第六幕『迷走すると書いてメイと読む』
「礼二君ってさーあー」
急に迷に喫茶店に呼び出されていて、僕は焦っていた。
今、僕は由美子と出会うためのキャラクターを育てている真っ最中なのだ。レベリングで目が血走っているのだ。ネットゲームは戦争なのだ。遊びではないのだ。
しかし、友達の誘いを無下にして熱中するほどの根気は中身が三十路過ぎの僕にはない。
本音を言ってしまえば、息抜きが出来たと安堵している気持ちもあった。
「忍ちゃんと友樹ちゃんとどっちと付き合ってるの?」
「どっちとも付き合ってない」
即答だった。
「けど、忍ちゃんは礼二君に気があるみたいだし、友樹ちゃんは礼二君を家に泊めてたよね。礼ちゃんなんて呼んじゃって」
「誤解だ」
即答だった。
ウェイトレスが紅茶を二杯、ソーサーの上に乗せてテーブルに並べていった。
「じゃあ私が誘っても良いのかな?」
「ブルータス、お前もか」
僕はテーブルに突っ伏した。
人生に何度かモテ期があると言うが、今の僕はその真っ只中にいるのかもしれない。本体である三十路過ぎの僕ではなく、十年前の僕に来ているのが悲しいところだが。
「いや、私は礼二君が好きじゃないよ。そこは、自惚れないで欲しい」
「じゃあ、なんでお誘いをかけようと?」
多少自惚れていたか。そう思い、僕は顔を上げる。
「デートごっこ、してみたいと思って。大学生にもなったのに恋人もいないのも寂しいなあって」
「デートごっこ、ねえ」
紅茶を一口飲む。まだ、飲むには熱い温度だった。
「楽しいじゃない。その日一日だけ、私達は恋人。私と礼二君は、その日一日だけの恋人」
「まあ相手が俺みたいな低スペック底辺野郎で良ければお相手しますが」
「そういう自虐は好きじゃないなあ。改めて欲しいな」
「……恋人ごっこってもう始まってる?」
「ううん。花火の日があるんだ。その日にしようって」
「じゃ、思う存分自虐する。俺のような対人恐怖症の人間は部屋に篭ってネトゲやってるのがお似合いなんだ」
「重症だねえ……なんかノイローゼ?」
「夢の中にまでMobが出てくるんだ」
そう言って、僕は頭を抱えた。
「モブ?」
Mob。簡潔に言えばゲームのモンスターのことだった。
「まあすまん、つまらん話だった……で、相手を考え直す気は起きたか?」
「ううん、君だから良いんだよ。私の人生の節目に、君が良いと思った。だから、選んだんだ」
「なんか、大仰だな」
そう言われると、照れてしまう。
「それに、君だったら後腐れなさそうだしね。後で面倒くさくならなそう」
中身三十路過ぎで枯れてますからね。
「それじゃ、デートは三日後の花火大会。待ち合わせは……」
予定を聞いて、それを携帯電話にメモしていく。
そして、二人は別れた。
「当日が楽しみだね!」
去る時の迷は、まるで写真に残しておきたいと思わせるような、満面の笑顔だった。
「さて……またダンジョンに篭もるか」
僕は歴戦の勇士のようにニヒルに微笑んでそう言うと、会計をした。
「あの、もう一人のお客様の分の代金が足りませんけど」
歴戦の勇士は少し報告連絡相談の面で欠けているようだった。
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「ごめん、わざとじゃないんだよ!」
「わざとだ」
「デートごっこの当日ならやるかもしれないけれど、今日はやらないよ! 友達だもん!」
「ほー、お前は恋人を財布にするのか。良いことを知った」
「うわあん、そんなつもりじゃないよー。私は自立した女になるの」
「大丈夫ですか、自立してても足元泥沼じゃないですか」
「酷いこと言うなあ」
「迷走すると書いてメイと読むのがお前だからな。名前の通りの性格だよ」
紅茶代をおごらされたあてつけを、僕は電話でしている最中だった。
「迷うことは、悪いことじゃないんだよ」
急に、迷の声のトーンが静かなものになった。
「何度迷っても良い、その中から最善の選択肢を選んでいけば良いんだよ」
「……そうだな」
その一言は、僕の心に響いた。ただ、余計な一言を口にするのは僕の性分だ。
「虎に食われるかライオンに食われるか迷っているうちに崖っぷちまで追い詰められるんだな」
「返しがサイテーだよ礼二君!」
「まあ、存分に料金代は当てつけたし切るわ。けど、お前当日誘われたりするんじゃないの?」
「全部断るよ」
明るい笑顔が見えるような口調で迷は言った。
(……なんか、満更でもないな)
そう思って、僕は電柱に頭を軽く打ち付けた。
僕の目的は由美子だ。それ以外に意識を向けることなんてない。僕は浮気な男ではない。父とは違うのだ。
「礼二君もきちんと断ってよね? 忍ちゃんや友樹ちゃんは絶対に誘ってくると思うから」
「わかったよ」
「理由は?」
「親戚の都合で行けない」
「よろしい。それじゃ、電話、切るね。バイバイ、またね」
そう言って、迷は電話を切った。
改めて確認する。僕の中身は三十路過ぎの枯れた独身男性である。
けれども、迷のことを可愛いなと思い始めている僕もいるのだった。
(なんて単純……! 男なんてこんなものなのか……!)
