第3章 織田信長「謀反」
その日の夕刻、細川親子は屋敷を後にした。
私達は、この時代で二日目の夜を迎えた。前日と変わらぬ静かな夜、月明かりが美しく妖しく輝く夜だった。
夕飯は光秀と一緒にとり、しばらくして寝床についた。
「珠緒。やっと二人になったわね」
「うん・・・・・」
「どうだった?」
「うん・・・・・」
「うんって、どうだったのよ」
「うん・・・・・」
「た・ま・お!」
未来は声を上げた。
「あっ、ゴメン。何だったっけ?」
わたしは、昼間の忠興との会話、そしてその時に考えていた今後の行動の事で考えを巡らせていた。
「何だっけじゃないでしょ。折角、忠興さんとのツーショットをセッティングしてあげたのに、収穫無かったの?」
「収穫って・・・・・」
「どうなのよ?」
「その・・・・・。忠興さんの所に来ないかって言われたわ」
「やったじゃん!」
もう、未来はノリノリモードに入っていた。
「未来」
「何?」
「未来の意見を聞かせて欲しいの」
「そりゃもちろん、忠興さんに向ってGOGOよ。私に任せといて!」
未来はすっかり、愛のキューピッド気分である。
「違う違う、もっと真面目な話」
「何よぅ~」
未来は、つまらなそうに答えた。
「未来、私達はこの時代に飛ばされて来た。その事実を認識して、これからどうするかを決めたいの」
「どういうこと?」
「歴史には、私達がこの時代にいたという事実は存在しない。私達がこの時代の歴史を変えた場合どうなると思う?」
「変える?珠緒、歴史を変えるって、武将でもなく武器もない私達に、どうやって歴史を変えるのよ」
「いくら戦国時代と言っても、全てが武力によって決まるわけではないでしょ」
「う、うん・・・・・」
「例えば、本能寺の変。光秀さんが信長さんを奇襲しないようにすれば、歴史は変わるでしょう。私達が本能寺の変を阻止すれば、歴史に歪みが生じて、そのショックで戻れるかも知れないでしょ」
「なるほど、そういう考え方もあるわね。もう一つ手があるわよ」
「何?」
「珠緒が忠興さんと結婚するとか」
「バ、バカね。なに言ってんのよ!」
私は、布団から起きて、未来の突拍子もない発言に慌てて否定した。
「戦国時代の武将と現代人が結婚するのよ。歴史を左右する出来事になるでしょ」
「自分達が助かりたい為に、人の心を利用したくは無いわ」
「それって、忠興さんを本気で好きなったってことよね」
と、未来の突っ込み。
「そ、そんなんじゃ・・・・・」
「ハァ、あんたって、ホント判りやすいわね」
「もう、いいってば。えとえと・・・・・。そうそう、これからの行動について相談していたんでしょ」
私は話を元に戻した。
「そうだったわね」
「それで、未来の考えはどうなの?」
「珠緒の考えに賛成よ。この時代に存在するからには、とことん介入して歴史を変えましょう。そのショックで元の時代に戻れるのなら結果オーライだしね」
「OK。これで基本方針は決まりね。さてと、まずは明日からをどうするかってことになるけど、未来に何か考えはある?」
「明日の事なら決まってるわよ」
と、あっさり答える、未来。
「決まってるって、どういうこと?」
「今日、珠緒が忠興さんと二人のとき、私は光秀さんと藤孝さんの碁の勝負で部屋にいたでしょ。その時の話で、光秀さんと一緒に明日京都に行くんだって」
「それって、OKしたわけ?」
「断る理由がないでしょ」
と、当然のように言う、未来。
「二人の行動を、勝手に決めないでよ」
私は、未来の安易判断を責めた。
「あのねぇ。珠緒だって今日の御茶会、勝手に決めて来たじゃないのよ」
「あっ・・・・・」
私は未来に返す言葉が無かった。
「ほぉら、珠緒だって人のこと言えないじゃ無い」
「それは、そうだけど・・・・・。未来には織田信長に逢う覚悟ができているのね」
