【再会】③
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その後、不玉は富士子を連れて呑みに行き、曜子と鈴海も別グループに合流するとのことで打ち上げは解散することになった。
鈴海は最後まで鉄華を連れて行こうとしていたが、鉄華は大会を控えた打ち合わせがあるという嘘で断っている。
念願の【衰枯】に辿り着いた一巴の動向が気になり、同じ帰路に着くことを選択していた。
夜道の暗がりの中、二人の靴音とページをめくる音だけが響いている。
横に並ぶ当の一巴は、ノートを受け取ってからほぼ言葉を発することなく内容に没頭していた。
木南一巴の家は忍術の家系でインストラクター等の活動をしている、――とのことであったが鉄華が調べた限りでは木南という苗字の該当する人物は存在しない。
念の為県立図書館で調べて貰ったが結果は同じである。
このことから考えられるのは二つ。
一つは苗字が違う可能性である。タレントのように通称を用いて活動しているか、複雑な家庭事情で苗字が異なる場合がこれにあたる。
もう一つは、一巴の身の上話が全て嘘であるという可能性である。
鉄華を駒として動かすために同情を引くようなストーリーをでっち上げたのであれば、目的はごく個人的な毒物の蒐集ということになる。
或いは、蒐集は目的でなく手段であり、誰かに使うことが目的であったのなら放置できない問題だ。
そんな鉄華の心中を知ってか知らずか、一巴は深い溜め息を吐いてからノートを鉄華に手渡した。
「はい、どうぞっす」
不玉の許可は出ているのでノートを受け取った鉄華は街頭の明かりを頼りに内容の確認をする。
「ナンバンキビのカビ、カエンタケ、トウアズキの種子、湿地の腐植土……??」
ノートを開くと最初に用意する材料が綴られていて、続いて精製方法が書かれている。一見、主婦の献立レシピのような構成であった。
鉄華の知識の範囲で分かる毒物はカエンタケくらいである。
触れただけで炎症を起こす赤色の毒キノコ。それだけで充分と思えたが、レシピは複数の材料をそれぞれの抽出方法でブレンドする方法が詳細に記載されていた。
「いやぁ、期待していたようなものじゃないっすよ。個々の材料に独自性はなく、他の忍術でもよくある毒っす。現代で使えばちゃんと特定できる成分が検出されちゃうっすね」
「そうですか」
一巴の溜め息は自身の知らない知見を得られなかったことへの落胆だろう。
内容は毒の作り方に終止し、どのように使われたかという事例は書かれていない。
歴史の陰で一叢流がどう暗躍していたのかは闇に包まれたままである。
「でも衰枯は複合毒だから相当危険であることは間違いないっす」
「複合毒?」
「免疫力を低下させる毒とタンパク質合成を阻害する毒、即効性の高い毒と潜伏期間の長い毒という効能のコンボ決めてる激ヤバ毒っす。とりわけヤバイのはトウアズキで、それから生成される毒素は未だ確実な治療法が確立されてないっす。破傷風菌も抗生物質効かないから厄介すね」
聞き慣れない言葉の連続に鉄華は混乱しそうになったが、どうやら衰枯は現代でも通用する強力な毒物であるということは理解できた。
抗生物質も無かった時代ならばほぼ確実に殺害できる文字通りの必殺技だ。
「ただこの毒は自分が受けた時に生き残れないから一種の自爆技みたいなもんっすよ。不玉さんがデレ姉に隠すわけっすわ」
これは解毒剤もセットで用意して交渉を迫るようなものではなく、問答無用で相手を必滅させる化学兵器である。
もし泥蓮が知っていれば刀身に塗布して使用していたかもしれない。
「まぁ私には不要なものっすから、一叢流コンプリートしそうな鉄華ちゃんがノート持っているといいっすよ」
予想外のノート譲渡に鉄華は胸中で描いていたとある計画が一段階進んだ喜びを感じていたが、同時に浮かぶいくつかの不確定要素に対する不安を拭えないでいる。
「……不玉さんは、使うでしょうか?」
「それは鉄華ちゃんの方がよくわかってるでしょ?」
「そうですね」
不玉が衰枯を使うことはないと鉄華は確信している。
篠咲に対して恨みは無いと断言した不玉が人生を賭けた必殺を使用するようには思えない。
そもそも防刃服に対して切創を狙うのは難しいので、毒を使うのであれば相手の飲食物に混ぜるという武術とは別次元の暗殺になってしまう。泥蓮ですらそんな決着を望んではいないだろう。
――では一巴はどうだろうか?
