【柳生新陰流:奏井 至方】
ひしめき合う人混みのどこかで悲鳴が上がった。
それでも誰も気に留めることはなかったという。
渋谷。
十月も終わりを迎え早冬の肌寒さが感じられる時節、駅前の通りは人々の熱気で粘つく湿度を纏わせていた。
夕方から徐々に集まり始めた疎らな集団も、今では車道を埋め尽くす規模にまで膨らんでいる。
そして、その誰もが様々な仮装をしていた。
ゾンビ、吸血鬼に始まる西洋の妖怪であったり、何かしらのアニメのキャラクターであったり、ただ無闇に露出の高い服であったり、三者三様の個性が混じり合って異質な空間を形成していた。
誰が始めたのか、何時日本に広まり始めたのか、ハロウィンの風物詩とも呼べる光景であった。
突然笑い声が響いたかと思えば、屋台の掛け声が覆いかぶさる。肩をぶつけた集団同士の濁った怒声も聞こえてくる。数十万もの群衆のさえずりと靴音は巨大なノイズになって場をかき乱し続けている。
そんな中で上がる数人の悲鳴など取るに足らない些事でしかなかった。
騒ぎの中心にいるのは中肉中背の三十代、蒼白の顔面に流血のメイクを施した吸血鬼風の男。
その手には血糊の付いたサバイバルナイフ。刃の背にあたる部分の鋸刃には引き千切られたような白い肉塊が絡まっている。
吸血鬼の前に倒れている男女はそれぞれ腹部と首から噴水のように出血していた。
状況が状況である。
上がる悲鳴はただの驚き、或いは演技でしかなかった。
周囲の人々は逃げ出そうともせず見物するように取り囲み、中には携帯電話のカメラを向けて笑っている者すらいる。
集団が形成する安堵感は伝搬し、同調性の先入観へと変貌していく。
これはお祭り騒ぎの延長で一種のパフォーマンスなのだと誰もが疑わずにいた。
本当の意味での悲鳴が木霊したのは、魔女のコスプレをしている女性の顔が斜めに斬り上げられた時であった。
運悪く吸血鬼男の傍でカメラを向けていた女性は下顎から頬までを切り取られ、地面に落ちた自分の肉片を数秒眺めていたが、一気に吹き出す脳内物資に思考が追いつかず痙攣しながら崩れるようにして気を失った。
三人の血溜まりが繋がり、人の輪の内側に生暖かい鉄の匂いが広がっていく。
それでようやく演出ではないことに気付いた聴衆が蜘蛛の子を散らすように逃走を始める。
無差別殺人。
それが群衆の中で突発的に起こった場合、初期犠牲者が出るのは避けようがない。
誰もが本能を呼び起こし標的にならないよう逃げまとう。
しかし、後方を歩いていた人々は状況が掴めず逃げ遅れてしまう。一体今、誰が何を起こしたのかも分からぬまま次のターゲットになっていく。
――はずだった。
群衆の中、殺人者が次なるターゲットとして定めたのは、逃げることも視線を逸らすこともしなかった壮年の男である。
逃げるどころかただ真っ直ぐ歩み寄る和装の男。嫌でも視界に映る鬱陶しさに殺人者は排除を決めていた。
間合いに入ったことを確認した殺人者は、右手に握るナイフを相手に向け、下方から振り上げるように腹部を狙った突きを放つ。
相手の男は多少腕に覚えがあるのかもしれない。それでも近接距離で死角から襲い来る刃物を素手で防ぐのは無理がある。
そう確信していた殺人者の切っ先は向かい来る男の腹部ではなく、自分の眼窩を抉っていた。
脳裏に疑問だけが切れかけの蛍光灯のように明滅する。
痛みよりも、視界の喪失よりも、何故自分のナイフが自分に突き刺さっているのか分からず殺人者は混乱した。
傍から見ていた群衆にも男が何をしたのか理解は出来ない。
答えは向けられたカメラの映像に収められていた。
その映像は男の初公判よりも先にインターネット上に出回り、術理だけでなく男の正体も明らかにされることになった。
男の名は奏井至方。
事件当時、不敗の伝説、或いは稀代の詐欺師と呼ばれる人物であった。
