【天然理心流:犀川 秀極】②
◆
0.2秒。
巧者が放つクイックドローにおける発砲までの時間である。
陸上競技のフライング判定である0.1秒が人間の反応限界だとされているが、そこからもう0.1秒。それが犀川に与えられる猶予であった。
行動の起こりを捉えてから対応し始めるのでは間に合わない。
腰に構えた銃からの発砲になるので正確なエイムは出来ない――などという期待も捨てなければならない。
相手は八雲會で勝ち上がってきた特別闘技者である。
防弾性を持たせた衣類を避け、肌が露出している手足や頭部を撃ち抜くくらいの芸当は難なくこなすであろう。
犀川は迷いなく、開始と同時に右斜め前に滑り出ていた。
クイックドローは日本刀の居合とは逆で『腰を突き出すこと』で抜銃する。故に右腰にホルスターを構えるガンマンは左を向くことになり、その正面こそが射線の死角になるのだ。
そして――予想通りガンマンの初撃が後ろ足の踵を掠めてマットに着弾した。
術理が分かれば先の先を取ることで相手の技を遅らせることができる。
その数ミリ秒を掴む為に犀川は防弾性能の無いただの道着を着用して死闘に臨んでいた。
――これで五分……いや、違う!
平晴眼の剣尖を相手に向けたまま踏鳴で方向転換した時、犀川の目が見開かれた。
既に敵の銃口がこちらを向いている。
ガンマンにとっては死角に回り込まれることなど予想の範疇。
抜銃から銃を寝かせた水平撃ちにすることで、反動によるマズルジャンプを左方向への旋回に変換、同時に左手を添えたファニングで撃鉄を起こしていたのだ。
読み勝ったのはガンマンの方であった。
「は!」
コンマ数秒を奪い合う戦いの最中、犀川の奥歯から声が漏れた。
――それがどうした。
彼我の間合いは既に刀の激尺にある。
――足はくれてやろう。指もくれてやろう。何なら脳漿もくれてやろう。
犀川の勢いは止まらない。
この刹那の瞬間に命を投げ出すと決めていた。
――ただし、お前も一緒に死ね。
【陰撓】。
動乱の幕末、新撰組の母体ともなった剣術の本質は『気組』にある。
気組を以てして肉迫し、打突に打突を重ねて返すことで相討ち覚悟の執念を浴びせ掛ける。
それは陰撓と呼ばれ、拙くも泥臭い人の執念を擦り付けるような特攻にも見えるが、しかしその執念こそが死の淵で生を掴む正道であることを証明し続けた実戦剣術。それが天然理心流である。
今まさに獣の咆哮の如き執念がガンマンに叩きつけられていた。
衝撃。或いは振動。
ガンマンはトリガーを引きながら思う。これは物理的な力だと。
気圧されるなどというレベルの話ではない。
読み勝って先を取り、死闘の幕を下ろす魔弾が飛び出すよりも先に、何らかの現実的な力を届かせている。
ガンマンは僅かに上体を引きながらトリガーを弾く。
ピースメーカーの銃身から射出された弾丸は、真っ直ぐに犀川の眉間へ向かい、その最中に刀の鎬を擦り、最後に意匠も何もない円形の鍔に弾かれ逸れて行った。
強烈な悪寒。
死の気配。
刺されていもいないのに血の匂いが喉元を駆け上がる。
ガンマンがリコイルから再度狙いを定め直した時、既に人差し指と中指が宙を舞っていた。
伸びる金属が上腕の内側を貫通し、牛革のベストと防刃ベストをも突き通って先端が肺に到達している。
支えを失くしたピースメーカーがスルリと手元から溢れるように落ちた。
【無明剣】。
銃撃という突き技を、同じく突き技で制したのは犀川の剣であった。
「はっはっ! 怯えたな貴様ぁ!」
犀川は刀を引き抜くと同時に今度は喉元に突き刺す。
右頸動脈から真紅の鮮血が跳ね上がり、脳への血流が止まったガンマンはこの時点で意識を失っている。
しかしそれでも手を止めず再度突きを奔らせ、三段突きの剣尖をガンマンの鼻先に埋め込んだ。
会場の声援もヤジもピタリと止まり、リングを囲む闇は静謐に包まれていた。
今この世界には死闘に挑んだ二人の男しかいない。
犀川は刃を伝う透明な髄液の温もりを手元で感じながら、恐怖に引き釣るガンマンの顔を心に焼き付けている。
――誰もがこの顔になる。
強きを美徳とし、死を覚悟し、忌まわしく生き汚く、狂い戯れた果てにある最後の表情。
悲壮な運命を歌い上げる最初の弦を弾くかのように、絶望の発露を縫い付けられて死に行く。
――なんと美しい。
これは芸術だと犀川は思う。
死という無常と喪失の中に在りながらも、時間を停めたかのように最後の感情を保存し続けている。
裸で生まれ、あらゆる欲望を纏い、また裸で死んでいくという凝縮した人生がここにある。
事切れる前の綺麗事は聞けなかったが、犀川は大いに満たされていた。
射精など比ではない快感が突き抜けていく。
終わりのブザー音で喧騒を取り戻した会場にチップの硬貨と紙幣が舞い始める。
ほんの数秒の攻防を解説したスロー映像も流れ、声援の勢いは増していくばかりだ。
犀川はただ無言で涙を流し、自身の生み出した愛おしい作品を抱きしめていたのであった。