衰枯は一巴が求めるものではなかったようだが、彼女が求めるものとは何か?
問わねばならない。それも慎重に。
「一巴先輩の家の流派って何流なんですか?」
忍術とはいえ家業であるならば受け継ぐ大元の流派があるはずである。
本を出版するほどのビジネスとしてやっているのが事実であれば、知名度の観点で流派名を偽ることは出来ない。
「ん? あぁ、私ん家のことあんまり喋ってなかったっすね。うちの流派は【新楠流】っす。鉄華ちゃんは楠木正成って歴史上の人物知らないっすか?」
「聞いたことありますね。えーと……たしか少ないお米を水でかさ増しして節約したとか……」
「楠公飯っすね。最近アニメでやってたからそっちのが有名なのかな。まぁ平たく言うと南北朝時代の武将っす。彼の残した兵法書から派生した忍術流派が新楠流っすよ」
一巴の言葉に淀みはなく、視線に躊躇いもない。
意図して隠していたわけではなくこれまで話す機会がなかっただけ。
これが演技なら相当な役者であり、鉄華では手に負えない。
「木南家は楠木家の分家で、私の養父は楠木頼典というDQNネーム丸出しの奴っすよ」
覚えのある名前だった。
一巴の背景を探る過程で調べていたいくつかの専門書に頻出する名前である。
複雑な家庭環境ではあるものの忍術の蒐集という動機に矛盾はなく、更に深読みして追求する意味はないように思えた。
「因みに一叢流も楠木正成を経由して伝わっているんで流派的な親戚関係にあるっすね」
「え、そうなんですか」
「む、もう一回聞かせてあげようか? 一叢流の歴史」
「いえいえ結構です」
三叉路を吹き抜ける夜風が二人の少女の間を吹き抜けていった。
秋も終盤に差し掛かり、この頃は少し肌寒い。
帰路の別れ道で鉄華は一巴の背中を見送りながら、彼女への疑念に区切りを付けることにした。
もっと差し迫った問題がある以上、申し訳ないがこれ以上横道へ逸れている暇はない。
鉄華は自分の問題に集中することを決心すると、胸に抱えるノートを強く握りしめて夜道の闇へと踏み出していった。
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午後十時。どこか遠くで消防団の夜警の鐘が響いている。
鉄華は帰宅後すぐに着替えて、ランニングで夜の街へと繰り出していた。
気持ちの切り替えになるかは分からないが、何かを以てして楽しい時間はここまでだと区切らなければ怠惰に居着いてしまう気がしたからだ。
そして今一度目的を整理する。
不玉のセコンドを務めること。
泥蓮を死なせないこと。
冬川と戦うこと。
篠咲ともう一度話すこと。
泥蓮方面の問題は一巴が担ってくれた分まだ安心できるが、それにしても並列して考えることが多い。
特に篠咲と会うのは困難を極めるだろう。大会に招集した強者の中に彼女を恨む者が多くいるのは明白であり、きっと本人も自覚している。
そして彼女の側には能登原がいる。例え篠咲が望まなくても厳重なセキュリティで守られているはずだ。
しかしその件に関しては腹案があった。
鉄華は住宅街を抜け、人気の無い田畑の農道に差し掛かった辺りでふと足を止め、携帯のアドレス帳を確認した。
夏休みに出会った時に能登原から受け取った連絡先が画面に映っている。
今から彼女と会話すると考えただけで嫌悪感が走るが、予てより避けて通れないと覚悟していた鉄華は何の躊躇もなくコールボタンを押した。
十回程の呼び出し音が鳴ってから通話状態に入ると、聞き覚えのある声が耳に届く。
『はい』
電話越しの一言だというのに高圧的な態度がそのまま口から押し出されたような声。
夏のあの日の記憶が喚起され、間違いなく能登原英梨子本人であることが鉄華には分かった。
「夜分遅くすみません。私、春旗と申しますが能登原さんの携帯ですか?」
『そうですが、……どちら様でしょう?』
「春旗鉄華です」
『……聞き覚えございませんが、財団の方ですか?』
鉄華は言葉に詰まる。
面と向かって話して連絡先までくれたのに、まさか覚えていないという事実に少し腹が立った。
「えーっと、大会で小枩原不玉さんのセコンドを務める者です。一度お会いした時に名刺を頂いだのですが、覚えていませんか?」
