【共闘】④
◆
薬丸自顕流は有名になり過ぎている――それが赤羽の見解である。
また戸草自体も界隈では有名人過ぎる。
知られるということはそれだけ対策を立てられるということだ。
格闘技の世界でもフィジカルを前面に押し出した闘法というものは時に技術を軽んじるパフォーマンスを披露する。しかしそれは最初だけである。
時間と共に研究され尽くしてしまうからだ。
利き手、構え、術理の穴、自重による不得手、本人すら気付いていない僅かな技の癖までもが、何人もの眼と知恵で徹底的に検証されてしまう。
その結果生み出される対策はフィジカル差を埋めて届く刃となるのだ。
更に言えば、薬丸自顕流の検証は既に幕末期から始まっている。
新選組の近藤勇は『初太刀は外せ』と言った。
防御を丸ごと叩き斬る初太刀を躱す、それが対薬丸自顕流の最重要課題である。
初太刀を浴びせるべく猛然と駆け来る戸草に、赤羽はその場で地面を蹴って床に敷き詰められた黒土を飛ばした。
彼我の距離は六メートル。
軽く蹴っただけの土が届くはずはないが、相対速度で迫る物体に戸草は左腕を少し上げて対応した。
目を閉じる必要はない。ポリカーボネート製の面がある上、右蜻蛉で構えた時に口の前を通る左腕と身長差が、下から迫る飛礫を防ぎ得る。
湿り気のある土が面に張り付かない程度の対応でいい。
勢いが止まらない戸草を確認した赤羽は、中段構えから左肩を前にした半身になり、刀を左片手で保持した。
剣尖はわずかに下がり、戸草の右膝へと向けられている。
距離は三メートル。
斬り下ろしの間合いに入った戸草は、利き足を狙う赤羽の意図を察して敢えて左足で踏み込む。元より左右に得手不得手はない。
地響きのような踏鳴に続いて腰と背筋と肩が連動し、防御不能の袈裟斬りが右蜻蛉の構えから射出される。
雷光の如く、峰に天井の照明を滑らせながら弧の軌跡を残し、地に落ちる寸前で留められた。
斬撃の円周上にいた老人は――まだ立っていた。
素振りと同じで手応えがない。
必殺の初太刀は掠ったのか、或いは躱されたのか? それを確かめるよりも先に、戸草は再度蜻蛉を掲げようと腕を振り上げる。
しかし、刀身の上に乗せるように押さえながら滑り来る斬撃が見えた瞬間、持ち上げる腕よりも先に全力で首を仰け反っていた。
薩摩拵の鍔は蜻蛉構えの邪魔にならないよう常よりも小さい物が採用されている。防御手段として身を預けるには心許ない。
戸草は当初、老人の力で放つ剣技ならば最悪の場合でも防刃服と面の喉垂れを利用して耐えられると思っていた。
だが、渾身の袈裟を振り切ったタイミングに合わせて喉元を狙う運足と技のキレは、刀身を身体で受け止める覚悟を覆し本能を呼び起こす。
それが功を奏したのかカウンターの斬撃は喉垂れを掠めて止まった。
止まった。
剣尖が喉に向いたまま止まっている。
連続した駆け引きの中、戸草は意図が分からず初めて居着く。
赤羽は笑いながら剣の柄を戸草の肘に絡め、沈身と共に極めた肘を袈裟に切り始める。
全ての意図は手中に在り。
二メートルを超える巨躯が宙に浮いた瞬間であった。
【四方投げ】
詐欺じみた演武で見せる生優しいものではない。
一度極めたら強引に圧し折るように、力任せに引っこ抜くように投げに移行する。
身体の中にテコの土台があるかのように抗えない力が発生し、抵抗すればしただけ我が身に帰る合気の投げ。
実戦の中で使われることはないと勝手に決めつけていた技が自分にかけられた時、戸草は理解よりも先に自重と遠心力で地面に叩きつけられる覚悟を決めていた。覚悟さえあれば意識は飛ばない。
刀を手放して受け身を取れば最小のダメージで済むが、それだけは選べなかった。
