【生存】③
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『突き』対『突き』。
向かい来る切っ先を眺めながら木崎は笑う。
山雀に日本拳法の下地があるとはいえ、まさか刀剣を用いた直突きが飛んでくるとは思っていなかった。
――元より付き合う気はない。
幼少より何百万回と繰り返し鍛えた心形刀流の【抜合】。それを片手で防ぐ男である。
相打ちの粘りを競ったところで勝ち目が無いのは分かりきっている。
木崎は切っ先を交わらせた瞬間、刀の保持を緩めて手放していた。
攻め手を虚として接近し、柔術に切り替えるのは小具足術、組討術を主とする流派の基本である。
立会いは未だ木崎の術中にあった。
山雀の誤算は面の存在を軽視していることにある。
顔を覆うポリカーボネートの曲面は強力な盾として機能するのだ。
突き技などわざわざ防御をしなくとも顔を逸らすだけで弾かれてしまう。
その時、両手が自由になっているのは柔術にとって大きなアドバンテージとなる。
木崎は直突きを顔面で受け止めて滑らし、迎え撃つ身体で組み付きへと移行する。
が、――逸れない。
山雀の直突きは逸れることも滑ることもなくポリカーボネートの曲面上に留まっていた。
そして、有ろう事か、曲面を歪め、割り入るようにして刀身の先端が内部に到達している。
尋常ではない粘り。
木崎の誤算は山雀の直突きを、直突きだと思い込んでいたことにある。
面に突き刺ささった剣尖が右眼球に迫る最中、木崎は山雀の術理を目視していた。
構えは日本拳法。
拳は縦拳。
しかし、ただの直突きに非ず。
剣が逸れないのは背ける顔に合わせて運足で僅かに回り込んでいるからだ。
肘が伸び切っていないのは強固に関節を固めているからだ。
自重の乗った拳を、関節を固めて放つ。
予選で一叢流の小枩原不玉が見せた、沖縄空手の術理。
充分な重さが乗った打撃で互いの正中線を垂直に結べば威力が外に逃げない。
恐るべきは深奥の柔術理論を剣術と融合させて実行する山雀の身体能力にある。
稀にいるのだ。
凡夫が長い年月を積み重ねても到達し得ない領域に、散歩気分で辿り着いてしまう天才が。
木崎は嫉妬を覚えた。だが、焦りはない。
剣を捨て柔術で挑むと覚悟を決めた時から備えていた。
面と顎の間の空間に敷いていた手拭いを引き抜くことで面を外れやすくしている。
組み付こうとしていた手を引き戻し、顎当てを持ち上げるようにして面を脱ぎ捨てると同時に、ポリカーボネートを突き抜けた刀身が木崎の右目蓋からこめかみを切り開いて通り過ぎて行った。
刀を捨て面が外れたこの先、再び剣術戦に戻れば死が待っている。
もはや後戻りはできない。
面を脱ぎ捨ててでも組み付こうとする気配に山雀は後退を開始していたが、粘りを効かせた一撃の居着きに反応が遅れる。
木崎は差し出された直突きと交差させるように右手で掌底を放っていた。
狙うは面防具の顎部。
脳を揺さぶる一撃ではなく、足を掛け、ただ柔らかに押し倒す目的の掌底。
後に続くグラウンド攻防で泥沼化させる意図を明確にしていた。
想定外はあったが絶妙のカウンターを得た木崎は、脳内で絞め技の選択肢を広げて倒れゆく山雀を観察していたが、突如、首を引き寄せられて視界が塞がったことで思考が吹き飛んだ。
倒れながらも持ち上がる山雀の下肢。
三角絞めへと移行する気だ。
それは木崎の背後で山雀が小太刀を手放したことを意味していた。
柔術戦なら勝算があると思っていた木崎の首に足が巻き付く――その直前、木崎は再度笑った。
最後の誤算。
これは柔術戦ではない。
何でもありの柔術戦である。
完全に三角絞めが決まったかに見えた瞬間、大きな悲鳴が上がった。
「あぁあああっ!」
刺されるような痛みに身を弾ませ藻掻くように絞めを解いた山雀、その大腿部には楕円形に血が滲んでいる。
衆人が何の攻撃であるか理解するよりも前に、木崎は山雀の身体を登るようにして膝を股間へと放っていた。
兆しを読んでいた山雀は金的を左手で防ぎながら痛みの原因を探り、木崎の攻撃を追認する。
『噛み付き』。
三角絞めが来ることを読んでいたかのように口を開いて待っていたのだ。
その為に面防具を外した。
面を外したことは直突きから逃れる苦肉の策ではなく、柔術戦で噛み付きを使用する意図を持っていた。
鍛えた肉体では防ぎ得ない、人類が生まれながらにして持つ唯一の武器攻撃。
木崎は血を滲ませた口端を歪めて仕上げに入っていた。
股間を守る左腕ごと足で胴締めし、身体は山雀の右脇下に潜り込ませ、首に回した腕をロックする。
柔道の【肩固め】。
山雀は木崎の腕と、自分の腕に面防具を挟まれ首を回すことすら敵わない。
一度極まればフィジカル差では覆らない『柔』がそこにはあった。
「いやぁ信じられない強さだったよ、山雀くん。国防の最前線に君みたいなのがいるのは心強い。税金を納めた甲斐があると一国民を代表して称賛するよ」
永く短い攻防の末、ようやく王手に辿り着いた木崎は、山雀が落ちるまでの数秒間、意識を逸らす意図で会話を再開した。
「でさ、俺も見たいアニメあるからサクッと落ちてくんない? 死ぬわけじゃないんだし、こういう負け方も経験しておくべきだと思うよ、うんうん」
言葉とは裏腹に、結ぶ腕の中の抵抗が失くなっても木崎の絞めは緩まない。
油断はなく、自惚れも侮りもない。
あるのは命のやり取りだけである。
肩固めから二十秒後、タオルを投げる気配のないセコンドの大智に代わり、主審副審の失神判定が下されて試合は幕を閉じたのであった。




