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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十四話
99/224

【生存】④

   ■■■


 


 山雀州平は銃弾の雨の中、装甲車の影に隠れて震えていた。

 戦友の背中に到達した弾丸が衣服と表皮を破り、内臓と肋骨をごちゃ混ぜにしながら通り抜けていく最中に、これまで歩んできた人生の意味を探している。

 圧縮された時間の中で出た結論は『何の意味もなかった』ということであった。


 ――これまでの人生、本当の意味で選択したことは一体どれほどあっただろうか。


 脳内を巡る走馬灯にささやかな疑問が残される。

 惰性で眼の前にある選択肢に飛びついて何となく(・・・・)生きてきたが、その実、誰かが考え、誰かが決めたことを実行するだけの機械でしかなかった。

 それが心地良かった。

 決して失敗しない超高性能の機械であることを存分に見せつけてきた。

 一歩踏み出せば天性の才能が他者の努力を踏み躙り、モーゼの『葦の海』のように確固たる地位への道が出来上がる。

 努力なんてものは負け犬がすがる宗教なのだと思っていた。


 その末に、気付かされてしまう。


 廃車の陰から、脇道のブロック塀から、半壊したビルの窓から、マズルフラッシュの火が灯る。

 山雀の脳は『援護射撃で味方の逃走を助けろ』と指示を飛ばすが動くことが出来ない。

 足が痺れ、膝が震え、呼吸が止まる。

 謙虚に才を認め慕ってくれていた仲間たちがただの肉塊へと変わっていくのを眺めることしか出来ない。

 

 ――やめろ。


 襲撃を察知し、いち早く身を隠した山雀へ冷たい視線が向けられる。

 地面に転がる血袋に何度も何度も銃弾が撃ち込まれていく。


 ――やめてくれ。俺はこれしか知らないんだ。


 どうしようもなく、惨めなまでに自分の意味を知らされる。

 どこまで行ってもただの個人力。

 銃撃に耐えられる訳もなく、集団戦を制することも出来ない、ただの人間。

 己の才能に自惚れ、失敗を知る機会がなく生きてきた哀れな凡人。

 円を描いて走ることに特化した競走馬はそれ以外の走り方を知らない。

 

