『老将軍』上
そぼ降る雨は軍港跡を濡らしている。
隣国は再建を諦めたのだろう。
風雨により焦げ臭い空気は払われていたが、辺りの風景は凄惨である。
燃え落ちた倉庫や工房。
焼け焦げて散らばる元は物資だったゴミ。
回収もされず転がったままの死骸……
桟橋近くは綺麗であったが港湾のそこかしこに飛航艦の残骸が沈んでいる。
「片付けもしねぇって…敵さんも余裕が無ぇんだな」
「まぁ、元々使い勝手の悪い港だったらしいですから…」
桟橋に降り立った桃色『副長』と『筆頭』小姓が辺りを見渡した。
筆頭にしてみれば初めて来た港である。話には聞いていたが、物寂しい風景に背筋が冷えた。
「先ずは陣地の構築ですな。御二方とも艦に戻っていて下さい、工兵達がやりますから」
先任の声に二人は顔を見合わせ、肩をすくめて艦に戻る。
これから暫くの間は工兵達の出番だ。
港の周囲を柵で囲み、塹壕を掘り、焼けた建物を撤去して新たに基地となる様に建築を始める。
「大変だねぇ、雨ん中。アタシ等も手伝えりゃいいんだが」
翔挺兵や飛翔兵は工事を免除されている。敵の襲来に備えて待機という形である。
「…………あ、チベの男どもだわ」
狙撃屋の言う通り、工兵の大部分がチベ族の男だった。
遠目でも体格が他の部族より大きいのでそれと判る。
「昔と違って剣や斧だけで殴りあう訳じゃ無ぇからなぁ、兵隊になっても穴掘り人足だ」
「御愛妾様のお陰で寒くはなさそうですが…大変ですね」
雨の中、工兵達は手際良く柵を建て、建物を解体していく。
ズズウゥン…
また一つ建物が倒された。
今回は陣地構築の為の先乗りである。故に赤毛は来ていない。
「副長殿…翔挺兵の死体がありました。二人とも外傷は無い様で。煙にまかれたんでしょうな」
「……何処だい?」
先任に促され、三人は現場へと向かった。
チベの女の死体はそれぞれ風雨にさらされて腐敗が始まっていた。先の夜間強襲で帰らなかった二人である。
その手には多銃身回転式魔導銃──通称“サイレン”──があった。
二人とも覆い被さる様に“サイレン”を抱えていた。
「お前ぇら、よく守ったな?偉いぜ?」
二人の死体に桃色が呟いた。
この銃が敵の手に堕ちなかった。これを敵に模倣されたなら戦局に影響しただろう。
通常の魔導銃は未だ連射が利かない。
「先任、コイツ等を葬ってやってくれ……手厚くな、頼むぜ?」
────────
緒戦より七ヶ月を一週間程過ぎ、七島防衛陣地より『御愛妾様付部隊』の本隊が、軍港へ乗り込んで来た。
七島防衛陣地はこの時より軍港への中継基地となり、補給物資の集積所として活用される。
「よぉ隊長!やっと来たなぁ」
「ピンク色、手間かけたね」
赤毛は辺りを見た。
副長達が来た頃から見ると港はだいぶ様変わりしている。
作戦本部となる営舎と幾つかの兵舎が雨の中、静かに並ぶ。
境界の柵は三重に設えており、敵の歩兵部隊が侵攻し辛い形だ。
柵の手前には塹壕が幾つも掘られて、砲座・銃座が隠されている。
未だ完成とは言い難く、雨の中に工兵達の姿が散見された。
「で。副長、二人の墓は何処だい?」
「…ついてきな」
軍港の隅、邪魔にならない位置に墓場が設えてあった。
幾つもある墓は夜間強襲に倒れた敵兵のもの。簡素ではあるが死人に敵味方の別は無い、その傍に二つ並んだ墓石があった。
雨の中、二つの墓に赤毛は敬礼を執った。
部下達と垣根を持たず、いつもくだけた調子の隊長である。
ついぞしなかった敬礼を初めて赤毛はしていた。
「悪ぃねェ、暫くここで休んどいておくれ…事が済んだら故郷に連れてくからねェ」
今運べない訳では無い。
全てが終わるまで二人は部隊と共にある様に運ばないのであった。
「さて!冷えちまッたね?営舎に入ろうか」
赤毛は明るい口調で墓場を後にした。
────────
『御愛妾様部隊』は軍港防衛を任された。
任された、とは語弊があるかもしれない。
要は貴族・国軍共に『御愛妾様』がこれ以上戦功を挙げる事を嫌ったのである。
敵地侵攻の為の足掛かりであるこの軍港に揚陸艇の群が程無く到着し、そして侵攻を開始した。
揚陸艇は軍港に現れては銃兵と砲車を吐き出し、本国へ戻っていく。
海上で使われていた飛航艦は姿を見せない。陸上では船底を見せる飛航艦では分が悪い、という判断である。
『御愛妾様部隊』所有である二隻の軽飛航艦は七島防衛陣地の工房で改修を急がれていた。
────────
「よ~し!発砲検証始め!」
『踊り子』の艦長の命令で新しく据え付けられた魔導砲が火を噴く。
続けざまに発砲される魔導砲に、艦全体が軽く震える。
「……良い様ですな」
「うむ、よし次!銃座の検証に移る!始め!」
『踊り子』に新しく備えられたのは、下部攻撃装備であった。
つまり飛航艦の着水航行能力を捨て、新たに船底へ防御板と砲座・銃座を付けたのである。
更に飛翔艇発着能力もを捨てて空いた空間に爆裂弾投下扉を備えている。
『古いヤツ』と同様に爆撃能力を与えたのである。
『古いヤツ』も同じ様に砲座・銃座を備える事となった。
元は補給艇だった飛航艇も防御用に銃座を付けて、晴れて『飛航艦』の扱いになった。
後の『翔巣艦』の原型である。この艦は『揚陸艦』ならぬ『揚空艦』と呼称される事となった。
────────
雨は時折り強く、時折り弱く、誰の上にも等しく降る。
生者と死者の区別無くその肌を濡らし、冷やしていく。
かじかむ指。
髪を伝ってぽとぽとと落ちる雨垂れ。
肺が震える。
かちかち、かちかちと歯の根が合わずに音を立てる。
陽の差さない厚い雲が重くのし掛かり、暗い視界は雨によって更にぼやける。
急場しのぎに掘られた塹壕に身を寄せ合い、兵達が命令を待っている。
ゥォォォォォ…
ウオオオオォ…
うおおおおお…!
敵軍から突撃の雄叫びが響き、どんどんと近付いてくる。
「魔導銃構え!」
うおおおおお…!
うおおおおおおお!
うおおおおおおおおおおおおお!
「狙えぃ!……撃てぇ!」
ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!
ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!
ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!ダァン!
一斉に放たれる魔導銃の音に併せてばたりばたりと敵兵が泥の中に倒れていった。
「総員抜刀、逆撃を行う」
無論、敵軍も塹壕を掘り待ち構えているのだ、自分達と同じ様に。
「総員突撃にぃ!移れぃ!」
そしてまた戦場音楽が鳴り響く…
隣国領土内へ侵攻して行われた陸上戦は、概ねこの様な情況であった。