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花に惑いて虫を食い  作者: モトオ
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【カゲロウ慕情】・2




 弥太郎はどういう人物かと聞けば、一言目はだいたい決まっている。

“悪趣味”“意地汚い”“がめつい”。

 後は、全部ひっくるめて“クズ”くらい。

 ただナカゴ屋の主、藤吉ふじよしは彼をまず「努力家」と評する。


「ああ、弥太郎さん。遅くから仕事を頼んで、悪かったね」

「なぁに、いい小遣い稼ぎだ」


 一軒家を改造した小さな娼館。

 主である藤吉は既に四十も後半、穏やかな老紳士といった風情だ。

 青線地帯で娼婦を囲う男のなにが紳士か。文句の一つも出そうだが、非合法と礼儀正しさは両立し得る。

 やってることは褒めらたもんじゃないが、それはそれとして物腰穏やか、振る舞いにも品格のある。花座で管を巻くにしては、珍しい人柄ではあった。


「っと、こんなもんかね。多分いいと思うが、一応確認しといてくんな」

「ああ。ありがとうよ」


 言いながら、弥太郎はたった今仕上げたばかりの契約書を見せる。

 今回藤吉が頼んだのは、ちょっとした文書作成のお仕事。然して難しいものではなかったが、ご依頼主の望む通りの出来か確認してもらう必要はある。

 普段は万事適当なくせして、仕事に関してはきっちりと。

 池袋には多くの女衒がおり、しかし藤吉が弥太郎を重用するのは、こういう妙な真面目さにあった。


「うん、いい出来だ。相変わらず分かり易い文章だね」

「そうかい? 満足いったならよかった」


 彼等の交流は長く、池袋にまだヤミ市があった頃からの付き合いだ。

 歳は離れているが、お互い砕けた調子で話すくらいには気心も知れている。

 楼主と女衒の蜜月関係は、つまり昔っから女を売り買いしているということ。二人の親しみは、共犯者特有の連帯感が近い。

 こうやって急な仕事でも嫌がらず応じるのは、互いにそこそこの信頼関係を築けている証拠だろう。


「実際助かっているよ。信頼して仕事を預けられる相手というのは、中々に得難い」

「持ちつ持たれつってやつさ。藤吉さんには世話になってるしな」

「そうかな? こちらは頼ってばかりのような気もするが」


 紙切れ一枚の契約書でっち上げたくらいで褒められるのはこそばゆいと、弥太郎は曖昧に笑う。

 女衒といえば女を買ったり売ったり、とかく派手な面ばかりが目に付く。

 しかし“どんな仕事でも裏に回りゃ地味なもん”とは弥太郎の言で、実際のとこ毎度毎度大きなヤマに当たるでもなし。合間合間には細々とした雑事もこなしている。

 藤吉に頼まれた文書作成もそのうちの一つだった。


「そりゃあこういった書き物は俺の専門だ。貰った金の分くらいには頼りにならなきゃいけねえよ」


 何気なくといった口調だが、そこには相応の自負が見て取れる。

 女衒は、基本的には仲介業者である。

 ただ人身売買を主とするとはいえ、何も誘拐して売り払う訳ではない。

 あくまでも「女を売りたいご家庭」から買って、「女を買いたいところ」に売るだけ。もちろん買いたい側は殆どの場合性風俗業者で、そこで強制的に働かせるのだからタチが悪いのは間違いない。

 それでも売買に関してはまっとうな契約に基づく。

 娼館自体が違法なのだから、警察に突っ込まれた時、“まっとうに見える程度には”整った契約書でなければいけないのだ。



 ご家庭は納得して売りました。

 買った店は娼館じゃないし、彼女も娼婦じゃありません。

 あくまで住み込みの女中で、働く期間も決まっているし、給金だって払われます。

 ほら、契約書だってあるでしょう?



 契約書の文面はそうやって言い訳の為に使う。

 つまり女衒にとって重要な技術とは、女を攫ってくる以上に、『状況に合わせて、どこの誰が見ても不備のない証文を作れる』こと。

 隙の無い文書作成能力こそが女衒の職能と言えるだろう。


 ちなみに今回の仕事もその手のもの。

 女衒を経由せずに雇ったナカゴ屋の新しい娼婦に関して「彼女は住み込みの女中であり、決まった年数業務に従事する代わりに、給与を与える」といった旨の契約書を作成すること。

