『対決』上
朝の食事が済むと、若者は早々に部屋から出された。
隣国の軍装に身を包んだ衛兵達に取り囲まれた状態で、螺旋に続く急な階段を降りていく。
長い回廊へ進む。
回廊に並ぶ窓の外はまだ靄がかかっている。
若者は先程まで閉じ込められていた尖塔を目だけで見た。
首を動かす訳にはいかない。
恐らく赤い髪の娘はあの屋根に張り付いて、こちらを窺っているはずである。
自分が下手な動きをして、悟られてはならなかった。
やがて一行は王宮に備え付けられた神殿の扉の前に来た。
和議はここで行う。
古よりの作法で、神の御前にて誓約を交わすのである。
神殿で交わされた誓約書は神によって承認されたとされ、破る訳にはいかなくなる。
………表向きは。
その様な誓約が、侵すべからざるものであるのならば、戦など古の昔に途絶えて久しいはずなのだから。
こういった戦の和議を結ぶ誓約書の類いは、すぐに忘れ去られ、次の戦が終わった頃に神官が騒ぎ立てる為にある。
誓いを破ったとして多額の布施をせびる為に。
「待ち兼ねたぞ」
祭壇の前には複数の神官、十人程の衛兵が並ぶ。よく見れば若者を連れて来た貴族とその手勢も居た。
その中央に隣国の国王と神官長が立っていた。
祭壇の後ろには壁に嵌め込まれた薄い石板が巨大な紋を象っている。
これは魔力封じの紋であった。
『神聖なる誓約の際になにがしかの不正があってはならない』
その様な意味合いで備え付けられている訳である。
「…何とも仰々しい、疚しさの表れだな」
若者はしらけた声で呟いた。
それを聞いた隣国の王が顔を赤くしながら声を荒げる。
「黙れ!戦そのものでは確かにそちらへ軍配は上がったかもしれんが、勝利はこちらのもの!潔く敗けを認めよ!」
(潔くない者にそう云われると、何やら釈然とせぬものだな)
思わず苦笑しかけて口許を抑えながら、若者は祭壇の前まで進んだ。
祭壇の上には二通の誓約書、そして二本のペンが並べてある。
神官長が誓約書の言葉をおごそかに読み上げ始めた。
────────
若者が神殿の中へ進むのを見届けると、赤毛は被っていた麻袋を剥がし、銃身を回転させた。
フイイイイイイ…
甲高い回転音が尖塔の上から鳴り響く。
「なんだ!?」
「なんの音だ!?何処から聴こえてくる!?」
王宮に詰める衛兵や文官、侍女達が騒ぎ始めた。
この王宮で生活する誰もが聴いた事の無い音である。
一体何事かと騒然となった。
赤毛は何気無い様子で尖塔の屋根を端まで歩く。
そのまま空中に足を踏み出した。
真っ直ぐに地面へと落ちる姿を偶々見た侍女が悲鳴を上げて倒れた。
辺りの喧騒が一瞬で消える。
その姿が地面へ激突する瞬間…
…真っ赤な光が人々の瞳を貫いた。
ブワッと赤い光の翼が広がった。次の瞬間には地面スレスレを飛翔する。
フイイイイイイ
ドゥルルルルル!
魔導銃が火を噴いた。正面に居た衛兵達を噴き飛ばす。
「ぅぎゃああああ!」
「がっ!?がはっ!」
「て、敵?」
「馬鹿な!?」
「敵襲!敵襲うぅ!」
ドゥルルルルル!
「ぐえぇっ!」
王宮で奏でられるべきは舞踏曲であるはずだ。
それが今や銃声を伴奏に、怒号と悲鳴の二重唱による戦場音楽が掻き鳴らされている。
そこら中に鮮血と臓物が撒き散らかされていく。それを見た貴婦人や侍女達が卒倒して事無きを得るというのはある種滑稽な様相であった。
ある意味、赤毛は狂人と謂えるであろう。
後世、この事件を取り扱った歴史家は隠密裏に神殿へ潜入出来たはずであると一様に評している。
もしくは彼女の高速飛行を駆使すれば一気に神殿まで駆け抜ける事は容易かった。と考察している。
しかしながら赤毛は立ち塞がる全ての衛兵を“サイレンの唄”の題材へと変えた。
後顧の憂いを絶つが為であったかもしれない。
それが証拠に撃ち倒された全ては衛兵の類いであり、貴婦人・侍女、そして文官には被害が出ていなかった。
しかし衛兵のみを狙い非戦闘員を傷付けずに撃ち分ける、しかも飛翔しながらである。
冷静と評すより狂人と評すべきだろう。“サイレン”は無差別に凪ぎ払う為の銃だったのだから。
そうして赤い翼は神殿へ突入した。
────────
「何事だ!?」
戦場音楽は神殿にも聴こえてきた。
情況が掴めず辺りが騒がしくなる。
「おい、様子を見て来い」
上官に命令され、衛兵の一人が神殿の扉を開くと…
…その衛兵の身体が爆ぜた。
扉の向こうから赤い光が真っ直ぐに突っ込んで来る。
しかし。
扉を通過した瞬間、光は消え、一人の娘がもんどりうって神殿の中に転がり床を滑って倒れた。
まるで放り出された様に勢いのついた身体が二転三転と転がり、俯せになって床を滑る。
娘の身体が止まった時、何処からか聴こえていた甲高い音も消えている。
神殿に居た一同は何が起きたのか理解出来ず、その場で固まってしまった。
それはそうだろう。
扉を開けた衛兵が粉微塵になった次の瞬間、誰とも判らぬ女が転がってきたのだ。
「…ぃでででッ!何だ?…あ、魔力封じか!?」
真っ赤な頭を振りながら膝を立てたその女は、祭壇の『魔力封じの紋』に気が付いた。
「な…何者だ貴様は?」
呆気に取られていた隣国の国王が気を取り直したのだろう、娘に声を掛けた。
しかし赤毛はそれに答えず、周囲を見渡す。
若者は初めて地下牢で会った時の事を思い出していた。
(あの時も、あんな感じであったな)
思わず苦笑する。
まるで追い詰められた獣だ。毛を逆立てながら機会を窺っている。
「…アンタ、笑ッてんじゃ無ェよ。こちとら絶体絶命だッてのに」
若者の笑いに気付いた赤毛がげんなりと言った。
「いや済まぬ。つい周りの間抜け面が面白くてな」
「真面目にやッとくれよ、無茶した甲斐が無ェだろ」
囚われの国王と闖入者の会話は、あまりにも情況とズレていた。
「ええい!貴様等なにを」
隣国の王が怒鳴り始めたその時。
神殿の天井が爆発した。