【鉄斎】③
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鉄華が控室に戻ると不玉の他に泥蓮と一巴が同席し壁掛けのモニターに注視していた。
久方ぶりに古武術部が一同に会したという懐かしさよりも、一叢流の秘術を知らせてしまった後ろめたさで鉄華は心拍数が上昇する。
「どこに行っていたのじゃ?」
「ええと、ちょっと知り合いがいたもので……」
不玉の視線が向けられるとより一層緊張感が増していくのを感じた。少しの不自然も見逃さない観察眼の前で、嘘を通し続けるのは難しいと感じた鉄華は即座に話題の転換を図る。
「デレ姉、お久しぶりです」
「……お前またでかくなってないか? もうバレーかプロレスやれよ」
「なんでですか、嫌ですよ」
早速身長を弄りにきた泥蓮ではあるが、纏う雰囲気は昔日のものではない。双眸は伸びた前髪に隠れ更に不吉さを増している。袖から覗く前腕も鋭角を増し、幾らか膨らんだ体全体のシルエットは休学してまで修行していた成果を現していた。
「聞くところによると学祭でしこたま儲けたらしいな。私抜きで」
「それは連絡取れないデレ姉が悪いっす。とんでもなく忙しかったんすよ」
労働の対価だと主張することでフォローを入れた一巴だが、大会に際して仕上げてきた泥蓮の殺気に当てられ若干気圧され気味であった。
「私は悲しいぞ。よもや部長をハブって荒稼ぐとは。私達は一蓮托生だと思っていたのに一体どこで行き違ってしまったのだろうか……」
「ご、ご飯奢りますから……」
迫真の演技で暗いオーラを漂わせる泥蓮に、鉄華は思わず財布の紐を解くという愚を犯してしまう。
「この悲しみ、高級焼き肉なしでは収められぬぞ?」
「それでいいですよもう……」
「よし、鉄華。今夜焼き肉パーティーしようぜ」
笑う顔さえ仄暗い不吉さを醸し出している。それが死闘を控えた覚悟なのか、飲食で破産させる気なのか分からず鉄華は唾を飲み込んだ。
「ほう? ならば儂も一叢流を教えた授業料を徴収しておこうかの。良き弟子を持ったものじゃ」
「え? 不玉さんもですか」
「ババ……おふくろは幾らでも金持ってるだろう。可愛い後輩にたかるんじゃねえよ」
「タダで食う肉は格別なのじゃ。つうか、お前今何か言いかけたかえ?」
勝手に盛り上がる親子の傍らで鉄華は(半分は一巴先輩持ちですよ)と視線を送るが、パスを華麗に躱す忍者がそこにはいた。
追求を回避した話題で思わぬ損益を食らった鉄華は呆然と立ち尽くすしかなかった。
さらなる話題転換を考えていたが、――突如モニターから鳴り響く音楽に室内の面々は会話を切り上げて視線を移す。
◆
画面には、暗がりの中スポットライトを浴びた一人の女性が浮かび上がっていた。
『……原始の時代、獲物を捕まえるために石を持った者が現れました。武器の始まりです』
出資者が並ぶ席の中央でマイクを取った能登原は、黒のドレスに金のアクセサリーを散りばめた出で立ちで輝いていた。
狂人のような本性を微塵も感じさせない、絢爛さを携えた堂々たる立ち振る舞いである。
『時は進み、武器はより効率的で威力のあるものへと進化していきます。使用目的も捕食のためではなく争いの中で人を殺すものへと変わりました。やがて兵器と呼ばれるものになり、今や全人類、全文明を破壊できるだけの兵器が地球上に存在します。
――何故今になって近接近接武器の技を競い合うのか? それは刃物を使う犯罪こそが我々にとっての一番身近な驚異であるからです。
刀やナイフだけではありません。包丁、カッターナイフ、工具、なんなら先の尖ったシャープペンシルでもいいです。刃物の所持が法によって規制されている一方で、日常生活には誰もが簡単に入手し所持できる武器で溢れています。小規模の犯罪はそういった身近な武器によって引き起こされるのです』
泥蓮は既に飽きたのかテーブルの茶菓子を貪り始めていた。
鉄華も拳銃を所持していた能登原の詭弁に呆れるばかりだが、表裏の顔を使い分ける強かさは油断ならないものだと評価を再考している。
『例えばあなた方が暴力を忌み嫌い、他国の痛ましい事件を憂う善良な人間であるとしましょう。武器を持たず、武器術を習うなどもっての外だと考えているとします。正しいモラルの中で生きているあなたは暴力とは無関係でしょうか? ……それは大きな勘違いです。積み上げたカルマによって犯罪のターゲットが選ばれることなどあり得ません。巻き込まれ被害者になるのは不運な一般市民であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
我々は備えることから目を逸らしてはいけません。身を脅かす脅威とは日常の中にあるものなのです。世の中には、起こる確率の低い犯罪に備える武術性を嘲笑う恥知らずが存在しますが、実際に巻き込まれる瞬間に彼らの嘲笑など何の説得力も持っていないことに気付くべきなのです』