「あっ・・・・・」
今度は、未来が言葉に詰まってしまった。
翌日、京へ向う軍列の中に異質な物体があった。それは勿論、未来の車である。
「もう随分、走ったと思うんだけど・・・・・。ファァァ」
走っているというより、徐行している。
「未来、未来!」
私は、助手席から未来を肘で突つく。
「なぁにぃぃぃー」
「その、アクビ。なんとかしなさいよ。列の前後の人がこっちを見てるわよ」
「だって、退屈なんだもん・・・・・」
「それは解るけど、子供じゃないんだから我慢しなさいよ」
「ハイハイ・・・・・。でもね、単調な運転ほど疲れるのよ」
そう言って愚痴をこぼす、未来。
「解った解った。夜になったら、足腰マッサージするから、今は勘弁してよ」
「おおっ、愛い奴じゃ。よろしく頼むぞ」
未来は機嫌を直した。
しばらくすると、にぎやかな町並みが見えて来た。呉服屋、米屋、居酒屋とそっくりそのまま時代劇のセットが目の前に並んでいるのである。
「うっはーっ。貴重な光景よねぇ」
未来はすっかり観光気分に浸っていた。
「未来・・・・・」
「ん?」
「周りをよく見てごらんよ。目一杯注目浴びているわよ」
「そりゃあ、なんたって自動車よ。この時代は、せいぜい、大八車でしょ」
「ま、まあね」
私は、自動車と大八車を比較しても仕方が無いと思ったが、未来が優越感に浸っているので放っておいた。
「しっかし、大八車みたいなもんじゃ、たいして物は運べないでしょうに。やっぱ私の勝ちね」
未来は何の勝負なのか、意味不明である。
「あのね、未来。この時代の搬送の大半は水路なのよ。各港に着いた荷物を小船に分けて川を登るのよ。日本の台所といわれる大阪が栄えたのは、運河がたくさんあったからなの」
「なんで大阪にだけ川が多いわけ?」
「正確には堀なの。物の流通をよくする為に、安井道頓という人が私財を投げ打って、水路を作ったらしい。それが道頓堀っていうのよ。それから、あちこちに水路が出来たそうよ」
「でも道路だって、結構広かったじゃない」
「本格的に道路整備を始めたのが織田信長らしい。徳川幕府になってから、東海道などがキッチリと整備されて宿場を設けたんで、いくら道が整備されているといったって、現時点では近畿の一部だけだと思うよ」
「馬や牛を使えば、陸路だって十分使えるんじゃないの」
「勿論、山間部への輸送に関しては陸路も大切なんだけど、物流に対する考え方も柔軟で、その当時、商売をする上で地方の商人は寺社に多額の税金を払っていたんだけど、これを廃止して自由な貿易が出来るようになったってわけ。だから逆に、地方から商売人がたくさん入り込んでくるよ」」
「それって、楽市楽座ってやつでしょ?」
「そうそう」
私と未来は、そんな会話をしながら道中の退屈を紛わせていた。
隊列は町外れに差し掛かり、大きな屋敷の塀に添った道でその足を停めた。
未来はブレーキを掛け、エンジンキーをオフにして、サイドブレーキを引いた。
「もう、クタクタ。早く足を伸ばしたーい!」
未来はそう言うと、首をグルッと廻した。
クタクタになって一息ついている未来をよそに、私は辺りを見回した。長い塀の先に門が見える。おそらく長い隊列の光秀が乗る大名駕籠の部分が門の前に来ているはずだ。
私は間近の兵士に声を掛ける事にした。
「ちょ、ちょっと、すみません」
私達の警護担当の武将が、振り向いた。
「何か御用で御座いますか?」
「ええ、ちょっと教えてほしいんですが、ここは一体・・・・・」
「お宿場で御座います」
「それでは、ここは信長さん所有の御屋敷ですか?」
「いいえ」
「こ、ここはお寺ですか?」
私は恐々聞いた。
「そうです。よく御解りになりましたね」
と、兵士は言った。
「も、もしかして・・・・・」
私は一瞬背中が凍り付いて、次の言葉が出なかった。未来は運転席で、うたた寝をしていた。