 つまり嘘の契約書をでっちあげろ、という依頼である。

 それを平気なツラで依頼し、なんの抵抗なく受け入れる。結局、彼らは二人とも青線に相応しい人物だった。


「そんじゃ、これでおしまいっと。そろそろ帰らせてもらうわ」

「ああ、今回は助かったよ」

「いやいや。今度はこっちが無理を言うと思うんで、その時は頼まぁ」


 文書偽造を終えて、蓼虫の女衒はぐっと背筋の筋肉を伸ばす。

 その姿を見ながら、「やはり彼は努力家だ」と藤吉は評する。

 元々農村の生まれだった弥太郎は学校に通ったことがない。

 そういう男が読み書きどころか見事な証文を作れるようになったのは、つまり相当の努力があったに他ならなかった。


「そういや、紗子は?」


 ナカゴ屋を離れる段階になって、弥太郎は今更ながら紗子の所在を聞いた。


「今は夕飯を食べに外へ出ているよ」

「おお、そうか」


 しかし今はいないらしい。

 挨拶くらいはしておこうと思ったが、それならそれでいい。

 別段気にした風でもなく、だから悪戯心でも湧いたのか、藤吉は口元を緩めて問うた。


「心配かい?」

「いいや? 藤吉さんのところなら安心できるしな」


 けれど返答は気負いなく。

 紗子は蓼虫の女衒が売ってくれた娼婦で、今やナカゴ屋の稼ぎ頭だ。

 その分待遇もよく、本人も自由に過ごしており、実際心配する必要は特にない。

 それにしたって随分あっさりしたものだ。


「相変わらずだね、弥太郎さん。紗子の方も似たようなものだけれど」

「そりゃ、ね」


 誤魔化したのかそうでないのか、口角を吊り上げて曖昧な返事。

 紗子は弥太郎をよく慕っているし、彼の方もちゃんと気遣っている。

 ただ、昔を知っている藤吉としては、今の二人は不思議に思わなくもなかった。




 ◆




 居酒屋『こまい』が花座横丁に暖簾を出したのは昭和二十六年のこと。

 池袋からヤミ市のバラックが撤去されていき、商店街へと変遷していった最初期に建てられた。

 店主は元々ヤミ時代に、ギリギリの安価で食べ物を売っていた。そういうお人好しが開いた店だけに、感謝から贔屓する常連客も多い。

 出来てから半年足らずで妻が出て行き、以来は男一人で切り盛りしてきた。

 順風満帆とは言い難い滑り出しだったが開店から四年目。最近になって妻が帰ってきて、今では夫婦で営む人気の居酒屋である。


「いらっしゃいませ」

「二人、お酒飲まないけど大丈夫かい?」

「はい、もちろん。どうぞこちらへ」


 妻は小舞こまいというらしい。

 詳しい事情など知らない常連は戻ったことを素直に喜び、店主を一頻りからかった。夫婦もそれを受け入れて、なんだかんだと小忙しく働く妻の姿も今では見慣れたものだ。

 夕食をとりに来た紅葉らは、案内されるままにカウンターの空いた席へ腰を下ろす。

 顔の半分が火傷で爛れた女と、美しいが肌も髪も真っ白な小娘。特異な外見だけにちらりと視線を向けられたりもするが、紅葉もりるもあまり気にしない。


『おい、あれ』

『知ってる、蓼虫んとこのだろ?』

『ああ……』


 花座で仕事をする者などは、“蓼虫の弥太”がどこぞから買い叩いてきた女だと知れば、「またか」とばかりに興味を失う。

 ありがたいのか、そうでないのか。この程度の容姿は弥太郎が扱うにしたら普通らしい。


「おう、嬢ちゃんら」

「こんばんは。相変わらず盛況だね」

「はっはっ、その分忙しいがな」


 常連という程ではないが、紅葉も『こまい』を時折利用する。

 元は弥太郎の紹介で知った。店主は気安く話しかけてくれるし、安くで美味いのお手本みたいなこの店は、彼女にとってもお気に入りだった。


「注文は?」

「ごはんと、アジの干物を焼いてもらって……後は漬物を。りるは?」

「同じ、もので」

「あいよ、ちょっと待っててくれ」


 注文を取れば手早く料理に取り掛かる。

 紅葉も弥太郎もそこそこに料理は嗜むが、やはり本職の手際は違う。途中常連からバカ話を振られても、作業は一切止まらない。飲み屋特有の喧騒を耳にしながら、よく冷えた水を喉に流す。酒はやらないが、この店の熱気は嫌いではなかった


