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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十四話
97/224

【生存】②

   ■■■




 戦績が芳しくないとはいえ、木崎の人気は表舞台での活躍に集約されている。

 遅れて入場してきた彼に送られる声援は今大会随一と言っていい程であった。

 人々の呼気が集合し、全方向から吹き付ける風となって金網の中へと押し寄せる。

 誰もが期待しているのだ。

 制約のある試合では見れない木崎の全力というものに。

 表の試合で負けはしても、ルール上決して引き出されることのない奥の手が存在するという期待、それこそが彼への信仰を深めている。


 広大なリングの中央に立つ山雀は少しの苛立ちと呆れを感じていた。


 ――出てこなければいいのに。


 遅れたことは問題ではない。現れたことが問題である。

 夢を壊されたくない哀れな信奉者は、逃亡も武術史をなぞる演出だと都合よく解釈してくれるだろう。

 明確な優劣を付けないことが存在意義だったのに現れてしまった。

 負けてしまえば声援を送る全員が敵になる条件は整っているのにわざわざ現れたのだ。


 つまり古流の本領を発揮出来る場で、山雀州平が相手なら勝算があるということだ。

 しかも、勝負に遅れて現れるという奇策が通じてしまう程度の相手だと思われている。


 山雀は改めて呆れた。

 乱れる感情を勝負の場に持ち込もうとも問題はない。

 心の居着きを完全に捨て去る達人にはなれなくとも、感情と無関係に動く機械になることは出来る。

 そういう日常を歩んできた。

 現代に生きるどんな古武術家よりもリアルな死闘を何度も乗り越えている。


 山雀は居着いた感情を残しつつも、両手を広げて接近する木崎を冷静に観察していた。

 敵意はなく、抜刀すらせず、緊張感も感じさせない歩み。

 親しい友人に向けるような笑顔を携えて接近する木崎の意図は明確だ。


「待たせて悪かったな自衛隊員」


 迷いなく小太刀の圏内に踏み込んだ木崎が口を開く。


「気にしなくていい。待つのは慣れててね」


 山雀もまた抜刀することなく会話に乗る。

 まだ木崎から敵意は感じられないが、視点は虚ろで焦点が定まっていない。

 視線を合わせているようで合わせておらず、広い視野で(ぬす)み眼を働かせて備えている。


「そっか。時間に厳しい軍人さんは顔真っ赤にして怒ってるかと思ってたわ」

「巌流島のつもりか。俺はともかくセコンドの軍曹殿は貧乏揺すりで地面に穴開けてそうだな」

「どれどれ? どいつ?」


 山雀の背後を覗き込むように身を乗り出した木崎は、おもむろに腰を捻って抜刀した。

 右側頭部を狙う居合。

 刀剣の鞘は通常左腰に位置し、先に抜かれると防御する手段はなく避けるしかない。


 だが、先を取ったはずの居合は小太刀によって押し止められる。


 小太刀には間に合う技がある。

 山雀は迷うことなく左腰の刀を左逆手で抜刀し、顔の横で垂直に固定して防御していた。

 片手と片手の競り合いだが、遠心力が乗った居合を止め得た結果は彼我のフィジカル差を明確に示している。


 木崎の刀身から圧し斬る力が抜けていくのを感じた山雀は、肩越しに振り返りセコンドの大智真人を指さして応えた。


「ほら。あの角刈り長方形の鬼みたいな顔してる奴」

「ほんとだ。写メっとけば魔除けになりそう」

「だろ?」


 未だ刀は中空で交差したまま。

 互いの視線はやがて笑みを乗せて絡み合う。

 木崎が次の手に移行しないのは、未だ試し合いであることを強調し会話を続ける気でいるからだ。


「山雀くん、結構強いね。普通なら終わってたよ」

「目付けは『偸眼(チュウガン)にして蜻蜓(セイテイ)伯労(ハクロウ)を避く』だっけ。でも不意打ちの視線はもっと工夫しないと駄目だよ木崎くん」

