第6章 徳川家康と天海「結束
寺の中はさほど広くはなかった。小高い山の中腹にあって、本堂が山の中腹を背にして建っていた。新緑が生い茂り、爽やかな風を感じさせる。本堂までの石畳の脇に灯篭が二つ。右手に手洗い場が見える。その向うに、本堂から渡り廊下で繋がっている宿坊があった。
「静かでござるな」
光秀は一歩前に出て、辺りを見回した。
ジャリジャリ・・・・・。
宿坊の方から歩み寄る人影があった。
私の目にも、武士である事はすぐに解った。
「あの人は・・・・・」
容姿端麗。精悍な顔立ちは、青年あどけないなさが消え、立派な武将になっていた。
「忠興さん。忠興さんでしょ!」
そう声を掛けて私は、二三歩前に出たが無言の忠興に、その足が止まった。
私は、忠興の顔を見て安堵した。しかし、忠興の表情は硬かった。寧ろ険しいと表現した方が正しかったのかもしれない。
忠興は、私の目の前に来ると、両手で私の方をガッシリと掴んだ。
「痛ッ!」
私の表情は一瞬歪む。
「一体、今までどこに居られたのですか?!」
忠興の言葉は心配しているような感じだが、口調はきつかった。責められているのか、叱られているのか全く理解できなかった。
「えっ。あ、えーその・・・・・」
どこをどう説明したらいいのか解らない。
「お答え下され!」
忠興は、再び私の肩を揺すった。
「ちょ、ちょっと、忠興さん・・・・・」
首がグラグラで、頭がクラクラになる私。
そこで光秀が見かねて、一歩前で出た。
「忠興殿、落ち着かれよ」
そう言って、光秀は忠興の右腕を掴んで制した。忠興は、残った左腕で自分の腕を掴んでいる光秀の腕を掴む。
そして忠興は、光秀を険しい表情で見た。
「貴殿は、明智光秀殿に間違い御座らぬか?」
その言葉に、私は不安を感じた。
「何を申される、忠興殿。私に変わったところがござろうか。変わったのは忠興殿ござろう。この数日前の忠興殿とは別人のように感じますぞ」
「数日前ですと?」
忠興は、一瞬目を細めて首を傾げた。
「珠緒殿、未来殿が同席された茶会の席の・・・・・」
光秀は、そう言いかけて止まった。何かイヤな気配を感じ取ったらしい。
一拍おいて忠興が重々しく口を開いた。
「もう2年以上も前の話ではござらぬか。」
「2年ですとっ!」
光秀は強い口調で叫んだ。そして少し考えて私を見た。
「未来殿・・・・・」
「はい」
「これが、時を越える・・・・・と、いうことでござるな?」
わたしは、ゆっくり頷いた。
光秀は、今まさに、時間を超えた事を理解し実感したのだった。
「そうだっ!」
光秀は大切な事を思い出した。勿論、織田信長と本能寺における謀反の結果である。
「忠興殿。本能寺での謀反の一件はどうなったのでござる?!」
強い口調で、忠興に問う光秀。
「なんですと?」
忠興は、光秀の質問が「意外」と言いたげに驚いた。
「信長様は、ご無事か?!」
詰め寄る光秀に、一歩下がる忠興。
「光秀殿・・・・・」
忠興の瞳は迷いに満ちていた。
「私が何をしたと言うのだ?!」
「本能寺に火を放ち、滞在しておられる信長様の寝込みを襲い殺害されたのでは・・・・・?」
「な、なんと。今、何と申された!」
「本能寺にて信長様を殺害され、謀反の罪で豊臣家家臣、黒田官兵衛の隊にに成敗されたはずでござる・・・・・」
忠興の言葉。最後は詰まりがちだった。
「よ、よりによって、よりによって、信長様への謀反の汚名を背負わされているとは・・・・・」
光秀は、拳を握りながら腕を震わせている。
「忠興殿、世の情勢は如何なっておりまするか?」
光秀は、言葉は冷静を装っているものの、目は怒りで血走っていた。
「光秀殿・・・・・」
「忠興殿、情勢はっ?」
詰め寄る光秀に、忠興の次の言葉は冷たいものだった。
「既に、豊臣秀吉殿が諸国を平定し、関白になられておられる。今、明智殿が真実を述べられたとしても、権力によって握り潰すはたやすいこと」
「・・・・・」
賢明な光秀は、忠興の言葉を十分理解していた。
「光秀さ・・・・・」
私が声を掛けようとした時、光秀の怒りが爆発した。
「官兵衛ェェェェェ!」
光秀は、官兵衛の名を唸るように吐くと、反転して私達背を向けた。そして、数歩前に進み、素早く太刀を引き抜くと、目の前の木を一刀のもとに切り捨てた。
立ち尽くす光秀。振り下ろした太刀の切っ先は、いつまでも怒りに震えていた。
「加勢を戴けませぬのか?」
広縁から静かな庭園の見える和室で、光秀は腰を下ろすなり、忠興に向ってそう言った。
私と未来は、光秀と忠興を交互にみる。
忠興はゆっくりと目を閉じて首を横に振る。そして、
「お気持ちには添えず、申し訳御座らぬ」
