『営庭と王宮』下
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「さて、それでは用件を訊こうか」
げんなりと卓に突っ伏した自分の『愛妾』に若者が微笑みかける。
なかなかにいい性格と謂えよう。
「…さッさと帰るつもりだッたのに」
軍艦相手に大立ち回りを演じた“グレムリン”も、慣れない環境でへばったらしい。
「まぁ、そう言うな。丁度晩餐会の予定だったのだ…見たか?貴族どもの顔!貴様におべっかを使わねばならんものだから、世辞を言うのに悪戦苦闘しておったわ」
クスクスと意地の悪い顔で赤毛の垂れた瞳を覗き込む。
「底意地の悪ぃ王様だ……ま、確かにチベの女に頭下げる御貴族様ッてのは面白い見世物だッたけどさ」
くたびれた顔を持ち上げると、二人してニヤニヤと笑った。
「…あぁそうだ、用件な?悪ぃんだが、文字の読める奴を一人くれ」
「文字?」
「アタイ等が読める訳無ェだろ?先任さんも下ッ端連中も読み書き出来無ェんだよ…御貴族様じゃあるまいし」
「………ははぁ、そんな事でわざわざ飛んで来おったか」
ならば副官を着けてやろうと若者は言った。
「なんだい御目付役かよ?軍人さんなら要らねェよ」
「まぁ任せよ」
言うと椅子を赤毛の隣に運んで若者は座った。
まじまじと娘の顔を眺める。
地下牢で痩せこけていた頬もある程度はふっくらとした様だ。筋の浮いた手にも肉が戻っているのが判る。
チベ族はそのほとんどが白い髪をしている。稀に赤みがかって桃色になったりするが、娘の様に真っ赤な髪は非常に珍しい。
(髪が赤ければ赤いほど、魔力が多いとか聞いたな)
そんな事を思い出しながら、娘の髪を指で櫛梳った。
「ちょッ…やめとくれよ」
「良いではないか、貴様は余の愛妾なのだぞ?」
途端に娘の顔が赤くなるのが判った。国王の口から思わずクスクスと笑いが漏れる。
「なにが愛妾だい!妾を戦に放り出す情夫がいてたまるか!」
「そこはそれ、貴様の罪への罰というものだ。だが貴様を戦場でただ死なすのも惜しくなったな」
「勝手な話さ!」
「勝手だとも……戦となれば兵を死なせねばならぬ。その中で貴様一人を死なせぬ様に図れぬなら、王冠に然したる価値も無かろう?」
「かッ勝手さ!勝ッ…」
若者は駄々をこねる様に勝手を連呼していた柔らかい唇を自らの唇で塞いだ。
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朝方、三人の小姓が手に朝食の盆を携え廊下を歩いていた。
三人とも十かそこらの歳だろうか。
二人はレキ族と判る。然して特徴も無い子供だ。
残る一人、先頭を歩くのは他より幼い顔で、もみあげを残し頭髪をつるりと剃り上げている。こめかみの辺りから顎の下まで伸ばした髪は黒い。
この国で二番目に人口の多いタラ族特有の髪型である。
遠い昔、文字言語を創ったのがタラ族だと謂われている。そのせいか、タラ族の識字率は異様に高く、王宮の官吏にもそれなりに多い。
ぽちゃりとした頬に力を入れて扉を軽く叩く。
「おはようございます陛下。朝食を御持ちしました………御愛妾様もどうぞ」
ベッドに横たわる二人に声を掛け、他の二人に隣室へ朝食の仕度を差配する。
『御愛妾様』への口上にやや棘があるのは致し方無い。タラ族を差し置いてチベ族の、それも得体の知れぬ忌み児が国王と寝所を共にしているのだ。
チベの赤髪は忌み児である。昔の話ではあるが、チベ族は赤髪の児は捨てる習わしがあった。タラ族はそれを覚えている。