ー 念願寺 ー
寺の門には、そう書いてあった。
境内は広い庭になっており、さほど大きくない本殿が静かに建っていた。車は警護の侍の誘導により、本殿の右を周り社務所の裏手に駐車をする事になった。本殿脇の建物に入ると長い廊下を通って八帖の部屋に通された。
「あー疲れた!」
未来は畳の上に腰を下ろすなり、両足を投げ出して背伸びをしながら後ろにひっくり返った。
「未来ィ!」
「いいじゃない。旅館に着いたら、まずこうして到着したという充実感を味わうんじゃない」
「旅館って、ここはお寺でしょ」
私は突っ込みを入れた。
「珠緒はお寺に泊まったことないの?」
「お寺に泊まる?」
「そう!」
「そんな、年寄りみたいな事するわけないでしょ」
「年寄りだなんて、遅れているわよ。あっそうか、珠緒はキリスト教徒だから、自宅以外のお寺に泊まった事無いのよね」
「そうだけど、家の寺で旅館のように人を泊めた事なんてないもん」
私は反論した。
「そりゃそうでしょ。珠緒ん家は町の中にあるでしょ。そんなところじゃ、まず宿泊客なんて無いわよね」
「だから、何のこと?」
未来は、身体を起こした。
「宿坊っていってね、地方等の観光地なんかでは結構多いのよ。有名な場所だと、四国八十八ヶ所や高野山のお寺なんかは、民宿並みの値段で、個室に食事付きだよ」
「ホント?」
「ホントもホント。+αもある」
「何々?」
「お説教。これがまたいいのよ、何だか新鮮で・・・・・」
未来は得意気に、コクコクと首を縦に振って言った。
「あのねぇ、未来。我が五十嵐家ではお説教は日課なの、変な事で喜ばないでよね」
私は、肩を落としてそう言った。
「は、ははっ、ははっ、ははっ・・・・・」
と、冷や汗の未来。
「まあ、でも、お寺でそんなことやっているって、全然知らなかったわ」
「でしょでしょ。珠緒って歴史に詳しそうだから、そんなことは当然のように知っていると思っていたわ」
「知らなかったわよ。ところで、未来はそんなマイナーな情報をどこから仕入れてくるわけ?]
「何言ってのよ。こんなの旅行代理店に行けば、当然のようにツアーのパンフレットが置いてあるわよ」
「・・・・・」
私は、未来とのギャップに言葉が無かった。
「珠緒殿、未来殿」
廊下から光秀の声がした。
「お支度は出来ましたか?」
「支度?」
私と未来は同時に声を出して、顔を見合わせた。
光秀を先頭に、私と未来、そして側近の武士が一名、屋敷の裏手に扉があり、そこをくぐって隣の建物に向って歩いていた。
光秀が片方の武士に声を掛けた。
「利光。羽柴殿が参られているそうだが、お主、何の用向きか聞いておらぬのか?]
「はっ。何でも、秀吉殿が攻めておられる高松城攻略の件で、信長様のご意見を聞きに参られているとか」
利光と呼ばれた男は、歯切れの良い口調で返事をした。
光秀に利光と呼ばれたこの男こそ、後の三代将軍徳川家光の乳母の春日の局の父、斎藤利光であった。
「備中、高松の?」
光秀は聞き返した。
「はい・・・・・」
利光は、チラッと私達を見た。
「はははっ。利光、気にせずともよい。お二人の目を見よ、敵陣の忍には見えぬであろう。むしろ、娘のように感じているほどじゃ」
「はっ」
「それで、羽柴殿はどうなのじゃ」
「高松城を攻め倦んでいるようでございます」
「いくら難航しているとはいえ、互角以上の闘いをしておる戦場から、大将が一時的にせよ、離れる理由はあるまい」
光秀は、間接的に秀吉を責めるような言い方をした。
「光秀様。戦況はにらみ合いにて、実質はほとんど小競り合い程度のようでございます」
「いずれにせよ、そのような状態で戦場を離れるとは、ただ事では無さそうだな」
「おそらく、強行か、持久戦かという筋の話でしょう・・・・・」
利光は重苦しい声で言う。
