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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十九話
72/224

【鉄斎】①




 平成撃剣大会、初日。


 能登原英梨子はまだ伸びきっていない親指の爪を噛み、滲む血の味で昂ぶる気持ちを抑え込んでいた。

 眼下では色とりどりの雨傘の行列が毒々しい蛇のように蠢いている。

 天候に邪魔され幸先いいスタートとは言えないが、ストリーミング収益が会場でのチケット収益を上回っているので特に不満はない。


 ただ、ここから先は賞金の関係もあり、篠咲とは主催者と出資者として一定の距離を取らねばならない。

 たった五日間。されど永遠にすら思える愛する者との別離。


 これは試練だと能登原は思う。

 全てが終わった後、望みを叶えた篠咲はようやく安息の日々を迎える。その時に残る空虚や失意に寄り添い愛情で埋めていくのだ。

 青い実が熟成する為の試練。

 偽りの関係だとしても強固な想いで凝縮し続ければ、いずれ宝石のように輝きを放ってオリジナルの価値を持つようになるだろう。


 全ては踏み台。全ては贄。全ては愛故に。


「オーケー、能登原さん。状況は大体把握した」


 背後のソファに座る眼帯の男、由々桐群造は資料を閉じながら声を上げた。

 隣に座る老女も資料の紙束をテーブルに置いて、戻す手でティーカップを掴んでいる。


「しかしまぁ、この篠咲さんってのは恨み買いすぎだな。あまり出歩かないよう釘刺しといて欲しいね。死にたがりを守る方法なんて存在しないからな」

「ええ、分かっています」


 篠咲の強さを過信しすぎてしまっているという由々桐の指摘は本来なら一蹴するところだが、毒が持ち込まれる可能性を示唆されたばかりともなると一考の余地がある。

 特に期待していない予防措置ではあるが、参加者の中に篠咲の味方を紛れ込ませることが何らかの保険になるかも知れない。

 由々桐たちが欲しがっているのは国内の隠れ家と赤軍遺産の分け前であり、篠咲を守るだけの理由は十分にある。善悪ではなく金で動くという信頼できる条件を満たしていた。


「それとだ、銃を用意できないか? サイレンサー付きで取り回しの利くハンドガンがいい」

「……」

「そう睨むな。なにも会場に持ち込んだりしないさ。ただ、この婆さんはとんでもない厄ネタでね。お守りは欲しいところだな」

「由々桐さん、私は婆さんではありません。今は柿本と呼びなさい」

「はいはい、じゃあ俺も野村と呼んでくれ」


 由々桐たちは偽名で出場し、会場には警察関係者も多くいる。彼らを狙う裏社会につけ入る隙はないはずだ。

 必要以上の戦力を与えるのは手綱を握れなくなる恐れがある。


 能登原の躊躇を読み取った由々桐は畳み掛けるように続けた。


「能登原さん、イレギュラー対策ってのは悲観的なまでに最悪を想定することだ。自分は被害者にならないと決め込む者から死んでいくのはミステリー小説に限った話ではないんだよ」