と、言って庭に視線をやった。
「情勢が、あまりにも安定化しすぎております。もはやこの世は、豊臣の世でござる」
「どうしても加勢は出来ぬと申されるのか?」
「はい。今、再び戦乱の世になれば、細川家だけでなく、周辺の方々や何の罪も無い民にまで多大な被害が及びまする。そして、それは我が父がお許しになりませぬ」
忠興の言葉は、事務的にも聞こえた。
この時代、武士は「勝利を治める」「生き残る」の二つしか選択が無い。細川家は、武家のでありながら、公家との深い繋がりを持っていた。忠興の父、細川藤孝は天皇家との交友も深かった為、「生き残る」ことで時代を乗り切っている。
「御家が第一」
これが、忠興の父、藤孝の口癖であった。
そして、これこそが細川家が後世まで生き残る、最大要因なのであろう。
「致しかたあるまい・・・・」
光秀は、一先ず忠興の気持ちを受け入れる事にした。話を変えて、少しずつ忠興の気持ちをほぐす事にした。
「ところで忠興殿。藤孝殿はご健在か?」
光秀は、緊張した表情から一変して、笑顔を見せた。
わたしと未来は、忠興の顔を覗いた。
表情が硬い・・・・・。
「忠興さん♪」
未来が微笑んで見せた。
「あっ、これは失礼・・・・・」
「どうしたんです?」
と、私。
「まさか、藤孝殿の身に・・・・・!」
一瞬、光秀の表情が変わった。
「いいえ、父は健在です。今や名を改め幽斎と名乗っております」
「そうでござったか」
「どうやら、皆様方は事情をよくご存じないようですな。長くなりますが事情を説明しましょう。明智殿には不本意な部分がありますが、最後までお聞き下さい」
「うむ。お願い申す」
忠興の言葉に、光秀は神妙な面持ちで頷く。
そして、私と未来も無言で頷いた。
「本能寺の事件。あれが発端でござった・・・・・」
忠興は重々しい口調で話始めた。
燃え盛る炎。
本能寺は、信長の無念の思いを炎に変えて、荒れ狂うような炎を放ち続け暗天を焼いた。一夜明けると、寺は跡形も無く炭となっていた。信長の野望も、光秀の思いも全てが炭になっていた。
この時代の消防設備は稚拙であった。火事は、街そのものをかき消してしまうほど恐れられていた。それゆえに、放火は死罪とされてた。さらに、寺とは今の市役所や区役所といった役割も果たしている。過去帳などが保管されている。言わば、戸籍が登録されているようなものである。
その場所から出火すれば、そもそも周囲の注目を集めるものである。
「信長暗殺」の一大事は国中に知れ渡る事になるのは必至であった。各地方に征伐に出ていた武将達が仇討ちの為に京に戻るはずであった。
しかし、実際に動いたのは羽柴秀吉軍だけだった。
「我が細川家にも、本能寺にて信長様没すという知らせが入ったが、既に事件から三日も後のこと。その時点で明智殿からの書状もなく、事の次第をどう判断するかでもめていた矢先、秀吉軍入京目前の知らせが入ってきました」
地方に出ていた織田の各軍は、強豪相手に苦戦を強いられていた。どの軍も京に戻れない。
明智軍と羽柴軍の一騎打ち。細川家内は二分していた。
旧友であり細川と同じように天皇家に近い明智に加勢するか、あくまでも反逆者としての明智光秀に仇討ちの名目で、織田軍にて参戦するか・・・・・。
まさに細川家として、家運をかけての分岐点に立たされていた。
「あの時、父、藤孝も苦悩をしておりました。どちらに荷担しても大きな賭けになるのは必至。しかし、明智殿からの援軍要請はあったものの、明智殿居場所の確認が取れぬ有様、一方、羽柴殿からは援軍要請はありませんでした。羽柴殿からの書状には、明智殿を攻めるは信長様への忠義であると記されており、仇討ちと称されてござった。加勢は自由、但し邪魔伊達は無用とまで記述してある。父の判断は早ようございました」
細川藤孝は、隠居して名を幽斎と改めた。一旦、織田家、明智家との縁に区切りをつける為に忠興に家督を譲ったのである。そして、どちらにも加勢せず、戦況を冷静に見つめていた。まさに、「御家第一」に基づく細川家存続を重視した最善の策であったと言える。幽斎は動かぬことで、細川家としての勝利を治めようとしたのである。
勝負は一方的な展開で羽柴軍に軍配が上がった。
この結果、幽斎の判断が正しかったことが証明される。
「羽柴殿はご自分の名義にて、礼状を出されました。信長様の仇討ちを冷静に見届け戴いた礼状です」
「あ、仇討ち・・・・・」
光秀の言葉は震えていた。
「仇討ちだなんて、酷い!」
未来が、叫んだ。私も黙っていられない。
「忠興さん、仇討ちの資格があるのは、光秀さんよ。信長さんに直接手を掛けたのは、黒田官兵衛さんなんだから!」
