『要塞』下
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「なんだあの飛航艦は?」
砲兵の一人が訝しげに呟いた。
土嚢を積み上げた塹壕から覗けば、二隻の飛航艦が進軍してくるのが見える。
奇妙な艦である。
艦首の下、吸引口の後ろにあたる部分ににょきにょきと筒状のものが伸びている。
まるで顎に生えた髭の様だ。
「あ!」
『髭』の様な突起から爆煙があがった。
ヒュルルルルル……
それは自分達とは別の、同じく兵達が籠っていた塹壕に直撃した。
爆発音、続けて連続した爆発音。
砲座の傍に積まれた砲弾の山に誘爆したらしい。
土煙が薄れると、そこにはぽっかりと地面に穴が開いていた。兵達の姿など何処にも見えない。
「ほ、砲撃!?」
「まずい!応戦準備だ、飛航艦を狙え!」
「無茶云うな!あんな高さに届くか!」
兵達が騒ぐ間にも飛航艦からの砲撃は続く。
ヒュルルルルル…
ヒュルルルルル…
山腹のあちこちで爆発音と土煙があがる。
「土嚢を積み上げろ!砲座を傾けて狙え!」
砲座の支持架の下に土嚢を噛ませ、無理矢理砲を上に向ける。
無茶ではあるが、やらない訳にはいかない。
「よし、角度を採った!」
「当たってくれ……撃てぇ!」
ドオォン!
弾は山成りに飛び出して飛航艦の手前で頂点を過ぎ、届かず降下を始める。
次弾装填はされなかった。
土嚢を噛ませて無理矢理角度を採った砲座が、発射の反動でひっくり返ってしまったのである。
砲座の至近に居た兵の一人が、重い砲の下敷きになって潰された。
ヒュルルルルル…
「た、退避!退」
爆発音。
そして土煙。
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「将軍、各隊突撃態勢完了しました」
「うむ。では銃兵隊、突撃に移れ。目標、敵要塞」
ありがたい事だ、老将軍は思った。
飛航艦の下部に武装など、普通は考え無い。いや、誰かが考えた事くらいはあるのだろう。
普通は実行しない。
それを『御愛妾様』は易々と行った。しかも自分達の進攻に合わせてきた。
つまりは早い段階で飛航艦の改装を指示していたという事になる。
「あの様に改装を施したら艦とは呼べんな」
船底に武装などしたら着水自体出来まいと、将軍は気付いたのである。
老将軍は見上げていた視線を戻し自軍の様子を見た。
兵達が斜面を登っていくのが見える。
先程まで睨み合いを続けていた砲座はことごとく沈黙し、兵達の前進を阻むものはもはや無い。
砲座が景気良く噴き飛んだお陰で兵達に勢いがついている。あれを止められるものはあるまい。
「勝ちましたな」
「兵達が無駄に死なずに済んだ、足を向けて寝られんな」
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「敵が迫ってきております!」
「防戦だ!要塞を抜かせてはならん!」
この要塞が落ちたなら、王都まで敵軍を阻むものがもはや無いと云っていい。
つい先程まで難攻不落の要塞であったはずだ。
じきに援軍も来るはずであった。
敵は寒風に晒され、雨に晒されて体力気力を失って、それでも睨み合いを続けるほか無かったはずだった。
何をどう間違った?
あれだ。あの雨雲に浮かぶ二隻の飛航艦。
こちらの塹壕と魔導砲で固めた防御を正確に潰してのけたあの飛航艦のせいだ。
「陸地に飛航艦など持ち出しおって…」
ほんの少し前まで馬鹿にしていたその飛航艦が、全てをひっくり返したのだ。
要塞司令の耳に銃声が聴こえてきた。
堅牢に造られた城壁である。容易く抜かせはしない。
司令と側近達は窓に集まり城壁を見た。
城壁の上に兵達が昇り、魔導銃を撃ち下ろしている。本来砲弾として使用する爆裂弾を手で投擲するのが見える。
銃声。銃声。爆発音。
城壁から一人また一人と転げ落ちる。代わりの兵が昇っていく。
城門を叩く様な音。
銃声を伴奏に悲鳴が上がる。
城門の内側に丸太を噛ませて重い門扉を抑える兵達。
その後ろには門扉が破られる事を想定した部隊が、魔導砲を並べ門扉に向けて狙いをつけている。
何故こうなった?
「司令!?あれを!」
側近の一人が指を差す。
「おのれ…!」
あれだ。またあれがやって来た。
二隻の飛航艦が城門に向けて砲弾を放ってきた。
轟音が響く。
門扉が噴き飛ばされる。
…後ろに控えた砲座ごと。
フイイイイイイ…
何の音だ?
ドゥルルルルルル!
司令は見た。
城壁の上に昇っていた兵達が、凪ぎ払われる様に次々と倒れ城壁から落ちる様を。
司令は聴いた。
光る翼に身を包んだ死神が奏でる音色を。
「あ、あああああああ」
破れた城門から敵兵が列を組んで雪崩れ込んでくる。
空に浮かんだ死神どもが援護するなかを敵兵どもが。
「“サイレン”……あれが」
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要塞は陥落した。
老将軍と側近が入城した時、既に兵達は戦場清掃を行っている最中であった。
戦場音楽は鳴り止み、周囲は兵達が片付ける際に聴こえてくる騒がしさと一種の…静けさが混ざり合っていた。
側近が士官達からの損害報告を纏めている間、老将軍は降り立った赤毛に声を掛けていた。
「助かりましたぞ、兵達に楽をさせてやれました」
「いえ、でしゃばった真似をしました」
「なんの。しかし驚きました、御愛妾様は先見の明があらせられる」
老将軍は頭上の飛航艦を仰ぎ見た。
船底には猛威を奮った魔導砲、良く見れば船底には装甲を重ねているフシがある。
「いつあの様な構想を?儂の様な年寄りにはついぞ浮かびません」
「アタ…私達はチベ族ですから、空は本来下よりも上が有利なのを知っております」
同じ様に飛航艦を見上げながら『御愛妾様』は続けた。
「飛航艦が船底に何の装備もされていないのが常々不思議でしたから」
「それはやはり元が『船』ですからな」
「そう、誰に訊いてもその様に答えます」
でも、と赤毛は続けた。
「…空にあるのだから、もう水に浮かぶ必要は無いと私は思います。将軍?何故軍本部は飛航艦で敵国の王都を攻めないのでしょう?」
「…!」
老将軍は言葉を失った。
そう、御愛妾様の云う通り、艦隊を組み一気に王都を襲えば短時間で制圧は可能である。
頭上の艦の様に対地攻撃を備えた艦で防衛網を喰い破り、揚陸艦で一度に兵達を雪崩れ込ませれば…
…そこまで瞬時に思い到った。
「政治というものは私には解りかねますので、無理な事なのでしょうね」
「いや、卓見です……本当に驚かされますな」
翔挺兵の一人が赤い髪の御愛妾様に合図を送る。
「名残惜しいですが、私達はこれで…」
そう云うと、御愛妾様は赤い翼を広げてふわりと浮き上がった。
飛航艦の許へ赤い光が翔んでいく。他の翔挺兵の白い光を引き連れて。
別れを惜しむ様にゆっくりと、二隻の飛航艦は回頭を始めた。