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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十七話
67/224

【立身流:由々桐 群造】②

■■■




 古くは縫製産業を始めとする工業地帯として発展し、現在では電子機器や自動車部品の輸出からITサービスといった第三次産業までが密集する街、それが浙江省である。

 七大古都の一つに挙げられる水の都は観光地としての歴史的建造物も多く、治安も上海や北京に並ぶレベルだとされている。


 しかし住民の八割は農村からの出稼ぎ労働者であり、都市戸籍所有者との格差という共産主義社会の現実がそこに潜んでいる。

 富裕層を多く抱える街ではあるが、彼らが平均値を上げている為に底の地獄は見え難く、貧する者はどこまでも搾取される蟻地獄が存在するのだ。

 この街で裏稼業に手を染める者は何も黒孩子に限ったことではない。


「百瀬さんよ、悪いがお土産買ってる暇なんてないぜ。今夜には洋上だと思ってて欲しい」

「まぁそれは残念ですね」


 電話を終えた群造はバックミラー越しの後部座席に視線を送る。

 バケツやブラシ類、ポリッシャー機などの清掃道具が所狭しと並ぶほんの少しの隙間に老女が収まっていた。

 車の側面に箒に乗った魔女の絵と清掃業として有名な企業名が書かれているボックスカーは、海岸側の工業地帯で走っていても目立たない車両の一つである。


「密入国の手引きは【蚣蝮(ゴンフー)】と呼ばれる海運のフィクサーに丸投げすることになる。依頼は受けてくれるが日を跨がない強行軍だ。俺に払った金の倍は覚悟しておけよ」

「はい。全く問題ありませんわ」

「それと百瀬さん、その手の経済的余裕を見せるべきではない。理由は言わなくても分かってくれ」

「お優しいのね由々桐さん」


 群造は口端を上げて応えた。

 人は時に信用商売特有のトークを優しさだと誤解してしまう。

 百瀬が生き残れば富裕層の顧客が広がり、ここで身ぐるみ剥がすより儲かるという話でしかないのにだ。

 悪意を向けるのは得意だが、向けられることは慣れていない。それがこの街の上層にいる人々である。

 しかし、そうであるからこそ裏稼業の商機が存在するのも事実。

 何事も陰陽のバランスで収まるように出来ている。


「……四台後方、付けられてるな。百瀬さん、吹っ飛ばされないよう何かに捕まってくれ」


 サイドミラーに映る黒塗りのワゴンを確認した群造は急発進に備え始めた。


「よく分かりますね」

「二回、信号に捕まらないよう加速していた。この辺りは商用車ばかりだから急いでいてもそういう運転はしない」

「何故今すぐ襲ってこないのでしょうか」

「さぁね」


 何故この車両だとバレたのか。事務所から車庫へ移動して車を乗り換えるまでずっと追跡されていたのだろうか。

 群造は脳裏に浮かんだ最大の疑問を一旦横に置くことにした。

 今は追跡者の出方を見極める方が先だ。

 単に行き先を探っているのか、仲間の合流を待っているのか。同業者なのかマフィアなのか。

 少なくとも人気の少ない倉庫街を通り抜けるプランは変更するべきだろう。


 オフィス街へ向かうべく左へハンドルを切ろうとした――瞬間、別の黒塗りワゴンが右の路地から飛び出してきた。


 明らかに衝突させる事が目的の速度。

 アクセルをベタ踏みした群造は商用ワゴンの気の抜けた加速に歯噛みする。

 これが終わったらケチらずエンジンにも手を加えておこう、そう思うと同時に横殴りの衝撃が車内に走り、車は左車線を越えて、歩道の段差で跳ね上がり、宙を一回転してから地面に叩きつけられて、おまけにもう半回転して止まった。