「なるほど、一気に攻め込めぬこともないが、その際の犠牲は大きくなるな。羽柴殿が高松城を落とすことができれば、中国征伐の総大将は羽柴殿になるであろう。羽柴殿としても、兵の損失を最小限に収めたいところだな」
「はい。さらに高松城は中国征伐の拠点となりますれば、城そのものを無傷で手に入れたいところでございます。とにかく光秀様。羽柴殿には油断めさるな」
利光は、瞳をギラリと輝かせて言った。
私と未来は、光秀と利光の後を、黙ってついて歩いていた。
大きな無数の石畳の上を進むと、棟の角に大きく障子を開け放った部屋があった。
十二帖二間続きの部屋の奥の更に奥に八帖の部屋があった。その八帖の部屋の中央に着座している男こそ、織田信長その人であった。
キリリと上がった眉に、切れ長の目の奥に秘めた鋭い眼光が、一瞬にして私の脳裏に焼き付いた。
光秀は、庭先で片ひざをついて頭を下げた。
「信長様・・・・・」
「おおっ、光秀か。もったいぶりおって、待っておったぞ。堅苦しい挨拶は抜きじゃ、ホレ、早よう座敷に上がれ」
信長は、上機嫌で光秀に声を掛けた。
「はっはい。それでは、ご無礼致しまする・・・・・」
光秀は草履を脱ぐと、広縁から入って直ぐの十二帖の間に腰を下ろした。
「何をしておる、もそっと近こう寄らぬか」
信長は右手に持った二分開きの扇子を、クイクイと手前に誘うように動かした。
光秀は、中腰にすり足で、もう一つ前の部屋へと進んで、再び腰を下ろした。光秀が腰を下ろした中央の十二帖間の脇には、人懐こそうな顔を下小柄で痩せた武将が非常にリラックスした表情で座っていた。
(秀吉だ!)
私はすぐに気が付いた。
「光秀よ。早速だが知恵を貸してくれ」
「はっ、何でございますでしょう?」
「秀吉、礼のものを」
信長がそういうと、光秀の脇にいた秀吉が、半帖ほどの大きさの図面を広げた。
光秀は、その図面をサッと見た。
「これは?」
「高松城中心とした、地図で御座います」
秀吉が低い声で言った。
「光秀、秀吉が攻め倦んでいるそうじゃ。ちょいと、知恵を授けてくれぬか?」
信長は、扇子で地図上の高松城を指した。
「高松城攻略の期間は?」
「半月じゃ」
信長は光秀の質問に即答した。
「さてと・・・・・」
光秀は、黙ってと地図を見回した。
「光秀よ、高松城を無傷で手に入れたい」
信長は、扇子を指揮棒のように振って、光秀に言った。
「はい、今は梅雨でござります。周囲の山に関を設け、高松城を水瓶の中のに沈めます」
「なるほど。よい考えでございますな」
秀吉が相槌を打った。
「うむ・・・・・」
信長は地図を見ながら唸った。
「問題は、この谷に短期間に関を作る方法でございます。短期間に作業を終了しなければ、雨が降っても皿に水を注ぐようなもの。もたつけば、梅雨が終わってしまいます」
「時期的に田植えも済んでおりますゆえ、その辺の村から男手をかき集めましょう」
秀吉が、首をボリボリ掻きながら言った。
「できれば、手の空いているものは、女子供でも動員したいくらいじゃのぅ・・・・・」
信長は、そう言いながら答えが出なかった。
「・・・・・」
光秀は腕を組んで、考えを巡らせている。
「それでは、わたくしめが、村々から根刮ぎ人を集めまする」
秀吉は得意満面に言った。
「サルは黙っておれ!」
信長は、秀吉のオデコに、パシッと扇子を落とした。
「ははっ!」
秀吉は、正座にまま二歩下がって、頭を畳に押し付けた。
「サル。サルサル、サルサル、サルッ!」
「はっ、ははっ!」
「少しは成長せぬかぁぁぁ。現地で人を集めるといっても、敵陣じゃぞ。強制的に人を集めて上手く高松城を攻略しても、民衆の気持ちがこの信長に向かなければ、中国討伐中にも一揆や内乱の心配をせねばならんのだぞ」
「あっ、ではいかがすれば・・・・・」
「それを思案しておるのじゃ!」
