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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十七話
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【立身流:由々桐 群造】①




 人を見る時はまず手の置き方を確認することにしていた。

 前で手を組む、後ろで手を組む、腰に手を置く、腕を組む、顎を触る、指先を揃えて大腿部に添える、片方の手でもう片方の二の腕を掴む、ポケットに隠す、置き場が分からず身体のあちこちを触る、手持ち無沙汰に何かを持つ。

 誰かと相対した時の手置きは雄弁に心情を映すものだ。


 今目の前にいる老女は後ろで手を組み、やや俯き気味に佇んでいる。

 自信、誠実、猜疑心。

 自分への信頼と職務へのプライドを投影する反面、未知の相手を値踏する僅かな蔑視が見え隠れしている。

 顔、特に目元に深い皺を刻み、年の頃は七十歳かそれ以上。

 服装は白いワイシャツに、袴のように裾の広がった黒いボトムスと黒い布靴。腕に掛けてあるコートはブラウンのダッフルコート。

 取って付けたような印象の残らない服装であったが、入室してからの細かい所作にそこはかとない品の良さが伺える。

 老朽化が著しいオンボロ事務所に似つかわしくない富裕層が訪れるというのはそれほど珍しいことではない。


 左目で相手の観察を終えた由々桐(ユユギリ)群造(グンゾウ)は、経験則で作られた先入観を心の隅に置いた。

 右目の視力を失った直後は日々の生活ですら難儀していたが、ある程度慣れてからは隻眼を補うかのように観察力が冴えていくのを感じていた。


 群造は銀のシガーケースから紙巻き煙草を一本取り出して口の端で咥える。

 老女は眉間に皺を寄せて抗議したが構わず火を付けて、最初の紫煙で肺を満たした後、有害物質を鼻から撒き散らす。

 その間ずっと視線は合わせたまま彼我の値踏み合戦は続いていた。

 世界的に禁煙の気運が高まりつつあるが、ここ中国は未だ喫煙者に優しい。

 喫煙者であるという一点に於いてのみ毛沢東を好きになってもいいと思える群造であった。


「何事にも順序というものがある」


 口内に残った煙を舌で押し出しながら応えると、老女は小首をかしげて少しの驚きを見せた。これは演技だろう。

 群造は金の話から入る輩は警戒することにしている。

 ヤバい案件の始まりはいつもそうだ。

 金の話は大事だが、最初に金で目を晦ませてくる場合持ち込む案件が既に焦げ付いている(・・・・・・・)可能性が高い。


「金額に不満ですか? 由々桐さん」

「教訓ってやつでね。内容によっちゃ国家予算積まれても断ることがある」

「……礼を欠いていたようですね。私は同じ日本人として貴方のような男を尊敬し、信頼してここに来ています」


 ――同じ日本人? 尊敬? 笑わせるな。

 そんな素晴らしい勲章とは程遠いこと存在であることは自分が一番分かっている。 

 群造の視線は揺らがない。

 下らないリップサービスよりも自身の直感を信じている。


「荷の内容は一通の書簡……それと私自身です」

「……」


 それは中国から日本への密入国を意味していた。

 つまりこの老女は普通の渡航や亡命という手続きを取れない問題を抱えていることになる。


「ばあさん、アンタ政治犯なのか?」


 この国で商売するにあたって一番敵に回してはならないものが共産党である。

 群造自身、法を無視する輩はいくらでも対応できるが、法を捻じ曲げる権力者には太刀打ちできないことを理解している。

 政府と黒社会の繋ぎ目にあるこの事務所はセーフゾーンとも言える安全性が保証されているが、中南海に住む住人が敵ならその限りではない。


「少なくともこの国の政府を敵に回すほど愚かではありません」

「そうか。ただ、叩く門戸を間違えたな。密入国は俺の専門外だ」

「分かっています。されど蛇の道は蛇。紹介料込みで報酬を提示しています」

「は」


 ――信頼しすぎだろう。

 群造は言葉を飲み込む。老女の言う通りなら落ちている金を拾うようなものだ。


 由々桐群造は元々運び屋として糊口をしのいでいたが、その成功率を買われ現在では信使(クーリエ)と呼ばれる配達人として事務所を構えている。

 それは外交文書を届ける外交官業務を指す言葉であるが、群造の依頼人は専ら大企業や黒社会の富裕層がほとんどであった。

 多国籍企業の台頭と匿名ウェブの発達で国境が曖昧になりつつある昨今、本当の意味でのセキュリティとは暗号化技術ではなくアナログデータを暴力で守ることに回帰しつつあり、誰にも知られたくない機密文書を確実に届ける配達人が必要とされるケースが増えてきている。

 今やハッキングは小学生の万引きよりハードルが下がっているのだ。


「で、何処の誰に追われているんだ?」

「……詳細は分かりませんが、私の棲家を襲ったのはどこかのマフィアだと思います」

「どうしてそう思う?」

「全員が手に同じ入れ墨をしていましたから。こう、口を開いた犬のような形です」


 老女は手で作った犬の横顔をパクパク動かして答えた。

 暗仁幇(アンレンパン)の連中だ。

 一人っ子政策の影で売買された捨て子『黒孩子(ヘイハイツ)』を集めた反社会組織は多く存在し、戸籍の無い彼らは低賃金で汚れ仕事を実行する鉄砲玉として重宝されている。

 しかし暗仁幇は全員が黒孩子で構成される比較的統率の取れた組織でもあり、基本的に誰かの依頼によって動くので単に金目当てで富裕層を襲撃した可能性は低い。

 

「はぁ……一体誰の恨み買ったんだ? アンタを狙ってるのはマフィアも恐れる火を食う獣(禍斗)だぞ」

「この歳になりますと恨まれ慣れてしまいまして、とてもじゃないですが一つ一つ思い出せるものじゃありませんわね、ほほほ」


 優雅に笑って誤魔化す老女だが思った以上に状況が悪い。

 密入国は香港入りして蛇頭に任せるのが一番楽で安全ではあるが、老女は恐らく出入国管理(イミグレ)で引っ掛かる。

 水客と呼ばれる買い占め業者対策に新しい電子システムが導入されたので、今から偽造カードを作るのでは間に合わないだろう。


「書簡はアンタとは別口で俺が運ぼう。こっちは本業だ。でだ、アンタの輸送はここ浙江(せっこう)省から出る漁船に詰め込み、韓国の済州島沖で日本の漁船に乗り換える方法しかない。当然、三カ国を跨ぐ分リスクも高くなる。海の上でどうなろうと俺は関知しない。それでもいいのか?」

「ええ、構いません。そちらの業者さんにも報酬は弾みますから」

「羽振りいいな」


 群造は前金として貰った報酬を事務所奥の金庫に収め、『春旗鉄斎様』と宛名の書かれた書簡を壁掛け時計の中に隠しながらも思考を走らせる。

 普段なら依頼人の詮索はしないが、この老女に関しては調べてからの配送が妥当だろうと考えていた。

 彼女の背景によっては海の上で死んでもらい、書簡は求める者に売り払う方がベストな場合がある。


 机の上の鍵束を掴んで、椅子の背もたれに掛けたあったトレンチコートを着込むと、老女に向き直って愛嬌を込めた営業スマイルを作ってみせた。


「じゃあ、早速デートと洒落込もうか、ばあさん」

「エスコートはお任せしますわ。……それと、私はばあさんではなく百瀬(モモセ)と呼びなさい、坊や」

「分かったよ百瀬さん」


 コートの内側に忍ばせてある日本刀と偽造マカロフ(五九式)の感触を確かめ、使わなくて済むように祈りながら事務所の扉を開く群造であった。




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