【来訪】②
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「はいはい、皆さん注目! な、な、なんとぉ! 我らが古武術部に新しいメンバーが増えました! それでは張り切ってどうぞ~」
古武術部顧問である八重洲川富士子はテンションの限りを尽くして新入部員を迎えていた。それは当面の間は廃部の危機を脱したという安堵から来るものであった。
「えっと……春旗鉄華です……どうも」
紙吹雪の舞う中、鉄華はバツが悪そうに名乗る。
冷凍庫の扉を締めながら泥蓮は鉄華を一瞥した後、面倒そうに「知ってるよ」と応えた。
そしてパイプ椅子に身を投げ出すように座り込み、手に持っていたアイスの袋を破り捨てて水色の氷菓子に齧り付き始めた。
「知らないのは見学会サボってたフジコ先生だけっすよ」
一巴はお茶を淹れながら、非難の念を込めた三白眼を顧問に向ける。あの日に顧問の教員が居れば泥蓮の暴走を止めることができたはずで、もう何人か勧誘できたかもしれないのに、と一巴は考えていた。
「いやん! 先生はガキ共には想像もできないしがらみの中で毎日戦ってるのよ! 学年主任のハゲと教頭のハゲが仕事押し付けてくるんだから少しは労れよ、おい!」
「はいはい、お茶でもどうぞ」
「あら、茶柱! ねぇねぇ見て見て見て」
「うるせえっす。茶菓子でも頬張りやがれっす」
差し出されたクッキーを「わーい」と声を出して頬張る教師を見て、鉄華は本当にこの部活で良かったのであろうかと少し悩む。
「改めて紹介すると、私が副部長の木南一巴。よろしくっす。コナミでもヒトハでも好きに呼んでくれてもいいっすよ」
一巴はショートカットをかき上げながら自己紹介をする。
手には角質化した皮膚が見え隠れし、前腕部は文化部の女子高生には似つかわしくない程の筋肉が付いている。
改めて一巴を観察した鉄華は、彼女も何かをやっていることに気付いた。
古武術、剣道の知識を持ち合わせていて、泥蓮の強さも知っている彼女は一筋縄ではいかない人物だろう。
「じゃあ、私は鉄華でいいです。よろしくお願いします、一巴先輩」
「ふふふ、先輩と呼ばれるのはなんだか嬉しムズ痒いっすね」
お盆を抱きしめてクネクネしていた一巴は、やがてコホンと咳払いして紹介に戻った。
「で、このダメ人間一号が顧問のフジコ先生。名字は忘れたっす」
「え、ひどくね? 古文の単位やらねーぞ」
「特技は部室をサボり場として使うことと部費の私的流用です。いつか教育委員会で問題にしてやるっす」
「……反省してまーす」
不貞腐れつつもクッキーを頬張り続ける富士子は、もはや鉄華に興味すらない様子でスマートフォンを弄り、パズルゲームに興じていた。
「んでこっちのパンツ丸見えのダメ人間二号が部長で三年生のデレ姉です。鉄華ちゃんもデレ子とかデレ姉とか呼べばいいっすよ。私が認めるっす」
机に足を上げていた泥蓮は、パイプ椅子の背もたれからずり落ちて液体のようになっていた。半分寝ている。
鉄華は決心して泥蓮に歩み寄った。
同じ部の仲間になるのだから禍根を残し続けるのは良くない。
「先日は手合わせありがとうございました、デレ姉」
「おう」
視線が交差する。
「次は」
「あ?」
「次は負けませんから」
「……いや、私にそういうスポ根期待されても困るんだが」
「負けませんから」
「はぁ、勝手にしろ」
きっとこれはもう性分なのだと鉄華は自認する。乗り越えるべき目標があるのは心が躍る。
古流は殺し合いの実戦だと思っていたがその実は違い、法に反しない範囲でのルールが求められる場所に引きずり出せば競技化する。
殺人の技術ではなく現代社会の倫理の中で活きる技を修めること、そこに活路があると鉄華は思っていた。
大学受験か就職活動を控えた泥蓮が部に在籍できるのは夏の終わりまでだろう。
今この瞬間から強くならなくてはならない。盗める技も全て盗まなくてはならない。
「普段は何やってるんですか一巴先輩? 型の研究とか言ってましたけど」
「んー、いつもは適当に伝書読んだりネットの動画見たりして流派ごとの特徴纏めてレポート作ってるっすよ。あっちの棚に並んでる新し目のファイルがそうっす」
一巴が指差した棚には「念流」「神道流」「陰流」などとラベルされたファイルが収められていた。
