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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十九話
76/224

【鉄斎】⑤

   ◆




 泥蓮の試合を競技場の入り口から見ていた鉄華と不玉は、危なげない勝利に嘆息していた。

 いつの間にか眼鏡をかけていた一巴がツルを支え直す仕草で退場する泥蓮に向けてドヤ顔を決めている。


「うむ、やるではないか忍者娘」


 攻防の結末を分析した不玉は忌憚なく称賛した。

 振り返りのフェイントに合わせて迷いなく飛び込むというのは「起こり」を読むという領域の反応ではなく、恐らくは一巴の情報による対策であろう。

 陶酔気味に『あぁ、私の諜報能力が恐ろしいっす』と口の形が動いているのが遠目でもよく分かった。


外物(とのもの)武器は剣に比べると特定状況での強みを押し付ける限定的な意図で作られておる。手の内が知れ渡っている有名人ほど対策が立てやすいのじゃ」


 竹内念次は弱くはなかった。だが決め技を知られている可能性に思考が及ばず強みを発揮する前に終わってしまったのだ。

 外物武器という括りでは槍術も同じであるが、泥蓮と戦ったことのある鉄華はその対応力の幅を身をもって体験している。

 槍術による遠距離戦に加え、近寄れば棒術と柔術が待っている。

 弱みを突くことに長けた兵法家が群雄割拠する大会、死角を潰す努力をしなければ勝ち上がれない。


 血の泡を吹いて運ばれていく対戦相手を見た鉄華は少し青ざめて声を漏らした。


「死んではいないですよね?」

「問題ない。剣道でも突き技で失神するくらいよく起こるじゃろ」

よく(・・)は起きないですよ」


 大会で用意された面は簡易で軽量なものだが、強度は高く喉垂れも備えている。槍もルールで穂先が丸められているので大事には至らなかったのだろう。

 それでも失神する勢いで剥き身の金属を突くということは明確な殺意である。

 誰もが望んで覚悟してこの場にいるが、もし自分が同じ立場だったら何の因縁もない見ず知らずの相手に必殺の一撃を振り下ろせるのか、心中で自問自答を繰り返す鉄華であった。


「鉄華、悩んでる暇などないぞ。そろそろ儂の出番じゃ」


 ふと我に返った鉄華が見上げた不玉の顔は――笑っていた。

 口端は開放の瞬間を待つかのように歪み、目付きは鋭く冷たく細められている。


 古武術家、小枩原不玉は愉しんでいた。


 少し面食らって言葉を飲み込んだ鉄華は、肩に掛かるタオルを握りしめてから想いを反芻し、改めて口を開く。


「私が……私がもう駄目だと感じたら即座に投げます。あなたのやる気とは無関係な客観的判断だと思ってください。恨んでくれてもいいです」

「許す。好きにするがよい」


 不玉は伸ばした手で鉄華の上をクシャクシャと撫で付けた後、胸元から取り出した扇子を広げて試合場へと向かって行った。




   ◆




 かつて京八流と呼ばれる流派があった。


 それはあらゆる剣術の始祖とされ、今では伝記の中にしかない消失した流派である。

 開祖は鞍馬天狗として有名な鬼一法眼。

 八人の僧侶に伝承された京八流は、後の室町時代に興った兵法三大源流へ多大な影響を与えたとされている。


 現在、京八流そのものの流れを残すとされる剣術流派は二つ。

 一つは鞍馬流である。

 鬼一法眼を流祖として仮託し、極意の「変化」と呼ばれる巻き落とし技はその有用性を認められ、警視流太刀型にも採用されている。


 もう一つは源義経を淵源とする貫心流である。

 義経より京八流を学んだ家来の由利忠太正之(ゆりちゅうたまさゆき)によって一子相伝の家伝として継がれ、後の戦国末期、由利家子孫が広島へ伝えた際に貫心流として纏められた。幕末には瀬戸内を代表する藩剣術の一つとして隆盛を極めている。


 永野(ヒロシ)は剣道教士七段の実力者であると同時に貫心流伝承者の一人である。

 