レキ族が隆盛すると共にその習わしは消えていった。赤髪の持つ魔力の強さをあてにしたのだろう。
もっとも、レキ族に対抗するには遅過ぎであったのだが。
それに対し、タラ族はレキ族との融和を選んだ。文字を教え、大気の魔素の扱い方を教えた。
以来、レキ族の後ろにはタラ族が寄り添う様に従っている。
国王の愛妾第一位も当然タラの女、今までその様に取り扱われていた。それがよりにもよってチベの忌み児だ。
(嘆かわしい…これも時代の流れか)
十やそこらの子供がその様に思考するのは、レキ族やチベ族であれば異様であろう。
タラ族の小姓は気持ちを切り替え、全裸の国王に服を着せていく。
視界の隅にチベ族の『御愛妾様』が厭なものを見た様な顔をしているのが映った。
「……さ、『御愛妾様』。お立ち下さい」
「え!?ぃ…いやアタイは大丈夫!手前ェで着る、ぉい馬鹿止め!」
有無を云わさず──だいぶ喚いていたが──毛布を剥ぎ取ると夕べ着て来た軍服を広げる。
「………もたもたするな、忌み児」
「ッ!…この餓鬼」
…容易い。
タラ族の小姓はそう思った。
この娘はあまり感情の抑制が利かないらしい。怒り狂わない程度につついてやれば、こちらの意図する動きを期待出来た。
「後で覚えてろ」
全くもって負け犬の遠吠えにしか聴こえない台詞であったが、その後は小姓に従い軍服に袖を通していく。
小姓の手直しで服を整えられた赤毛はいっぱしの将校然とした姿になった。
「…糞ッ、オマエ上手いな」
鏡に映る将校姿の自分を見て、『御愛妾様』がタラの子供に言った。
自分一人ではどうにも格好良く着こなせなかった軍服がピシリと決まっている。
赤毛の娘はつるつる頭の子供をまじまじと見やった。
「オマエ、タラ族だろ?………おい王様!コイツくれ!」
「はあ!?」
「なんだ気に入ったのか?言っておくが小姓は皆宦官だぞ?浮気相手ににはならんし、第一まだ小さかろう」
「ナニ馬鹿な事言ッてんだい!文字読める奴をくれッて言ッたの忘れたのかよ!」
「…あ、あの何を?…陛下?」
小姓の頭が『陛下』と『御愛妾様』の間を往き来する。自分の頭の上で会話が進んでいく。
「ソレでいいのか?事務官から出そうと思っていたのだが」
「事務官ッてのは要するに御貴族様だろ!そんな奴じゃあ書かれているのと真逆な事を読み上げるかも知れねェだろ」
「疑い深いな?」
「ウチにゃあ文字読める奴が一人も居ねェんだ、確かめようが無ェ。だけどコイツ、タラだろ?」
文字と魔導紋を発明したタラ族ならば、自分の先祖にかけて文章を捏造はするまい。娘の主張はそういう事であるらしい。
「お、御待ち下さい。私は『正妃様付き』の小姓となるべくお仕えしております。それが叶わずとも『第一御愛妾様付き』として…」
「…第一御愛妾様じゃねェのかアタイは?」
「タラの御愛妾様です!昔から第一位の愛妾はタラから出るんです!」
「…おい王様、アタイの他に愛妾ッて居たッけか?」
「居らんな」
「やっぱり第一位はアタイじゃないか。オマエはアタイに仕える運命だ」
赤毛はひょいと小姓を抱き上げた。
そのまま窓を開く。
「なんだ、朝食は要らぬのか?」
「帰ッて食う。邪魔したね、持って帰るぞ」
「お!御待ちを!…ヒャアアアァッ!」
小姓を抱えたまま『御愛妾様』は飛び降りた。
一拍置いて赤い光の矢が翔び去る。
「やれやれ…せめて城門から出れば良いものを」
国王は開いた窓に近寄り、赤い矢が見えなくなるまで空を眺めた。




