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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十四話
96/224

【生存】①



 

「あ、先輩。お疲れ様でした」


 医務室へと向かう廊下の途中、一ノ瀬の背後から話しかけたのは自衛隊員の山雀州平であった。

 腕を組みながら壁に背を預け、ニヤつく口元を隠すことなく悪意を向けている。


「いやはや、JKに瞬殺されてしまうとはね。正直、先輩がどのレベルなのか全然測れなかったのは誤算でした。俺の予想を超えるとは大したもんです」

「……なら、今ここで、測っていくかい?」


 冷房のミストが揺らめいていく。

 一ノ瀬の左鎖骨は槍の刺突で負傷してはいるが、亀裂骨折程度なので痛みを無視すればまだ戦うことは可能である。 

 山雀は山雀で向けられる闘気に臆することなく姿勢を変えないで相対している。


 感情の発露する瞬間、オイルライターの蓋が甲高い金属音を響かせた。

 その音源は、先行して歩いていたセコンドの平上である。

 場を乱した後、乾いた喉で「かっかっか」と笑っていた。


「山雀君だったか、あんまり弟子をなじらんでくれよ。勝負は水物さね」

「お言葉ですが同じ作戦で共闘する仲ですから。弱者に足を引っ張られるのだけは許せないんですよ、俺は」


 【特別高等班】に合流した山雀は、今や公安の手足として行動を開始している。

 だが特殊作戦群の時と同じく、連携が取れないほど実力差がある仲間なら必要はないと考えていた。

 命令で組まされる前に本音を辛辣な言葉でぶつけるのは、互いの安全の為に重要なことである。


 そんな山雀の意図を察した平上は更に笑みを深め、「優しいんだな、おめえさん」と返した。


「でもよ、そんな優しさはテメエが勝ってからほざかねえと格好つかねえぜ?」

「残念ですが負ける要素がないので先に格好つけときますよ、お爺ちゃん」


 山雀の相手、木崎三千風に関しては特筆すべきものがない。

 中途半端な表舞台の戦績と、組手もままならない古流の下地。

 銃弾飛び交う現代の実戦の中で技を磨いてきた山雀の自信を揺るがし得る要素は何もなく、ルールの無い戦いになればなるほどその有利は大きくなる。


「水物だって言ったろ。俺らは礼を知る武道家だからな、おめえさんが負けても同じ態度で接してやるから安心しな」


 平上はタバコに火を付けて厄払いするかのように煙を燻らせ始めている。

 山雀は必要であれば完全に(・・・)リタイアしてもらうつもりで現れたが、掴みどころがない老獪に毒気を抜かれて諦めの吐息を漏らした。


「……そうですか。なら俺が優しいのはここまでです。この先、邪魔だと判断したら遠慮なく排除しますので覚悟しておいて下さい」


 山雀は最後の忠告を吐きかけると背を向けてその場を後にした。


 油断はない。

 自惚れも侮りもない。

 戦場のリアルを生き抜いてきたプロフェッショナルは妥協をしない。


 ――それでも、仲間が目の前で死に行くのだけは耐えられない。


 孤高に戦うことを誓ったあの日から、山雀の冷えた心は強さへの渇望だけで脈打っていた。




   ■■■




「あれ? あれあれ? どうしたの、木崎くん。もしかして緊張してんの? 大会で緊張とか、学生の時は文化部のキモオタだったのかな?」


 控え室で座禅を組んで黙祷していた木崎三千風は、茶化すように話しかけるセコンドの南場裕大の声に苛つきながら目を開けた。


「南場くん、緊張解してくれとは言ったけどさ、定期的に漫研出身のこと馬鹿にするのやめてくれる? 始まる前にボルテージを限界まで上げたくないの」

「怒っちゃ駄目だよー。ほら平・常・心、平・常・心」

「どうしよう。こいつめっちゃ殴りたい」


 額に青筋を立てて笑う木崎だが、扱いに慣れている南場は何事もなかったかのように話題を変えて続けた。


「でさ、知り合いの自衛隊員に頼んで山雀について調べて貰ったんだけど、からっきしだったわ。学生時代に日拳やってたみたいだけど入隊してからは謎だらけだな」


 買い替えたばかりのスマートフォンの画面を睨んで顔をしかめている南場に、木崎は溜め息を漏らして応える。


「おいおい、煽るしか能のないセコンドってもはや敵じゃね?」

「待て待て、からっきしってとこが重要なの。全く情報が出てこないのは異常なんだよ。多分特殊部隊的なやつだぜ山雀」

「……マジもんのエリートか。自衛隊必死すぎだな。防衛費削られてるからって八つ当たりは勘弁して欲しいね」


 本来なら表舞台に出てくることはない隊員。

 つまりは本当の意味での実戦を駆け抜ける、議論の余地もない強者である。


「南場くん的に対策とかあんの?」

「短剣使いだから距離取ってチクチクすればいいんじゃねえの? そこは木崎君の機転に期待するよ」

「託しすぎじゃね」

「俺も一応考えたんだよ? お得意の激辛料理食べまくって試合中に激辛の唾を吐きかけるとかさ」

「予選で面付けてたから無理だろ」

「じゃあ視界を塞ぐイカ墨を吐きかけるとか、ポリカーボネートを溶かす酸を吐くとか」

「南場くんは俺を何だと思ってるのかな?」


 面を付けない参加者も中にはいるが少なくとも山雀はそうではない。

 一試合目で赤羽がやったように湿り気のある土を引っ掛けて面への付着を狙うのも手ではあるが、あれは相手の技が分かっているから出来る布石であって、攻防の起点として狙うには気休め程度の効果しかない。