「おぉ博識。さては貴様、江戸柳生の者だな」

「違うし」


 二人には共通の認識が生まれている。

 たったの一合だが測り終えるには充分。

 単純な戦力は山雀の方が圧倒しているという予測が既に証明されていた。


 木崎は奇策を弄して戦う。

 実力で敵わないのなら居着きを誘い博打に巻き込む。

 これ以上付き合う意味がないと悟った山雀は、何かを喋ろうとする木崎に被せるように告げた。


「そろそろ殺すけどいい? 見たいドラマあるからサクッと死んで欲しいんだけど」

「んー、一つ提案したいんだけどいい?」

「なんだよ。もう君に見せ場はあげないよ」

「そうじゃなくて、」


 言い終える前に木崎の手首が返る。

 山雀の右側面にあった刀身が小さく引き戻されると同時に左側面に振り下ろされる。

 明らかな手打ちであり、威力は乗っていない。

 だが踏み込みが深い。

 接近して柔術戦に持ち込むのが狙いだろう。


 備えていた山雀は迫る刀身を小太刀で防御しながら左膝を上げ、足先を鞭のように撓らせて射出していた。

 日本拳法の突き蹴り。

 靴を履いて行えば距離を離す為の蹴りに留まらない威力を持つ。

 山雀が完璧なタイミングで放ったカウンターの突き蹴りが木崎の胸部を捉え、――そして手応え無く中空を泳ぐ。


 突進するはずの木崎は片膝を地に付けて身を屈めていた。

 防いだはずの袈裟斬りも腰へと引き戻され右脇構えへと移行している。


 ――速い。


 突き蹴りを見てからの淀みない沈身。

 木崎はここまでの動きを予測していたのだ。

 相手の意図の中で行われる反撃に、山雀は久方ぶりの驚きと焦りを感じた。

 それでも身体は動く。

 木崎が脇構えから刀身を走らせるのと、山雀が空振った左足を踏み降ろすのは同時であった。


 心形刀流。

 他流派であっても使える技なら躊躇うことなく取り込む流儀は、江戸末期に大きな進化を遂げていた。

 上半身の急所を狙うのが常識であった剣術界に於いて、敢えて地を這い足を狙うその技は多くの剣客が対策に苦しめられることになる。

 やがて独立分派し、隆盛を極めた技はこう呼ばれた。


 柳剛流【脛斬り】。


 蹴りの軸足、強度の弱い内側側副靭帯を狙う横薙ぎの一閃に対して、山雀は既に最善の選択肢で動いていた。

 防御が間に合わないのなら横に避ける。

 深く踏み込まれて横に避けられないのなら、縦に飛ぶ。

 踏み降ろす足で木崎の肩を捉えた山雀は、軸足を引き抜いて後方宙返りで躱していた。


 ――が、中空で翻り、木崎を見下ろした山雀は再度驚くことになった。


 木崎は振り抜いた刀身を既に左脇構えに引き戻し、着地の足を刈り取るようにもう一度脛斬りを放ちつつあった。


 一度目を目眩ましに使い二度同じ技を行うのは戦闘の定石でもある。

 砂を掴んで投げつける目潰しも一度目は目を閉じて防げるが、目を開けた瞬間に二度目が飛び込んでくると防ぎようがない。

 ここまで器用に相手の動きを予測し得るものなのかと、山雀は感心していた。

 木崎にはフィジカル差を補える特別なものが確かにある。


 ――ただし、相手が山雀州平でなければの話だ。


 空中で膝を畳んだ山雀は急速に身を翻し、着地際にもう一回転してみせた。 

 その背中を掠めるように脛斬りが通り過ぎていく。


 反撃から追撃まで全て躱された木崎は身を起こしながら正眼に構え、起き上がる山雀の真芯を狙う突きへと移行していた。

 狙うは更なる追撃。

 着地間際の軽業は少なからず体勢の乱れが生じる。

 攻め手を止めるつもりはない。


 そんな木崎の心中を嘲笑うかのように完璧な着地をした山雀は、小太刀を保持したまま日本拳法の中段で構えていた。




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