 ――俺はヒーローなんかじゃないんだ。


 ―――

 ――

 ー




 溺れるような息苦しさで目が覚めた山雀は覚醒という水面に飛び出して大きく息を吸い込んだ。

 無意識下の無呼吸症。

 噛み締めた奥歯に挟まった頬の肉が切れて出血している。

 いつもの悪夢といつもの目覚め。

 背負うと決めていても慣れる日など永遠に来ないだろう。


 無人の病室は未だ慌ただしく空気が揺れている。

 治療を終えた後、ほんの数分ほどだが惰眠を貪ってしまったようだ。

 噛み付かれた大腿部内側は大きな血管の損傷とまでは行かなかったが、それでも出血が激しく輸血処置を必要としていた。


 ――浮ついていた。


 戦場なら噛み付きは予想の範疇だったはずだ。

 相手の戦績から選択肢を固定してしまう居着き、勝負は始まる前に終わっていた。

 対して、フィジカル差を理解しながらも勝つための道を築く木崎の強かさは、文字通り己の全てを総動員した全力であり、負けても悔しさはない。

 山雀にとって人生二度目の失敗はどこか清々しい思いさえ残していた。


 自嘲と自省で小さく笑うと同時に、病室のドアが静かに開く。

 入室してきた角刈りの男は貼り付けたような無表情で山雀と対峙した。


「……軍曹」


 上官である大智真人の事務的な表情を見て、山雀は自らの顛末を察していた。


「山雀二等陸曹、先に結論を言う。度重なる独断行動を欠格事由とし現刻をもって免職処分、とのことだ。書類は後に郵送する」

「そうですか」


 当然だろう。

 初めから原隊復帰させないための人事、その先で結果を残せなかったのだ。

 本格的に持て余す問題児でしかない。


 役目を終えた大智は早々に立ち去るかに思えたが、ベッド脇のパイプ椅子を引いて座り込んだ。

 無言の視線に居心地が悪くなった山雀は思わず口を開く。


「まだ何かありますか? 大智さん。もし貴方が出場していたら、だなんて仮定は結構ですよ」


 もはや階級など意味はない。

 遠慮なく呼び方を改める山雀に、大智は無表情を崩さず返した。


「山雀、悪いが防衛政策局を探ってお前の過去を調べさせてもらったよ」

「……」

「了承済みとはいえ自殺で処理された隊員には同情を禁じ得ない。個人主義を貫いてでも最善を求めるお前の原点はそれだろう」


 戦闘で死者を出さないという建前のPKOに於ける汚点。歴史の闇に封印された事件。

 山雀はその現場にいた。

 『仲間を犠牲にただ一人生存してしまった恥知らず』。

 本来そう呼ばれて然るべき醜態を晒したのに、政治的判断で全ては無かった事にされていた。


「随分歪んだ道に踏み込んだもんだな。だが、お前個人の資質が確かなものであるのも事実。まだやり直すことは出来る。望むなら武術指導者としての転職を紹介してやってもいいぞ」

「……はぁ、あんた良い人過ぎでしょ」

「は、今頃気付いたか」


 病室内に互いに笑う声だけが静かに響く。


 ――また、甘い誘惑が差し伸ばされている。


 才能が収まり切らない箱の中で持て囃されるだけの世界。

 もう立つことが許されない対岸の景色。

 少しの未練を感じた。


 山雀は四肢が不自由なく動くことを確かめてから、引き千切るようにして点滴のチューブを毟り取って立ち上がった。

 もはや視線は交わさない。

 それが返事であることを悟った大智は目を閉じて永遠の別れを偲んだ。


 出入り口に差し掛かった山雀は思い出したかのようにふと足を止めて、最後の質問をぶつけてみた。


「タオル、投げなかったんですか?」

「あぁ。恨むか?」

「いえ、ありがとうございました。貴方がセコンドでよかったです」


 私怨で死を願うような人物ではない。

 責務か矜持か、最後の最後まで山雀の勝利を信じてくれていたのだ。


「大智さん、俺はね、ヒーローになりたいんです。あの時からずっと」


 言い終えるや否や足早に病室を去りゆく山雀の背を眺めていた大智は、ゆっくりと閉じていく病室の扉に視線を阻まれた後、小さく溜め息を零してから呟いた。


「なれるよ、お前なら」




   ■■■




「棄権しなさい。これは命令よ」 


 無作法に入室してきた傲岸不遜な女、能登原英梨子は由々桐に対して職務を告げた。


「決勝まで進めたと仮定して得られる三億円、前金で払ってもいいわ。今、私達の守りが薄くなるのは避けなければならないの。遊びは終わりよ」

「気前がいいな」


 由々桐は呑気に頭を掻きながら笑っている。

 それが能登原の苛立ちに火を焚べ、語気を荒げようと息を吸い込むタイミングで、由々桐は被せるように先に口を開く。


「表のデモが心配なら問題ない。既にシロ教幹部と話してきた。まぁやはりというか金が目的の烏合の衆だよ。試合後に交渉を約束している。金払ってから恨みの矛先をイタリア人に向ければ後は警察が片付ける問題だ」


 能登原は吸い込んだ息を飲み込むしかなかった。

 由々桐の言う通り、現に今はデモ隊は引き上げて静かになっているからだ。


 ――危険を感じる程に有能過ぎる。


 意図を超えて先回りで物事を解決していくのは気味が悪い。

 無言の控え室に百瀬の茶を啜る音が響く。

 二人は試合を棄権する意思など無く、ただ始まりの瞬間を待ってこの場に待機している。


「……貴方こそ金が目的ではないの? そうまでして試合に出たがる意味が分からないわ」

「俺の感覚で言えば、この大会ほど安全に自分を試せる機会はそう無いんだ。こんな眼だが代わりに得られたものが幾つかあってね。真っ当に強い奴相手にどこまで通じるか知っておきたいんだよ」