信長は頭を抱えた。
信長はスクッと立ち上がって、扇子をバタバタ鳴らしながらと慌ただしく室内を歩き回った。
そして、
「よしっ、酒盛りじゃ。酒を持ていぃぃぃ!」
と、大声で言った。
私は、信長が真剣に進んでいた軍議を放ったらかして、酒を飲むような粗暴な人なのかなと思った。しかし、
「ここにいる者全てが、酒を一杯ずつ飲め。それで何でもいい、知恵を出せ。お前も、お前も、お前も、お前も・・・・・」
信長は、視界に入る全ての人に声を掛ける。
「お前も、お前も、お前も・・・・・?」
信長は広縁まで来て、庭に立っている私と未来を見つけて止まった。
「誰じゃ・・・・・?」
「あっ、どうも・・・・・」
と、会釈する未来。
「こ、こんにちわ」
わたしは軽く会釈をした。
信長は広縁で中腰になって、 右へ左へと首を傾げながら、私達を見た。
従事の者が信長の横に酒樽を置くと、信長は受け取った升で豪快に酒を掬ってわたしの前に差し出した。それは、前日の茶会で見せた光秀とは、全く別のものだった。
「飲むか?」
信長の一言に、私は苦笑いで首を振った。
これを見て、周りのもが青ざめたのは言うまでもない。脇に居た斎藤利光が、
「代わりに、わたくしが・・・・・」
と、手を出そうとしたが、信長はその場に胡座を組んで一気に飲み干した。
「ぷふぁ!」
信長は、大きく息を吐くと、酒で濡れた口の周りを自分の袖で拭った。
「何か良い知恵はないか?」
そう言いながら、信長は笑った。
その言葉に、秀吉が慌てた。
「の、信長様、そのような得体の知れぬ者に・・・・・」
「黙れっ!」
そう言って、信長は酒をもう一掬いすると、今度は軽く一口飲んだ。
「のう、どうじゃ、何か知恵はあるか?」
信長は、ゆっくりと私と未来を見た。
未来はちょっと下がる。この場面、私に一任って訳だ。私は覚悟を決めた。
「お金はありますか?」
わたしの、言葉にさらに辺りの空気は氷ついた。
「知恵を出す代わりに金をよこせと?」
「いいえ」
わたしは、平然と答えた。
「ならば、何に使う?」
「買うんです」
「買う?」
「はい、土を買います」
「なんだと・・・・・?」
信長は、残った酒を飲み干して升を置いた。
「詳しく申してみよ」
「例えば、そこに置かれた升一杯の土を、同じ量の米と交換します。それが、お金でもいい。対価になるものさえあれば、皆は頑張って運ぶでしょう。少量でも運べば米やお金になるのですから、手の空いているものでしたら、女も子供も土を運ぶと思います」
わたしは、当然のように言った。
勿論、わたしが知っている歴史上の事実。必ず成功する事実なのだ。
「この信長に、土を買えと・・・・・」
信長は、私の心を覗き込むかのように視線を合せた。
「面白い!」
そう言って、信長は小膝叩いて微笑んだ。
「地図っ!」
信長が叫ぶと、秀吉が転げ落ちるような勢いで、側に寄って来た。
「はっ、お呼びで御座いますか?」
「土を買え」
「領地を金で買うのでございますか?」
真面目な顔で答える秀吉に、コケる信長。信長は秀吉のオデコを扇子で叩いた。
そして、扇子で地図の書く個所を指しながら秀吉に指示を始めた。
「よく聞け秀吉。この谷とこの谷に関を設ける。それぞれの谷を埋める土は、この川の堤防部分から削り取れ」
「はい」
「その運搬の方法は、土一升につき米一升とせよ」
「土と米を交換するのでございますか?」
「そうじゃ、一升で駄目なら二升に、米で駄目なら金でもよい。それは、お前が現地にて決めるがよい。土さえ運べば老若男女の差別無しじゃ!」
「はい」
「よし、すぐに行け!」
「はい!」
秀吉は広縁を伝って去っていった。
