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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十八話
71/224

【当理流:日馬 琉一】

 ■■■




「こちらが日馬(クサマ)琉一(リュウイチ)の資料になります」


 喪服のような黒スーツの男が封筒を差し出すと、腑に落ちないながらも犀川はそれを受け取ってガラステーブルの上に置いた。

 拠点としているホテルのスイートルームは常に空調を十六度で設定しており、犀川の溜め息がうっすら白んで吐き出される。


 死闘から三日と開けず連戦の提案。

 興奮の余韻を残す犀川だが、相手が下位トーナメントの雑魚となると興醒めもいいところだ。


 昇格戦。

 それは下位トーナメントで実力を認められた強者が特別闘技者に成るための最終試験である。


 犀川自身も通ってきた道ではあるし、特別闘技者に成った後に数度壁として立ち塞がった経験もある。

 しかし下位トーナメントというものは有象無象寄せ集めの場であり、勝ち続けたからといってそれが実力の裏付けになるとは限らないのだ。


 八雲會には多くの競技、流派の人間が集まるが、その大半は表世界で大成出来なかった世捨て人である。

 中には何の技術も持たない不良上がりやヤクザ崩れも紛れている。

 それらの半端者と特別闘技者の間には運では埋まらない大きな溝があるのだ。


 例えば技を知らず生まれ持った巨躯を振るい、路上の喧嘩で連戦連勝を重ねてきたと気炎を吐く不良。

 例えばトレーニングで理想の筋肉と技を手に入れ、幾度かの試合経験で度胸が付いたと吹聴する格闘家。

 例えば幼少時から型を繰り返し、反射で術理を引き出せると豪語する古武術家。


 残念ながらその程度の下地は中学生の部活動と同じレベルの幼い自慢であり、スタートラインでしかない。


 ルールが無いに等しい八雲會ではあらゆる闘技者に千差万別の選択肢が用意されている。

 だが経験による研鑽が難しい死闘では、知識と予測を以てして自分だけ勝利パターンを構築する論理的思考力と、戦いの中でパターンを修正する思考の瞬発力が不可欠なのだ。

 それは才能の世界であり、どんなに優れた心技体を備えていても、数秒で終わる殺し合いの中で性能を持て余す愚鈍は生きて行けない。


 犀川にとって特別闘技者との戦いは互いの人生全てをぶつけ合わせるセックス以上のコミュニケーションであるが、下位闘技者との戦いは草刈りに等しい作業という意味合いが強い。


「先の試合、無傷で勝利を収めたのは犀川様だけです。当會のルール上、貴方が相手をすることになります」


 余りに乗り気でない犀川の様子を察した黒スーツのイベンターは、改めて釘を刺すようにマッチングルールを説明した。

 犀川は八雲會において自身が最強であると思っているが、特別闘技者に明確なランク分けは無く、戦績で待遇が変わることはない。

 そんな平等さをどこか心地良く思っていたものの、こういう状況での融通の効かなさには暫し閉口する。


 イベンターは変わらない犀川の態度を確認すると、一度咳払いしてからニヤリと笑って付け加えた。


「私見ではございますが、この日馬という男、犀川様好みの闘技者かと思います。封筒には試合映像も入っていますので是非ご確認下さい」


 珍しく目元にまで笑みを浮かべるイベンターに犀川は殺意を覚えたが、反面、一考の余地はあると思い平静を保っていた。

 眼の前の男は犀川秀極の強さを知り尽くしているにも関わらず、日馬という挑戦者が勝利する可能性を仄めかせているのだ。

 侮辱めいた挑発。

 しかしその裏付けとなる結果を日馬は残している。


 少し興味が湧いた犀川が封筒に手を伸ばすと、イベンターの男は席を立ち、スーツの襟を正しながら業務用の表情に戻った。


「では、試合日時は追って連絡致しますので、暫しのご休暇をお楽しみ下さい」


 去りゆく黒スーツの背中に犀川は笑みを向けていた。

 もしも八雲會が終わる日が来たらお前を真っ先に芸術作品にしてやろう、という殺気を込めて。




   ■■■




 映像には見慣れたオクタゴン・ケージが写っていた。

 犀川は下らない雑音をミュートにして、向かい合って立つ二人の闘技者を注視している。


 異様な光景であった。


 一方は角ばったサブマシンガンと透明なライオットシールドを構えた男。

 サブマシンガンはMP7で、グリップ下に円形のドラムマガジンを装着している。ボディアーマーのアラミド繊維を貫通する小口径弾を用いた対人特化の武器だ。


 もう一方の男は全身黒ずくめで、防弾性能を備えたダブルコートを着込んでいる。

 それだけであった。


 狂気。

 黒ずくめの男は、有ろう事か何の武器も持たず、素手で相対しているのだ。

 闇に蠢く観客の動きで素手の男、日馬琉一の人気度合いが伝わってくる。


 特筆すべきは日馬の両拳。剥き出しのまま固く握られた拳はボクシングのグローブかと見間違うほどに大きい。

 岩や鉄を殴って鍛える空手流派でも、これ程の異形の拳の形成は出来ない。骨を意図して成長させることは不可能であり、長年の鍛錬で変形させても体積まで増大することはないからだ。