「……」


 由々桐は右眼の眼帯をトントンと叩きながら微笑んでいる。

 ルールが有り安全とは言え、勝負は博打のようなものだ。

 勝てたとしても五体満足でいられるとは限らない。

 赤軍遺産で交渉し自らの安全と金を確約しておいて、ここに来て自分を試すと宣う由々桐。

 能登原は纏わりつく漠然とした怪しさを拭えないでいた。


「納得出来ないか? あんたみたいな美人の前でカッコつけたい男の子の意地とでも思ってくれ」

「そう。口説くならまず煙草の匂いを落とすべきね」

「そりゃ無理だ。困ったな」


 由々桐は笑みを崩さず、煙草に火を点けながら応える。

 能登原には依然理解できない。

 危険を冒してでも大会に挑戦するのは、或いは闘技者であるなら誰もが共感できる強さへのプライドとでも言うのだろうか。


 焦燥で親指を持ち上げて爪を噛みそうになっている能登原を観察していた由々桐は、煙草の煙を輪っかにして吐きながら笑みを深める。


「なぁ、これは俺の失敗談なんだが、愛情に見返りを求めちゃ駄目だぜ。絶対失敗する」

「……」


 話題の転換を図る下らない揺さぶりだが、その内容は能登原の心底に突き刺さる威力を持っていた。

 無視できない単語を理解している。

 息を止めて殺意の視線を送り始めた能登原を前に、由々桐は飄々と言葉を紡ぐ。 


「奉仕の心さ。これだけしたのだからこれだけ返ってくるはずだなんて量を測りだすと純粋なものじゃなくなるんだ」

「黙りなさい」

「そう怒るなよ。若者の恋愛に偏見の目なんてないさ。おっさんじゃ手の届かない美人同士のカップル、お似合いじゃないか。むしろ応援してるよ」


 そう言うと由々桐は器用に煙をハート型にして吐き出してみせた。

 悪意ではないことを強調しているが、これは手札の開示に近い。

 もはや関係性は見抜かれている。

 握り締める手の内で親指の傷を挟み潰した能登原は、怒りが裏返ったかのように冷静さを取り戻した。


 ――シロ教との交渉が終われば、こいつは用済みだ。


 由々桐は手元に残すべく手札ではなくなった。

 試合で負傷しても煩わしい口元さえ動くならそれでいい。


「……分かったわよ。手綱を受け入れる気がないのなら思うようにしなさい」


 能登原は未練なく振り返り控え室を後にする。

 その顔に怒りはなく、憐れみだけが籠もっていた。


 由々桐に自覚は無いのかもしれないが、要は中毒者なのだ。

 命をベットしてルーレットを回す度し難い人生放棄。

 彼の脳内では勝ち続けた成功体験だけが快楽中枢に残り続けている。

 そんな日常を過ごしてきた男の身体は平和な国に漂う倦怠感に耐えられず、今まさに新しい刺激を欲している。

 いつか破滅する日が来ると分かっていても、もう自分では止められないのだ。


 ――ならば望み通りの結末をくれてやる。


 対戦相手の犀川秀極は国内屈指の殺人者である。

 どう立ち回ろうと裏稼業同士の衝突を無傷で終えることなど不可能だ。

 そこで死ぬならそれも良し。

 運良く生き長らえたなら生の喜びに打ち震えているところを足元から掬ってやろう。


 ――由々桐は今日中に殺す。


 その決意で能登原の頬は紅潮し、内腿を擦り合わせる歩調は淫らに揺れていた。




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