いやいや、お前がチョロいだけだよ。心の中の悪魔がそう囁いた。
結局、案の定と言うか、忍と友樹から誘いの電話はあった。
「えー、行けない? マジかよぉ。お前のキーボードと俺のギターで路上ライブと洒落込もうと思ったのによお」
「詳しくないけどそう言うの、許可取らないと捕まるんじゃないか?」
「マジか? 騒音が煩いとかでか?」
「多分……」
「そっかー。そっかー。残念だなあ。親戚の付き合いとなればしゃーねえな」
胸が少し傷んだが、断ることには成功した。
粘ったのは忍だ。
「行けない? なんで?」
「親戚の用事があって」
「良いじゃん、親戚の用事なんて。独立した今まで親戚に左右されることなんかないよ。それより四人で青春の思い出をぱーっと作ろうよ」
忍は両親と不仲だ。だから、親戚づきあいも嫌っているのだろう。
「今回はどうしても、なんだ。悪いな」
「迷ちゃんも同じ断り方してるんだよねー」
図星を突かれて、僕は一瞬黙り込む。
「おかしくない?」
「偶然の一致だ。夏休みだからな。俺達みたいな親からの送金に甘んじている未熟者は実家からの誘いを無下にはできんのだ」
「そっかー……私より実家を取るんだ?」
(何故そうなる!)
思わず、叫ぶのを堪えた。
「どっちも大事だよ。ただ、今回は動かせない用事ってだけなんだ」
「……仕方ないなあ。友樹でも誘うよ」
「おう。楽しんで来いよ」
(なんかおかしいな)
そう思う。
(これじゃあまるで面倒臭い彼女を抱えた彼氏みたいじゃないか? 俺)
そう考えると、少し薄ら寒い気持ちになった。
母親も、精神を病むほど恋の気持ちが強い人だった。愛情ではない。恋だ。それを思うと、薄ら寒い気持ちになるのだった。
(すまん、成仏してくれ! 祟らないでくれ!)
僕はそう必死に心の中で忍に懇願した。
僕の中での忍の扱いはもう大概に酷かった。
未来の成功者への嫉妬がそうさせるのかもしれない。そう思うと、僕も存外ちっぽけな男だった。
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当日の朝、迷からメールが来ていた。
『おはよう! 今日は元気な礼二君かな?』
ガラケーをちまちまと操作して返事する。
『いつも元気だビールが美味い。礼二君です』
即座に返事が来た。
『ちょっ礼二君飲んでるの? 夕方からお出かけなんだよ?』
『こりゃ無理だな。アルコールが回りきっている。寝るわ。後は任せたzzz』
『ちょっとー。怒るよー? なんでデート前日に飲むのさあ』
しばらく、放置してみる。
そろそろ返事するかと待ちわびた頃に、追い打ちのメールが来た。
『わかった。今から家行くね! 介抱したげる!』
『それは体裁が悪いのでやめてください』
『あー、すぐに返事来た。返事できるんじゃん! なんだよ寝たふりしてー!』
『悪かった悪かった』
じゃれあうのがなんだか面白い。
夕方になると、僕と迷はデパートの前で待ち合わせた。
「忍ちゃんと友樹ちゃんに見つからないかドキドキだね~」
そう言って、迷は微笑む。
「ああ、特に忍に見つかるとやばいな。萎えてくれるなら良いが刺されるのは困る」
「忍ちゃんをなんだと思ってるの礼二君……」
雑談を交えながら、店の中へ入って行く。浴衣を買うためだ。
「浴衣の着付けやったことないから、店の人にやってもらわなくっちゃだなあ」
「大丈夫だ。今はマジックテープ式のものがある」
「へえー。礼二君浴衣着た経験あるの?」
「未来に……いや、以前にな」
そう言って、少しだけ赤面する。
由美子との初デートの時、彼女の浴衣を買いに来たのだ。それを思い出したのだった。
「へー。案外明るい高校生活送ってたんだね」
「送ってたと思うか……? 俺が……?」
迷はしばし考え込んだ後、深々と頭を下げた。
「すいませんでした」
「いや、そこまで冷静に判断されるとへこむからやめてくれ」
「そうだね」
そう言って、迷は俯きがちに頭を上げる。
「礼二君二重人格だもんね。苦労してるよね……」
何やら誤解されているようだが放置しておいた。
