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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十三話
94/224

【一畳】⑤

   ■■■




 多くの古流に於いて、槍術というものは外の物とされる。

 兵法の一科とされながらも携行性に乏しく、太平の世の個人戦の場で本領を発揮する獲物ではない。

 間合いの安全性と遠心力を乗せる攻撃力は練度の低い兵士の戦闘力を上げるのにはうってつけではあるものの、小規模な戦闘で真剣ほどに多彩で精巧な技を繰るには余人ならぬ膂力を必要とし、一兵卒が極めるには難い技術体型でもあった。

 故に槍術とは基本的に合戦術の色が強い。

 戦国時代が終わり、素肌剣術へと移行する中で多くの槍術流派が失伝したのはそのためである。


 ――では何故、小枩原泥蓮は槍術に拘るのか。


 抜刀した一ノ瀬は正眼で構えながら入場し、まずは相手の出方を伺うことにした。

 剣尖の高い一刀流の正眼ではなく、相手の身長に合わせる低めの中段構え。

 対峙する泥蓮も左肩を前にした半身で、槍を腰で保持する中段構えである。


 一ノ瀬に槍術戦の経験はない。

 一筋の汗が頬を伝い落ちた。


 ――先を取られている。


 先に仕掛けても安全に帰還できる槍の『間合いの先』。

 後の先(カウンター)を狙うにしても普段の倍は飛び出さなければならない。

 当然しくじれば大きな隙になる。


 その危惧を嘲笑うかのように泥蓮の無遠慮な牽制が始まった。


 上段突き。

 顔に迫る穂先を捕らえていた一ノ瀬は、難なく弾いて槍の柄を押さえるように前進する、が、次の瞬間には右大腿部に迫る突きが再度繰り出されていた。

 横の運足で躱した先にまたも上段突きが置かれている。

 払い除ければ即、下段突き。

 手元の引き戻しも突きと同じ速度。

 身体全体で飛び出す速度では追い付けない。

 払い、躱し、下がる。

 その繰り返しで五歩ほど後退させられた一ノ瀬はタイミングを測っていた。

 この展開は予想の範疇であり、対策も用意している。


 槍の柄を払い除けてから打突を狙うのでは間に合わない。

 ならば、一挙動で払い除けと攻撃を両立する。


 突き技の引き戻しと同時に剣尖を振り上げた一ノ瀬は、迫る槍閃を正面から割り入るように潰し、そのまま一直線に相手の面へと振り下ろした。

 一刀流【切落し】。

 如何に間合いの有利あれど、突いて引き戻す転換には居着きが生じる。

 その瞬間を攻防一体の奥義で捉えれば剣も槍も関係ない。


 一ノ瀬が違和感に気付いたのは全力の面打ちが逸れた後だった。


「がぁっ」


 左肩から肉を抉られる感触が伝わり、声が漏れる。

 彼我の間合いは一メートルもない。

 明らかな槍の間合いの内側。

 しかし左鎖骨に突き刺さっているのは紛れもなく槍の穂先である。


 そして気付く。

 切落しで叩き落としたはずの槍は軌道を変えていなかったのだ。

 突き技に移行することなく充分な粘りを持って対抗し、ただ中段構えのまま相手が飛び込んでくるのを待っていただけである。

 刺さった後は石突を地面に固定して相手の体重を利用するので支え続ける力すら必要としない。

 泥蓮はこの技を狙うため、切落しのタイミングを完全に読み切っていた。


 左肩を固定された前進は左回りの旋回へと変わり、振り下ろす剣戟も在らぬ方向へと飛散していく。

 刺さる穂先が抉るように拗じられていくのを感じた一ノ瀬は、反射的に右足で前蹴りを放っていた。

 遮二無二繰り出す足裏が泥蓮の腰を捉え、擦り抜ける。

 これすら読まれるのか、と一ノ瀬は称賛にも似た悔しさを覚え、同時に視界が明滅するのを感じた。

 泥蓮が前蹴りを躱す時の身の捻りで刺さる穂先は左肩から引き抜かれていたが、返す槍の後ろ柄が肘打ちの軌道で一ノ瀬の左側面を打っている。