赤羽の剣術と柔術の融合は一朝一夕のものではなく、フィジカルを武器にした者への対処も想像以上に馴れている。
後の攻防が無手になるのは圧倒的に不利である。
戸草は刀を死守するように握力を込め、着地の衝撃は背を丸めて頭部へと伝わらないようにする。
瞬間、背中がゴムボールのようにひしゃげるが、腹筋を固めて体内で威力を相殺する。
問題ない。耐えられる。
そう確信した戸草は息を吸い込み、背筋のバネで起き上がりながら赤羽を斬りつけようと視線を動かす。
赤羽は身体の上、右方左方――どこにもいなかった。
ならば、投げられた時から右足首を掴んでいるのは誰だ? と思考を走らせたのが最後の記憶となる。
激痛と脂汗。
光る視界は黒でも白でもなく赤。
股間に埋め込まれた赤羽の踵は、肉袋の中にある小さな塊を無慈悲に磨り潰していた。
◆
「かかか。爺、やりやがったの」
控え室のモニターで観戦していた不玉は、扇子で口元を隠して笑っている。
初戦にして大会最大の番狂わせに歓喜する観客の雄叫びが会場を震わせ、それは離れた控え室までをも小刻みに揺らしていた。
「何故、戸草さんの袈裟斬りは届かなかったんですか?」
向かいのソファーで観戦していた鉄華が攻防の不自然な部分を師に問いかける。
「うむ、『掛り』の問題点は剣を振り下ろすタイミングにある。実戦の敵は横木打ちのように棒立ちでもなければ、走り幅跳びのように踏み切り線が用意されているわけでもない。しかし踏み込む時は利き足というものがあるからの」
強烈な打ち込み程踏み止まる力も強く、打突の瞬間膝は正面を向いたまま居着く。
差し出された剣閃で利き足に何かされると思わせていたのだろう。
「当然、戸草もその意図に気付き、迷わず左で踏み込む。それで距離を見誤ってしまったのじゃ。右蜻蛉で左足前では手元が体の内側に入り、射程が縮む。ほんの僅かな差ではあるが、目測を誤る布石を撒いておる」
土を飛ばす目潰しに戸草は僅かに腕を上げて視界を塞ぎ、それを見た赤羽は足元で構えのスイッチをして距離を稼いだ。
或いは、右蜻蛉から左蜻蛉に移行できていれば結果は違ったかもしれないが、彼の体重で全力突進の最中ともなると思うようには行かないのだろう。
「その後は儂も初見の技術じゃな。相手の刀に刀身を乗せて首を狙うのは合気剣術では【松竹梅の剣】と呼ばれるものの一つじゃが、剣尖を突き付けながら柄を短棒のように操作して柔術を仕掛けるのは爺のオリジナルじゃろう。思ったよりも必死じゃな、あの爺」
結果的に大会最大のフィジカルを持つ者が巧みに居着かされ、あろうことか一撃も入れられないまま柔術で倒されてしまったのだ。
殺し合いの駆け引きは一瞬で勝敗が決し、達人でも剣豪でもある種博打じみた駆け引きの中に落とされてしまうのだろう。
故に鉄華は改めて思うのだ。泥蓮に勝ち目はあるのかと。
覚悟で勝るであろう泥蓮にも活路はあるかに思えていたが、今の一ノ瀬は彼女に勝つ為に甘えや手加減を切り捨てた結果、人格すら変貌させてしまっている。
泥沼に引き摺り込む凄惨な戦いの中で互いに取り返しのつかない負傷を追うかもしれない。
泥蓮の出番は第三試合目。今頃自分の控え室でウォームアップに入っているだろう。
しかし、充分な勝算が得られない戦いに彼女が正面から挑むだろうか?
もしかしたら今この瞬間にも篠咲と直接戦おうとしている可能性だってあるのだ。
向こうの様子を覗きに行こうと鉄華が離席の言い訳を考え始めた瞬間、控え室のドアが数度ノックの音を立てた。
「開いとるよ」
ドアに向き直った不玉が声を上げる。
静かに開く扉から入ってきたのは白髪の老婆であった。
「どうも。春旗さんに話があるのですが、お時間よろしいでしょうか?」