向かい来るナイフに対して奏井が取った行動は、相手の右肩への鉄槌、右肘への手刀だけである。
それでけで切っ先は空を切りながら円を描いて、殺人者の右眼に到着していた。
対刃物の度胸のみならず、得物の長さや間合い、振り上げの速度、彼我の体重差を正確に把握する観察眼を以てしてようやく可能な芸当である。
殺人者は当初、死んでもいいと思っていた。最終的には自身の命を散らす覚悟を持って事に及んでいる。
その思いがたった数人の被害者を出しただけで挫かれ、右眼から伝う硝子体が口内に届いた時、初めて恐怖を感じた。
世の中に対する個人的な鬱憤を理不尽にも向けられた三人の被害者、彼らの思いを共有するかのように恐怖を理解することができた。
脳内に湧き上がり充満する「死にたくない」という切実な願いを、「生きて償う贖罪」へすり替えようと思考を走らせた瞬間、殺人者は奏井と目が合った。
向けられる瞳孔は、底のない穴のようだった。
闇の世界で更なる異質を漂わせる深淵の畔。
穴から放たれる無色透明の何かが、風のように眼球を突き抜けて脳を探っていく。
ただ冷たく、深く抉る奏井の視線を向けられた殺人者は――諦めてしまった。
この深淵の前では嘘も虚飾も言い逃れも通用しないと本能で悟り、乞い願うように口元を震わせて笑うしかなかった。
対する奏井も微笑むように笑う。
歪んだ思いを認識し、自省し、都合のいい逃避を諦めた殺人者に、親が子を叱った後のような慈愛の微笑みを向けて応える。
そして、強烈な踏み込みとともに右眼に刺さるナイフの柄に掌底を叩き込み、眼底を砕き、刃先を脳へと到達させた。
それが過剰防衛の決め手となり、奏井は十年の懲役で投獄されることになった。
■■■
誰が言い出したのか、男は『不敗』と呼ばれていた。
勝負事に付き纏う時の運ですら制した男、奏井至方。
奏井は流派を修めた二十代半ば以降、一度も負けたことがないとされている。
現代も続く尾張柳生、江戸柳生の術競べを嘲笑うかのように両派団体を叩き潰し、剣道の世界王者、自衛隊や皇宮警察の精鋭、現代格闘技の強者、腕に覚えのある諸派の剣者から町の喧嘩自慢までありとあらゆる者が挑んだが、勝ち名乗りを上げた者は終ぞ一人として現れることはなかったという。
やがて海外に飛び、自らに懸賞金を掛けて柔術、剣術双方で相手を募るが、尚も不敗。時に多人数戦、銃撃をも制したと逸話が残るばかりである。
ある者は言う。
奏井の逸話は現実味がない創作である、と。
検証もできない時代を利用した稀代の詐欺師、大法螺吹きの一人であると批判的に扱う書籍や記事も散見される。
ある者は言う。
生きる時代が悪かった、と。
まだ昭和初期の守山蘭道と会うこともなく、剣道の千葉や薬丸自顕流の戸草が台頭した時には投獄中である。
空白期とも言える中間の時代、終戦後しばらくして武道武術の復興期が終わった頃に生まれた奏井は、本物の強者と戦う機会に恵まれなかったのだと、彼の強さを疑問視する声も少なくなかった。
奏井はもう若くはない。
彼は刑期を終えた五十歳を機に一戦から遠退き、取材陣や挑戦者を避けて隠居するように書画の世界に没頭している。
いつしかそれが年齢に限界を感じての引退だと受け取られるようになった。
にも関わらず今も尚最強だと呼び声が挙がるのは、彼が地道に積み上げてきた勝利の数が、無差別殺人者を前に披露した不敗の術理が、そのまま説得力になっているからだ。
かつて天覧試合を制した守山蘭道の如く武術界に君臨していた伝説、奏井至方。
やがて彼の元に一通の書簡が届くと、奏井は古い約束を思い出して破顔していた。もはや存在すら忘れていた懐かしい苗字がそこにはある。
二度と衆目に晒すことはないと決心していた古流は、彼自身予想すら出来なかった方法で再び陽の目を見ることになろうとしていた。
その手の内には黒ずんだ木の破片、割符が握られていたのであった。




