ける弥太郎に、正義は静かに笑う。
「正義、さん」
りるはとてとて歩き、そんな彼の傍らへ。
正義を見あげて、いつものようにたどたどしいながらに、まっすぐな視線でまっすぐに言葉を伝える。
「ウジムシは、腐ったものにわきます。正義さんの心もきっと、腐っていた」
「……ああ、俺もそう思う」
「です、が。ウジムシが食べるのは、腐った部分、だけです。あなたの大切なものを、食べたりは、しません」
ウジムシは腐った食べ物や糞便などによく集るが、人体にもわく場合がある。
傷口を放置しておくと患部が腐敗し、そこにウジムシが発生してしまう。
ただこれに関しては悪いばかりでもない。
ウジムシは膿や腐った部分だけを食べる為、正常な組織は害されず、傷口を清潔な状態に保つことが出来るのだ。
たとえば第一次世界大戦中、重症の兵士の傷にウジムシがわいた結果、状態が悪化せず感染症にならなかったケースも存在している。
であれば、人の心も或いは。
腐った心が後悔に集れば、じくじくと胸は痛むけれど。
膿を啜り、壊死した部分を貪り食ってくれるのならば、本当に大切なものを忘れずにいられることだってあるのかもしれない。
「だから、きっと。あなたを苛む後悔が、守る美しさも、あると思います」
「こんな小さな子に慰められるのは不思議だが……りる、ありがとう。俺もどうにかやっていくよ」
「は、い」
頷く少女は静かに。
浮かぶ微笑はふわりと柔らかい、絹の肌触りを思わせた。
初めて会った時、あの小さな村ではこんな笑みは見られなかった。花座に来て、りるもちゃんと変わったのだろう。
だから“兄さん”にはきっと理解してもらえないが、花街での暮らしは、そんなに悪いものでもないのだ。
「三人ともそろそろお昼だから、一段落付けて出かけようか?」
ちょうど話し終わるくらいの、見計らったような時期に藤吉がやってきた。今日の昼食は、彼がご馳走してくれるという約束だ。
そこそこにお腹も減らして、確かにいい頃合だと三人それぞれが返事をする。
「さて、なにを食べに行こうか」
「うなぎ、うなぎがいい。肝吸いもつけて。あと、うなぎが焼きあがるのを待ちながら、ぬか漬けで一杯やりたいです」
「と、弥太郎さんは言っているけど、二人の希望は?」
三人の中では一番年上のくせして、手を挙げて我先にと注文する大人げなさが、いかにも弥太郎である。
相変わらずの食い意地に苦笑しつつ、藤吉は正義らにも希望を聞く。
「うなぎ、か……しばらく食べていないな。俺も、それがいいです」
「私、は。食べたこと、ありません」
「なら、りるもうなぎでいいか?」
「は、い」
どうやら残る二人もうなぎで納得した様子。
となれば今日のお昼は花座横丁の『やなせ』がいい。うなぎを食べるならあそこが一番だ。
「じゃあ、お昼は『やなせ』で食べよう。遠慮せずに好きなものを頼んでくれると嬉しい」
「おっしゃ、さすが藤吉さん。さあさ、二人とも先に玄関行ってなさい。俺は本片付けていくから」
「ああ、自分で蹴飛ばした」
「そこは言わない約束だぜ、マサ坊」
軽いやりとりを交わしてから、二人は素直に玄関の方へ向かった。
意外なのかそうでないのか、並んで歩く正義とりるは、結構気安く話をしたりしている。
まあお互いに、純粋すぎるくらい純粋だ。案外ウマが合うのかもしれない。
「悪いな藤吉さん。余計な出費をさせちまった」
二人が完全に見えなくなってから弥太郎はそう言った。
先程までより一段程声音は低い。
「なに、君達が無事に帰ってくれたならそれで十分だよ。友人がいなくなるのは寂しいからね」
「そう言ってもらえるとありたがいね」
「なにより、ああやって一番に注文を付けるのは、二人に遠慮させない為だろう」
「はは、お見通しで」
指摘に間違いはない。どうせあの二人では話が進まないのだから、大人げなく振る舞った方がいいと考えた。
ただその結果、うなぎなんて結構なお値段のものを三人分も奢らせてしまうのは、ちょっとやりすぎだったか。
多少の申し訳なさはあるが、食べたいのも本当なので自重はしない。