「そう、その場には、光秀さんは勿論、わたしと珠緒も居たのよ!」
未来の表情はかなり険しかった。
忠興は少し考えて口を開く。
「わたしとて、皆様の話を信じたい。しかし今となってはどうにもなりませぬ」
「忠興さん、そこを何とか・・・・・・」
「珠緒殿!」
私の言葉を、光秀が制した。
「もうよいのだ」
「でも、それでは光秀さんは濡れ衣を被ったままになります」
私は、光秀の置かれている状況が納得出来なかった。
「かたじけない。珠緒殿のお気持ちだけで十分でござる」
「でも・・・・・」
「待たれよ。まずは情報収集が肝要。名だたる武将が控える織田に於いて、なぜゆえ頂点に上られたのか?」
光秀は、冷静に言った。
忠興は、深々と頷く。
「されば・・・・・」
本能寺の変、山崎の合戦が行われ、事実上は秀吉が仇討ちを果たした。
地方に散っていた、武将が戻ってくるまでに、礼状を出し、天皇家をはじめ公家衆を抱え込み、近隣の豪商をその懐に治めていた。
そして、織田軍が結集したとき、羽柴秀吉は織田信長の三男、信雄の補佐役として現れたのだ。
仇討ちを果たした功労、信雄の補佐役として秀吉の発言力は威力を増していく。それによって、勇猛果敢な織田軍の猛将、柴田勝家との確執が増していくのだった。
勝家にすれば、秀吉は子分のような存在であった。お調子者の成り上がり者、信長の太鼓持ちのような存在である。事実、秀吉が、木下藤吉郎から改名をしたとき、丹羽長秀の「羽」と柴田勝家の「柴」を一字ずつ貰って「羽柴」としたのである。それがいつのまにか、織田を束ねるほどの発言力を有し、自分に意見までする。勝家の怒りが頂点に達したとき、ついに勝家が牙を剥き出しにしたのだ。
しかし、秀吉軍の強さは圧倒的なものであった。戦と呼べないほど一方的な展開になってしまったのである。勝家は散った。秀吉に諂うことなく、最後まで「猛将、柴田勝家」として、その生涯を終えた。これを期に、秀吉は権力の頂点へと一気に駆け上がった。
権力の頂点へと達した秀吉は、名誉を欲した。源氏の家系でない秀吉は、将軍としての称号は与えられることはなかった。
「関白太政大臣」
これが、秀吉にとっての最高位の称号となり、名実共に「天下人」となったのだ。そして、羽柴秀吉から豊臣秀吉と改名した。
秀吉が「白」と言えば、黒いものでも白になる。
どのような、名門の武将であろうと秀吉の前では頭を垂れる。光秀が挙兵したとしても、かかる情勢を覆すことは、「不可能」と言えるほど難しいものであったのだ。
「そういえば黒田官兵衛は、どうしているんですか?」
未来が言った。
「黒田殿は、秀吉様が天下を治められた後、九州に渡られました」
「九州?」( なぜ、わざわざ)
と、私は思った。
「官兵衛らしい・・・・・」
光秀はポツリと言う。
「なぜです?」
「九州、特に豊前一帯は平野が多く暖かいため、作物が豊富に獲れる。地理的には、大坂より離れていて、秀吉との間に確執が出来たとしても関門海峡で迎え撃つことになる。関門海峡は潮の流れが早いからな。資産作り資金作りに適していて、大きな目で見て護りやすい。そういう場所として、配置に付いて進言したに違いない」
「光秀殿。光秀殿らしいご考察でございますな。しかし、天下を手中に治めるなら、まず京に登るべきではござらぬか?」
「確かに。黒田殿なら秀吉様の一番身近な存在・・・・・」
「光秀殿、それ以上は!」
忠興は、光秀の話の腰を折った。
「光秀殿、どこで誰が聞いているやも知れませぬ。滅多な事は・・・・・」
「そうであったな」
もはや失うものの無い光秀と、護るべきものの多い忠興。
反逆者として追われる光秀と、秀吉と皇族の架け橋の忠興。
全く立場が違う二人であった。
「では、言い方を変えよう。信長様のように、尾張から京に上り、各地に勢力を伸ばすことは、各地方に手を伸ばす為に非常に大きな力が必要になる。されど、秀吉様の御威光で九州一帯を治めてしまえば、後は東へ向うだけになる。極端に申せば一方向にのみ勢力を濯げる訳だ」
光秀は、静かに言った。
「では、天下太平の世にはまだ時間がかかると?」
「おそらく・・・・・」
忠興の問いに、光秀は明確に答えなかった。
ふと見ると、 私の横で未来が、何やら落ち付きが無い。
「そ・ん・な・こ・と・よ・りっ・・・・・!」
未来の声に、光秀と忠興が振り向く。
「そんなことより、これからどうするんですか?!」
未来は、そう言って畳を叩くと光秀に詰め寄った。
「あ、あっ、それもそうですな・・・・・」
光秀は未来に気圧されて言葉に詰まった。
「ちょ、ちょっと未来・・・・・」
「珠緒は、黙ってて!」
と、退きそうに無い未来。
