第8章 小西行長「信仰」
晴天。まさに日本晴れの蒼い空が広がる、大阪城下。
道には人々が満ち溢れ、運河を往来する船には、どれも荷で溢れていた。
現代と比較して、人口はかなり少ない。但し、街そのものも、小さかった。今の庶民の街である大阪市中央区の難波周辺は市営地下鉄をはじめ各電鉄会社のステーションができる近年まで、水田地帯であった。
この時代の大坂の経済は、運河の周辺が発展していた。つまり、人口が少なくても、街が小さいので、人口密度的にはあまり変わらなかったと解釈できるかもしれない。
「すごい人ね」
未来は、そういいながら頭を右へ左へと振る。
細川忠興一行は周囲から注目を集めていた。私と未来の姿がカジュアルシャツにGパンは確かに目立った。しかし、それほど目立ってないのかなと思ったのは、私達から周囲が見えにくかったこと気がついた。
忠興の護衛が多すぎた。現在でいうシークレット・サービスが忠興と私達の廻りに張り付いて移動しているのだ。ガードが近すぎて周囲が見えにくかった。
「城下を見物と言ったって、鳥かごみたいな状態じゃあ、雰囲気でないな」
未来が呟いた。
「申し訳ござらぬ・・・・・」
忠興が苦笑する。
「未来。我慢しなさいよ。だいたい、こんな服装じゃ目立つに決まっているでしょ」
「それじゃあ、明日から着物にしようかなぁ」
「それは、よろしいですな。屋敷に呉服屋を呼んで、仕立てていただきましょう」
忠興は微笑んだ。
「えっ、ホントですかぁ!」
未来は大喜び。
「す、すみません~」
私としては、苦笑するしかなかった。
「もう間も無く船着き場。そこから、船でご案内致そう」
「船ですか?」
「ラッキー。船なら、取り巻き無しですよね!」
と、大はしゃぎの未来。すでに、ミーハーである。
「み、未来。護衛の方々に失礼でしょ!」
「はははっ。構いませんよ。それくらいで、気分を左右するようでは、護衛は勤まりません」
忠興のフォローに、私は言葉が出なかった。
間も無く、私達一行は屋形船が停泊している船着き場に着いた。
米、魚、野菜。大坂城下はまさに「天下の台所」と呼ぶにふさわしい食品流通の拠点であることを実感した。私達を乗せた船はゆっくりと賑わう街を眺めながら進んだ。
「ぜいたくだよね~ぃ」
未来は屋形船の雰囲気にうっとりしていた。
するといきなり、
「おい、姉チャン。活きのええ鯛が入っとるでぇ。どうや、安うしとくさかい、持っていき!」
と、岸の店から捻り鉢巻の男が未来に声を掛けた。
優雅な雰囲気に浸っていた未来が船の手摺機掛けていた腕を滑らせ川に落ちそうになった。
「もう、雰囲気ぶちこわし!」
未来はぷいっと口を尖らせる。
私と忠興は顔を見合わせて笑った。
「忠興さん、すみません。こんな船まで用意してもらって」
「いいえ。お気にされるほどのことではございませぬ」
「珠緒。忠興さんのお心づかい。素直に感謝したら!」
未来は、何食わぬ顔で言う。
「未来はもう少し遠慮って言葉を勉強したら?」
私は、未来をたしなめる。
「またぁ、自分一人、忠興さんに気に入られようと、良い子しちゃって!」
「そういう問題じゃ・・・・・」
「まあまあ」
忠興が、堪り兼ねて私と未来の間に割って入った。
「すみません」
再び私は、忠興に頭を下げた。
「いいんですよ。この船を使うことは、こちらにとって好都合なのですよ」
「・・・・・?」
私は首を傾げた。
「ご覧のように、城下はまことに活気があって喜ばしい。この街を見ているだけで元気がでます」
「は、はい」
「されど一方で、賑やかすぎて不穏な者がいても解りづらい」
忠興は真顔になった。
「珠緒殿、未来殿、ご両名は目立たれる。服装を変えたとて同じ事でしょう。そして、私自身も天下の大事に備えて動く身でございますれば、命を狙われることもありますゆえ、船で移動することにしたのです。これなら、警護の者にも多少は心労を掛けずにすみますでしょうしな」
「なるほど。安全快適ってことですね」
私は右手を握って、左の掌をポンッと叩いた。
そして、忠興は再び微笑んだ。
「未来殿・・・・・」
忠興は、舟遊び御満悦状態の未来に声を掛けた。
「はい」
振り向いた未来の顔は、ミーハーギャル状態と言っていいほどニンマリしていた。
一瞬、たじろく忠興。
「あっ、み、未来殿。お楽しみの所申し訳御座らんが、障子を閉めていただけますかな」
「はい?」
「しばらく、人目を避けたいのです」
忠興は、優しく言った。
「どうかしたのですか?」
「ご心配なく・・・・・」
忠興は、静かに答えた。私と未来は、一瞬眼を合せた。そして未来はうなずいて障子を閉めた。
船は、ゆっくりと川を下って行った。
船がガクッと揺れて停まった。
私は、船の揺れにうたた寝をしていた。
船の先頭の障子が引かれて、警護の一人が顔を出す。
「忠興様。到着致しました」
「首尾は?」
「整っておりまする」
二人の会話は短く、要点を得ているようだった。
「さあ、行きましょう」
忠興は、私達に声を掛けた。
「あっ、はい」
私は返事をして、未来を見た。未来はうたた寝どころか熟睡している。私は、その未来の肩をさすって起こした。