 車両の装甲だけは現金輸送車並に強化していたのでサイドミラーが折れただけでほぼ原型を留めている。


「生きてるか? 百瀬さん」

「随分と運転がお上手ですね」


 予測し備えていた群造は天地が逆になった世界でも冷静を持続させていたが、急に清掃道具にかき混ぜられた老女も同じく平常を保っている。

 思えばマフィアに襲われたと言っていた時もそうだ。彼女は修羅場馴れしている。

 その人生を推し量ることは出来ないが、今の状況で縮こまる素人でないのは好都合だ。


 距離を置いて止まった黒塗りワゴンからぞろぞろと人間が降りてくる音が聞こえた。

 シートベルトを外して宙吊りを抜け出した群造は左目で人影を観察する。

 全員黒装束で、首からストラップでノリンコNR08を下げている。

 手の甲は確認できないが恐らく暗仁幇だ。

 MP5のコピー小銃を選ぶ辺り特殊部隊気取りなのか、相応の訓練を受けているのか。

 何れにせよ、すぐに発砲してこないのは百瀬の確保が目的であることを示している。


「アンタだけ捕まった方が穏便に済みそうなんだが」


 正直な感想を漏らす群造に、老女は目を細め軽蔑の視線を送る。


「それで万が一私が生き残った場合、貴方の商売は終わると思いますけど」


 事実だ。

 ただのチンピラ相手に恐怖して依頼を裏切ったことが富裕層間のコネクションに伝わればクーリエは廃業だ。

 事務所の不可侵を支えてくれているケツ持ちが撤退すれば、どの道死ぬことになる。


「はぁ、とりあえず側の工場に逃げるぞ」

「素敵です」


 笑みで応える老女を横目で見ながら、「あと五十年若けりゃなぁ」と群造は小さく愚痴を溢した。




   ◆




 危機管理と決断。

 それが護身、護衛の全てである。


 まずは観察。

 暴力渦巻く非日常が訪れる前触れを感じ取るのが都市サバイバルの基本であり、この時点ではまだ戦闘を回避できる可能性がある。


 そして決断。

 状況を把握し本当の危機を感じた時、自分から攻撃を開始する必要がある。

 先に動くのは戦いの基本であり、受け身に回れば状況は悪くなる一方であるからだ。


 しかし実際の闘争で常に有利なポジションを維持することは困難である。

 特に奇襲や不意打ちで不利な状況からスタートする場合、どんな格闘技や武術を修めていても暫しパニックに陥る。

 その時必要になるのが『復旧』である。


 戦いが始まってしまえば教本の型通りに進むことはなく、小さなダメージを避けることはほぼ不可能だ。

 殴られれば痛いし、斬られれば血が出るし、撃たれれば肉が抉れる。

 その覚悟をすることでダメージを受けたストレスからの復旧を図る。

 一番の驚異は思考を止めてしまうことに他ならない。


 車の衝突時から続く肋骨の痛みが骨折には至っていないことを確認した群造は冷静に工場内の観察から始めた。


 特有の血生臭さで食肉加工工場であることが分かる。

 床に染み付いた油分は逆にグリップが効くほどに堆積して固まっている。

 照明は付いておらず、周囲に従業員はいない。

 休憩中なのか祝日なのか閑散期なのかは分からないが、機械は手入れされている様子が見受けられ廃工場というわけではないようだ。

 群造は手当たり次第スイッチを触って八台並ぶコンベアのレーンを六つほど可動させた後、裏口に近い資材置き場に老女を押し込めた。


「ここから動くな。もし五分経って戻って来なかったら俺は死んだものだと思って行動してくれ」

「ご武運を」


 ハンドガンを構えた群造は身を低くしてコンベアの間を走り、大きなボイル釜を背にしてからタートルネックの襟首を上げて口元を覆った。

 八人。

 暗闇の中、可動する機械音に紛れた足音から突入した人数を正確に把握する。

 ゴム底のタクティカルブーツでも粘性のある工場の床では音を殺し切れない。


 群造は隻眼になってから聴覚に頼る機会が多く、今では音の大きさと方向で大まかな位置を把握できるまでになっていた。

