『老将軍』下
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「暫し御厄介になりますぞ」
「御苦労様ですわ」
赤毛の前に現れたのは老齢の将軍であった。
元は金色だったであろう頭髪は白く禿げ上がっており、目には笑い皺が深く刻まれている。好好爺然とした風貌をしていた。
貴族では無い。叩き上げの平民軍人である。長い時間着こなされた軍装が似合っている。
彼の率いる隊は今揚陸艦から続々と軍港へ降り立ち、敵地攻略の前に数日この地に滞在する予定であった。
「『御愛妾様』の御活躍は聞き及んでおります、年甲斐も無くこの老骨も震えました」
この老将軍は若い時分に功を立て、現在に至っている。
「思えばいたずらに長く軍装を着ておりました……此度は最後の奉公と思い兵を率いて参りました」
老将軍は、ふと窓の外を覗く。
営舎からは軍港に降り立ち整列した兵どもの姿が見えた。
しとしとと降り続ける雨に濡れ、静かに立つ兵達に士官が命令を下し、兵舎へと移動していく。
「大部隊ですわね」
「…どれだけの者が生き残るか。皆が皆、功名を挙げるなら良いのですが、こればかりは」
いけませんな、年を取ると悲観的になる。と、将軍は言った。
将軍が退室すると赤毛の傍に控えていた副長が言った。
「『最後の奉公』ね。死ぬ気かね、あの爺さん?」
「まぁ、若い連中より先に死にたいんだろうさ。でも軍人ッてのは位が高くなるほど死ねないもんだからねェ」
陸上戦の戦況は一進一退を繰り返していた。
両軍共に貴族は陸上戦を嫌っている。飛航艦での戦いと違い、進軍にも引き揚げにも陸上戦は手間が掛かる為、自分の領地に関わらない戦には消極的であった。
ましてや雨季である。
自然、陸上戦は国軍同士の戦いとなり、艦隊戦に比べれば一種真面目な戦が続いていた。
……真面目な戦という事はそれだけ損害が大きい戦という事でもあった。
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三日後、老将軍の隊は進軍を開始した。
ありがたい事に雨は一時止んでいる。ぐずぐすな大地を踏み均す様に兵達は進む。
「それでは。御世話になりました」
老将軍は最後まで腰の低い穏やかな調子で別れを告げ、進軍する兵達と共に去っていった。
「…こうやって見送ったのは何度目だった?」
「…………さぁ」
「まぁ、いい気分じゃ無ェもんだね」
兵達の後ろ姿を見送って二日後。
桃髪の副長は営舎の隊長室から空を見上げた。
「今日は止んだが、明日からまた降りそうだ。なぁ隊長、アタシ等の出番は無しかい?」
「なんだ副長、やる気があるのかい?」
「…こうやって見送るだけってのは、案外キツいもんだ。戦に出ないで済んで楽かと思ってたんだけどよ」
味方の兵達を死地へ見送る。
今まで戦い続けてきた者にとって『その場に居れば何かが変わるのではないか』と、もどかしく感じる場面であった。
今頃、老将軍とその兵達は交戦を開始している頃だ。
「待ッてなピンク色、もうじきアタイ等の艦が来る」
「間に合うかな?」
桃色の問いには答えず、赤毛は七島防衛陣地の在る空を向いた。
「………………!?」
赤毛と一緒に空を見ていた条髪が何かに気付いた。
両目に赤と白の光輪を浮かべ、光輪の筒を伸ばす。
「……来た」
「狙撃屋?」
「……報告。七島方向より飛航艦、艦数三。…良かったわね副長、留守番は終わりみたいよ?」
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「やはり厳しいものがあるな」
老将軍の軍勢は北へ進み、山の麓に陣取っていた。
先に戦闘をしていた部隊の死体を脇に片付け、連日の雨でぬかるんでいる交易路を更に泥へと変えながら、砲車を押していく。
敵軍は要塞化された山にこもり、魔導砲の有効射程ラインを決めているらしく安易に無駄弾を撃ってこないでいる。
老将軍の兵達は砲車を泥濘から引き起こしては少し進み、また泥濘にはまるといった具合で遅々として進まない。
結果として砲車は要塞を有効射程に捉える事が未だ出来ずにいた。
「将軍、いっそのこと砲車は置いて兵達を突撃させますか?」
「……馬鹿な事を言っちゃいかんよ?要塞の砲座を何とかせずにそんな真似が出来るものか」
砲車の援護砲撃無しに銃兵達を突っ込ませるなど、無駄死にもいいところである。
将軍は側近をたしなめたが、将軍は側近から出た言葉が、実は将軍の意思を確認する為のものである事に気付いていた。
無理筋の案をわざと出していき、次第に将軍の思惑へ近付く。
そして将軍の思惑にある穴──不安要素──を埋めるというのが、この側近の手法であり、将軍はこれを気に入っている。
「問題は砲車を砲撃位置まで並べる事が出来るか、です」
「そこだ。こうまで泥濘が酷いと……っ!また雨か!?」
「…兵達の疲労が気に掛かりますね」
雨は次第に強くなり、土砂降りとなっていく。
「伝令、進軍停止。野営の準備にかかれ」
「戦をしに来たのか畑を耕しに来たのか判りませんな、これでは」
「全くだ。雨季に戦などやるものでは無いよ、御愛妾様の手に入れた軍港の防御を固めて雨季の終わりを待つべきだったのだ」
実際、老将軍は軍本部にその様に意見していた。
しかしそれは受け入れられなかった。
雨季の終わりまで待てば、またも『御愛妾様付部隊』が動く。
そうなれば勲功を根こそぎにしてしまうだろう。軍本部としてそれは避けたいという本音があった。
戦前まで素人だった者達を中心に据えた部隊だ、これ以上の働きをされれば軍本部の面目は丸潰れである。
「このままでは兵達の士気が下がります。体力もですな」
「かと云って軍を下げる訳にもいかん。必ず追撃を喰らう」
要塞前は戦が始まらぬ内に千日手の様相を呈してきていたのだった。