「あん・・・・・?」
と、瞼半開きの未来。
エンジンの掛かりの悪い未来は置いといて、私は忠興の後に就いて先に外へ出た。
川岸に建物が見えた。
「教会?」
私は呟いて、忠興を見た。
忠興は、私と眼が合うと空を眺めてこう言った。
「今日は天気がよいですな。半時ほど、ここに船を停めて釣り糸をたらそう。この建物はキリシタンの建物だったな。当家の者は、この建物に入ってはならぬぞ。当家の家臣はな」
忠興は、船の縁に腰掛けた。
一拍於いて、わたしは忠興の気持ちを理解した。
秀吉の命令によりキリスト教は御法度となっていた。忠興は、目立つ行動を避け、川を使って一番入りやすい礼拝堂に案内してくれたのであった。
「あ、ありがとうございます」
私は、忠興に頭を下げて船を下り、礼拝堂に入った。
織田信長がキリスト教布教を許可かして、あちらこちらに教会が建てられていた。
信長自身がキリスト教を進行していたのではなく、寺社をけん制したり、外国の情報や武器を手に入れるためであった。
豊臣秀吉が天下を治めるようになって、しばらくはお構い無しであったが、キリシタン大名である高山右近と豊臣秀吉の間に確執が生まれて、キリスト教は弾圧の一途を辿った。 私は礼拝堂の中をゆっくりと見まわした。
「何かの道場を利用したようね・・・・・」
広い板の間、正面の床の間のような場所に、掛け軸程の大きさの十字架にかけられたキリストの姿があった。
私は微笑んでゆっくりと息を吐いた。
静かに前に進むと、床が小さくきしむ。
私は十字架の前に立ち、膝を突く。風に促されるように、胸の前で手を組んだ。瞳を閉じると、自然と頭が下がった。
「主よ。お導き下さい・・・・・」
時を越え、動乱の時を渡り続ける私達の進むべき道は何処にあるのか、その意味が何なのかを知りたい。そういう不安があった。
何故、時を超えてしまったのだろう。どうすれば、元の時時代・元の生活に戻れるのだろう。その問いかけを繰り返していた。
次第に落ち着いてくる、鼓動がゆっくりと、ゆっくりと鳴るのが解った。そして、大きく深呼吸をすると、静かに眼を開ける。
決して諦めない。諦めないことこそ、生き抜くことこそが、希望であり未来へ続く道だと心に刻んだ。
そして私は正面の十字架に背を向け靴を履くと、扉に手を掛けた。
忠興は釣り糸を垂れ、こちらに背を向けていた。素知らぬ態度で釣りを楽しんでいるかのように見えて、教会の建物の左右の角に、護衛を配置して私の安全に配慮を示してくれていた。
「忠興さん、ありが・・・・・」
「忠興殿ではござらぬか?」
私の声に重なって、対岸から男が忠興に声を掛けた。
忠興が顔を上げ、続いて私も対岸に視線を移した。
「こ、これは、石田様!」
忠興の声が上ずった。
忠興が、石田と呼んだその男の鋭い視線が私に向いた。目が合った瞬間背中に冷たいものが走る。私は、凍りかけた水飲み鳥のようにぎこちない動きで会釈をした。
男の名は、石田三成。昨夜、忠興の父、細川幽斎が大坂城で密会した相手であった。
「幽斎殿より、忠興殿はご不在と聞き及んでおりましたが・・・・・」
と、三成は言い、同時に右の眉をピクッと動かした。
忠興は、竿を置いてその場に立ち上がる。船がゆらりと動いた。
「昨日、夜半に戻りました。父より、概ね伺いまして御座います」
そう言って忠興は会釈をした。
「ほうっ。それで、何故、このような所で釣りを?」
「そ、それは・・・・・」
忠興は、一瞬詰まった。
「ここは礼拝堂。そちらのご婦人方と何やら関係が御座るのか?」
三成は眼を細めて言った。既に視線は私に向いている。
秀吉の政を重んじ、忠実に実行していた三成である。私がキリスト教徒であると知れば忠興に迷惑が掛かる。しかし、私はこの場を切り抜け三成を欺く為に、嘘を就く気はない。私の中に葛藤があった。
「忠興殿」
三成の視線が、忠興に戻る。
「石田様っ。詳細は、船の中で!」
忠興が、その場を取り繕う。
「う、うむ」
三成は頷いた。私は、三成の眉がピクッと反応したのを見止めた。「猜疑心の強い男」そう思って三成を見た。
忠興の屋形船は、私を乗せると、三成の待つ対岸に移った。船は三成と数人の警護の者を加え、元来た船着き場へ向けてゆっくりと川を上っていった。船に乗れなかった者は、町中を抜け、船着き場に先回りして待つ指示を受け別れた。
忠興は、三成に対して、夜盗の隠れ家が使われなくなった礼拝堂にあるという情報をもとに大阪城下を見回りしていると説明した。出入り禁止の建物は絶好の隠れ家であるのだと言い、私と未来は「軽業師」に扮装して内定していたと報告をした。
「して、お名前は?」
「私は、五十嵐珠緒、こっちは仁科未来です」
「こんにちわ!」
「こ、こん・・・・・?」
三成の表情が険しくなった。
忠興が慌てて間に入る。
「石田様。二人とも田舎者ですので、作法というものをご存知ござりません」
「な、な、な・・・・・」
未来は気を悪くして「なにを!」とでも言いそうだったが、私はそれを制した。忠興の視線が一瞬私達の方に向いたので、小さくウィンクを返した。忠興はそれが解ったらしく、