「お待たせしました」

「ん、ありがと」


 配膳は妻が受け持っている。

 水のおかわりも同時にしてくれる辺り、今迄よりも気の利いた印象がある。

 奥さんが戻ってきてよかったね。詳しい事情を知らないので迂闊な発言はしないが、夫婦仲が良くて困ることはないだろう。


「今日は、蓼虫はどうした?」

「仕事だって」

「はぁ、あいつもマジメだな」


 その言葉には、紅葉らの世話も含まれている。

 普段は正義まさよしを真面目だ誠実だと言っているが、職責を理由に色々な面倒を請け負う弥太郎も似たようなもの。だからこそウマも合うのかもしれない。


「そう言えば、大将はあれと長いの?」

「いいや? あいつがうちに通うようになったのは、店が出来て結構経ってからだしな。ヤミ市の頃はあんま接点もなかったし、せいぜい一年二年ってところか」


 居酒屋『こまい』は花座横丁の前身、池袋がヤミ市を広げていた頃からの古株だ。

 だからもっと長い付き合いなのかと思えばそうでもないらしい。面白い昔話でも聞けるかと期待したので少しだけ残念だ。


「まあ話はしないが、その頃もメシくらいは食いに来てたよ。俺の方は、名前は知ってた。なんせ、“蓼虫の弥太”だからな」

「そんな、有名なの?」

「ああ。あいつが初めて売り飛ばした女は、死病持ちでな。どこぞの成金に“すぐ死ぬから処分に困らねえ楽な女だぜ”って買わせたんだ。戦後すぐの時代とはいえ、よくぞここまで悪辣になれるもんだって、一時期噂になったくらいだよ」