通り過ぎたカップルが、手を繋いで歩いていた。それに、熱視線を向ける迷。言い出すことは、読めた気がした。
「ね、手繋ごうよ」
「言うと思った」
僕は頭を片手で抑える。
「良いじゃない。今日は私達は恋人。手を繋ぐぐらいのラブラブカップルなんだから」
「……そうだな。今日ぐらいは良いか」
不思議な少女だった。人の心の隙間に水のように入り込んでくる。
それは生まれ持った彼女の才なのだろう。それが、眩しかった。
手と手が繋がれる。温もりが、伝わってくる。
なんだか、照れ臭かった。
「その世界で得た温もり。それを、お前は現実に帰る度に失うのだ」
謎の声が、脳裏に蘇る。
「結婚した。今、子供が二人目」
未来の迷の声が、その次に再生される。
僕は、しばし呆然として立ち止まっていた。
「どうしたの? 礼二君」
「いや。ちょっと悪い夢を見ただけだ」
これ自体が、悪い夢なのかもしれない。そう思った。
浴衣のコーナーにはそれ以外にも色々な物が飾られていた。甚兵衛、団扇、巾着、扇子。
迷は巾着と浴衣を買ってご満悦だった。
早速、試着する。
「どうかな……?」
僕は微笑んで言った。
「馬子にも衣装って感じだな」
僕の中で迷はからかう対象になりつつあった。
「ひっどーい。ここは綺麗だなって言うとこでしょ? 信じらんない!」
「お前が言ったんだろ。後腐れなさそうで一番良いって」
「頑張って選んだのになあ……」
「綺麗だよ」
僕は、思わず本音を言っていた。
他の誰かに渡すのが惜しいと思うぐらいに。
真剣な視線に射抜かれたように、迷は俯いた。
「不意打ちはずるいと思うな。お世辞言っちゃって」
「本音だよ」
「うーそーだー。さ、礼二君も浴衣選んで」
「俺も選ぶのかあ……」
「そうだよ。私は紺のにした。その方が、男の人もお揃いに出来るもんね」
「赤いのを選ぶか」
「なんでそう天邪鬼かなあ……あのね、今日は」
「恋人、だろ? わかってるよ」
そう言って、僕は紺の浴衣を選んで買うと、試着室で着替えた。
着替えの服は迷の家に置いて、屋台の並ぶ道の中に身を投じて行く。
「賑やかだねー!」
「こんな堂々としてて大丈夫なのか?」
お揃いの浴衣を着て町を歩く。そこには奇妙な一体感があった。
「忍ちゃんと友樹ちゃんは夜までゲームしてるって言ってた」
「そっかそっか」
二人して、遊ぶ。
「あ、水ヨーヨー欲しい」
「お子様かお前は」
「取って取って!」
「はいはい……はい」
そう言って、僕は迷に手を差し出す。
迷は全てを察したらしく、冷たい目を僕に向けてくる。
「そういう時は男が出すんだよ礼二君」
「わかったよ」
仕方なく、財布から札を取り出し店主に渡す。
そして、水ヨーヨーを一個取って、迷に渡した。
「わあ、ありがとう。嬉しいなあ」
そう言って、迷は水ヨーヨーを不器用に跳ねさせる。
その後、焼きそばを食べたり、型抜きをしたり、フランクフルトを食べたり、基本的に屋台を楽しんだ。
特に型抜き合戦では盛り上がり、三十分ぐらい子供に混じって興じていたほどだ。
「そろそろ日も暮れてきたね」
迷が言う。
「そうだな」
なんだか、精神的に異様に疲れた。照れ臭さがあった。それを、天邪鬼な態度で誤魔化しているような、そんな不自然さがあった。
迷にとっては不本意な祭りになっただろう。それを思うと、申し訳なかった。
「行きたい場所があるんだ」
迷が、そんなことを言い出した。
「おう、良いよ」
せめてもの贖罪だ。それに付き合うことにした。
そして、僕は何故か山道を昇っているのだった。
「なんで山……?」
「絶景のスポットがあるんだって! そこからなら花火が綺麗に見えるって!」
「へー。なるほどねえ。けど、結構歩くな」
「三十分ほどって言ってたかなあ」
「さ、三十分……」
「その後、待ち時間にもう三十分」
「待ち時間に三十分?」
「平気だよね?」
迷が、悪戯っぽく微笑んで言う。
「私達、恋人だもん」
「熟練の恋人は会話が少なくてもやりとりできるらしいぞ」
「デビューしたての恋人ですから」
そして、寂しげに言葉を付け加えた。