小さく微笑んだ。
「田舎者なら仕方が無い。多少の事は大目に見よう」
「ありがとうございます」
そう言って、忠興は頭を下げた。
「田舎者と申したが、どこ出じゃ?」
「私達ね、時を超えてきたから、どこって言ってもハッキリ答えられないけど!」
未来の口調は角が立つ。
三成の厳しい視線。私と未来の頭の天辺から爪先まで見回す。
「そう言えば、二年前の本能寺の一件にて奇怪な様相の女を見かけた者がいたという報告を受けておったが・・・・・。」
三成は冷ややかな視線で私と未来の眼を見て言った。
私は目線を外したが、負けず嫌いの未来は、しっかりと三成の眼を見据えていた。
沈黙が辺りを包んだ。
「石田様。それは、全く別の者と思われまする。そのような場に、この者らが居合わせるはずがございません!」
忠興は、慌てて否定をする。
私と未来は、三成の冷たい視線を絶えながら沈黙を護った。
「ふっ」
三成は沈黙を破り、予想外に微笑みを見せた。
「いやいや、疑っている訳ではない。ただ、あの一件については、合点が行かぬことがあってな、この三成が知らぬことがあるのではないかと疑問を持っておるのじゃ。それに、既に秀吉様から、明智の残党についてはお構い無しというお許しも出ておる」
「何か、気になることでも?」
「いや・・・・・」
三成は、そう言って再び視線を私と未来に向けた。
慎重・冷静・疑心・・・・・。
秀吉に見出され、出世街道を成り上がってきた石田三成は、現在の地位を築く為に大いなる努力を重ねてきたのだろう。
ゴトッ。
船が船着き場に着岸した。
私と未来は船の揺れが治まるのを待って、船を下りた。階段をトントンと駆け上がったが、忠興は着いてこない。
「忠興さ~ん!」
未来が声を掛けると、船から人影が現れた。
妙な不安が晴れて、私はホッとした。しかし、船から出てきたのは忠興では無かった。姿を見せたのは、先程の礼拝堂の対岸から石田三成と一緒に乗ってきた武士だった。
「あっ、あの・・・・・」
私は、遠慮気味に声を掛けようとして途中で止めた。
「忠興殿は内々の話の為、もうしばらく石田様とこの船で話をされる。話が終るまで、この船茶屋の二階で団子でもお出ししましょう」
「・・・・・」
私と未来は、顔を見合わせた。
「ご心配は御無用。ここの団子は格別ですし、何より二階からなら外の様子がゆるりと見えまするぞ」
男は微笑んだ。
男の名は、小西行長と言った。堺の商家の出身であるとも語った。
行長は団子を三皿運ばせ、団子が運ばれると人払いをした。他の者は警護は構わないので、一階団子でも食べて一息つくように労いの言葉を掛けた。
女中が団子とお茶を運んで部屋から出ると、行長は女中を追いかけるように障子を開けて、廊下に人がいないか確認をして再び席に戻った。
「さあ、どうぞ召し上がれ」
行長は、素直な笑顔で団子を薦めた。
「はい。有り難う御座います」
私は、何の迷いも無く素直に答えた。団子の串に手を掛けようとして、隣から視線を感じる。
未来が、ジーッと私を見ている。僅かだが、未来の視線が私と団子を往復した。
「あっ・・・・・」
私の口から声が洩れた。
テーブルの反対側で、行長が団子にかぶりつこうとして動きを止め、上目遣いで私と未来を見る。そして行長は、団子を食べずに串を皿に置いた。
「何かご心配ごとでも・・・・・?」
行長が微笑む。
「あ、いいえ、別に・・・・・」
私は右手を左右に振って、否定する。
未来は忠興さんと離されたことに、不安と不満を持っていた。
行長は、再び微笑んで串を取った。
「毒は入っておりませぬぞ」
そう言って笑うと、団子を二つ同時に食べた。それから、一度私と未来を交互に見てお茶をすすった。湯飲みを置いて、そのまま階下の町並みに視線を移した。
「大坂の街は、活気が御座りましょう」
「・・・・・」
無言の私と未来。
「ふぅ。やれやれ、警戒されてしまっては話もできませぬな・・・・・」
行長は呟いた。
「いいえ。そんなことは・・・・・」
私は、再び否定しようとしたが、行長には続きがあった。
「無理も御座らん。この世に生まれ、何を求め何を信ずればよいのか。親か子か、否それ以上に主となるのか。親は子に疑念を抱き、子は親の失脚を望み、兄弟で家督を争い、女子供は人質として他国に送られる理不尽な世。人は、それぞれの性格や生き方があり、その時々の立場によって、行動が変わる場合がある。人を信用することは誠に大切なことであるが、仕える価値があるかどうかは別問題だ。完璧な人があろうはずがない。完璧ではないからこそ人なのであるからな。しかし、万民の幸せに生きる権利は、平等でなければならないと思う」
「・・・・・」
無言の未来。
私は、行長の言葉の奥にある深みを探った。行長は外の人の流れを優しく見つめていた。
「間も無く、天下分け目の大戦になります」
行長は神妙な面持ちで言った。
行長は、徳川・豊臣の確執が決定的なものに成ったことを私達に説明をした。
「な、なぜ、そんな大切なことを、私達に?」
未来は疑いの眼差しで、行長を見る。私は未来の眼から視線を辿るように行長を見た。