「トレーニングとか稽古とかしないんですか?」
「まぁ文化部っすからねえ。たまにデレ姉がやる気出して型なんかを実際にやってみることもあるっすけど」
「フジコ先生は古流に詳しいんですか?」
「いんや。先生は昔に剣道齧ってただけだよ。臭いのヤだから辞めちゃった」
富士子は手首を振り、鉄華のやる気に拒絶の意思を示した。
ああそうか、と鉄華は察する。
これがこの部活の日常で、古武術とは名ばかりの至って私的な怠けるための場所であると。
歌月言うところの怠惰で甘えた日常が今まさに目の前で展開されている。
古武術部には明確な目標がない故に日々の研鑽を必要としないのだ。
だがそれでは泥蓮の強さに説明がつかない。
棚に並ぶファイルの中に「一叢流」なる項目が無いことを確かめた鉄華が次の質問を声に出そうとしたその時、突如部室のドアが大きな音を立てて開かれた。
剣道部の最上歌月だ。
「あら、いやだわいやだわ。こんなじっとりした部屋でぐったりしているあなた達を見ているとこちらまでジメジメしそうですわ。キノコでも育てているのかしら?」
歌月の皮肉に誰一人反応を返すことはなかった。
唯一の良識人であろう一巴ですら古書のページを捲りながら黙殺している。
鉄華もそれに習い、無視することにした。
「……ちょ、ちょっと! 何か言いなさいよ、あなた達!」
またもや涙目になり始めた歌月を横目で見ながら、鉄華は彼女のことを少し気の毒に思い始めた。
歌月は生まれた環境の為に演技性を求められて育ってきたが、基本的には根が真面目で正直なのだ。彼女を慕う後輩も多い。
剣道部に入る気はないが、彼女のような真っ直ぐな人間に必要とされるのは悪い気はしなかった。
「うるせえな。そいつの入部に関してはもう決まったことなんだから諦めろ。しつこく勧誘しに来んな」
歌月の大声で目覚めた泥蓮が眠い目を擦りながら応えた。
「そもそもお前は真っ当な剣道勝負で私に負けたんだから、この部には不干渉のはずだろ? 約束守れよ、成金の娘が」
更なる古武術部と剣道部の確執を知ってしまった鉄華は、笑ってしまうくらいの同情心をなんとか心中に押し留めて、やはり無視を通すことにした。
「あぁあああ! 成金の娘って言った! 言ってはいけないことを言いましたわね!」
「いけないも何も事実だろ。さっさと家帰ってフォアグラでも食ってろよ」
「きぃいいい、そんな貧相な金持ち像で小馬鹿にして……。先生! これはイジメですわよ、フジコ先生!」
「先生は民事不介入でっす」
富士子はスマートフォンの画面を忙しく叩きながら無表情で歌月をあしらう。生徒との距離の取り方に熟達した古参教師の風格すら漂わせていた。
「全くこの部活ときたら揃いも揃って……」
眉間を抑えてぶつぶつ呟いていた歌月は、不意に思い出したかのように一巴に向き直る。
視線を感じても一巴は読む手を止めなかったが、少し怪訝な表情が浮かんでいた。
「一巴さん、ご機嫌よろしくて? 先週はたいそうお世話になりましたわ。クッキー、美味しゅうございました」
数センチまで顔を近づけながら歌月は一巴をロックオンした。
あの後、歌月は病院で精密検査を受けて、念のために胃の洗浄まで行っていたことを一巴は知っていた。
「よ、喜んでもらえて何よりっす」
「わたくし、受けた御恩は必ずお返しますし、売られた喧嘩も必ず買うことにしていますの」
「ははは……」
一巴は視線で助けを求めるが、再度睡眠状態に入りかけている泥蓮の顔を確認して絶望した。教師は頼りにならず、独力での打開を求められていた。
「……わかりました。モゲ姉さん、勝負しましょう」
覚悟を決めた一巴の目は一層暗さを増し、吹き出すような闘争の空気が歌月をたじろがせた。
「む、む、無理はしなくていいのよ一巴さん。わたくしとて誰彼傷付けるつもりはありませんし……」
「いえ、生徒会会議で活動費が確定するまで鉄華ちゃんには在籍してもらわないと困るっす。鉄華ちゃんの勧誘を賭けて、ここで完全に白黒つけましょう」
そのやり取りを横目で見ていた鉄華は、自分の与り知らないところで自分の身売りに関する決着が付けられることに憤りを感じ始めていた。
それと同時に、一巴の強さを確認したい思いがせめぎ合っている。
