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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十九話
77/224

【鉄斎】⑥

   ■■■




 控え室へと向かう長い廊下はミストの気化熱を利用した冷房で靄がかっていた。

 競技場と外の世界を二分する通路で体内の熱を冷ました鉄華は幾らか平静を取り戻して、隣を歩く不玉へ向けて質問を向けた。


「あれが【档葉(アテハ)】ですか?」


 一叢流の六節、档葉は合宿でも触れられることのなかった術理である。

 腹部への一撃のみで戦闘不能に陥らせるというのは、多くの徒手武道の最終地点である「一撃必殺」を体現するロマン溢れる技ではあるが、鉄華は一叢流がその手のファンタジーを追うことはないと思っていただけに、実際に使われた技の原理を正確に把握できないでいた。


「うむ。以前体当たりに関して五輪書の事例を言ったかの?」

「はい。身の当たりですね」

「それじゃ。体当たりが時に命に関わる結果を残すのは、外見上無傷でも内臓や脳の軸索にダメージを与える事があるからじゃ。車の衝突や近代兵器の爆風などと同じじゃな。臓腑の痛みは血管迷走神経反射を引き起こし、急所攻撃であれば更に効率が上がる。体当たりでも打撃でも結果的に一撃で内部破壊に至った場合を当流では档葉と呼ぶ」


 档葉とは結果(・・)であると不玉は言う。

 それは一般的な技に比べ成功率が低い事を暗に示していた。


「破壊力とは力積のことじゃ。如何に長い時間相手に撃力を加え続けるかが肝よ。攻撃がヒットした後すぐに引き戻すのではなく、粘りを効かせ更に身体の向こう側へと力を押し込むことで力積は上がる。狙い目は人体的に守りの脆い鳩尾、膀胱、後頭部あたりじゃな」


 力積を意識した打撃は問答無用で体内を揺さぶる。

 当然ながら瞬間的な撃力は相応に高くなければならないので、不玉を以ってしても突進の加速力を乗せなければ成功率は疑わしいだろう。


「一般的に裏当てや徹し、浸透勁などと称されるオカルト内部破壊技じゃが、当流では至ってシンプルな力技と急所攻撃によってそれを引き起こす。気付いていると思うが儂でも成功率は七割程度、力を捩じ込む間は当然こちらの隙も大きくなるから使い所は吟味せねばならぬ」