切り替わった映像で観客や出資者の席が映し出されると、その暗がりの隅にドレスに身を包んだ最上歌月を見つけた泥蓮が爆笑し始めた。
歌月は鉄華との約束を果たすため律儀に来賓として参加しているのだろう。
『幸いにして我々の歴史は抗う方法を識っています。武器の闘争が日常であった時代を有し、その叡智とも言える練成の結晶が今も伝承されています。今こそ術理を紐解き、現代の常識の中で進化させる時期だと我々は考え、競技として復興させるに至りました。本大会はきっかけに過ぎません。突如として訪れる非日常にどう対抗すればいいのか? その解答を我々は古流の活動を通して明示していこうと思います。
古きを温ね、新しきを知るための道。ここに第一回平成撃剣大会の開催を宣言します』
宣言の終了に合わせて音楽が鳴り響き、会場全体が照らされると、なだれ込むように入場したダンサーたちが余興のパフォーマンスを始める。
能登原は叩きつける歓声を一身に受けながら一礼するとSPに囲まれて舞台裏へと消えていった。
◆
一部始終を無言で眺めていた一巴が泥蓮たちに向き直り口を開く。
「一応確認しますよ。まずは初日っす」
促されるように視線を向けられた鉄華は不玉の隣のソファに身を降ろした。
「参加者は各流派の予選で三十二人に絞られていますが、この一回戦もいわば予選みたいなもんっす。その場のくじ引きでランダムに対戦を組まれ、勝ち残った十六人が本戦に出場という運びっすね。四つの試合場で一気にやっていくので他流派を眺めている余裕は無いと思ってください」
差し出された資料には流派名と代表者名がずらりと並んでいる。
流すように確認した鉄華だが聞いたことのある流派ばかりではなく、中には鎖鎌や乳切木といった見慣れない武器術も参戦しているのが確認できた。
「明日からの本戦はトーナメント形式になって、主催側の説明では怪我の度合いを鑑みてマッチングを決めるとのことっす。下馬評では実績のある薬丸自顕流の戸草か、柳生新陰流の奏井が優勝候補といったところっすね」
「あの大男はクソヤバいな。鉄華よりでかいとかもはや人間じゃねえわ。特殊メイクかと思ったよ」
鉄華は人間の比較対象として挙げられたことに若干イラッとしたが、話を広げないため敢えて黙っていることにした。
「戸草っすね。私も正直アレとぶつかったら即棄権しろと言いたいところっす。ただ、いくつかの不確定要素もあって、私の調査だと地下闘技場で人殺しまくってた激ヤバな犯罪者もいるみたいっすよ」
「マジかよ警察何やってんだよ。やばたにえん案件だろ」
警察が介入しないのは、何らかの権力に守られた地下闘技ということになる。
賞金の額が一般的な競技とは桁違いな大会なので、脛に傷持つ実力者を駆り立てる勢力が出てくることは鉄華も予想していた。
実戦の数がそのまま強さに変換される世界とは思えないが、死闘を生き残り続けた強者の勘というのは無視できない。
「警察といえば、鉄華ちゃんの元師匠もいますね。一刀流を名乗る辺り、何かしら心境の変化でもあったんすかね?」
「言っとくが私のせいじゃないからな? な?」
「……」
一ノ瀬が参加者に名を連ねているのは鉄華も知るところであった。
勝ち負けを越えた競技武道の心得を語っていた彼が、今更望んでこのような大会に参加するとは思えないが、泥蓮に負けたことで何かを変えてしまったのであろうか。
真っ先に正道を外れてしまった鉄華は会わす顔がなく、敢えてコンタクトを取らないままでいた。
「一応有名どころは抑えていますので対戦カードが決まったら改めて情報を教えるっすよ。以上、諜報部員の一巴ちゃんでした」
パタンと手帳を閉じた一巴が満足そうに鼻息を吹く。
興味なさげな泥蓮は再び茶菓子を頬張り始めている。
参加者一覧を眺めていた不玉は軽く嘆息してから、口元を緩めた。
「まぁ見知った流派ばかりじゃが、相手にとって不足なしじゃな。泥蓮よ、万全の初戦で敗退しおったらお前は破門どころか絶縁じゃぞ? 遺産相続からも外し、全てユニセフとウィキペディアに寄付するからの。覚悟して挑むがよい」
「てめえは自分の心配でもしてろよ」
不玉の挑発には未だ場外での戦闘を封じる意図が感じられない。一巴も鉄華もこの場では盤外戦術には言及しない。
泥蓮が動くにせよ、能登原が動くにせよ、その時が来たらただ静かに妨害すればいいのだ。
一巴なら篠咲の命を狙う他勢力の存在を掴んでいるだろう。利用できるものは全て利用して生き残る。最優先目標は、勝つことではなく生きて帰ることに他ならない。
重い沈黙を掘り下げるが如く四人の思惑が錯綜する室内に、試合の始まりを告げる室内電話のコールが鳴り響くのであった。