 人間は視覚情報に依存しすぎていて、耳や鼻の機能の多くを意図せず停止させている。

 目を失うこと無くこの事に気付けていたら『正道な強さ』を追求できていたのにと、群造は小さく苦笑しながら入り口に向けてグレネードを放り投げた。


 床の上で金属が跳ねる音が反響するが、襲撃者の中で即座に身を隠す者はいない。

 心中のカウントがゼロになると同時に群造はボイル釜から飛び出して照準を合わせた。


 発光と爆発音。

 白炎がグレネードの弾殻を破裂させて四散し、発生した白煙が急速に広がっていく。

 群造は爆発の瞬間浮かび上がったシルエットを四体撃ち抜いてまた身を隠していた。

 残った四人の内の二人は、不幸にも降り注ぐ炎を浴びて悲鳴を上げている。

 無事だった二人が屋内の闇に向けて闇雲に発砲し始めるがもう遅い。

 白リン弾のエアロゾルが室内を満たしきった後は完全に聴覚情報のみの世界になる。

 弾倉を打ち尽くした襲撃者はやがて自分が突撃も退却も出来ない状況下に置かれていることに気付き、ただ身を隠すという選択肢を選ばされることになった。


 戦闘の終了を悟った群造は近くの死体の小銃を奪ってから百瀬の元に戻る。


「あら、随分早かったですね」

「近代兵器で先手取ればこんなもんだよ」


 群造から小銃を受け取った百瀬は意外な程に落ち着いていた。震えも怯えも感じられない。

 やはり肝が座っている。

 喧嘩を日常のものとして過ごしている荒くれ者でも、銃弾飛び交う戦場ではこうはいかない。

 ストレスに対応する訓練を受けているか、恐怖という感情が欠落しているかのどちらであろうか。

 群造は次々と湧く疑問に蓋をしながら、百瀬の手を引くように工場隅の事務室を抜けて、裏口の扉に手を伸ばす。


 が、同時に外から扉が開かれて一人の襲撃者が侵入してきた。


 ――九人目。


 相手は小銃を胸で構えているのに対し、群造は間の悪いことにハンドガンを下に向けて構えていた。

 腕を振り上げ、構え、発砲していたのでは間に合わない。

 しかし横に飛んで逃げれば射線上の百瀬に当たる。

 群造は即座に銃を手放して懐の日本刀を掴む。左手はコートの上から鞘を押さえ腹で挟んで固定させる。

 流儀の『擁刀』から抜刀術に入りつつも、心置きは既に『復旧』に入っていた。


 ――間に合わない。


 相手の銃口がこちらを向く方が速い。

 防弾コートの袖で九ミリ弾をどれだけ防げるのか分からないが、小手を斬り落とすまでに数発貰うことは避けられないだろう。

 腹を括らなければならない。

 必殺距離の戦闘は『相突き』のように、より命を投げ出した方が生き残るものだ。


 ノリンコ小銃の銃口が完全にこちらを向いて、相手の引き金に力が籠もる。

 そして――射線が逸れた。

 襲撃者は小さな悲鳴を上げて、明後日の方向に発砲し始める。


 群造は抜刀で相手の左手を斬り飛ばした後、頭上で旋回させて遠心力を乗せた袈裟斬りを頸部に振り下ろす。

 ドロリとした血飛沫を残して床に叩きつけられた襲撃者はそのまま絶命した。


 ――何が起こった?


 興奮状態を抑え込んだ群造は、状況を理解し始める。

 射線が逸れた原因は、襲撃者の両目に突き刺さった金属の棒であった。


 手裏剣術。

 それも直打法による二刀同時着弾。


 背後から老女の声が聞こえ、答えに辿り着いた群造は反射的に距離を離して迎撃体勢に入っていた。


「見事な【(まるい)】です。立身(たつみ)流の方でしたか」


 感想を述べる百瀬の手には次弾である棒手裏剣が握られている。


「小銃は慣れていませんので、こちらで援護しましたが……余計でしたか?」


 普通の練度ではない。

 助けられた感謝を上回る老女の異質さを感じ取り、群造は唾を飲み込むのですら躊躇われる緊張感を覚えた。


「アンタ、何者なんだ?」

「どこにでもいる、老いた忍者ですよ」


 そう言った後、ウインクして微笑む百瀬であった。




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