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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十二話
85/224

【共闘】③

   ■■■




 大会二日目。

 雨足は弱まる気配を見せず、排水溝に流れる水音は滝のように唸っていた。

 路面では大きな水溜りが激しく水面を波打たせながら歩く人々の裾を濡らしている。

 そんな悪天候に加え平日の早朝という条件にも関わらず超満員の撃剣大会会場、そのイベントホール内は人々の熱気で雲が出来るように空気が揺らめいていた。

 衆人の視線は競技場中央に建てられた舞台へと向けられている。

 一辺三十メートルの正方形状に、高さ三メートルの金網が組まれていて、たった一つの舞台に合わせて競技場内にも新たに客席が設置されていた。


 賞金が発生する本当の本戦はこれからだ。

 死地に踏み入る者は自らの意思で逃げ出すことは叶わず、勝敗は徹底的な負傷を以て決する。

 誰もがトーナメント第一試合に対して共通の思いを馳せていた。


 ――今から公開殺人が始まる。


 八十五才の老人、赤羽清雪。

 戦争体験すら持つ生ける伝説。

 現代合気道といえば赤羽であり、彼が技を出せばそれが合気である。

 実際に赤羽は予選を危なげなく勝ち抜くことで、彼の強さに懐疑的であった世論を覆している。


 しかし時の流れは残酷である。

 世代という歯車は両者の最盛期で噛み合うことはなかった。

 赤羽の相手には海内無双、大会随一のフィジカルを誇る戸草仁礼が当てられている。


 如何に秘奥の術理あれど、如何に『柔』を極めようと、余りに大きく開いた身体差を埋める事はできない。

 それが格闘技に纏わる悲しい現実である。

 或いは、互いに武器を持つ戦いならば攻撃力という一点に於いてのみ老人でも相手に致命傷を与える機会があるかに見えるが、筋力がものを言う身体操作で圧倒的な差がある以上結果は火を見るよりも明らかだ。

 戸草の予選の相手は蜻蛉からの【掛り】を受け流すことすら出来ず、受けた刀身ごと鎖骨と胸骨を圧し折られて集中治療室入りしている。

 誰もが次は赤羽がそうなる番だと確信し、ある観客は好奇心で猛り、ある観客は残虐な結果を想像して目を伏せながら両雄の入場を待っていた。




   ◆




「先生、縁起でもないです」


 競技場から離れた控え室に、合気道赤羽派門弟である比良野(タスク)の声が響く。

 彼の手に握られた書状は今朝書いたという赤羽の遺書であった。

 泣きそうな顔の弟子に赤羽は笑みを見せながら応える。


「縁起ってのは担ぐもんじゃねえ。ただそこにあるものだ。俺もおめえも仏ですらも縁の起こりで出来ている。地水火風空識、全ての生滅は必定のものよ」


 説くは仏教本来の意味での縁起であった。

 赤羽は宗教家ではないが無神論者でもない。

 多くの日本人と同じように古来のアニミズムに敬意を示し、必要であれば宗教家の説法も用いて諭す。

 赤羽の考える勝利とは、武力制圧の一路ではない。


 とはいえ、今から始まる戦いは自ら飛び込んだ悪路である。

 後世の合気道を守るために現実的な暴力を示さなければならない。


「比良野ぉ、てめえ俺があの化物に勝てると思ってんのか?」

「それは……」

「かかかっ、正直だなおめえは。俺もこの歳で鬼退治させられるたぁ思ってもなかったわ。山に芝刈りに行く側だろうに」


 戸草との組み合わせの危険性は、他でもない赤羽自身が一番理解している。

 徹底的に剛柔の差を比べようとする意図は篠咲のものであろう。

 しかし活路はある。


「不退転の覚悟よ。自顕の若造はこんな老いぼれに命まで賭けちゃいないが、俺は賭けている。この差は大きいぜ」


 赤羽は未だ暗雲立ち込める門弟の肩を叩き、顔を覗き込むように檄を飛ばした。


「おい! 俺は勝つぞ!」

「はい……先生っ! 勝ちましょう!」


 比良野の瞳から疑念の色が消えたことに満足し、赤羽は乾いた笑いを響かせていた。


 ――それでいい。ただ起こる事実を網膜に焼き付けろ。


 俺の生き様、俺の合気。

 まだ手の内に籠もる確かな感触。

 最盛期の術理を発動する深奥の動力源に火を付けて、赤羽清雪は控え室を後にした。




   ■■■




 合気は剣が主体、柔術も剣の理合の延長、と先師は説く。

 しかしながら今日日、合気といえば柔術の方を指し示すのは、現代の法や倫理による抑圧と淘汰というだけではない。

 合気剣術は合気柔術ほどに体系化出来ていないことが伝承を阻害する要因になっている。


 合気道の発祥である大東流は源義光や甲斐武田家を流祖とする諸説あるがどれも仮託の域を出ていない。

 現代に伝わる技術の大部分は歴史の中に突如として現れた天才が明治期に纏め上げたものだ。

 武田惣角(ソウカク)先師である。

 先師は剣術に重きを置き、一流一派ではなく多くの剣術流派を取り込んだその先に自分だけの型を作り上げている。

 それはもはや学んだ小野派一刀流でもなく、鏡心明智流でもなく、直心影流でもない。

 晩年は比類なき腕力と左利きを活かした二刀術までも使いこなしていたという。


 天才が守破離の末に辿り着いた天才だけの型。

 それが合気剣術の始まりである。

 術理を紐解くことは出来ても、余人が同じ剣境に到達することは不可能なのだ。


 ――ならばどうするか?


 同じく守破離に至り自分だけの術理を手にすればいい。小さな枠内で並び競うことに意味はない。

 赤羽はとうの昔に答えを得ている。


 赤羽は競技場へと続く花道の終わりで抜刀し、鞘をセコンドの比良野に預けた。

 構えは中段。

 手元は右寄り、左足前、撞木足。

 宿る術理に気を通し、悲鳴じみた観客の声ももはや届かない。

 大喧騒のノイズは水を打つ静謐へと変わり、意識は濃度を増して前方の敵へと収束する。


 戸草仁礼。


 身長二メートルを超える戸草だが、野太刀を【蜻蛉】で構えると更に倍ほど大きく見える。

 才能を持つ者が最も才能を引き出せる技に出会い、生涯を懸けて鍛え上げ(わざ)と成す。

 払い、打ち落とし、摺り上げ、巻き落とし、抑え、全ての防御方法が通じないことは構えを見ただけでも理解できる。


 赤羽は笑っていた。

 恐怖ではない。

 一つを極めただけで最強と呼ばれる男の才気に嫉妬し、自分自身に笑みを向けている。

 歪む口端から思わず声が漏れた。


「悪く思うなよ。若造」


 呟きは喧騒に掻き消され誰にも届くことはなかったが、それを合図にしたかのように戸草は地を蹴って飛び出していた。




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