しかし、ここで一寸考え直して静観することにした。
たとえ彼女らの間で勝敗が決しても、在籍に関して鉄華の意思を曲げる権利が発生するわけではない。
一巴にとってこの勝負は勝てばプラスで負けても現状維持でしかないのだ。
場の空気で押し通した、ただの罠だった。
「そ、そこまで言うのならよろしくてよ! 勝負はどうしましょう? 剣道でもステゴロでも何なりとおっしゃいなさい」
「いえいえ、暴力はなしっす。勝負内容は……これっす」
そう言うと一巴は冷蔵庫を開けてA4サイズのトレーを取り出す。
その中には直径三センチくらいの灰色の玉が沢山並んでいた。
「『ドキドキ! わさび入り? ロシアン兵糧丸対決!』っす」
◆
「兵糧丸といえば忍者御用達、任務遂行のお供。その原理は生化学としても理に適っているっす」
一巴はトレー内の丸い物体、兵糧丸を皿の上に並べながら説明を続けた。
「血液ってのは弱アルカリ性なんすけど、飢餓状態が続くと体内の脂肪が肝臓で消費されてケトン体という酸化物質が生成され血液も酸性に傾くっす。
これをアシドーシスと言うのですが、その状態では意識が朦朧とし、幻聴幻覚も起きて、酷くなると失神する程の生理反応が起きるっす。
それでは生きていても忍者の任務遂行は困難と言わざるを得ないわけっすね。
ケトン体の生成を抑えるには糖質の補給が重要。そして糖質と言えば炭水化物っす。
戦国の世では単純に炊いた米を干しただけの携帯食『乾飯』なんてもんがありましたが、そこに生薬や香料を加えることで効能と美味しさを付加したのが兵糧丸というわけっすよ」
歌月はその色と形を一つずつ確かめるように観察している。
鉄華も細かく観察していたが、そのどれもが完全に同一であると言えるほど巧く作られていた。
「基本は穀物粉っす。もち米、うるち米、そば粉、小麦粉。そして生薬。人参、山芋、甘草、はと麦、シナモン。それらを酒に浸したあと、練って丸薬にするっす。
他にも梅干しを混ぜて唾液分泌を促したり、少量のトリカブトを混ぜて食欲自体を減衰させるようなバリエーションもあるっすね」
トリカブトという単語を聞いた歌月は緊張で強張った。
「今回は入れてないっすから安心して下さい」
一巴は不気味な笑みで応える。
「でも今回はなあんと! この中に大量のわさびが入った物があるので、それ引いたら負けっす! わさびは抗菌作用があり香料としても立派に役立つので、決して食べ物で遊んでいるわけじゃないっすよ」
説明を聞きながら鉄華は見学会を思い出していた。
一巴の知識は忍術方面への偏りが見られる。
サバイバル術を含めた実用性という意味では、単に剣術流派を追うよりも有益な情報が多いのかもしれない。
「それじゃー、はりきってどうぞ!」
そう言うと一巴は鉄華と歌月に向けて手を広げて促した。
「え? わ、私ですか?」
「もちろんすよ。ぶっちゃけ私は判別できちゃうので代打で鉄華ちゃんっす。元々新入部員歓迎の為に作ったんですから」
「えぇ……」
この提案により、もはや一巴には何のリスクもない賭け事となってしまった。自分の身は自分で守れという先輩からの熱い視線が鉄華に飛んでくる。
「あの……一巴さん。これは本当に食べ物なのでしょうか?」
歌月は少し青ざめながら再度確認をするが、一巴は不敵な笑みを返すだけであった。
鉄華は一巴の意図を読もうとする。
皿の上で兵糧丸は一直線に並べられている。その数は十個。
外見で判別はできない。
それでも一巴は判別できると言う。
つまりトレー内で別けて並べていた可能性が高い。
鉄華は一つだけトレーの後列から取り出していた一巴の動きをちゃんと見ていた。
答えは既に出ている。
「決めました」「決まりましたわ」
鉄華と歌月は同時に決断し、その考えも一致していた。
鉄華が一巴の動きを見ていたように、歌月もその違和感を見逃してはいなかった。
「そうすか。じゃ二人共一つ取って食べて下さい」
一巴が促すと、歌月は早い者勝ちとばかりに一つ摘みとった。
ここで鉄華は新たな疑念が浮かんだ。
交互に取るのではなく同時に取るのであれば、両者が答えに気付いている場合は勝負が付かない。
最後の一つが取り合いになってしまうからだ。
そうなるとルールのミスだ。
木南一巴というしたたかな人物がそんなミスをするだろうか?
