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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十九話
75/224

【鉄斎】④

   ■■■




 初日、未だ予選会ということもあって、収容人数二万人のイベントホールには幾らかの空席が散見されるが、吹き付ける空調の風は人々の熱気を乗せて生温く地面を撫で付けていた。

 延床面積約二万平方メートルの競技場には黒土が敷き詰められ、四分割された区画にはそれぞれ主審と副審二人が席に付いている。

 剣戟に巻き込まれるのを防ぐためか、勝敗の判定は専ら映像での確認になるのだろう。

 

 第三試合場とされる区画に踏み入った男、竹内念次(ネンジ)は素足で地面を軽く蹴って少しの湿り気を含んだ土の感触を確かめていた。

 明日以降のトーナメントでは場外に金網が設営されるとのことだが、五十メートル四方はあるフィールドで端に追い詰められることなど起こりようもなく、実質場外判定など無いに等しい。ルールで遅延や逃亡行為が禁止されている死闘なら尚更である。


 運足や得物の取り回しに問題が無いことを再確認した竹内は改めて溜め息を吐く。


 ――どうしてこんな事になってしまったんだろうか。


 呆れるような顔のまま天井を見上げ、太陽のように光るメタルハライド照明を眺めていた。


 初めはただ褒めて貰いたかっただけなのだ。

 自己顕示欲、或いはナルシシズムとでも言うべきか、誰の中にでも在る小さな欲望を満たすため見様見真似で始めた古流。

 気付けば兄弟子も師匠も超えた存在へと格上げされ、今では誰もが口々に天才だと言う始末である。

 恐れと嫉妬が籠もる視線にもうんざりしていた。


 事実、竹内は努力らしい努力をしたことがない。

 扱う武器の威力が個人の身体出力を大きく超えているからだ。

 柄部四十センチ、刃渡り二十センチの鎌から伸びる長さの四メートルの鎖。先端には重さの二百グラムの分銅。

 辻谷流に於いて「草鎌」と呼称される武器、鎖鎌である。

 回転のリリースポイントから飛来する分銅の速度は弓矢の初速にも匹敵しうる時速二百キロを誇り、剣の術理を超えて到達する一撃を防ぎうる剣客などにこれまで相対したこともない。


 ――では、槍ならばどうだろうか。


 竹内は遅れて入場してきた小柄な少女に視線を移して、その手に握られた槍の長さを測る。

 二メートル半。先端は枝分かれのない素槍で、打突部位は三十センチ程度。石突は丸く、返す槍での刺突は考えられていない。柄部の断面は多角形になっていて刃の向きを把握する意図があるのだろうが基本は先端での刺突を旨とする流派であることが分かる。

 小柄のリーチ差を埋める得物ではあるがそれでも鎖の間合いには程遠い。

 鎌槍や十字槍といった引き戻しの斬撃を考慮した武器の強みも存在せず、膂力も体重差を鑑みれば一考するまでもないのは明らかである。


 対峙した少女と今から殺し合うという事実に良心の呵責が湧いてくる竹内であった。

 何故このような場に出てきたのか、一叢流を名乗る少女の指導者を憎む思いさえある。

 その無謀な在り方は、流派を煽られて引くに引けなくなった哀れな古武術家の末路そのものであり、同じ境遇である竹内は彼女の心中すら察して余りある。

 若く前途ある少女にそんな下らない重荷を背負わせる意味などどこにあろうか。

 流派の威信をかけた戦いなど、やりたい馬鹿にやらせておけばいいのだ。


 ――終わらせてあげよう。


 偽りなく親切心から思う。

 一生残る傷ではあるが、古流というレールから降りるに充分な証となればいい。

 二度と踏み入ろうと思うことなく、社会生活でも大きなハンデを追わない程度の負傷。

 装着している面は強化プラスチックのラミネート層で保護された防弾級の素材であるが、頭部の損傷は何かのはずみで死に繋がるかもしれない。

 竹内は挑み来る者にいつもしてきたように、優しく膝蓋骨を砕くイメージを脳裏で描いていた。


 少女は静かに左肩を前にした半身になり、腰を起点とした槍術の中段構えを取る。

 それを確認した竹内は左手で鎌を立てて持ち、先端から伸びる鎖を頭上で時計回りに旋回させて相対した。


 開始の合図は存在せず、入場した瞬間から戦いは始まっている。


 彼我の距離は六メートル。

 少女が飛び出してくる気配はないが少しずつ間合いを詰めてきているのが見て取れた。鎖鎌の射程を正確に把握している事が分かる。

 旋回の速度は相手の動きに合わせて速くすることが可能であり、通り過ぎた隙を狙わせるのが誘いであることを理解している動きだ。


 相手の意図に気付いた竹内は、即座に頭上の旋回を止めて斜め気味の縦回転に切り替えた。

 恐らくは鎖の回転に槍を交えて絡めさせる気でいるからだ。


 鎖鎌術にありがちな虚飾に、相手の得物や手足に鎖を巻き付けるという型がある。

 多くの鎖鎌術に散見される理論であるが、これは武器の放棄と逃亡を念頭に置いた技であり、実際に鎌で追撃したり、得物を取り上げたり出来るほど強固に緊縛することなど不可能なのだ。

 もし巻き付けに成功しても行える動作は「引き」のみである。

 鎖鎌を前にした相手は何よりも距離を詰め、遠心力の乗った先端を封じる意思で動く。故に、接近させて鎌のみで迎え撃つのは相手の意思や意図になんら影響を与えない。

 近づけさせず勝利する術を突き詰めなければ鎖鎌という得物の意味が喪失する。


 しかしこのままジワジワと距離を詰められ場外まで後退するのは、ルールで定められた戦意のない逃亡と同義であり埒が明かない。

 竹内は鎖の回転を速め、その場でおもむろに身を捻って背を向けた。


 それが攻撃の予備動作だと気付ける者は少ない。

 武器術の戦いの最中に背を向けるフェイントはリスクに見合わないが、距離に守られている鎖鎌ならではの術理である。

 しかも手に持つ鎖は回転という運動を保存し続けている。

 相対する者が気付いたときにはもう遅い。

 膝関節を狙ったアンダースローが弓矢に匹敵する速度で射出されていた。


 振り向くことで前回りの回転が後回りになり、射出されるリリースポイントが大きく変化する。

 江戸末期の柳剛流に代表される足を狙う攻撃は、手で得物を保持する武器術の死角になり専用の対策を迫られるのだ。

 初見では対策できない辻谷流草鎌術、【結び雁金(かりがね)】。


 特筆すべきは竹内を天才足らしめる動体視力と空間把握能力にある。

 射程圏内であれば円運動と鎖の長さを緻密に制御し、ゴルフボール大の標的をも正確に打ち抜くことが可能であった。


 最速にして正確無比の一撃。

 剣術の想定していない間合いと術理。

 相手を気遣いつつも一生涯に渡る損傷を残す穿石の鉄塊。


 勝利を確信した竹内は、喉元に刺し込まれた槍の穂先に気付く間もなく意識を失っていった。




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