「いいですか。光秀さんも忠興さんも、これからの事に付いて、ちょっとは話し合ってもいいんじゃないですか?」
未来がそう言うと、光秀と忠興は顔を合せた。そして、私を見る。
「あっ、いいえ、その・・・・・。すみません、光秀さんと私達にとって、情勢分析が大切なのは十分承知しているんですけど、私達も不安なんです」
「これはすまぬ。忠興殿、本能寺の一件で、現場に居合わせた珠緒殿と未来殿に、嫌疑はかかっておりまするのか?」
光秀は、私と未来を気遣って話題を変えた。
「それは、大丈夫です。一時は、光秀殿とお二人が出会って間も無く、信長様に対する謀反となった為、よからぬ噂も出ました」
「その、よからぬ噂ってなんですか?」
私は、臆すことなくストレートに聞いた。
「珠緒殿はキリシタンでございましたな?」
「はい」
私は胸元から、クロスを出して見せた。
「うむ、間違い無い」
「忠興殿、玉緒殿とキリシタンに何か関係でも・・・・・?」
光秀が言った。
「光秀殿は、高山右近殿をご存知でしかたな?」
「勿論。何というか、一本芯の通った、なかなか立派な武将でござる」
「珠緒殿、未来殿はご存知か?」
と、忠興は私達に問う。
「さ、さあ・・・・・?」
と、未来。忠興の質問の意味すら解っていない。
「珠緒殿は?」
「はい、いわゆるキリシタン大名ですね」
私は、目を細めて真顔で答えた。すると、忠興も反応した。
「どういう訳か、珠緒殿は高山殿のことを詳しくご存知のようですな」
「詳しく知っている訳ではありません。大まかな話は聞いた事があるだけです」
「どんなこと?」
未来は不思議そうな顔で私を見る。
私は、光秀、忠興、未来を順番に見た。
「簡単に言うと、豊臣秀吉が高山右近に、キリスト教を止めなければ領地を没収すると冗談交じりで言った事に対して、高山右近は真顔で返事をした。領地をお召し上げ下さいと・・・・・」
「なんと?!」
光秀は、驚いて忠興を見た。
忠興は、頷く。
「高山殿は、秀吉様よりもキリストを選ばれたと言う事。秀吉様は戯れ言も通じぬほど、キリストを崇拝しておられる高山殿に激怒され領地お召し上げとなった。言うまでもなく、それから間もなくして、キリスト教徒に対する制限が厳しくなっていった・・・・・」
「それと、信長様に対する謀反の嫌疑とどう重なるのでござるのか?」
「キリストとは、君主に刃を向けさせるほどの強い影響力がある。そう思われたのだ」
「そんなぁ!」
私は否定した。
そこで、スッと光秀が私を制した。
「待ちなされ。・・・・・ということは、信長様の謀反の件は秀吉殿は知らぬという事になる。やはりあの一件、官兵衛の企てだったのか・・・・・。それとも、一部始終を知っていてキリスト教を抑える口実を作り上げたか・・・・・」
光秀は、腕組みをした。
「ちょっとっ・・・・・」
未来がコメカミの辺りを抑えて、何やら言い出した。
「結局、光秀さんも珠緒も追われる立場ってこと?」
「未来、人ごとみたいに言わないでよ。この期に及んでは、未来と私は同じ立場なんだから」
「それもそっかっ!」
と、未来は舌をペロっと出しで、自分で自分の頭を軽く小突いた。
「もうっ!」
と、むくれる、私。
「ふっ」
私と未来のやり取りを見て、光秀の顔が柔らかくなった。
光秀は、忠興を見ると真顔になった。
「忠興殿。戦に身を投じる者として、毒を盛られようが謀略に嵌められようが、所詮は敵を倒し倒されるが手段の一つ。このまま、朽ち果てる気は毛頭ござらんが、珠緒殿と未来殿は言わば私の客人。巻き添えにする訳には行きませぬ。どうか、お二人を預かっては下さらぬか?」
光秀は、忠興に対して深々と頭を下げた。
「光秀さん・・・・・」
私は、胸の奥が痛くなった。
「み、光秀殿。頭を上げられよ。この忠興こそ、光秀殿の無念の思いに添えぬ臆病者でござる。しかし、今のお言葉、喜んでお引き受け致しまする。この上は、いかなる理由があろうと、お二人を護ります」
「忠興殿、忝けない・・・・・」
追いつめられた光秀。しかし、第一に私達のことを考えてくれる大きな優しさを目の当たりにした。
私と未来は細川家に身を寄せることになる。
しかし、光秀はこれからどうするのか、今度はそれが問題だった。
「そろそろ、よろしいかな」
その声は、襖を隔てた隣室から聞こえてきた。
スーッ。
静かに襖が開いた。
「お久しゅうござる。光秀殿」
「い、家康殿!」
やや肉付きの良い頬、小柄でぽってりとした体つきの家康は、外見に例えればタヌキのようでもあった。身体は小さいが、秀吉の五大老の一角を担う男としては、十分に威厳を保っていた。その家康が目の前にいる。