立ち去る秀吉を追いかけて、庭園から去る人影があった。その男は、やや足が不自由だったのか、引きずるような歩き方が印象的だった。私は、なんとなくその男が気になった。男は、建物の陰に姿を消す前に振り向いて私達を見た。私を見たのか、信長を見たのか解らなかったが、まるで獲物を狙う狂犬のような眼差しが私の不安を掻き立てた。「心臓を噛み千切る手負いの狼」がそこにいた。
「プハァー!」
信長が再び酒を一気飲みをした。そこで私は我に帰った。
「 そなた達の御陰で、中国が手中に収められるぞ。まあ、上がれ」
信長は手招きをしながら、奥の高座へと移った。
私と未来はゆっくりと座敷に入った。
「何をしておる。早よう、こっちへ来ぬか」
私と未来は、信長、光秀のいる奥の間に入った。
「光秀よ」
「はい」
「嬉しい土産、礼を言うぞ!」
「もったいない」
光秀は一礼した。
「否、土産と無礼した、許してくれ」
「信長様、こちらが珠緒殿、お隣が未来殿と申されます」
荒々しい口調の信長とは正反対の光秀であった。
「なぁ、珠緒殿」
「はい」
「女だてらに軍略の何たるかを知っているようだが、何処で習得したのじゃ」
信長の瞳に「興味津々」と書いてあるようだった。
「軍略と言うほど大層なことは学んでいませんが、私の故郷では男も女も関係無しで
必要とすれば誰にでも学ぶ事が出来ます」
「な、なんだと?!」
信長は険しい顔をした。そして、
「近隣諸国にそのような、軍事国があったとは・・・・・」
光秀に視線を送りながら、私を見た。
「未来殿もそうか?」
「いいえ、私は興味ないですから」
「軍事国なんて、そんな。私達の故郷は平和な国ですよ」
「平和?」
信長は笑った。
「平和な国が、なぜ軍学を必要とする?」
「・・・・・」
「さあ、なぜ?!」
信長は厳しい目をした。
「自国が平和でも、近隣諸国から攻め込まれれば、平和は保てません。平和を護る為に戦略知るんも必要なのかもしれません」
わたしは、真顔で言った。
「フッ。詭弁だな」
「詭弁?」
「そうだ。平和を護る為というのは詭弁だ。平和を護る為に知識を習得し、平和を護る為に武器を持つ。そして、平和を護る為に隣国を治める」
「何が言いたいのですか?」
「所詮、人間は闘うもの。闘いが好きな生き物なのだ。剣を競い合い、地位や権力を競い合う。競い合う事とは闘う事であろう」
「それはいい意味で、切磋琢磨して互いに競い合い成長することでしょう」
「それが詭弁なのだ」
「それの何処が詭弁なのですか?」
静かな信長に対して、私は少々ムキになっていた。
「珠緒殿、信長様に対して口が過ぎますぞ!」
光秀が堪り兼ねて口を挟んだ。未来も横から私の袖を引っ張って止めに入った。
「よいよい」
信長は不機嫌どころか、むしろ上機嫌のような印象を受けた。
「珠緒殿、ならば聞こう。良い競いと悪い競いの境目は何処にある」
「それは・・・・・。人を傷付ける事です」
「傷つける・・・・・?」
「そうです。人を傷付けるような競い合いは何も生みません」
私は、キッパリと言った。
「わっはははっ!」
高笑いの信長。私は馬鹿にされたような気がして、明らさまにムッとした表情になった。
「いやいや、珠緒殿許されよ。この問答は難しいと思ってな」
「はい?」
「勉学が出来て政に長けていても、二人が同じ事に関われば確かに競い合いになる。負けた方はその地位に残れず、心が深く傷つく。場合によっては自ら命を絶つ場合もあるぞ」
「・・・・・」
「それに、珠緒殿は既にわしの戦に介入しておるではないか」
「そ、それは・・・・・」
私は返答に困って黙り込んでしまった。
「珠緒殿。この問答はここまでじゃ」
信長はそう言って光秀を見た。
「光秀」
「は、はい」
「女人でありながら、この信長に対しての堂々たる振る舞い。気に入ったぞ。しばらく、預かりたい」
「はっ?」
「安ずるでない。何も取って食いはせぬ。四方山話をしたいだけじゃ」
「ははっ!」
光秀は頭を下げた。