「この街の人々は、何を信じて生きておるのでしょうな。そして、武士は何におびえて、刀を捨てることが出来ないのでしょう・・・・・」
「行長さん、あ、あなたは・・・・・」
私が口を開くと、行長はゆっくりと視線を戻した。良く見ると、行長の瞳は澄んでいた。行長はゆっくりと懐に手を入れ何かを取り出した。
「あっ」
未来が声を漏らす。
(やはり・・・・・)
私が思った通りであった。行長は、キリシタンだった。懐から取り出したのは、まさにロザリオであった。
「殺伐とした時代にも、やすらぎは必要・・・・・」
「そうですね」
私はやわらかく答えた。
「あなたも、キリスト教なのですか?」
未来の無駄な質問にも、行長はやさしく微笑み、そして頷いた。
小西行長は、高山右近と同じキリシタン大名であった。
秀吉に全てを没収されても、心はキリストあると唱えた高山右近。キリスト教を信仰しながら、なおも大名であり続ける小西行長。
行長は言った。
「己が信仰を貫くことは、何よりも大切なことではある。それゆえ、高山殿のご判断に対して意見を述べる立場ではない。しかし、一方で既に多くの家臣を抱えておる一指導者としての責任も忘れてはならない。皆が平等に幸せを得ることこそ、主のお導きであると私は思う」
私は、行長のこの言葉に人を敬う優しさを感じた。
行長は、私達が忠興の側にいることを快く思っていた。しかし、御家第一の考え方を持つ幽斎には気をつけるようにと助言をした。あの優しい笑顔の幽斎を疑うことなど思いもしなかったが、行長の言葉に素直に頷いた。
私は、私達を気遣ってくれる小西行長に何かしたかった。一方で、小西行長という人物を知らなかった自身を恥ずかしく思った。
私が、黙って俯いていると、未来がトントンと私の肩を叩いた。
私は振り向こうとしたが、未来は私の耳の側まで来ていた。
未来は私の耳元でこう言った。
「この、小西って言う人、関ヶ原の闘いで西側に付くんだよね。それも、石田三成のかなり近い人ってことは・・・・・」
「あっ!」
私は、驚きで声も出せず口と眼が開いた。
「如何なさいました?」
行長は、私の声に直ぐに反応した。
「あっ、いいえ・・・・・」
「何か、ご心配事がお有りですか?」
行長はとても静かに微笑んだ。
私は、その微笑みを無視することは出来なかった。
「行長さん」
「何でしょう?」
「この度の東西分かれての戦は、油断をしないでください」
「勿論」
「行長さんは、形勢不利を念頭に置いて慎重に参戦してくださいね。万が一のときは戦線離脱もお考えの内に入れておいて下さいね・・・・・」
私は、関ヶ原の結果を言いたかったが言葉を飲んだ。
行長は、私のその気持ちを察したようだった。
「肝に銘じておきます」
一言であったが、重い返事であった。
間も無くして、障子が開いた。
忠興と三成が部屋に入ってきたのだ。三成の表情は幾分柔らかかったが冷たく感じる。
「これは、お待たせを致しました」
その言葉は、事務的で単調であった。
三成の後ろに、忠興が立っていた。ゆっくりと頭を下げる。
「珠緒殿、未来殿。お待たせ致しました。行長殿、ご案内忝けのうございます」
と、忠興。その忠興に微笑む行長が、
「楽しい一時でしたな」
と、答える。
三成と忠興が着座した。上座に三成。窓際に私と未来。向かいに行長と忠興。
私の目に、些か緊張気味の忠興が見える。
三成の視線が私達に向く。
「さて、珠緒・・・殿でしたかの・・・・・」
「は、はい」
「そちらが、未来殿」
「はい」
私と未来が返事をする度、三成の視線が忠興を刺したような気がしたが、俯き加減で返事をしていたので、確認することは出来なかった。
「面白いものを、諸々とお持ちのようでござるな」
三成の言葉に、未来が忠興を見る。私が未来の袖を引く。
無言の忠興。
三成は扇子を取り出し、右手に持つと左手を軽く叩く。
「これは、失礼致しましたな。数日前、細川家一行に紛れて、面妖なものが大坂に入ると、国境の見張りの者より知らせが入りましてな。少々、お調べさせていただきました」
ここで、微笑む三成。
「忠興殿のお連れであれば、気に病む事も無かろうが、取り巻きがやかましゅうてな。ご理解戴けますかな」
「は、はい。お察しいたします」
私は、答えた。未来は少々不満そうにしていたが、忠興の立場も考えてか、大人しくしていた。
「ところで、先程の話じゃが・・・・・。差し支えなければ、私にも、いろいろと見せていただけぬか」
しつこい三成に、私と未来は顔を見合わせた。
「そうですねえ・・・・・」
未来は、溜め息交じりの言葉答えると、セカンドバックから百円ライターを取り出した。そして、勿論だか火をつけた。
「おお~っ」
身を引きながら驚く、光秀と行長。
「フッ!」(まだまだね)
未来は鼻で笑うと、何度も火を点けた。
次に未来は、携帯電話を出した。
「未来、携帯は中継局が無いから使えないよ」
私は、未来の腕を軽く叩いた。
未来は、私にウィンクして、
「大丈夫!」
と、自信満々に言った。
そして、折りたたんだ携帯電話を広げて、三成と行長の方に電話の背を向けた。二人は、
怪訝な顔で携帯電話を見る。
カシャッ!