 犀川は整形手術で拳に鉄板を埋め込んでいるのかと考えたが、武器の使用が可能な八雲會でのメリットは全く無く、格闘技という面で分析しても掴み難くなるだけの人体改造には意味が見出だせなかった。


 観戦モニターが5からのカウントダウンを始めると、短機関銃の男はライオットシールドで半身を塞ぎ、ショルダーストラップと盾を支えにして銃口を相手に向けて構えた。

 日馬は構えも取らず自然体で立ち、僅かに膝を抜いて備えている。


 その在り方を観ている犀川は、日馬の下地に何らかの古武術があることを予想した。

 しかしそれで更に疑問が深まることになる。


 ――古流を知り、何故武器を使わないのか?


 疑問は予想を返し、予想は結論を呼び起こす。

 犀川はカウントダウンに合わせて自らの口端が持ち上がって行くのを感じていた。


 ゼロ。


 試合開始と共にMP7が火を噴いた。

 シールドを構えた男は日馬が身を沈めて接近することを予想し、下方へ角度を付けた射撃を選択。

 それ自体は悪くない選択であり、幾度かの試合経験を感じさせる動きではある。


 しかし、当の日馬は助走もなく相手を飛び越す程の高さに飛び上がっていた。


 犀川は嗤う。

 人外とも言える跳躍力を想定することなど普通は出来ない。

 例え何らかの武術を修めていても、頭上から襲い来る鳥類の如き相手に対する技など存在しない。


 日馬の跳躍に気付いた男はシールドを持ち上げて防御に移行するが、日馬は蹴るでもなく掲げられたシールドの上に着地するように中空で柔らかに膝を畳む。

 跳躍はあくまで間合いを詰め短機関銃を無効化する為の移動手段。

 日馬は足でシールドを押しながら右手で銃身を掴んで着地すると、空いている左手で眼前のシールドを殴りつけた。


 武と言うには拙い、大振りのフック。

 されど異形の拳。


 充分に加速させた物体の衝突は金属をも流体化させ、たとえそれが戦車の装甲であっても無効化してしまうユゴニオ弾性限界というものがあるが、日馬の拳は今まさにをポリカーボネート製のシールドを液体のように波打たせていた。その着弾の衝撃だけでシールドを保持する男の右手首は小枝のように折れ曲がっている。

 それでも日馬は止まらない。

 液状化したシールドの中を突き進む鉄拳は、やがて透明の膜を打ち破り、男の顎部に到着しても勢いを止めずに突き抜ける。

 だるま落としのように下顎を吹き飛ばされた男は唯一の命綱である短機関銃を手放して地を転げ回るが、――それでも日馬は止まらない。


 二撃目は右拳。

 上空から垂直に落下する下段突き。

 相手の頭部をすっぽり覆い隠す巨拳は、鼻先を潰しても勢いを弱めることなくマットを突き抜けるほどに強く執拗に押し付けられた。

 頭蓋骨を砕かれた男の耳や鼻から、圧で行き場をなくした脳漿が粘土のように漏れ出ている。

 議論の余地もない圧倒的な決着であった。


 犀川は日馬の戦い方に見惚れていた。


 ――美学。


 己の拳に対する絶対的な信仰。

 鍛錬の範疇を越えた拳は日常生活に支障が出るはずだが、それを引き換えにしてでも武器化して自分だけの武術へと昇華させている。

 歪で鬱屈とした強さへの執着が彼に表舞台の興行ではなく、剥き身の暴力を全力で叩きつける八雲會を選ばせたのだ。


 日馬の前髪から覗く眼光がカメラに向けられると、目が合った犀川は喜びで口内に舌を這わせた。


 ――飢えている。欲している。


 違う人生を歩み、異なる強さを身に着けた自分が写し鏡のようにモニターの向こう側にいる。

 下半身に血液が集まるのを感じていた。

 犀川にとって理想のセックスとは自分自身のコピーと交わることである。

 お互いにして欲しいことが分かり合っている相手同士で、遠慮の無い奉仕と快楽を貪り合うナルシズムの極致。


 ――見つけた。見つけたよ。


 発せられる熱い吐息が室温を上げ、空調の動作音が唸りを上げている。

 その中心で犀川は日馬との睦み合いを夢想し、陰部に触れるでもなく射精していたのであった。




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