それでいいと藤吉も頷いてくれているし、せっかくだからがっつりといただく所存ではあった。
「さあて、さっさと片づけて行きますかね」
「弥太郎さん、別に本はそのままにしておいて構わないよ?」
「いやいや、俺が散らかしちまったもんでね」
先程蹴飛ばした本を改めて積み直す。
どうにもガタガタになってしまうのは、きっちりとした藤吉との性格の違いだろう。
それでも一応は片付いたということで、弥太郎も改めて立ち上がる。
「おっし、そんじゃうなぎだ」
「ああ。たまには僕も飲もうかな」
「そらぁ嬉しいね。いや、マサ坊はあんま酒には付き合ってくれねえんだよ」
正義はそれほど強くないので、一緒に酒を飲む機会は殆どない。
紅葉はまだ十代半ば、りるは外見から進め辛い。
弥太郎はバカほど飲むのだが、付き合ってくれるのは藤吉か紗子くらいのもので、こういう機会は貴重だ。
これは楽しい昼食になりそうだと機嫌よさげに鼻歌混じり。
そういう弥太郎を見る藤吉の目は、いつもより細められていた。
「弥太郎さん、その左目」
そして唐突に、短く固く、鋭い言葉を投げつけられる。
ああ、やっぱ藤吉さんは誤魔化せねえか。
弥太郎は諦めて、けれど表情は変わらず楽しそうに、ひどく軽い調子で答えた。
「ああ、見えてねえ」
あの時、幽霊兵士に潰された左目は、確かに外見上の傷はない。
しかし見えていない。
先ほど本を蹴飛ばしたのも、不注意でなくそもそも見えていなかったから。
痛みは随分マシになったが、光を完全に失ってしまっていた。
「内緒だぜ? マサ坊が泣いちゃうからよ」
口の前に人差し指を持ってきて、「しーっ」とおどけて笑ってみせる。
幽霊兵士のせいで目が見えなくなったと知ったら、マジメな正義のことだ、間違いなく気に病む。
それにりるも、自分の<力>がその結果を引き起こしたと考えてしまうかもしれない。
てめえの下手で失った視力だ、あまり責任を感じてもらいたくはなかった。
「弥太郎さんは、それでいいのかい?」
「勿論さ。あれであいつら、色々抱えてるからな。余計な荷物はない方がいい」
「そう言うなら」
「悪いな」
それ以上、言葉はなかった。
昼飯の前に若干イヤな話をしてしまったが、やはり弥太郎は普段通りの態度を崩さず、ならばそのように接するべきだと藤吉もいつものように柔和な表情で応じる。
さて、二人が待っている。
そろそろ行こうと弥太郎らも玄関へ向かう。
「遅かったな、弥太」
「お、マサ坊。うなぎが待ちきれねえってか?」
「いや、そういう訳では」
先に玄関で待っていた正義と交わす雑談はまたいつものように。
からかって、なんだかんだ反応して。そういう距離感をそれなりに気に入っていた。
「うなぎ、おいしい、ですか?」
「おうよ。藤吉さんにおねだりして、一番いいヤツ頼もうぜ」
「分か、りました。頑張り、ます」
両の掌をぐっと握り、りるはやる気を示している。
日々成長です、といつか言っていたように。この娘は本当に、虫篭の集落を出て随分変わった。
神の娘は少しずつ、ただの人に近付いている。
それは間違いなく良いことで。
……だから、何も言わないでいいと。
弥太郎は横目で藤吉を見る。左目は、動いていなかった。
「じゃあ行こうか。おねだりしないでも、ちゃんといいやつを頼むよ?」
「あらら、聞こえてたか」
その意をちゃんと汲んでくれたようだ。
藤吉はなんの淀みもなく、普段通りの彼のままで三人を先導する。
まったく、こういう人が先輩で友人なのだから、俺は恵まれている。
弥太郎はその気遣いを心感謝し、けれど心に影が差す。
左目は、幽霊兵士に斬られて光を失った。
もしも想いの生み出したものが、肉を傷付けるというのなら。
胸に巣食う虫が大きくなった暁には。
そいつは、何を食べる?
『あなたは、最期には。あなたの大切なものに呪い殺される』
いつかの予言を思い出し、弥太郎はふと理解する。
───俺はきっと、最期には、誰かの心に食われて死ぬのだ。
【ウジムシの挽歌】・了