「今日で、解散だけどね」
僕は、慌てた。
「変な空気にすんなよな。後腐れなくって言ったのはお前だぞ」
「それもそうだ……きゃっ」
そう言って、迷が転んだ。下駄の鼻緒が切れたらしい。
「あちゃあ……安物を選んだらこれだ」
坂道を振り返って、迷は途方にくれたような表情になった。このまま、家まで帰る道のりを想像しているのだろう。
僕は無言で、しゃがんで迷に背を向けた。
「おぶされよ」
「悪いよ」
「そんな足でコンクリートの道歩かせるわけにはいかないだろ。それに言ったろ?」
迷が、不思議そうな表情になる。
「今日の俺達は恋人なんだ。一人の不幸は二人の不幸。一人の幸せは二人の幸せだ」
迷いが晴れたように、迷は微笑んで、おぶさってきた。
そして、僕はゆっくりと、坂道を歩き始める。
四十キロは超えているだろう。それを抱えて歩く坂道は中々に大変で、ピラミッドを作る作業に努めていた人の苦労を思わせた。
けれども、これは贖罪だ。捻くれた態度で迷に夢を見せなかった僕の。
「いつも礼二君にはおぶって貰っている気がする……」
心底幸せそうに、迷は言う。
それに、僕は胸が痛んだ。苦笑して、その感情を誤魔化す。
「二回だけだよ」
「拐われそうになった時。下駄の鼻緒が切れて転んで足をくじいた時。どっちも困った時に、礼二君は助けてくれた」
「たまたまだよ」
迷が、抱きついてきた。その芳香が、鼻をくすぐる。
「けど、私にとっては大事な思い出。大事な事実なんだ」
「……そっか」
(演技、なんだよな……?)
そんなことを考えながら、僕は迷の温もりに包まれていた。優しい温もりだった。由美子以外のもので、初めて知る人の温もりだった。
迷走すると書いてメイと読む。まさに現状はそれに近い。
僕は迷走していた。雰囲気に、流されかけていた。
だが、それは罠だ。流された途端に、迷は逃げて行ってしまうだろう。そして、後には気まずさが残るだけだ。
二十分ほど歩いて、目的地にたどり着いた。森の中の、開けた草原。誰かが手入れしているらしく、芝は整えられていた。既に人が集まっており、中にはブルーシートを敷いている用意周到な人物もいた。
そして、二人で並んで、草の上に座る。
おぶったことで惚れ直したとでも言うように、迷は僕の傍に寄り添っていた。
会話はした気がするが、何を話したか覚えていない。
混乱していて、頓珍漢な答えを返していた気がする。
そのうち、周囲は完全に暗くなり、最初の音が響き渡った。
花火だ。
闇夜に、炎の花が咲いた。それは散っていき、漆黒の中に消えて行く。
「私ね」
そう、迷は口は開いた。
「京都に来てから、自分から話しかけた人、礼二君が初めてなんだ」
「そうなんだ?」
また、花火が上がる。
「うん。私、ずっと話すのが苦手な子だったから。だから、大学では友達を作ろうと思って、一生懸命声をかけたんだ。そしたら、礼二君は手慣れた様子で、優しく返してくれた」
「たまたまだ」
「友樹ちゃんと仲良くなったのだって、礼二君の話題がきっかけだった。忍ちゃんとも、仲良くなれた。お酒飲んで、勢いはつけたけどね」
「それも、たまたまだ」
「そうだね。けど、私にとっては大事な事実なの」
闇の中に、炎の花が咲く。それを二人で、寄り添って眺める。
変なムードになってきていた。
「……私じゃ、駄目かな」
迷が不意にはなった言葉で、僕は硬直した。その硬直は、迷にも伝わっただろう。しかし、迷はそれを振り切るかのように、僕の手に手を添えた。
「ね。どうかな?」
そう言って、迷はゆっくりと目を閉じる。
「花火、見えないぞ」
僕は、惚けた。
「空気、読んで」
迷は、短く返した。
僕は、迷の肩に手を置いた。二人の唇が、接近していく。
そこで、両者は羽交い締めにされた。
「何やってんだお前ら……」
僕を羽交い締めにした友樹の声が耳元からする。
「出し抜くとは良い度胸だわね迷……」
迷の首を絡め取っている忍の声は座っている。
「忍ちゃん、苦しい苦しい、キマってるキマってる」
「おい、忍。それぐらいにしといてやれよ。迷顔赤くなり始めてんぞ」