光秀は、太刀を掴むと半身で構えをとる。家康が一歩でも室内に踏み込んでくれば、鋭い白刃がその身を割く警告であった。
「忠興殿?!」
光秀の視線は、家康を捕らえたままで忠興に真意を問う。
私と未来にも緊張が走る。
空気は凍り付いた。
しかし、次の瞬間、家康は微笑んで、すぐに口を真一文字につぐんで、頭を垂れた。
「光秀殿。今、行動を起こすのは容易い。そこを辛抱して下さらぬか。そして、この家康と天下を目指して頂きたい」
「な、なにを・・・・」
爽やかな風が流れ、やさしい木漏れ日と小鳥のささやきに包まれた、心落ち着く山寺。
秀吉が作ってきた歴史がどのようなものであろうとも、私達の時間は、あの本能寺でおきた忌まわしい出来事から、まだ半日程しか経過していなかった。
秀吉の重鎮の一人、徳川家康が突然現れ、光秀は勿論、私と未来は身動きが取れないほど驚いた。身体が竦むとはこのことである。
しかし、私達の驚きとは裏腹に、光秀は、細川忠興から情勢を聞き、徳川家康に仲間としての誘いを受けた。
「いかがでござろう」
落ち着きのある庭園を一人占めできる開放的な離れに場所を移し、着座と同時に家康は、ゆっくりと言った。私と未来は広縁に腰掛けている。家康から、席を外してくれるよう要望があったが、光秀がこれを断ったのだ。お茶に饅頭が出されているものの、命の懸かった話し合いに、緊張の糸は張り詰めたままだった。
「光秀殿。まずは肩の力を抜かれ話を聞いては下さりたい」
忠興が光秀を落ち着かせる。。
障子を大きく開け、やや見下ろすような景観は美しさと静けさを感じさせる。光秀は、忠興の言葉に頷くと腰を下ろした。
「光秀殿、この家康、光秀殿を必要としております。この申し出で快くお受け下され」
家康の目は、嘘を語っていなかった。
「家康殿、それは信長様謀反の件を全て承知の上で申されておられるのか?」
「勿論」
「そ、それでは、仇討ちに加勢していただけるのか?!」
光秀の声のトーンが変わった。
無言の家康。忠興もまた、無言であった。
「家康殿、そう理解してよろしいのですな!」
再び光秀は、家康に問う。
家康は首を振った。
「それは出来ませぬ」
意外!家康の返事は光秀にとって意外な返事であった。
「なぜだ、力を合せて天下をとるということは、信長様の仇を討つ事で御座ろう」
「光秀殿こそ、なぜ仇討ちに拘る」
「武士として、主君の仇を討ち、汚名を晴らすことに異議を申されるのか?」
光秀は、家康に詰め寄る。
「あえて申そう。仇討ちなど無駄でござる」
家康は、言い切った。光秀の表情が険しくなる。私と未来は思わず、家康に目が行った。
「何を・・・・・!」
「光秀殿!」
忠興が口を挟んだ。忠興は急須を持って湯飲みに濯いだ。
「この湯飲みは、徳川殿でござる。同じ量を豊臣という猪口に濯げば当然溢れる。光秀殿もこの湯飲み。お二人が手を組めば湯飲み二杯分になる。そして所詮、猪口は猪口。湯飲みは猪口の容量など気にしてはおりませぬ」
「忠興殿の言い方は、遠回しすぎますな」
笑う、家康。
「いいですかな。天下を望むは同じであろうとも、信長という一人物の仇討ちを天下平定という大望と同等とされるなということじゃ」
「では、お二方は、この光秀に何を望まれます?」
光秀のこの質問に、家康はニヤッと笑った。
「光秀殿には、しばらく安全な場所で時を待っていただく」
「安全な場所?」
光秀は、そう言って忠興を見た。忠興はコクリと頷く。
謀反者の光秀に行き場など無いはずであった。
「この寺に止まってもらいまする」
家康は、タタミを軽く叩いてそう言った。
「この寺が特別安全な場所なのでござるのか?」
「勿論」
と、自身たっぷりの家康。
「光秀殿はここが何処だかご存知ではなかったのですか?」
忠興が低い声で言った。
私は縁側に座ったまま、身体を捻って三人を見ていた。未来は身体は既に広縁から和室内に進入していた。
未来の動きに一旦視線を向ける、忠興。
「珠緒殿、未来殿には馴染みが無いでしょうが、光秀殿はご存知の場所よくご存知の場所でござる」
「ここは、一体・・・・・」
未来が呟く。
そして、忠興は言った。
「ここは、延暦寺・・・・・、比叡山延暦寺」
「なん、なんだと!」
驚きを隠せない、光秀であった。勿論、それは私も同じこと。唯一、歴史に疎い未来だけが状況を把握していなかった。
比叡山延暦寺。
それは、織田信長との因縁の地であった。信長政権の政に対して楯突く僧兵たちに激怒した信長が比叡山一帯を焼き討ちしたのであった。
巷では、光秀が信長を討ち、その光秀を秀吉が討った。
「英雄」という言葉がある。「英雄」とは全ての人にとって、その対象となる人物が存在するのだろうか?