 勁草、華窮による直進力を極めた先の奥義。武器術に匹敵しうる必倒の一撃は他参加者からしても警戒に値する技であろう。

 一回戦目から披露するべきではなかったように思えた鉄華だが、すぐにその考えを取り下げた。

 不玉の強みは档葉だけではなく、敢えて見せることによって可能になる心理的コントロールというものもあるのだろう。


「儂のオススメは膀胱じゃな。なんというか、こう、感触が良いのじゃ。風船をパァンと割るようでの」

「は、はぁ」

「相手が男の場合は膀胱パァンの後、膝でタマキン潰しへと繋げることが出来る。両方喰らえば世界の終わりを見てきたような顔になるので必見じゃ」


 まるで誰かに試したかのような口振りにドン引きする鉄華であった。


「執拗に股間を潰すとか、もはや玉狩りを風習とする蛮族だな。親族として恥ずかしい限りだ」


 いつの間にか合流していた泥蓮が背後から声を上げた。


「何をぅ!? セカオワコンボは一叢流の必修科目じゃぞ。ヤクザや不法投棄業者を使った組手で感触を確かめるのじゃ」

「やっぱり蛮族じゃねえか。地元民の間で山に妖怪が出ると噂になってんだぞ」

「地域貢献の一環じゃ。はははっ」


 不玉は高らかに笑い、その声は廊下中に反響していく。


 それにしても静かだ、と鉄華は思った。

 午前は参加者とその関係者、大会スタッフで賑わっていた控え室の廊下も今では自分たち以外は誰もいない。

 泥蓮も不玉も危なげなく勝利したが、負けた相手はまともな競技で負うレベルの怪我に留まらずそのまま救急医療に搬送されている。

 これが毎試合続いていくのだろう。

 覚悟の有る無しに関わらず死地に踏み込んだ現実を誰もが直視させられ、張り詰めた緊張感が静寂となって顕れているようであった。

 明日からのトーナメントでは棄権する選手が出るかもしれない。


 不玉が口を閉じ押し黙るといよいよ足音だけしか聞こえない静謐が広がる。

 その時、廊下の曲がり角から出てきた2つの人影が、鉄華たちとすれ違うように歩を進めているのが見えた。

 先頭の男が纏う黒道着を確認した鉄華は息を呑んだ。

 足音の変化から鉄華のみならず不玉と泥蓮も少し警戒を始めているのが分かる。


 男はかつての師、一ノ瀬宗介であった。




   ◆




「やあ、鉄華ちゃん。それに泥蓮さんも」


 足を止めて向かい合った集団同士、最初に声を上げたのは一ノ瀬であった。

 背後にいる範士の平上藤士郎は皺だらけの目元を細め、口元では含みを持たせた笑みを広げている。


「……一ノ瀬さん、範士も、お久しぶりです」


 鉄華は肺を絞るようにして吐き出した息で喉を震わせて応えた。

 剣の道を正しく導いてくれた師が、今では古流に踏み込み敵として眼前に立っている。

 一ノ瀬の肩に掛かるタオルは血で赤く染まっていた。

 彼自身には負傷は見当たらなく、恐らくは対戦相手の返り血であろう。


 ――剣道家であることを辞めてしまったのか?


 その質問は声に出すことが出来ず、ただ相手の反応を伺うばかりである。


「いよう、懐かしいな。私に潰された指はもう動くのか、剣道マン」


 泥蓮が緊張感をぶち壊すノリで煽り始め、鉄華の心音は早鐘を打ち始める。

 久しぶりの再開が続いて失念していたが、泥蓮は基本的にこう(・・)なのだ。


「何だか前と雰囲気違うね。それが本来の君なのかな?」

「そうだよ。前と違って今回は私の本気を見れるぞ。よかったな」


 会話の節々に相手の感情をなじる文句を入れていく。

 不玉は腕組みでやり取りを観察しているが保護者として口を挟もうとはしない。恐らく一ノ瀬と泥蓮の確執を把握しているが、自分で撒いた種を拾わせるのも修行であると考えてのことだろう。

 感情の板挟みで耐えきれなくなった鉄華は思わず間に割って入ってしまった。


「す、すみません一ノ瀬さん。なんかこの人こういう性格なんで勘弁し――」

「ちょっと黙っててくれるかな? あまり君には興味ないんだ」


 一ノ瀬は鉄華と目を合わせることなく告げた。


 ――(くら)い。


 瞳も感情も言葉でさえも冥く、生命の気配さえない水底に沈んでいるように思える。

 あの日冬川が挑んできた時のように、一ノ瀬は以前の性質を捨ててしまっていることに鉄華は気付いた。

 ここに居るのは心に赤誠の旗を掲げていた剣道家の一ノ瀬ではない。


「いやぁ、ごめんね。僕もさ、相当大人げないことくらい理解しているんだよ。……ただね、楽しくってさぁ。強くなっていく実感っていうのは」


 一ノ瀬は、鉄華や不玉に目もくれず、泥蓮の前に歩み出て口元を歪ませていた。


「僕は、僕に合う入れ物を見つけたんだ。そうしたらまた君に会えた。偶然とは思えない」

「なんだ。スピリチュアルな方逝っちゃったのか? 流石に少し責任を感じるよ」

「予感がするんだ。きっと君とはまた戦うことになるってね。だから次は、僕も本気だよ。本気で殺そうと思う。どうか受け止めて欲しい」

「そうか。私もお前みたいなロリコン警官に税金が注ぎ込まれるのは許せないからな。全国の未成年女児のために是非とも息の根を止めてやろう」

「それは楽しみだ。……本当に楽しみだよ」


 視線の交差は闘争の気配を高めつつあったが、背後の平上が軽く咳払いして諌めると、一ノ瀬は視線を切り鉄華の横を通り抜けていった。

 心の中で安堵の溜め息を吐く鉄華に、平上はウインクしながら声を掛ける。


「じゃあの、鉄華ちゃんや」


 鉄華は親愛なる二つの背中を、ただ見守ることしか出来なかった。

 不吉の兆しが通り過ぎた後の廊下に、少しの暖かさが戻った気がする。

 束の間の安息。

 鉄華の胸中で不安だけが増大していく。

 明日以降、泥蓮は無事でいられるのだろうか?

 そもそも様々な因縁が絡み合う中、大会はまともに進行するのだろうか?


「おし、んじゃ焼き肉行くか。特別高い店探しておいたから安心しろ」


 今しがたのやり取りが無かったかのように怪しい笑みを向ける泥蓮に、そこはかとない苛立ちを感じる鉄華であった。




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