未来が、スイッチを押すとシャッターの操作音がして、携帯電話に二人の顔がひょっとこのような表情で映っていた。
それを見て、二人の視線は互いの顔と画面を何往復もした。
「こ、これは・・・・・」
三成の反応は、予想以上に高かった。得意満面の未来だったが、私はこの時、忠興の険しい顔を見逃さなかった。
携帯電話を手にとって、あれこれ見ている三成を他所に、未来は再び自分のバッグを探っている。私は未来の袖を引っ張って、首を横に振った。
「えっ、なによ」
と、未来。私は視線で忠興の方を見るように誘う。忠興は深く首を振った。
「他には、何が御座る」
三成は、玩具屋に入った子供のように目を輝かせている。
「えーと、今日はここまでです。ここは二階と言っても人の目に付きます、続きは別の機会にしましょう」
未来は、微笑んで言った。
三成は、間髪入れず、
「では、続きは城内にて!」
と、大坂城に来るよう半ば当然のように言った。
「そ、それは・・・・・」
未来は言葉に詰まった。
「断ると申すのか?」
三成の表情が曇る。
「そういう訳じゃないですけど・・・・・」
返事に困る未来。
私も言葉が見付からなかった。豊臣の実権は三成が握っている。例え殺されても文句は言えない時代である事は、未来も十分承知している。
そこで、忠興が重たい口を開く。
「この者らは、城中の作法一切を知らぬ者で御座います。城中に招くなどと、お戯れは困りまする」
「戯れではない。物によっては想いも寄らぬ使い方もあるやも知れん!」
「み、三成様、気をお静め下さい」
行長が割って入る。
「なんじゃ行長。そちも三成に説教する気か?!」
「滅相もございません。ただ、物事には順序がございますればっ」
そう言って、行長は三成に近づきく。
「お耳をお貸し下さい」
行長は、ここで無理強いして、全てを台無しにするより、忠興を通して登城を促すよう進言した。三成はやや不満は残ったものの、行長の意見を飲むことにした。
三成は体向き変えた。
「まあよい。お双方、万一細川の屋敷が手薄なようなれば、城中に参られよ。いつでも、迎えのを行かせますゆえ」
「は、はぁ。あ、ありがとうございます」
私と未来は、社交事例の様な礼を言った。
三成は目を細くして、冷めた視線で私達を見たような気がした。そしてそのまま、首をユラリと傾け、行長に視線を向けた。
「三成様、そろそろ・・・・・」
「うむ」
と、頷いて席を立った。
三成が部屋を出ると、行長も後を追うように部屋を出た。行長は出掛けに、
「珠緒殿、未来殿。お会いできてよかった。御身を大切に」
そう言って微笑んだ。
部屋に残された、三人。外は相変わらず賑やかだった。
「申し訳御座らんが・・・・・」
忠興が口を開いた。
「は、はい」
「先に屋敷に戻ってくだされ」
「どういうことですか?」
未来が問う。
「私は、このまま登城せねばなりませぬ」
「何故ですか?」
詰め寄る、未来。
「未来、忠興さんを困らせないで」
私が未来を制した。
「でもっ!」
「緊急の事でしょう」
「申し訳ない・・・・・」
そして、忠興は部屋を出た。
間も無くして、二階の窓から、御茶屋から大阪城へ向う石田三成の一行が見えた。そこには、勿論忠興もいた。
私は、不安を抱きながら忠興の後ろ姿を見送った。その間に、未来は団子を5本食べて、
機嫌を直そうとしていた。
第六章 細川幽斎「家督」
その日の正午、私達は細川忠興に連れられ叡山を後にした。忠興は、倒れた秀吉に代わり、実権を握っている石田三成の動きが慌ただしくなっているのではないかと推察し、今日中に大坂に戻ることを決心したのだ。光秀は午後に比叡山を発つと言い、延暦寺の山門にて私達の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
時をさまよう私と未来。
近い未来や近い過去なら、再び巡り合うこともあるかもしれないが、世の中そう甘くはない。この世に運命が存在するというのなら、私達は忠興と運命の糸で繋がっているのかも知れない。
今は、忠興という運命を信じることが、私達が進むべき道であることを信じるしかなかった。
忠興の行列は足早に大坂に向った。私と未来は行列の最後尾をゆっくりと徐行しながら車を走らせた。
「なんか、よく解んないんだけど・・・・・」
未来はゆっくりとハンドルを操作しながら、アクビをして私をチラッと見る。
「珠緒・・・・・」
「なに?」
私は、顔を上げた。
「何やってのよ?」
「何って・・・・・、地図を見ていたの」
私は暇つぶしに道路マップを広げていた。
「地図って・・・・・。それロードマップじゃない」
「そうね、約四百年先ってことになるわね」
私は澄ました顔で、そう答えた。
「四百年先ね・・・・・」
途方も無い時間の流れを愁う、未来。そんな未来の気持ちをなどそっちのけで、わたしはロードマップに指を這わせていた。
「あっ!」
「何よ?」
未来は、私の声に驚いて、ブレーキを踏んだ。急ブレーキの音に前方の行列も泊まる。
「ほら、これ、ここ。ここがこの道じゃない?」
私は、ロードマップの中の旧街道が自分達が走っている道を見つけたのだ。未来は頭を抱えて首を振る。
「そんなもん見つけたって、意味無いじゃん」
「そ、そうだけど、ヒマなんだもん」
そう言って、私は白い歯を見せて笑った。
「どうかされましたか?」
忠興が助手席の窓から車内を覗き込んで言った。
「忠興さん。珠緒ったら役に立たない物見て遊んでんのよ」
「はあ?」