『……あぁ、あの時の』
ようやく思い出した様子の能登原は、仕事の話ではないと分かると明らかにトーンダウンしてより一層威圧的な声になる。
そこには一叢流に関わるものは全て敵だという意思が伺えた。
『確か冬川が個人的に会場を使いたいと言ってましたが、よく考えたらあなたが相手でしたね』
「はい。そうです」
『その件は大丈夫ですよ。客もセキュリティも出払った後の会場でよければ思う存分どうぞ』
「ありがとうございます。それとは別に一つお願いがありまして」
『なんでしょう?』
「大会前に篠咲さんと会って話をしたいのですが、時間取ってもらうことは出来ないでしょうか?」
『……』
急に無言になった能登原に、鉄華は地雷を踏んだかのような緊張感を覚えた。
回線を伝って彼女の殺気が届いている気すらしている。
『……あのね、ちゃんと考えて話しているの? 篠咲と個人的に連絡を取れない間柄で、更に敵側陣営のあなたを引き合わせる義理なんて微塵も無いわよ』
一応はまともな社会的地位と責任を持つ人物である。
物事の分別がつかない狂人である可能性に期待して色々注文を付けようとしていた鉄華は、余りにも失礼な事をしたと反省して予定通りの交渉に入った。
「タダでとは言いません。これは取引です」
『取引ですって? へぇ、面白いわね。何を差し出すのかしら?』
「一叢流の毒術、その内容と引き換えです」
『……ど、毒ですって?』
能登原の声が上ずっている。
衣擦れの音から驚きで体勢を変えたことまで伝わってきた。
――予想していなかったのか? なら都合がいい。
様々な手段で古武術家を集めた大会である。賞金の桁も尋常ではない。
毒術が一叢流だけのお家芸とは考え難く、ここで話題を振るのは警鐘にもなる。
「名誉のために言っておきますが小枩原親子が大会で使うことはまずないでしょう。私はそう思っていますが、それでも万が一の時すぐに対応できるよう成分を知っておいて損はないはずです。初期治療の遅れが死に繋がる強力な毒ですから」
『……あなたはそれでいいの? 一応は末席に名を連ねる門弟でしょうに』
「誤解があるようですが私は流派の伝承者になる気はありませんし、篠咲さんに恨みもありません。どちらかといえば恩があると言ってもいいくらいです。ただし、一叢流にも恩があります。双方から死人や殺人者を出したくないというのが本心です」
『それで、あなたは篠咲と会って何を話すのかしら?』
「私の祖父に関してです。今や誰も知らない祖父の足跡を篠咲さんはいくらか知っているように思えましたので。知らないなら知らないで結構ですが、会って話すのが絶対条件です」
――上出来だ。
能登原からしてみれば、冬川を排除し、篠咲に有益な情報をもたらす個人である。
敵側ではあるが、中立くらいに思わせることには成功したと思いたい。
能登原の沈黙に逡巡のような葛藤が加わり、やがて諦めたかのような溜め息で交渉の均衡が崩れた。
『……はぁ、分かりました。大会当日、開催までの少しの時間なら取れると思いますので篠咲に話を通しておきます。因みに何か証拠になるようなものは持っているのかしら』
「一叢流当主の手書きのノートがあります」
『結構。当日こちらから連絡しますのでその時にお預かりします。それでいいかしら?』
「はい」
『そ。面白い子ね、あなた。さようなら春旗さん』
通話が切れると、鉄華は図らずも拳を握って「よし」と呟いていた。
ノートを渡すのは大会の初日である。
内容を確認し医療設備を用意するのは急いでも一日は掛かるだろう。
一回戦から篠咲と小枩原親子がぶつかるのを避けたい能登原はトーナメントの組み合わせに介入するはずだ。
篠咲が他の誰かに敗退する可能性は高くなり、もしそうなれば泥蓮の興味も消失し因縁は終了する。
鉄華としても篠咲が消える前に話す場をセッティングしなければならなかった。
衰枯を教えてしまうのは不玉に対する裏切りになるが、死者を出してまで流派の守秘義務を守る気はないし、恨まれても構わないと思っている。
交渉が上手く纏まった満足感で充たされていた鉄華だが、撃剣大会の最中に篠咲が死ぬ可能性の高さを考えた時、余りにも儚く虚しい彼女の人生に思いを馳せて少し悲しい気持ちになるのであった。