そうではない。歴史上、豊臣秀吉は出世の象徴のように伝えられ、主君の仇を討った「英雄」であるはあるが、信長に苦渋を飲まされた者にとって、光秀こそが「英雄」である。その光秀が「謀反者」の扱いを受け非業の死を遂げたとあっては、豊臣によって再び信長の所業が肯定された事になる。
比叡山の僧達にとって、秀吉にこそ恨みはないがやり切れぬ思いはあった。
ガラガラガラッ。
雨戸を引く鈍い音とともに、障子の色が真っ白に輝いて、私は目覚めた。
天井を見上げたまま、4、5回瞬きをして、左を見る。未来はまだ夢の中だった。私は、未来を起こそうとはしなかった。目覚めたものの身体は重たかった。緊張の連続が筋肉に負担を与えていたのだろう。
しばらくして、寺の若い僧が朝食の支度が出来たと知らせにきた。未来の寝顔を見て丁寧に断った。きっと未来は、私が朝食を断った事に不満を述べるであろうが、精進料理が口に合うようなタイプではない。ちょっとした食べ物なら、車に積んであるので、断ることをさほど気に留めなかった。
布団から出て、五十センチばかり障子を開けた。
「いい天気!」
自然の事を、素直に感じられる。私の中に少し余裕が戻ったような気がした。
私は、未来を起こさないように広縁に出た。庭園を望む回廊を光秀の部屋へ向った。光秀の部屋の前に着くと、二度声を掛けて障子を開けた。
光秀の姿は既に無かった。思い返してみれば、朝食の時間であった。私は、光秀がどこか別の部屋で朝食を摂っているのだろうと思い部屋を出た。
「どこに行けばいいのかナ?」
私はキョロキョロと辺りを見回し、人を探しながら再び回廊を進んだ。
しばらく行くと、一人の僧が竹帚で落ち葉を集めていた。
丸めた頭が鈍く光っている。
「すみませーん!」
私は、足を止めて僧に声を掛けた。
僧は振り向いて、脇に竹帚を挟んで合掌をしてお辞儀をした。私は修行僧に安易に声を掛けた事に恥ずかしくなり、合掌してお辞儀をした。
私がお辞儀をした瞬間、僧が小さく笑う声が聞こえる。
私は不審に思い、顔を上げると、僧は軽く口に手を当てて、確かに笑っている。私はいささかムッとしたが、お世話になっている身として、そこは感情を抑えた。
「あの・・・・・。光秀さんは何処においででしょうか?」
私の問いに、再び僧は笑う。
「な、なにがおかしいんですすか?」
私は少しだけ声のトーンを上げた。
「こ、これは失礼。明智光秀という人物はこの寺には居られませぬ」
僧がまっすぐに自分の方を向いて初めて気がついた。
「光秀さん!」
「おはようございます、珠緒殿」
「ど・・・。ど、ど、ど、ど、ど、ど、どうしたんですか、その頭?!」
私の声は、裏返りそうになっていた。
「どうでござろう」
そう言って光秀は、照れながら坊主頭を撫でている。
「どうって、そもそも何で剃髪しちゃったんですか?」
光秀はゆっくりと私の側まで歩いてくる。
「珠緒殿。まあ、かけられよ」
光秀が広縁に腰掛ける。私もその場に腰を落とした。
「珠緒殿。ご覧なされ、美しい庭とは思われませぬか?」
「はい、まるで大きな絵の様で、心が和みます」
「そうですね。戦で明け暮れる俗世が嘘のようです」
「いつまでも、こうして眺めていられたら・・・・・」
私の言葉に、光秀が微笑んだ。
「ここから?」
「ええ」
「ずっと?」
「え、ええ・・・・・」
私は、そう答えながら、庭園から光秀に視線を移した。
「珠緒殿」
「はい」
「なぜ、この庭は美しいのでしょう?」
「えっ?」
「なぜ、美しくあり続けているのだと思われまするか?」
「剪定したり、掃除するからでしょう?」
私は、質問の意図が読み取れず、普通に返事をした。
「その通り。日頃から美しくしておけば、掃除もしやすい」
「はっ、はぁ・・・・・」