「そうね。友樹の言い分に従って開放したげましょう」
そして、二人は開放された。
「……で、今のは何?」
忍が、冷たい声で言う。
「いや、それが偶然でござってね」
「うん、偶然なんだよ」
「たまたま拙者達、親戚の用事がなくなったところ、今更友樹達に話を持っていくのはどうだろうということで二人で観光していたでござる」
「うんうん、まったくその通り」
「キスしようとしてなかった?」
忍が、刺すような声で言う。
「コンタクトレンズがずれたって言うから見ていただけでござるよ」
「ござる口調うっざ……」
忍は心底不快げだ。
「許して、忍ちゃん。出し抜いたような形になったのは悪かったけれど、悪意はなかったんだよ。たまたま鉢合わせたの」
「そのお揃いの浴衣は……?」
忍は疑わしげに言う。
「いやあ、偶然でござるねえ」
「まったく、偶然でござるなあ」
忍は、深々と溜息を吐いた。
「ごめんなさい、一日デートごっこをしてました」
そう言って、迷は平伏した。
「大学生になっても独り身。青春っぽいことしてみたかったんですぅ……」
(それを言ったら俺は三十路越えても独り身なんだけどな)
そんなことを心の中で呟くと虚しくなってきた。
「ま、嘘をついた詫びはするよなー?」
友樹が、面白がっているような口調で言う。
忍は半分本気で怒っている気がするが、友樹は面白がっているのが救いだ。
「今日の屋台は二人の奢りで! 忍も、それで収めなよ」
「……友樹がそう言うなら、仕方ないね。私も、四人の関係は壊したくないし」
友樹が前を歩き、忍が僕らが歩き出すのをじっと待っている。
そして、僕は迷を背負って歩き始めた。
「……バレちゃったね」
小声で、迷が言う。
「……最後のあれ、本気だったのか?」
「なんのことかわからないなあ」
そう言って、迷は惚けた。
胸に抱いた感情は、恋に似ていた。
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その夜、僕は家に帰ると、半ば呆然とした気持ちでネットゲームに勤しみ始めた。
クリック、タッチ、クリック、タッチ、クリック、タッチ、その単調な動作の繰り返し。
「……私じゃ、駄目かな」
迷の言葉が脳裏に蘇って、僕は叫んだ。隣の住民が起こされたらしく、壁を激しく蹴ってきた。
迷走すると書いてメイと読む。まさにその通りの展開だ。
「わあ、ごめんなさいごめんなさい」
何を血迷っていたのだろう。僕の目的は由美子。それは変わらないのに。
それに、十年後を思い出す。迷は結婚していたのだ。他の男と。
「その世界で得た温もり。それを、お前は現実に帰る度に失うのだ」
あの呪いの言葉そのままの展開だ。今の僕には、現状を打開する力がある。けれども、過去の僕には、対人恐怖症の僕には、その力がない。僕のフォローがあってやっとのことで単位を取っているような状態だ。彼には、人を幸せにする力がないのだ。
狩りにも疲れて、キャラクターを溜まり場に戻すことにした。各グループごとに集まる場所が決まっており、そこを溜まり場と呼んでいる。
『最近熱心に狩ってるね、ルークさん』
そう、溜まり場の仲間にチャットで声をかけられる。ルークとは、僕のゲーム上のキャラの名前だ。
『インしてる時間のほとんど狩場じゃない?』
他のメンバーにも声をかけられた。
『目標があるから、譲れなくって……』
『おーい皆ー、今日は仲間が増えたぞー』
僕は、目を見開いた。
そのアバターには、見覚えがある。
着物姿のその出で立ち。頭には狐の耳がついている。
由美子のキャラクターだ。
僕は、ついに由美子と出会ったのだった。
震えるような感動が、そこにはあった。
もう一度やり直すのだ。あの輝かしい日々を。
この瞬間のために自分はこの不可思議な状況に迷い込んだのだと、そう思った。
第七幕『小さいながらの第一歩』
第八幕『オタクには周囲が見えない時がある』
第九幕『その日、距離は縮まる』
までストックができていて、第十幕は『優しくしないで』になる予定です。




