『進軍』上
ベッドから跳ねる様に起き出した赤毛は、目の前の衛生兵の胸ぐらを掴んだ。
「おい!あれから何日経ッた!?」
「み、三日です!」
(三日?三日だと?)
赤毛はベッドから飛び出すと、一目散に走り出した。
「た、隊長!待って!……副長!副長~!」
衛生兵が騒ぐのを無視して赤毛は走った…いや走ったつもりだった。
実際には廊下の壁を伝って這う様な進みであった。
「あ!この馬鹿野郎!どこ行くつもりだよ!?」
衛生兵の声で駆けつけた桃色と条髪が隊長を取り抑える。
「離しやがれピンク色!」
「離すか病人!」
「病人じゃ無ェ!」
なんとも乱暴な会話である。その光景もまた乱暴であった。
ゴキンッ!
赤毛の頭から大きな音が響いた。
あまりの痛さにうずくまる赤毛の前に立っていたのは工房の老技師である。
「やっかましぃわぁ!!」
大喝である。
「な、何しや…ガポッ!?」
怒鳴ろうと大口を開けたその口に、老技師の手にあったものが突っ込まれた。
「ソイツくわえたまんまで息しろ、口でだぞ?」
「ゴ、グッ!?」
「大気の魔素を肺に送って魔力に換える吸入器だ。ほれ息吸え!」
老技師に云われて赤毛は息をし始めた。
「あんなアホな翔び方しおって、魔力なんぞ底をついとるだろうが」
「爺さん、よくそんなもん作ったな?」
「なぁに原理など簡単じゃ、魔導銃の吸引口とたいして変わらん」
「ははっ!良かったな隊長、それくわえてると鼻から弾が出るってよ!」
────────
「…んな事があったのかい」
赤毛から事の詳細を訊いて桃色は唸った。
赤毛の口から事のあらましを聞いた面々は、一様に押し黙っていた。
特に飛航艦の艦長達や先任は顔を青くしている。自分達の護るべき御輿の上に立つ者が捕らえられたのかもしれないのだ。衝撃は大きい。
逆に桃色や条髪は眉をしかめながらも、さて自分等の隊長はどうするつもりなのかと考えている。
「……てな訳でな、アタイは行かなくッちゃあならねェ。放ッとく訳にゃいかねェんだよ」
「手前ぇ独りで行ってどうすんだよ!?」
「アタイの情夫だろうが!」
「アホか!その前に王様だっつぅんだ!…おい艦長方、飛航艦は動かせるんだろうな?」
桃色に云われて艦長達が顔を上げた。
ぼんやりしている暇は無い、すぐさま立ち上がると発進準備を乗員達に命令する。
「翔んだ方が速いだろ!」
「ヘロヘロの癖に何云ってやがる、ほれくわえてろ」
「ガポッ!?」
全くもって呆れたやり取りである。条髪など聞いていて頭を抱えていた。
「………飛航艦で敵の王都まで二日ってとこね」
「地図見せろ……南東にある港から上陸したとして?」
「…王都まで馬車なら四日……この天気だと五日ね」
赤毛が軍港へ辿り着いたのが三日前、国王を乗せた飛航艦が南東の港に着いたのも、同時期と考えて良い。
「んじゃあアタシ等が着くのと王様が着くのは大体同じか」
「……向こうの方が若干早いかしら」
「モガッ!モゴモゴ!」
「今のアンタじゃ飛航艦よか遅ぇだろ!」
「………何言ってるのかよく解るわね?」
────────
密閉された馬車の中で、若者は独り座っていた。
ガタガタと揺れる馬車。
天井から激しく叩きつける雨音が響く。
(よもや囚人護送用の馬車に乗せられるとはな…)
馬車の扉には外から鍵が掛けられており、明かり取りの窓は暗い。
護送車の進みは遅い。
港へ到着し、この護送車に押し込められてから、霧は小雨に変わり次第に雨音が強くなった。
(馭者が大変だな)
なんとも暢気な思考であるが、何しろ護送車の中は何も無いがらんどうである。
おまけに乗客は自分ただ独りともなれば、考えられる事などそう多くは無い。
明かり取りの窓から雨の粒が入り込む以外に、護送車の内部には変化と云える事象が起こらないのである。
なるほど馭者の心配などしてしまう以外する事が無い。
それ以外を考えるとすれば、王都の情況が今どうなっているか推測する位であるが、彼には判断材料となる事が何も無いのであった。
(アレは今頃何をしている事やら…)
気が付けば、思考は赤い髪のソバカス娘の事へ戻っていく。
恐らくは王宮からの脱出劇を演じたであろう。その点だけは疑いようが無いと若者は思っている。
だいたい、あの赤毛が大人しく捕まる訳が無いのだ。
問題は彼女がその後どうするか?それが若者には今一つ判然としないのであった。
(故郷にでも戻るか…?それもしっくりとこないが、王宮奪還など考えるとも思えん)
雨足はいよいよ強くなり、とうとう馬車が停止した。
今夜はここで──何処かは若者には解らないが──夜営という事になるのであろう。
暫くして扉の鍵が開けられる音がした。軋む音を立てて扉が開く。
「御不自由を御掛けします陛下。粗末では御座いますが食事をどうぞ」
「ほぉ、面白いな。まだ『陛下』と呼ぶか?」
「これは手厳しい、まるで我等が謀叛人の様ではありませぬか」
この貴族、自分には王位を簒奪するつもりが無いかの様に答えた。
若者は扉の向こうに見える景色を窺った。
(森の中か…)
仮にこの場で暴れて何とか脱出したとしても、ここは隣国である。土地勘が無いどころではない。
「では、ごゆるりとおくつろぎ下さい」
ニヤニヤと笑いながら貴族は扉を閉めた。
(どうやら王位の簒奪までは考えていない様だが、隣国に身売りするつもりであろうか)
案外志が低い、などと国王は評価した。