「役に立たないって・・・・・。それは酷いんじゃない?」
私はムクレた。
忠興は、私の膝の上のロードマップを見つけた。
「これが、事の発端ですかな?」
そう言って忠興は、ロードマップを手にとって見た。
しばらく、マップに見入る。
「こ、これはっ!」
「ど、どうかしましたか?」
ただならぬ忠興の反応に、私と未来は首を傾げた。
「これは、道は違えど地形は似ておりまする」
「そ、そりゃそうでしょ」
未来が溜め息交じりで答えた。
「未来殿、役に立たないと申されたな?」
「ええ」
気圧される未来。
「この地図を戴けぬか?」
たった一冊のロードマップに血相を変える忠興に、私と未来は顔を見合わせた。
「ど、どうする、珠緒?」
「どうって、このロードマップは未来のだし・・・・・」
「このまま元の世界に戻ることが出来なければ紙屑同然だし、まあ、高価な物でもないし、元の世界にに戻れたら、また買えばいいかっ」
未来は忠興に笑顔で答えた。
「おおっ、忝けない」
ロードマップを受け取る、忠興。食い入るようにマップを覗くが、等高線や幹線道路の距離表示がメートル法であったりして、いささか勝手が違う。
「忠興様、お駕籠へお戻り下さりませ。急ぎませぬと大坂への到着が遅れまするぞ」
家臣の一人が、寄ってくる。
忠興が、駕籠から降りて列が停滞したままになっている。
「もうしばらく待て」
忠興は、ロードマップに夢中で駕籠に戻ろうとしない。
「しかし、このままでは・・・・・」
困り果てる、家臣。
私と未来は、顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「今夜、宿場でマップ・・・・・。地図の見方をお教えしますから、一先ず駕籠にお戻り下さい」
私はそう言って、苦笑した。
「う、うーん」
と、忠興は唸る。
忠興は、私と駕籠を交互に見て、微笑んだ。
「この車に珠緒殿未来殿と一緒に乗る!」
「やっぱり・・・・・」
私は、そう呟いて苦笑した。
「そ、そんな、ご無体な・・・・・」
と、頭を抱える家臣。しかし、立ち直りは早い。
「忠興様の御駕籠を空にして運ぶなどできませぬ」
「それでは、御主が駕籠に乗ればよい」
「そういうことではございませぬ」
「何が言いたい」
「この乗り物は、列の最後尾で護衛が出来ませぬ・・・・・」
しばらくして・・・・・。
未来の車は、忠興の隊列の中心に移動した。
勿論、車中の忠興を護衛する為にである。但し、空の駕籠は、最後尾でなく、車の後ろを付いてきていた。
未来は運転。私と忠興は、ロードマップを広げて、後部座席に並んで座っていた。
私は、地図の見方を先に説明した。
まず、除外するべき部分として、高速道路・直線中心の幹線道路。これは都市計画法にもとづく区画整理事業が制定されてからのことである。逆に細く長く続くはっきりとした道には、その横に旧街道の名前が表示されている。この旧街道こそが、この時代の幹線道路になるはずである。次に市街地部分は平地や盆地になっていることが多い為、規模の大小の違いがあっても極端な地形の変更は無かった。
但し、少々ややこしいのが、戦後になって急激に開発された部分があった。あちらこちらに山を大きく削り取った部分であった。そう、ニュータウンと呼ばれる場所である。山には等高線があるが、ニュータウンの開発規模が大きいほど、等高線がハッキリしないのである。私はロードマップに三色のマジックを使って、街道をなぞりニュータウンに×印をつけたりしながら、忠興に丁寧に教えた。
「これが、こうなって・・・・・」
「ほう。」
「これと、これと・・・・・。こういうのがニュータウンだから、バツ!」
「それでは、これも、にゅうたうんですかな?」
と、地図を指す忠興。
「そうそう、さっすが忠興さん、飲み込み早い!」
「いや、それほどでも・・・・・」
「だって、ロードマップを見たの初めてなのに、凄すぎ!」
私と忠興は、ロードマップ一冊で盛り上がった。
「ちょっと、お二人さん。仲がいいのは結構なんですけど、もチョット遠慮してくれませんかね~~」
未来がルームミラーを通して、冷やかす。
「な、なに言ってんのよ」
私は、後部座席から運転席の未来の方を叩いた。
一瞬、未来のハンドルが揺らぐ。
「も、もう、何すんのよ!」
「未来が変なこと言うからでしょ!」
「私は別に構わないけど、廻りがね・・・・・」
未来のその言葉に、周囲を見回す、私と忠興。
私も忠興も、同行する数人の人々と目が合い、その人々は、目が合うと同時に視線をそらした。
私は急に恥ずかしくなって、顔を赤らめ俯いた。
忠興は、「誤解を解く」と、言ってドアに手を掛けた。
「駄目よ!」
未来が声を掛けたが、ドアのロックが外れる。未来の声に顔を上げる私。未来は忠興に気を取られ、再び車が蛇行する。
ドアが一旦大きく開いて、未来がハンドルを切ると同時にドアが閉まった。そして、その勢いで、バランス崩した忠興が私に抱き着く形になる。そこで、未来がブレーキを踏み込んで車を停めた。
車の蛇行に、周囲が益々視線が集まる。
振り返る未来。抱き着いたままの私と忠興。
「何やっての?」
冷めた表情で、言葉を吐く未来であった。今度は忠興が慌てた。
急いで私から離れると、
「皆、怪しからん!」
と、言って再びドアに手を掛けようとした。
「待って」
そう言って未来は、忠興の横のパワーウィンドウを掛けた。
忠興は上から下へ、視線を運ぶ。
「忝けない」
赤面の忠興。
それから忠興は、窓から首を出す。
「やましいことはない。列を乱すな」