 余裕の笑みすら浮かべて自身と百瀬の安全確保を求める由々桐を、能登原は目を細めて訝しんでいた。

 金銭交渉は双方納得の行く形で終えているとはいえ、未だ割符そのものは由々桐の手の内にある。

 大会への参加は由々桐からの申し出でであり、交渉の条件に含まれている。

 彼は並行する護衛を引き受け、赤軍遺産と大会の賞金を狙いつつ、更に銃まで手にしようとしているのだ。

 油断ならないが、大会が終わるまで由々桐たちを失うわけにはいかないのも事実である。


「……すぐには無理ですが後ほどホテルに届けておきましょう。所持に関するミスが発生してもこちらは関知しませんよ」

「あぁ、それで充分だ」


 闇社会の追手を同士討ちで壊滅させ、日本で飄々と交渉の席に現れた男。

 利用できる期間と処分にかかる費用を見誤るわけにはいかない。


 能登原は苛立ちで爪を噛む。

 隣室では篠咲と春旗鉄華が会っている頃だろう。篠咲の命を狙う者も動き出している。

 開会式とトーナメント表の発表を控え、予選とも言える一回戦十六試合を消化しなければならない初日。

 多忙に押し潰され本来の目的を見失っては本末転倒なのだ。



 そんな能登原の手置きと挙動をつぶさに観察する由々桐であった。




   ■■■




「まさか、また会うことになるとは思いませんでしたね」


 首を振って肩から髪を振り払いながら篠咲鍵理は言った。

 鉄華はソファに浅く腰を掛けて相対している。


「情報に値段を付けるのは、それを欲しがる敵だけ。意外と強かなのね春旗鉄華さん」

「どうも」


 二度目の邂逅。

 強さへの絶対的自信を相手への蔑視に変換したような顔貌を向ける篠咲の気配は、死闘を控えた緊張感とは無縁かのごとく昔日と変わらぬ雰囲気を纏っていた。


「ただ、こんなノートを差し出さなくても、質問に答えることくらいしてあげましたのに。財団という窓口があるのですから」

「その方法では無理でしょう。あなたは能登原さんのコントロールが出来ていません」


 鉄華がそう言うと、篠咲は目を細めて笑みを返した。


「それに、篠咲さんはこの大会で死ぬ可能性が高いので急ぐ必要がありました」

「そう……よく観察しているのね」


 ティーカップを持ち上げ、紅茶で唇を湿らせた後、少し考えるように視線を泳がせてから篠咲は改めて鉄華と視線を交わした。


「で、ここまでして祖父の昔話を知りたいだけというのは労力に合わないように思えますけど」

「それは私が決めることです。春旗鉄斎について知っていることを教えてください」

「そうね。守山蘭道の直弟子だった……」

「それは前に聞きました」

「いえいえ、違います。私の父、篠咲静斎の話です」


 突如出てきた祖父に似た固有名詞に鉄華は面食らった。

 しかし守山の直弟子というにはおかしな点があることに気付く。篠咲はまだ二十代前半である。


「父親、ですか?」

「ええ。六十代の高齢で若い妻を娶り、それで生まれたのが私です」


 祖父に近い、高齢の父親。鉄華の脳裏に老いても尚盛んで活発な人物像が浮かび上がり始めた。


「父は守山の元で学んではいますが、終戦後は家業として伝わる自流に回帰しています。それが玄韜(ゲントウ)流です。……鉄華さんは全共闘というものをご存知ですか?」

「? いえ」

「一九六八年、日本大学の国税捜査で二十二億円の使途不明金が見つかったことに端を発する大学学生運動です。授業料の値上げや権力の癒着に抗議する学生のストライキは日本全国に広がっていき、やがて共産主義や社会主義思想の派閥が暴力による抵抗を行うまでになっていました」

「あー、なんとなくは知っています」


 学生がバリケードを築き、角材や鉄パイプを掴んで講義する昭和の映像が時折テレビでも放送されるが、鉄華はその近代史の内容をあまり深くは知っていなかった。


「当時、学生側には警官や機動隊に対抗する為に武道武術を習得する流れがあったのです。多くは大学武道の延長であったようですが、そんな中に玄韜流がありました。父、静斎は、まぁ所謂左翼活動家でしたから進んで手を貸したのでしょうね。

 しかし春旗鉄斎は武術による学生運動の幇助は許せなかったようです。資金調達の名目で銀行が襲われるという事例も珍しくありませんでしたから。鉄斎は父を訪ね、幾度か武術と政治で論戦を展開していたらしいです」


 篠咲が紡ぐ言葉は殆ど伝聞である。

 当時、篠咲はまだ生まれていないから当然ではあるが、そんな話を父や母が娘にするのであろうかと鉄華は少し怪しむ。


「父が言うには、その後、鉄斎は警察側の要請で学生運動の鎮圧に参加して人を殺めてしまったようですね」

「――え?」

「それが自衛だったのか、何かの弾みだったのかは分かりませんが、春旗鉄斎は学生を一人殺しています」


 沈黙。

 篠咲は反応を観察するように一呼吸置いた。

 鉄華は――想定していなかったわけではないが、心臓が締め付けられる思いであった。


「最終的には左翼派閥の分派に巻き込まれる形で過激化し、刃物や火炎瓶が飛び交う戦場で複数の死傷者が出ています。真偽は定かでありませんが、春旗鉄斎は人を殺してしまった自責の念で剣を置いた、と父は言っていました。私が知っているのはそれだけですよ」


 しかし鉄華の知る限り、祖父が殺人で服役していたことはない。

 篠咲の言葉が事実であるならば、殺人は騒動中の鎮圧行動として正当化されて揉み消されたということになる。


「お爺様を責めることはないですよ。一個人に責任が及ぶ状況ではないですから。声を上げて自首しても黙殺されたと思います。剣を置いたのは誇りある選択でしょう」


 鉄斎は地獄と言っていた修業の果てに術理を得て、それを振るった結果、前途ある若者の生命を奪うことになった。

 古流の覚悟と現代の倫理の板挟みで苦悩したのではなく、意図せず他者の命を奪うミスを犯し、剣に失望したかのように道を閉ざしてしまったのだ。


「他に聞きたいことはありますか?」

「……い、いえ」


 篠咲は機嫌がいいのか全ての質問に答えようと余裕をみせていたが、鉄華は言葉が浮かばなかった。


「そうですか。なら話は終わりです。一叢流の毒術、知らせてくれてありがとう、鉄華さん」


 少しの哀れみを向けながら席を立った篠咲は、出入り口に向かう最中、歩を止めて最後の言葉を向ける。


「あなたはまだ若くて選択肢も沢山あります。この大会を、古武術などに生涯を捧げた愚か者の末路を、よく観ておくことね」


 篠咲が出ていった扉がゆっくりと閉じていく。

 会場のざわめきからも隔離された空間で、空調の音だけが響いている。


 一人残された鉄華は、背中を追いかけてきた祖父の終着点を知り、ただ漠然とした空虚感を心中に泳がせていた。




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