“蓼虫の弥太”を有名にしたのは初めの商い。

 余命いくばくも無い女を、非道にも成金相手に売りつけ、しかも処分に困らない楽な女とまでのたまった。

 そりゃ悪評だって流れるというものだろう。

 弥太郎の言い様は、さすがに胸が悪くなる。やはりあの男はクズだと、紅葉は不快そうに顔を歪めた。

 ただそれでも。

 あの男に面倒を見てもらっており、そのおかげで助かっているのも事実。だから強く批判も出来なかった。


「ふうん、そっか」

「なんかあったか?」

「ううん。ちょっと気になっただけ。なんか面白い昔話でも聞ければって」


 紅葉が池袋に移ってから一年足らず。まだ弥太郎を掴みかねているのだろう。

 その辺りは店主も分からないではない。

 ゲスに違いないが面倒見はよく、仕事にマジメで、人身売買も文書偽造も平然とやる。

 割に人当たりは柔らかく、女衒のくせに女を見下しもしない。

 花街の在り方を尊び過去には拘らず、けれど時々妙にお節介にもなる。

 常連として二年ばかりの付き合いだが、改めて考えれば変な男ではあった。


「そういう話ならナカゴ屋の旦那か正義がいいと思うぜ。二人とも俺より長い。後は……おお、らっしゃい」


 話の途中、ちょうど客が来た為に挨拶へと切り替わる。

 紅葉の隣の席が空いていたので小舞が誘導し、ふとそちらへ視線を向ければ、紅葉の表情は微妙なものに変わった。


「あら、お二人とも。夕食ですか?」

「ん。こん、ばんは。紗子、さん」

「はい、こんばんは」


 相席になったのは紅葉の苦手とする人物。

 ナカゴ屋の人気娼婦、紗子だった。




 ◆




 どうしてこうなった。

 隣で楚々と杯を傾ける美しい女に、紅葉は頭を抱えたくなる。

 偶然と言えばそれまでなのだが、似たような身の上の娼婦三人横並びで夕食をとる。しかし紅葉は紗子がどうにも苦手で、居心地悪いったらありゃしない。


「少しは内心を隠すよう努めたらどうですか?」

「ああ、うん。……ごめん」


 にっこりと、女でも見惚れてしまいそうになるくらいの笑顔で嫌味を一つ。

 態度が悪いのはこちらなので言われても仕方ない。弥太郎にも約束したし、少し癪ではあるもの謝罪はする。ただそれは、ぎこちないものになってしまった。

 傍目には、嫌なヤツは自分の方だな。その程度の自覚は紅葉にもあった。


「カ……紗子、さんは。この店へ、よく?」


 そういう内心を察した訳ではないが、この幼く見える年上の後輩は、紅葉の代わりも話しかける。


「ええ、それなりには。今日は夕食ですが、朝に利用することの方が多いですね」

「朝、に?」

「私たち娼婦の仕事終わりは朝ですから。疲れて少しお腹に入れたい時は、大抵このお店なんです」


 りるには特に苦手意識はなく、だから紗子の方も当たりは普通だ。

 ただ以前、なにか濁った眼で、この白い娘を見ていたような。それでなくとも辛辣な物言いの印象が強すぎて、どうも警戒してしまう。


「いいお店でしょう?」

「は、い。オヤジさんも、いい人です」

「本当に。私も随分お世話になっています」


 思いがけず若い女性に褒められて、店主はなんとなく照れたように頬を掻く。

 こうやって話しているところを見ると紗子はやはり綺麗だと思う。火傷で顔の半分が爛れている紅葉とは大違いで、振る舞いだって淑やか。人気の娼婦というのも頷ける。


「この子は、うちの店ができる前からの客だ。まあ、昔はもう少し小汚かったが」

「まあ、失礼ですね」

「はは、悪い」


 紗子は娼婦になってもう六年が経つ。

 店主にとっては、池袋にまだヤミ市があった頃、掘っ立て小屋で食べ物を売っていた時代からの客だという。

 昔話も自然に零れ、そこで店主は思い出したように一つを付け加えた。


「ああ、さっきの話なら、俺よりこっちが詳しいな」


 もちろん紗子の方は先程までの話の流れを知らない為、「さっきの話?」と不思議そうに小首を傾げる。


「さきほど。弥太郎さんの、昔は、どうだったか、と。面白い過去でも、ないかと、皆で話して、いました」


 りるが説明すれば、納得がいったらしく紗子は深く頷いた。

 なるほど、そういう話ならこちらに回ってくるのも理解できる。


「そうでしたか。確かに、私の方が適任ですね。一番親しいなどと自惚れはしませんが、出会ってもう七年になりますから」


 居酒屋『こまい』の店主でも二年なら、この中では最も長い付き合いになる

 うまく話に参加できていなかったが、紅葉も正直に言えば興味はあった。弥太郎の昔話にも、何故に紗子があの男を立てるのかも。

 だから苦手意識も一瞬忘れて、ごく自然に聞き返した。


「七年、というと、まだ花座横丁がなかった頃?」

「ええ。バラックや掘っ立て小屋が乱立していた、汚くて騒がしく、けれど懐かしい池袋です。あの頃の私は……」


 そっと目を細め、紗子は遠い思い出を見詰める。

 ああ、本当に懐かしい。

 空襲で焼けた荒れ地。大勢がヤミ市に群がり、当然の如くタチの悪いならず者だって溢れんばかり。

 飢えて、ぎらぎらとしていて。生活に疲れた果てた人々と、それを食い物にする輩。あとは妙な熱気を持つ者とが混在した、ぐちゃぐちゃな街。

 そこで紗子は初めて弥太郎に出会い。

 あの時は、心底思ったものだ。


「弥太郎? あんの野郎、わたしのこと嵌めやがって。死んじまえ、糞ったれが! ……割合本気でそう思っていました」


 美しい顔立ちから絞り出される、妙にドスの利いた暴言。あまりの変化に紅葉は若干引いてしまう。

 ただ店主はというと「久しぶりにそういうとこを見た」となにやら笑っており、昔の彼女は“こう”だったのだと窺い知れる。


「すみません、汚い言葉になってしまいました。ですが、当時はそれが紛れもない本心でした」

「そう、なのかい?」

「ついでに言えば、今もクズだとは思っていますよ。そこは貴女と同じです」


 そう言われても、ならあの媚びたような甘い態度はなんなのか。

 これも人気娼婦の業なのか。疑問を抱くや否や、こちらの胸中は正確に読み取られ、紗子は柔らかな微笑み共に「感謝していますから」と返した。


「あの人のおかげで、今の私があります。感謝は勿論、好意だって抱いていますよ」

「なんというか、複雑? なんだね」

「いえ、むしろ単純だと思いますが」


 図星を指されたのはぎくりともした。

 しかしあれだけ苦手だと思っていた相手と、よくもポンポンと話が進むものだ。

 それは向こうも感じていたらしく、紗子は思ってもみない提案をしてくる。


「なんなら、今度改めて詳しい話をしましょうか?」


 好奇心は九つある猫の命を奪うらしく、けれど抗えない魅力を持っていて。

 しばらくの逡巡の後、結局紅葉はおずおずと頷いていた。


「アジ、美味しい、です」

「そりゃあよかった」


 それはそれとして、りるは村では滅多に食べられない魚を楽しんでいた。





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