 齢五十二の永野は剣道では千葉や一ノ瀬に水をあける一方、地元に伝わる古流の復興に尽力し、剣道にはない強さの探求へと傾倒していた。

 テレビで有名になる千葉を見ては『剣道でなければ勝てる』という自負心を蓄積し続け、篠咲の行動への嫉妬で歯噛みした人間の一人である。

 撃剣大会への参加に躊躇いはなかった。

 至誠を旨とする流儀から外れる野心ではあるが、振るう機会を求めるのは何も永野に限った話ではない。


 対するは一叢流、小枩原不玉。

 同じく流祖を鬼一法眼とする柔術流派は遣唐使の大江家と共に剣術史の影で伝承され続け、南北朝時代の楠木公、千種公によって体系化された流派である。

 以降の進化の過程で槍術を取り込んではいるが、流派を代表する不玉は紛うことなく柔術家として参戦している。

 手には扇、されど鉄扇術にあらず。

 古流柔術では「ひしぎ」という短棒を使ってテコで技をかけることもある。

 剣術が一般的であった時代でも素手の技を捨てなかった流派の術理が白日の下に晒されようとしていた。


 二人が入場してから二分が経とうとしている。

 永野は左足前で手元を引き寄せた右寄りの中段【東軍の構え】、不玉は両腕を下げた自然体で立つ無構えで、両者共に動かないま膠着していた。

 

 永野が刀身を掴まれる可能性を押してでも中段を捨てなかったのは、不玉が面を付けていないことに起因する。 

 喉元まで防刃インナーで覆われているが、頭部は剥き出しの生身であった。

 インナーとは別に剣道の範囲で用意されている防具の着用は、あくまで個人の自由である。

 明らかな誘い。差し出された弱点。突き技の驚異を向けないわけにはいかない。


 しかし永野は構えてから気付く。

 三十後半というのに端正な顔立ちを保つ女性の顔面に、真剣の突きを放つということはあらゆる心理的ブレーキが掛かる。

 自身と観客の倫理観を飛び越え、脳漿飛び散る殺人をする覚悟――それは永野にはなかった。

 いくら大義名分がある大会とはいえ人を斬り殺しに来たわけではない。

 最新の防刃繊維という言い訳に期待しすぎていたことに今更ながら気付いてしまった。


 ならばそれでいい、と永野は思う。

 人の尊厳を踏破してまで掴む勝利に意味はないとばかりに、中段を捨てて右腰で構える低めの八相【不動の構え】へと移行する。


 その全てを観察していた不玉は――嗤っていた。

 永野の心理変化を逐一読み取るように一言「お優しいの」と呟くと、膝を抜いた歩法【勁草】で前方へ飛び出す。


 気が熟して始まった衝突。

 紆余曲折あるが結果は読み通りだと、永野も笑った。


 対武器術戦に於いて柔術流派の優先順位は何においても『奪刀』にある。

 柳生新陰流の【無刀取】に代表される武器の無力化は避けて通れないのだ。

 その為には太刀の下へ潜り込み相手の柄を取ることが必定。

 身を低くして突進するのはごく当たり前の行動である。


 永野は不動の構えから相手の鎖骨を狙って右手を振り下ろす。

 更に身を低くしようが、膝を曲げる【糸引き】の動きを以ってしっかり地に届くまで振り下ろすつもりである。


 ――が、突如目球に向かって飛来した何かに気付き、手元を引き戻してしまう。

 すんでのところで弾いたそれが不玉の持っていた扇子であったことに気付いた時には、既に柄頭を押さえられていた。


 ――不覚。


 面を付けているのに反射的に動いてしまったのは、予想をしていなかったからだ。

 射出を目的とする武器は禁止されているが、審査を通った武器の投擲は禁止されていない。

 脇差の投擲を奥義とする流派はいくつもあり、競技中の反則が制定されていない以上、地面の土を引っ掛けても何ら問題はないのだ。


 永野は指取りと柄の回転を利用した奪刀術を防ぐ目的で、手元を胸に付け、柄の握りを強固に固めた。

 下半身は股を閉じて金的を封じ、腰から重心を落として足絡みにも対応している。

 その上で頭突きを放つ為に顔の前から刀身をずらした。

 次の瞬間、永野は地鳴りのような低音と共に、視界の下方で腹部に刺さる不玉の右拳が見えた。


「一叢流、【档葉(アテハ)】」


 手応え(・・・)を感じた不玉は乾いた唇を裂くように言葉を紡ぐ。

 永野はそれを確認すると同時に、拳を起点に強烈な痛みが走り始めるのを感じていた。

 打たれたのは下腹、明星と呼ばれる経絡。

 突進の勢いそのままに、充分に振りかぶって叩き込まれた下段突き。

 膀胱の破裂はショック死に繋がる激痛を与え、永野は脳のキャパを越えた痛みで視界が白む。


 ――こんなことになるなら、と最後の瞬間に思う。


 容赦無く頭部を切り裂き、刃筋を脳まで突き通せば良かったのか?

 倫理観を捻じ曲げて殺人術を披露することを許せただろうか?

 その覚悟を持っていれば眼前の女に勝利できていたのだろうか?


 永野は加速する思考の中でも答えを出すことが出来ず、不玉の腕を爪で引っ掻きながら崩れ落ち、地を舐めて意識を閉じていった。




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