と、少々バツが悪そうに言った。
後ろから黙って運転している未来であるが、肩だ笑っていた。
ー 大坂 ー
現在の大阪府にあたる。
豊臣秀吉の居城、大坂城は長年人々に親しまれている。
大坂城下は、商業都市として栄えた代表的な町並みをしていた。通常、城下町は隣国から攻め込まれた場合を考慮して、入り組んで通り抜け出来ないようになっている。しかし、秀吉は、経済の活性化を優先させる為、曲がりくねった通りを整理し、人々が往来しやすいように町並みを変えた。これが、日本で初めての「区画整理事業」といわれている。
そしてその後も街は変わる。水の都と言われる大坂は、船を使って商品を運ぶことで、大量の取り引きがなされている。特に現在の繁華街である大阪市中央区の南部(旧南区)には、平野の豪商、安井道頓がその私財を出し治水工事を行い運河を作ったため、商取引が一層盛んになり現在の街が出来た。人々は道頓の功績を称え、その堀を「道頓堀」名づけている。まさに、大坂商人の街でなく、商人の為の大坂の街なのであろう。
細川忠興の屋敷は、大坂城の南西、道頓堀の北東、「玉造」にあった。そう丁度、大坂の象徴の中間地点である。
細川邸に着いたのは、夜もとっぷりと暮れた頃であった。
比叡山から大坂までは、馬の早駆けでも半日を要する。整備されていない道路に、多勢の移動となれば時間が掛かる。街灯が無いこの時代、比叡山からの出発が午後となれば、道中必ず陣を張る。
しかし、細川忠興一行は大坂城下の細川邸に無事に到着した。未来の車のヘッドライトが大いに役に立った。遠方を照らし出す明るさに増して、闇に輝くライトそのものが夜盗から一行を護った。
「珠緒殿、未来殿、お疲れでございましたでしょう。ここを我が家と思って何なりとお申しつけ下さい」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
わたしは、微笑んだ。
「これこれ、運転していたのは、私だってばっ!」
と、未来は足を投げ出した。
灯篭の影が揺らぐ。
「そ、そうでござった。未来殿、お世話になりました」
「いえいえ。こちらこそ、お世話になりっぱなしですからね」
「何よ、未来。角が立つわね」
私が見かねて、口を挟んだ。
「そんなんじゃないけど、チョット、妬けるじゃない」
その言葉に、私と忠興は真っ赤になった。
間も無く、部屋の外で物音がした。
「だれだ?」
外の気配に、忠興の表情が変わった。
「忠興様。ご隠居様が興しになられました」
「何。父が参られたと?」
「御意」
「解った、直ぐ行く」
忠興が答えると、外の家臣は姿を消した。
「忠興さん。藤孝さん・・・・・。じゃ無かった、幽斎さんがいらしゃるのなら、私達もご挨拶を」
そう私が言うと、忠興は微笑んで答える。
「ご配慮、恐れ入りますが、本日はお休み下さい」
「なぜです?」
「今夜は遅い。父にお合いになれば、遅くなります。明日ゆっくりご挨拶頂けばよろしいではございませんか」
「そうだよ、珠緒。夜遅くなったら幽斎さんに悪いし・・・・・」
未来が私の肩を叩いて言った。
私は、しばらく考えた。
「幽斎さんに失礼でなければ・・・・・」
「父には、私から話しておきましょう」
「忠興さんが、そうおっしゃるのなら・・・・・」
私は、軽く二三度首を縦に振った。
「では、お双方、本日はお疲れでございましょう。ゆっくりお休みなされ。明日は、城下などご案内致そう。どこかご希望はございますかな?」
忠興は、私を見て未来を見た。
未来はニッコリ笑った。
「もちろん、おいしい食べ物。大阪といえば、なんたって食いだおれよね!」
「食い・・・だおれ・・・?」
どうやら忠興にとっては、初めて聞くフレーズらしい。
「ははは、未来ったら下品ね。つまり、名物ですよ。名物」
「何よ、珠緒ってば上品ぶっちゃって!」
むくれる、未来。忠興は微笑む。
「大坂は天下の台所。おいしいものはたくさん御座いまする。取って置きの料理をご案内いたしましょう」
「ヤッター!」
未来はガッツポーズまで見せて喜んだ。
忠興は、再び私を見た。
「珠緒殿は如何かな?」
「は、はい。私は別に・・・・・。あっ・・・・・」
「何か?」
「ええ、その・・・・・」
「遠慮無く申されよ」
忠興はやさしく言った。
「何よ、珠緒」
と、未来。
私は、しばらく考えて口を開いた。
「礼拝堂へ・・・・・。礼拝堂がございましたら、ご案内頂きたいのですが・・・・・」
「教会のことですか?」
「そ、そうです。いけませんか?」
比叡山で高山右近や事実上のキリスト教への弾圧は知っていた。しかし、忠興の返事は柔らかいものだった。
「よろしいでしょう。但し、条件が御座います」
「条件?」
「はい、私にとて立場があります。あくまでも城下の見物ということでよろしいですかな?」
私は、礼拝さえできれば良いと思った。
「あ、ありがとうございます」
と、私は答えた。
「それでは、父が待っておりますので、これにて」
忠興は、私達に会釈をすると部屋を後にした。
「だめよ。忠興さんを困らせちゃ」
未来は、大人ぶった口調で言った。
「私は別に・・・・・」
「ウソ。解っていたくせに!」
「そ、それは・・・・・」
「まあ、いいじゃない。なんにせよ、教会に行けるのだから。但し、忠興さんに責任の及ぶような軽率な行動はしないでよ」
「わ、わかっているわよ」
「そんなら、いいのだけどね~」
未来は横目で私を見る。私は思わず眼をそらしてしまった。
一瞬の沈黙。
「ぷはぁ~っ!」
