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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十九話
78/224

【鉄斎】⑦

   ■■■




 長引く試合もなく、つつがなく進行するかに思われていた大会初日だが、医務室の限界を超えて溢れた負傷者の対応に主催側は四苦八苦していた。

 複数の病院へ搬送するという対応を強いられる事になり、いくらかの休憩を挟みつつ進行が引き伸ばされた結果、最終試合が始まったのは開会式から八時間後のことである。


 観客の疲弊は明らかで、付き合いきれず退席する者も多くいたが、それでも今この瞬間に残っている者、ストリーミング配信を観ている者の期待は最終試合にこそ集約されていると言っても過言ではない。

 夕食の誘いを断ってでも会場に残った木南一巴は観客に紛れ、眼の前の試合場に入ってきた男女を観察していた。


 一方はタイ捨流の御影藤丸。

 身長は大会二番目の百九十八センチという男。

 戸草仁礼とは違い細身の長身ではあるが、使う得物は長さ百六十センチはあろう木刀であった。

 大太刀と呼ばれる五尺刀に匹敵する木刀を、高く斜めに掲げる八相【右甲段】で構えている。

 示現流の流祖、東郷重位も学んだとされるタイ捨流は術理を同じくする高めの八相を持っている。 


 御影が木刀を選んだのは同じ長さの刀に比べて軽く、上段で支え続けるのに適しているからであろう。

 防刃繊維に対する打突は刃の向きを気にする必要がなく、力任せに撲殺を狙うだけで充分だとする考え方も大会では一定の支持を得ている。

 一巴は御影が持つ象牙色の木刀を「枇杷(びわ)の木」だと遠目に断定していた。

 密度と粘りが高い枇杷の木刀は、極めて強靱で真剣に勝る強度とされていて、昔は木刀試合で枇杷の木刀を持つことは卑怯とされたほどである。

 真剣相手とはいえ防御時に得物ごと切断される心配はほぼ無いと言っていい。


 問題は対手の女、篠咲鍵理である。

 篠咲は道着姿で面も防具も付けておらず、ただ自然体で歩き、左腰に差す大小二本の刀は抜き放たれることなく納刀したままであった。

 しかも試合場に入ってきた速度のまま、歩みを止める気配はない。


 ――誰が分かるだろうか。


 一巴は篠咲の異常なまでの脱力に気付いていた。

 歩みや呼吸による上体の振れが見当たらない。

 呼吸を妨げる胸筋や腹筋、横隔膜の力みすら弛緩している。

 明らかな抜刀術の予兆ではあるが、衆人環視の大会、命を賭けた死闘という緊張感の中、ここまでの脱力を実行できるものなのか。


 ――場馴れしている。


 口だけではなく、剣術の死闘に馴れている。

 これほどの強者が女子剣道という枠内に身を潜めていたという事実。

 一巴の心中を代弁するかのように冷えた汗が脇を伝っていった。


 篠咲は刀に手を掛けることなく、まるで握手でもするように御影の間合いに踏み込んでいく。

 その瞬間、御影に動揺が顕れた。

 刹那の逡巡。

 無防備な女性に全力で木刀を叩きつけるという心中の躊躇い。

 御影が半歩後退しながら振り下ろす覚悟を決めた時、既に篠咲は抜刀の体勢に入っていた。


 右甲段からの袈裟斬りは篠咲のこめかみに到達する前に、横薙ぎの抜刀で軌道を逸らされる。

 篠咲の刀は正確無比に木刀を握る右拳を破壊していたが、この時御影はまだ気付いていない。

 死合の興奮で痛覚が鈍っているからだ。

 それが意図せず御影を助け、踏み止まることなく次の行動に移ることが出来た。


 瞬時に距離を詰め、飛び上がるように篠咲の顔面に向けて右膝を跳ね上げる。

 タイ捨流は近接での手刀や蹴りに躊躇がなく、御影にはキックボクシングの下地があった。

 長身を活かした膝蹴りは容易に人体の上段を狙うことが可能であり、至近距離に於いて真下の死角から襲い来る打撃は剣術の枠外である。

 篠咲は横薙ぎの抜刀を振り切った直後であり、咄嗟に防ぐことは出来ないかに思えた。


 ここで御影はようやく気付く。

 右膝が持ち上がらない。

 右手も中指と薬指が外側に折れ曲がり木刀を保持できない。

 身を沈めていた篠咲が立ち上がると、視界の下方には右足の甲に脇差が刺さっているのが見えた。地面に縫い止めるように深く鍔まで刺し込まれている。

 思考が視覚情報から痛覚を取り戻していくと、御影はパニック状態になり大きく叫んだ。

 木刀を手放し、足を労るようにうずくまったのを確認した審判は、速やかに勝負の終わりを宣言して旗を上げた。


 まだ他の試合場で続いている立会いがあるにも関わらず、会場に残った疎らな観客から悲鳴のような歓声が上がり始める。

 篠咲は参加者の中でも知名度と強さが釣り合っていないと疑われる側の女性剣客であったが、疑惑疑念を払拭する快勝に誰もが沸き立っていた。


 一巴は見ていた。

 篠咲は向かい来る膝蹴りに対し、左手で抜いた脇差を足の甲に突き刺して迎え撃ったのだ。

 丸めた剣尖とはいえ、強く押し付ければ防刃繊維ごと足の皮膚を突き破るのに充分な鋭角を備えている。

 剣面は刃筋を立てており、もし素足であったなら御影は足を振り上げる勢いで脛を開きにしていただろう。


 ――それでも速すぎる。


 最大の脅威は、抜刀ですらも『雲耀』に比肩する速度に到達している――ということではない。

 御影は刃に吸い込まれるように足を持ち上げている。

 篠崎の動きは後の先ではなく、御影の起こりよりも先に対策を置いて待っていたのだ。

 それは篠咲も一巴と同じように、戦う相手の技や癖を入念に調べ上げてシミュレートしていることを示唆していた。


 強さに奢ることなく、身体と知能をフルに駆使して勝利をもぎ取る姿勢。

 強者の余裕など微塵もなく、付け入る隙などどこにあるのだろうか。


 退場する篠咲の視線は泳がすことなく観客席の一点に向けられ、その先には一巴がいる。

 一巴も視線を切らず、篠咲と向かい合う。

 冷静を努めようとする一巴は、手裏剣を握る手が意に反して汗ばんでいくのを感じていた。




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