 その後、地に残した左足も払われて黒土に塗れながら転がる羽目になった。


 ――棒術。 


 接近すれば驚異はない。

 一ノ瀬はそう思い込んでいた自分を恥じた。

 一叢流の体系は近代戦のCQBとCQCの関係に近い。

 全ての間合いで戦うことを当たり前に想定している。

 だから槍術と柔術という矛盾した兵科が主軸にあるのだ。


 見上げる逆光の中、死神が槍を大上段で構えて立っている。

 一ノ瀬は終わりを悟った。

 この追撃は反撃など許さない。

 攻守が入れ替わる隙も見せず、相手の息の根が止まるまで続く。


 たった一太刀と一蹴り。

 剣の正道を逸れてまでして望んだ決闘の戦果にしてはお粗末なものだろう。

 互いの意図を封じる精神戦に負けたことも悔しくてならない。

 全力で叩き伏せる覚悟だけで圧倒できると勘違いし、小枩原泥蓮の技の練度を軽視していた。


 しかし今更ながら謙虚になっても仕方ない。

 剣術に()は無いのだから。


 一ノ瀬が最後の瞬間を受け入れ静かに目を伏せるのと、セコンドの平上がタオルを投げ入れたのはほぼ同時であった。




   ■■■




 鉄華は控え室のモニターで観ながら嘆息していた。

 狂気じみた怨恨を漂わせる対戦であったが、どちらも死なずに済んだのだ。

 この時ばかりは表の大会を用意した篠咲に感謝せざるを得ない。


 だが、初めて見た泥蓮の全力には筆舌に尽くし難いものがあった。


「終わってみれば……呆気ないものですね」


 真剣を抜いて戦うのだから決着が早いのは当然ではあるが、それでも圧倒的である。

 剣道の世界ランカーを以てしても触れることすら敵わない。

 二メートル以上ある槍の先端ですら粘りが通り、剣をぶつけ合わせても構えが振れない。

 比喩でも何でもなく、彼女はその気になれば槍でも【続飯付】が可能なのだ。


 過去の入部を賭けた対戦、鉄華はあの時にどれだけ手加減されていたのかすらまだ測れないでいた。


「一叢流槍術の中段構えは【一畳】と呼ぶ」


 並んで観戦していた不玉が満足そうに口を開く。


「槍は距離の有利があるからの。穂先を突き付けたまま畳一枚の範囲から動かず巌のように構えているだけで何者も踏み入ることは叶わぬという考えじゃな。そして泥蓮が見せた、相手の突進を迎えるように槍を置く技を【迎枝(ムカエ)】という。【一畳】と【迎枝】、この二つを極めれば相手がどんな意図で動こうが関係ないのじゃ」


 相手の意図を拒否する術理として、距離の有利というものは究極に近い。

 突き詰めれば銃器に近接武器が敵わないのと同じである。


 しかし、槍はあくまで槍である。

 あの長さの先端を払われても振れさせないというのは簡単に出来ることではない。

 念流を訪ねて技を磨いていたのはこの為だろう。


「不玉さんも槍を持てばあれくらい出来るんですか?」

「今はこの腕じゃしな。あのように緻密な操作は叶うまい。それに近接距離でボコボコポキポキする方が性に合ってるのじゃ」

「……」


 槍術は元々高端家のお家芸である。

 柔術に特化した一叢流との邂逅は、色んな意味で運命の出会いであったのだろう。


「さぁて、この調子じゃと儂の出番なぞすぐに来よう。準備運動でも始めるかの」


 不玉の相手である安納林在に関しては昨夜の内に出来る限り調べている。

 泥蓮が学んだ馬庭念流、その頂点に立つ男。

 四肢全てで続飯付を可能にする天才を前に、鉄華が思いつく攻略法など何もない。


 それで構わないと笑う不玉がこの先、何を見せ、どこまで行けるのであろうか。

 どこまでも部外者で見届けることしかできない弱者であることに歯噛みする鉄華であった。




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