未来が大きな溜め息を吐いて、座敷の真ん中に大の字になって転がった。
「あ~疲れた!」
「も、もう、未来ったらだらしない!」
「だってホントに疲れているのよ。珠緒は運転免許を持ってないから分からないかも知れないけど、行列と一緒にチマチマ走っていたのよ。もうクタクタよ」
「クタクタって・・・・・。他に車も走ってないし、信号も無いし、ノンビリしていたじゃない」
私がそう言うと、未来は人差し指を立てて、メトロノームのように数回振った。
「チッチッチッチッ。そうじゃないんだよねぇ。例えばね、行楽シーズンなんかで渋滞したときなんか、結構ストレス溜まるのよ。そんでもって、忠興さんが車に乗ってからは、護衛の侍が張り付いて、危ないったらありゃしない」
「そ、そうなの・・・・・」
タラリと冷や汗の私。
どうやら私は、未来の不満の導火線に火をつけたらしい。
「ハンドルを握っているこっちの身になってよ。だいたい、珠緒も忠興さんも・・・・・」
「その件は、本当に悪かったって、ゴメン」
「まあ、いいけど、道だって舗装はしてないし、橋は狭いし、山のカーブは急だし・・・・・」
言葉では「疲れている」と言っていた割に、かなり元気そうな未来であったが、間も無く小言が寝言に変わった。
時間を越え、時代を越えて、不安な日々を送っていた。明日が不安だった。
私は、この時代で初めて「明日を迎える」という期待をもって床についた。
細川邸別室。
忠興は、父・幽斎と杯を躱していた。
「忠興。あの二人と再び出逢ったそうじゃな」
「はい、偶然でございますが・・・・・」
「邸内にあの鉄の車があったでな。すぐに解った。して彼女らは何処かな?」
幽斎は、猪口で口を潤した。
「お二人とも、父上にご挨拶したいと申されておりましたが、夜も深けてまいりましたので、お休み頂きました。明日朝一番でご挨拶に参られます」
「そうか。早々残念ではあるが、楽しみは明日に取っておくとしよう」
幽斎は猪口を下ろした。忠興が空になった幽斎の猪口の酒を濯ぐ。
「よい、手酌でいく」
幽斎はそう言って、膳の上に猪口を置く。忠興は軽く会釈をして、幽斎の猪口の脇に、徳利を下ろした。
そして、二人は同時に箸を持った。
幽斎は、深め器に透き通り上品に鎮座していた風呂吹き大根に手をつけた。幽斎は筑前煮の蓮根を摘まむとサクサクと軽い音を立てた。
「この年になると、固い物を食べるのが一苦労するわい」
幽斎は、自分の膳の筑前煮の中から人参を選んで食べた。
「何を申されます。一度合戦が起きれば、お知恵を拝借ねばなりませぬゆえ、お覚悟下さいませ」
忠興は、微笑んだ。
「おいおい、この老体に合戦に出向けと申すのか?」
「ご老体ですと?」
「そうじゃ、もう隠居の身じゃ」
「何を申されます。信長様暗殺の一件にて、御家を護る為に、家督をお譲り戴いただけでございます」
「ふぁふぁふぁふぁふぁ。そうであったかのぉ」
幽斎は、杯を口へ運ぶ。
「お惚けを・・・・・」
「毎日、茶や詠をやっておるとな、もう合戦の事など面倒でのぅ」
そう言って幽斎は、ニヤリと笑って見せた。
「父上・・・・・」
頭を抱える、忠興。幽斎は、風呂吹き大根を一切れ口の放うり込んだ。
大坂のど真ん中、静寂の大名屋敷。夜は益々深けていく。
「ところで、忠興」
「はい」
二人の表情が変わる。
「隠居隠居とも言っておられんようになって来たな」
「はい、土俵が整えば・・・・・」
「東と西、軍配はどちらにあがるかな?」
幽斎は眼を細めて忠興を見た。
「西がやや優勢かと思われまする」
「ややとは?」
幽斎は、忠興の分析力を図った。本当に細川家を託すべき器かどうか心配であった。
「西は土台が厚い。中核こそ小競り合いが御座いますが、地方の大名達は安定した日々に満足とはいかないまでも、戦をするほどの不満もござりますまい。ただ・・・・」
「ただ?」
「末永く安泰を願うなら、東に期待をするものも少なくはない。結論から言えば周囲の大名は、戦の相手次第でどちらにでも靡きます」
「うむ、忠興もそう読むか。完成した大関もやや衰えも見られる。相手は関脇だか成長株という所に魅力も感じるでな」
「できれば、土俵の外に居たいものです」
「そうも言うておられんだろう」
「父上はどちらに就くべきとお考えですか?」
「・・・・・。思案中じゃ」
「天皇家のご意向は、東側。そのために東と内通していたのでは御座いませぬか?」
忠興の答えに、幽斎はゆっくりと杯の酒を飲む。
一瞬の沈黙・・・・・。
「忠興よ」
「はい」
「大切なことは、この細川家を護ること。そして盛り立てていくことじゃ」
「は、はい」
幽斎の基本理念は細川家を護ること。すなわち、現時点で忠興が当主としての器が重要なのである。ことと次第によっては、細川親子が東西に分かれて戦うことも考えていた。
史実に、西暦一六〇〇年真田家は兄弟で参戦。東西に分かれた為、弟・幸村は討死にしたものの、兄・昌幸は生き残り真田の血は絶えなかった。
幽斎は天下分け目の戦を予見していた。
その幽斎の眼が般若のような厳しい眼になった。
「忠興よ。大切なのは、徳川でも豊臣でもない。全ては、細川家の為になるかどうか。この世は生き残ることが全て。天下を手中に納めたとて、瞬きのことき時を制したにすぎぬ。勝こととはすなわち生き残ること。ただ、それだけを考えよ。それだけをな・・・・・」
翌日。
私達は、幽斎に挨拶をした。幽斎は京へ向うことになっていたため、ゆっくり話も出来なかった。
幽斎の眼は、いつものように優しく慈悲深く見えた。