『謀叛』上
「なんだい、入れ違いか」
赤毛は王宮の中にある御愛妾様用に設けられた一室に入ると、ソファーに体を投げ出して応接卓の上に足を伸ばした。
何ともみっともない格好である。
この部屋に入るまで、貴族や役人どもの挨拶攻撃に対応して、すっかり消耗してしまったらしい。
「御愛妾様、足!」
「いいじゃねェか、誰が見てる訳でなし」
タラの『筆頭』は鼻を鳴らした。
(まったく、この人は目を離すとこれだ)
やればそれなりの口調や物腰が出来るというのに、普段の彼女は鉄火で伝法といった具合である。
筆頭は気分を変えると茶器の用意を始めた。
この部屋は赤毛がごくたまに王宮へ滞在する際に使われている。
滞在している時はいつも王冠を被った若者──国王──が顔を出し、夜を共にする。
未だ若者は自分の他に手を出していないらしい、とは赤毛本人の弁である。
「案外奥手なんだな、あの男」
「不敬ですよ、その言い方」
筆頭は赤毛と話していると時々頭が変になる感じがして仕方が無い。
民族性の違いであろう、少数民族であるチベ族は夫婦制を採っていないのだ。
だから国王その人を平気で情夫呼ばわりしているのである。相手を一人に決めないチベ族らしい呼び方と云える。
もっとも、赤毛とてレキ族の夫婦制を知らない訳では無いので、他に男を作ろうとはしない…今のところ。
自分達の男女の契りは契約である。赤毛はそう割り切っている。だからレキ族の頂点たる若者の顔を立てているのだと、いつも筆頭に嘯いていた。
「で?愛しの国王陛下様は何処行ッたッて?」
「その気色悪い形容詞はなんなんですか?」
「…気色悪いとは失礼な、妾は気分を害するゾヨ」
ニタニタと笑うソバカス面を見て、げんなりした顔で筆頭は舌を出した。
この辺りタラの小姓も感化されてきたと謂える。
「和睦の打ち合わせです。終戦ですよ、じきに」
────────
(入れ違いになったが仕方が無いな)
国王は桟橋から重飛航艦へ乗り込む際、侍従から御愛妾様が王宮へ着いた事を聞かされた。
ふと、王宮のある方へ目を向ける。
濃い霧が立ち込めていて、王宮の尖塔などはぼんやりとけぶって見える。
今頃あのソバカスは部屋でだらけている様な気がするな、その姿を想像して若者の口端が上に向いた。
「陛下、さ、御座乗下さい」
「うむ、世話になる」
王室には重飛航艦が無い。
本来ならば即位と同時に御座乗艦の建造が企画されるものであるが、この戦だ。
実質乗る機会の無い御座乗艦を建造するよりも、軍本部で軽飛航艦を増産する事を若者は優先したのである。
また、思いも懸けぬ大勝でもある。
若き国王としては隣国との小競り合いに早期に決着を図る目的で“グレムリン”を起用した様なものだったが、色々とアテが外れた。
(まさか隣国の領土を削れるほど勝つとはな…余の目利きが良かった?いやいや、アレと巡り会わせた運か)
重飛航艦に乗り込み、舷窓からまた王宮を眺める。
「……酷い霧だな」
霧は更に深くなり、王宮は影の様になっていた。
これでは向こうからもこの艦が見え無かろう、と思ったところでまた口端が僅かに上がる。
(そこまで惚れられてはおるまい)
「陛下、そろそろ発進致します。御着席を」
「うむ。艦橋へは後で向かおう」
その場にある固定された座席に腰掛け、若者は発進を待った。
浮遊感を味わう。
濃い霧の中、重飛航艦の巨体が浮かび上がる。
耳の奥を押される様な圧迫感に喉を鳴らして誤魔化し、国王はゆったりと座った。
(しかし……何やら厭な霧だな)
「この霧だ、艦橋は大変であろう?上空、霧を抜けるまで待つ事にしよう」
「御意」
重飛航艦はゆっくりと浮上していった。
────────
それは突然始まった。
部屋の外が何やら騒がしい。
その喧騒は始め耳の奥で感じるか感じないか、といった具合であったが、次第に大きくなってきた。
「何があったんでしょう?」
「…嫌な感じだねェ。小僧ッ子、ちょッと覗いてみ?」
云われて筆頭は扉を小さく開けて辺りを窺った。
悲鳴が聴こえた。
廊下の奥、曲がり角にパタリ…と侍女が倒れたのが見えた。
悲鳴がこみあがりそうになる口許を手で覆い、息を殺していると侍女を踏みつけて兵どもが現れる。
その先頭は有力貴族の一人だ。
筆頭は静かに扉を閉めると鍵をかけた。
「御愛妾様、謀叛です。こちらに向かって…御愛妾様が狙いでしょう」
「…んだと?」
赤毛は跳び起きた。
そこからの行動は素早かった。
すぐさまソファーを押していき、扉に蓋をする。
それから二人、近くの物を扉に押し付けた。
コンコン…コンコン。
扉がノックされた。
タラの小姓は扉から離れると窓を開ける。
辺りを確認すると赤毛に呼び掛けた。
「御愛妾様、ここからお逃げ下さい。この分では陛下にも手が伸びているはずです」
「…小僧ッ子、アンタは?」
彼女の得物は王宮に持って来れず、丸腰である。
逃げるといっても王都に逃げ場など無いだろう。
いくら赤毛の魔力が高くとも、海の向こうまで子供一人担いでは行けない。
ドンドンッ……ドンドンッ
「私は大丈夫ですよ、ただの小姓なんですから……お早く」
赤毛は筆頭の顔を見た。
無理に口許を歪め、慣れない笑顔を作ろうとしているのが見てとれた。
「馬鹿だね一緒にここを出るよ、ほら」
掴もうとした赤毛の手を、小姓は叩いて除けた。
赤毛を親の仇の様に睨みつけて声を荒げる。
「…馬鹿はそっちでしょう?今すぐ王宮を出ないと捕まるでしょうが手間をとらすなさっさと行けこのチベの忌み児が!」
「手前ェ…」
ドォンッ!…ドォンッ!
「陛下が危険だとまだ誰も知りません。貴女しか陛下を助けられないんです」
「…ッ!」
バキッ!…メキリッ!
赤毛は身をひるがえし窓から飛び下りた。
後ろは振り返らなかった。
扉が破壊される音を聴きながら、窓から覗いた赤い翼を、小姓は鼻を鳴らして眺めていた…