鉄華は選び取る手をスライドさせて、当初ハズレだと考えていた一番端の一つを摘んだ。
その選択を確認した歌月は頬が緩む。
「ほほほ、お可愛いこと。鉄華さん、あなたの負けが確定しましたわ!」
「はいはい、勝ち名乗りの前にさっさと食べて下さいっす」
二人は同時に兵糧丸を口に放り込み、恐る恐る咀嚼する。
それは歌月の負けが確定した瞬間であった。
■■■
午後六時を回り、部室の戸締まりを済ませた面々は一緒に帰宅の途に就いていた。
「いやぁ、今日は楽しかったっすね」
「一巴先輩って割りとえげつないですね」
鉄華は正直な感想を述べた。
わさびに噎せて食べかけの兵糧丸や唾液を床に撒き散らした歌月は本気で泣いていた。
「罰も含めて同条件っすよ。そんな中で『ハズレは一つだけ』とは言っていないことに気付けるかどうかキモっす」
「……私を試したんですか?」
「考えすぎっすよ鉄華ちゃん」
怪しく微笑む一巴を見ながら鉄華は、心の中で「油断ならない人間カテゴリ」に彼女を収めた。
「んじゃ私はこっちなんでお別れっす。またね鉄華ちゃん。デレ姉も」
三叉路で一巴が離脱し、鉄華は泥蓮と二人きりになってしまった。
急に会話が途切れ、何とも言えない空気と距離感が発生する。
泥蓮は部活中をほぼ睡眠で費やしていて、鉄華とまともにコミュニケーションを取ってはいない。
正直な話、鉄華は腹立たしく思っていた。
これほどまでに自堕落なのに鉄華よりも圧倒的に強いのだ。その強さの秘密がプライベートな時間にあるのは確実だ。
趣味、嗜好、トレーニング内容、知識の収集方法、一叢流という流派について。
探らないといけない物事が何一つ探れていない。
「あの、デレ姉」
「ん。なんだ?」
「一叢流って何ですか」
鉄華はストレートな質問をぶつけてみた。流派が分かれば調べられることも見えてくるものも多い。
「よく分からん」
あくびをしながら泥蓮は応えた。
「実家の家業でな。歴史や技術についてはババアの方が詳しい」
実家というからには恐らく現在は一人暮らしで、「ババア」は母か祖母を指しているのであろうか。
家業でやっている流派ということは道場を経営しているかもしれないし、泥蓮自身も生まれた時からずっと研鑽を積んできている可能性は高い。
まだ情報が足りないと感じた鉄華だが、それ以上の質問は控えた。
現段階であまりに踏み込んで質問するのは無作法で、変に警戒もされても困ると判断した。
「あー、鉄華」
「な、なんですかデレ姉」
「一ノ瀬はどうだ? 生きてるのか?」
不意に泥蓮の方から質問が飛んできた。
彼女は意外にも剣友会のことを気にかけている。
「……復帰してはいるらしいですよ。それ以上のことは剣友会自体もう辞めてるんで分からないです」
「そうか。機会があれば礼を言っていたと伝えてくれ」
「あの勝ち方で礼を言うのは酷なことだと思いますけど」
「鞭打つ気はない。本心だよ。あの時、最後の面を貰うつもりはなかったんだ。お陰でまた一つ成長できた」
眠そうな目をしている泥蓮であったが、紡ぐ言葉には不思議と意思の強さが感じられた。
「分かりました。機会があれば伝えます」
その機会はもう無いだろうと内心で呟く鉄華であった。
今や彼ら言うところの「邪剣」に踏み込んでしまっている。尊敬の念は変わらないが故に、合わす顔など持ち合わせていない。
そんな彼らを踏み潰して得られたという泥蓮の成長の正体の方が気掛かりだ。
「あなたはどうしてそこまでして強くなる必要があるんですか?」
鉄華はその質問が口から漏れてしまうのを止められなかった。
「そういう重そうな質問はもうちょっと好感度上げてからにしてくれよ。ギャルゲーみたいに地道にポイント稼げ」
「真面目な質問です」
「なら尚更だ。自身の想いに理由を付けたいなら自分で探せ。よくわかんねー他人に求めてどうする」
鉄華の心中を見透かすように泥蓮は吐き捨てた。
「じゃあな」
立ち尽くす鉄華に向き直ることなく、泥蓮は夕闇の路地に消えていった。