私は首を傾げた。微笑む、光秀。
「庭を眺めるにはこの場所が一番ふさわしい。しかし、この美しさを保つ為には、ここから下りて庭の中に入らなければならない。庭の中に入ってこそ、剪定、草引き、落葉広いいができる」
「・・・・・」
「私は、庭も国も同じではないかと思う。この場所から眺めるだけの君主はいらない。庭に入れる者こそ君主にふさわしい。そうでなければ、国という名の庭は美しさを保つことはできない」
光秀は目を細めて言った。
「光秀さんは、どうされるのですか?」
私は、静かな声で、光秀の顔を覗き込むように言った。
光秀は、空を仰いだ。
「私が望むもの。それは、人々の平穏な生活でござる。戦で荒れる田畑、炎に沈む街、いつも皺寄せは弱い者にくる。そんな時代に終止符が打てる人が現れれば、惜しみない助力をしたい」
「光秀さんらしい・・・・・」
「明智光秀・・・・・。この名は、捨てる。これより先は、南光坊慈眼として生きる。時代を見据え、何をすべきかをじっくりと見よう」
「慈眼和尚・・・・・」
「私は、この国に光りが射す為に全ての力を尽くしたい」
光秀は心が透き通るような声で静かに言って立ち上がった。
「さあて、掃除の続きでも致しますかな」
光秀は、そう言って私に笑顔を見せた。
「お手伝いしますっ!」
私は、輝く道を信じて進もうとする光秀に、満面の笑みで答えた。
光秀と私は庭の掃除を済ませ、屋敷の脇の納屋に道具を仕舞っていた。
「珠緒殿、ご苦労でござったな」
光秀は、優しく労いの言葉を掛けた。
「珠緒殿、珠緒殿!」
回廊を走る忠興が、私を見つけて駆け寄った。
忠興は私が立っていた縁の所までくると、
「いやぁ~、よかった。ずっと、光秀殿とご一緒でしたかぁ」
「は、はい・・・・・」
「忠興殿。そんなに慌てていかがいたした?」
光秀も怪訝な顔をしている。
忠興は、まず息を整えた。
「いや、もう、未来殿が、珠緒殿が居なくなったと慌てておられたので大騒ぎになってしまいまして・・・・・」
「ハア?」
全く、未来は慌て者である。
私と光秀は、目を合わせて微笑んだ。
「珠緒殿は、ここで掃除を手伝っておられた」
「掃除ですと?」
「さよう」
「もう、てっきり刺客に教われたのではないかと・・・・・」
「しかく・・・・・って何ですか?」
私の素朴な疑問である。
「刺客・・・・・。え~、闇に乗じて命を狙う影の者でござる」
「ああ、忍者のこと!」
「忍者・・・・・?」
忠興は首を傾げる。忍者という表現は明治に入ってからのことらしいことを、後に知った。
「殺し屋・・・・・。みたいな?」
と、私が問うと、光秀が薄笑いをした。
「そうですな。例えば・・・・・」
言葉半ばにして、光秀はゆっくりと身を屈め、ピンポン玉ほどの大きさの石を一つ拾った。立ち上がった光秀は、拾った石をお手玉のように軽く宙に浮かせる。
浮き上がった石を、目で追う私と光秀。
「あの・・・・・」
私がそう言いかけた途端、光秀は石を再び掌で包んだ。否、包んだ瞬間、光秀の腕は空を切るように弧を描く。
石は茂み消えた。
ガツッ!
「ウグッ!」
鈍い音に、鈍いうめき。
「さて、何の御用かな?!」
光秀は、茂みの中に厳しい視線を送る。
茂みの中から、男がよろめきながら出てきた。こげ茶色の装束は、木の幹のように見える。
「御免!」
光秀は、忠興の腰に手を伸ばすと、忠興の太刀を引きぬき、流れるような体裁きで男に向って駆け寄り刃を伸ばす。
チュイーン!
男も刀を抜いた。お互いに弾けて距離が開く。
「豊臣の手の者と推察するが、如何かな?」
光秀はそう言いながら、太刀を中段に構える。
「・・・・・」
男は返事をしなかった。
「返答無きは、肯定ととる!」
光秀がそう言うと、今度は男が光秀に切りかかった。
チュイン!