「真面目な話、短剣で挑むのは接近戦に自信があるってことだろうな。少なくとも古流槍術で有名な大智真人がセコンドに甘んじる程の実力者だ」

「……」


 日拳、或いは軍隊格闘術。

 同じく接近戦に自信がある木崎はある種の誘惑を感じずにはいられない。

 しかし接近戦での短剣の有利は否めず、無理に付き合わないのも兵法である。

 戦闘のデータが全く得られない以上あれこれ先入観を持ちすぎるのも危険だ。

 考えて過ぎても仕方ないと改めて嘆息した木崎は、ジャージから試合用の道着に着替えるべく衣服を脱ぎ始めた。


 そんな木崎の様子を横目で眺めていた南場は驚いたように目を見開き、くぐもった声を上げた。


「……木崎くん、君にはガッカリだよ」

「何だよ急に。あんまり着替えてるとこマジマジ見ないで欲しいんだけど」


 こめかみに手を当てて失望したかのように首を振るセコンドの様子が理解できず、木崎は下着姿のまま固まってしまう。


「僕たちは学生時代からの付き合い、竹馬の友とも言える朋友だと思ってたのに、ここに来て争うことになるなんてね」

「はい?」

「まさか君がボクサーブリーフ派だとは思ってもいなかった。裏切られた気分だよ」


 南場の瞳が口程に憐れみ宿して、木崎の下着に向けられている。

 親友が見せる謎の失望が、派閥のカミングアウトであることに気付いた木崎は恐る恐る聞き返した。


「え、もしかして南場くんはトランクス派なの?」

「知らなかったのか。てっきり僕たちは色んな想いを共有できていると思っていたのに……」

「え、何? 昨今はボクブリ一択じゃないの? 確か女子の好感度もボクブリの方が圧倒してるよ」

「好感度って、そんなもんで主義を曲げる半端者がボクブリ派なんだよな~」

「……聞き捨てならないな。がっしりと固定するブリーフの長所を損なわず、見た目をファッショナブルに昇華した近代発明を馬鹿にしてんのか?」


 派閥に興味はない。

 それでも――、一方を貶めることで優位を主張する姿勢を許せない木崎は挑発に挑発で応えた。


「分かってないなー木崎くん。トランクス派には固定なんて概念は無いんだよ。ぶら下がっている方が冷却効率が上がるという生物としての生存戦略があるだけなんだよ」

「そんなにスースーとズボンの中に風入ってこねえよ」

「密着してると蒸れるだろ。くせえよ」

「タマキンがぶらぶらしてると疲れるだろ。女がブラジャーするのと同じだよ」

「そんなでかい奴いねえよ。何カップだよ」

「そもそも固定させないでぶらぶらさせてるから、ズボンの裾通ってチン毛落ちてくんだろ。部屋に謎のちぢれ毛ばら撒いているのはトランクス派だからな」

「お前こそチン毛溜め込んだパンツを洗濯物に混ぜんなよ」

「固定してるからそんなに抜けねえし」


 白熱する議論に説得力を持たせる意味で、南場もズボンを下ろして下着を開放する。

 誇らしげに日の丸のプリントがあるトランクスが顕わになった。


「ボクサーブリーフなんて前スリット無いからオシッコするときベルト開放して全脱ぎになるじゃねーか。トイレ覚えたての子供かよ」

「スリット付きのもあるわ。ほら、俺のはそうだよ。無い場合は大便器に座ればいいじゃん」

「急いでたらどうすんだよ。固定されてるからちんちん取り出すまでに漏らしちまうだろ」

「漏らすまで溜め込むなよ。子供か」

「じゃあ速さが物を言う青姦中だったらどうすんだよ。いざ挿入って段階で全脱ぎなんて待ってたら女が白けてしまうだろ」

「まず青姦しねーよ」

「お前のちんちんを開放するまでにベルト外してジーンズのボタン一個ずつ外して、」

「勝手にボタンフライのジーンズ穿いてることにすんな!」

「何でだよ穿けよ。その方がより固定されるだろ。お前固定派じゃなかったのかよ」

「固定派じゃねえよ。ボクサーブリーフ派だろ」

「なんだ。にわか固定派じゃねえか」

「にわかってなんだよ。ガチ固定派なら貞操帯穿くわ」

「お前それだとズボン脱いでから解錠作業が始まるじゃねーか! あーもう駄目だ。女は白けて帰っちまったよ」

「だからどこの誰なんだよ、その女は!」


 最高潮のボルテージでお互いのシャツを引き千切れんばかりに掴み合う男たち。

 そこに、大会の運営アシスタントが扉をノックして入室してきた。 


「あ、あのー、そろそろ試合が始まるので、その、お願いします」


 目に飛び込む闘争の気配に消え入りそうな声で割って入るが、もはや男たちはその意味を理解する脳を持っていない。


「「今、大事な話ししてんだよ! 邪魔すんな!」」


 小さく悲鳴を上げながら退散するアシスタントを尻目に男たちの争いは続く。

 第三試合が終了してから三十分。

 選手の入り待ちで異例の延長がなされた瞬間であった。




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