再び刃が接触して、双方動かずにらみ合いになった。
「御主。その命、誰の為に賭ける?」
光秀の目が奥で光る。
忠興と私は動かなかった。正確には、私は動けなかった。こんな山奥の静寂の中で、いきなり刃を交える光景を目の当たりにしたからである。昨日の農民達の竹槍以上の驚きであった。忠興と再会し、徳川家康との出逢いで、一応の安堵感からそうなっていたのかも知れない。
豊臣秀吉の時代は、まだ「戦乱の世」であることを、再認識させられたのであった。
光秀は、グイッと男に寄る。
「命を捨てるな。明日昇る旭の為に使わぬか?」
「何が言いたい!」
ここで男は口を開いた。
「ここで私を斬っても、逃げられぬぞ。ここは辛抱して捕らえられよ。悪いようにはせぬ」
「ふざけるな!」
男は、吐き捨てるように言った。
「無礼なるぞ。この方に嘘偽りがあろうものか!」
忠興が向きになって言う。
私は立ちすくんで組み合わせた手を強く握り締めていた。
「死に急ぐな!」
と、強い口調の光秀。
「問答無用!」
男はそう言って、光秀の刀を跳ね上げた。
しかし、動きは光秀の方が早かった。男が振り下ろした刀を、振り払うと、一瞬にして刀を握り替え、その背で男の肩口を叩く。
「うっ」
と、唸って男は倒れた。
「ふ~・・・・・」
光秀の吐息が洩れ、私も忠興も胸を撫で下ろした。
騒ぎを聞きつけ、奥から数人の僧が飛び出してきた。光秀は、僧達に事の次第を話すと僧達に、男の手当を頼んだ。
「少々、まずいことになったな・・・・・」
光秀は、そう呟きながら忠興の前に戻ると、刀を持ち替えて柄の方を忠興に差し出した。忠興は、刀を受け取ると静かに鞘へ納めた。
「こんなところまで手が伸びているとは・・・・・。意外でした」
忠興は、刀の位置を直して、そう言った。
「早いか、遅いかだけのこと」
「やはり、延暦寺では目に付きやすいのか・・・・・」
「いや、比叡山に於いては、どの宿坊に身を潜めたとしても同じことであろう」
光秀は、見つかることを承知していたと言わんばかりの口調であった。
「あの・・・・・」
私は、光秀・忠興の顔を見て声を掛けた。
「あの・・・・・。僭越ですけど・・・・・。もう、捕まえちゃったし、情報が洩れることは無いんじゃないですか?」
「そう思いたいが、密偵を放って戻ってこなければ、次の密偵が状況を把握しようとやって来る。捕らえようが、逃がそうが大差はない。一度ならまだしも、次送られた密偵が戻ってこなければ、この比叡山で豊臣方に知られたくない何かがあると悟られることになるだろ」
そう言って、光秀は広縁に腰掛けた。
「それじゃあ、どうするんですか?」
「逃げる」
光秀はあっさり言ってのけた。
「逃げるぅぅぅ?」
私はその言葉を聞いて、視線を忠興に移した。微笑む忠興。
「家康さんと忠興さんの後盾なら、逃げること無いじゃないですか?」
私は強く言った。
「家康殿より、石田三成の動きを聞き及んでおりまする」
「動きって・・・・?」
「私からご説明しよう」
忠興がそう言い、近くの枝を拾って地面に円を三つ描いた。その円はそれぞれが、少しずつ重なるように描かれていた。
「この重なった三つの円。一つが豊臣家で、実状は石田三成が握っている。次にこの円が徳川殿の円でござる。はっきりと徳川殿についている者もいれば、態度をはっきりせず中間に位置しているものもいる。残った円は地方の諸大名で、どちらにも付かず表面的な付合いと言えよう。そして全ての円の重なる中心が公家。己が安泰を第一に、時代の武将に身を寄せる」
「それで、忠興さんはどの位置なんです?」
私は率直に聞いた。
「うっ!」
忠興は一瞬言葉に詰まった。
「はははっ。珠緒殿、なかなか鋭い質問ですな。その辺りは、忠興殿より私がご説明した方がよかろう」
と、光秀。
「珠緒殿。忠興殿は、この中心でござる」
そう言って、光秀は三つの円が重なる部分を指した。
「公家?」
私は、光秀を見て、直ぐに忠興に視線を送った。無表情の忠興。そして再び光秀を見る。
「珠緒殿。細川家は武家でありながら、代々天皇家公家と深い関係にある。いずれ、天皇家公家と徳川家を繋ぐ役割を担われる」
「そ、そうなんですか?」
私は、あらためて忠興を見た。
「まあ、そういう訳で、その日が来るまで、私は身を隠しまする」
「どこへ、行かれるんですか?」
「この比叡山の姉妹寺で慈眼寺という所に身を置きます」
「それで、本当に大丈夫なんですか?」
「ご心配めさるな。先程も申しました明智光秀は死にました。これからは、天に登りても地に下りず、海に下りても地に上がらず・・・・・。珠緒殿、南光坊慈眼と言う名を聞いたならば、身近に感じて下され」
そう言って光秀は、いつもと変わらぬ笑顔を見せた。