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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十五話
60/224

【心形刀流:木崎 三千風】②

   ■■■




 プロモーターの目論見通り『SOS』の観戦チケットは完売、ストリーミングペイパービューは日本記録に迫る売れ行きを見せた。

 メダリストと無名の新人の試合がメインカードという異例の事態は世間の関心に拍車をかけていた。


 入場を終えた二人は今、金網に囲まれた八角形のリング上で向き合って開始の合図を待っている。


 ――心底くだらない。


 矢島は改めてそう思った。

 もしも、木崎のパフォーマンスを真に受けて古武術の秘技に期待している層が集まったというなら、これ程くだらない茶番はない。

 何のドラマもない冷めた結末が待っているだけだ。

 日本の古武術に愛国心を向ける彼らの気持ちは分からなくもないが、そんなオカルトにメダリストとして集めてきた尊敬が負けることだけは許せなかった。


 木崎は今日も青色のウィッグを被って何かしらのコスプレをしていたが、コーナーに着いた後はコスプレ衣装を脱ぎ捨ててスパッツ一枚のノーギになっている。

 顕になった肉体は予想に反し、充分にウエイトトレーニングで鍛えられた筋肉を浮き上がらせていた。

 プロフィールの数字上では矢島とほぼ同じ体格。年齢も同じ二十五歳。


 ――何が二人を分けたのであろうか。


 一方はメダリストとなり、一方は無名のオカルト武術家に堕ちた。

 その残酷な現実の差は、ほんの少しだけ矢島に憐れみの気持ちを抱かせた。


 矢島は無意味だと知りながらも一応、木崎の流派を調べている。


 心形刀(しんぎょうとう)流。


 体系の殆どは刀剣術。多少の柔術は存在するものの着座状態の応じ技や、相手の奪刀や抜刀を防ぐといった現代では使い道のない状況での対応に終始しており、特に対策を迫られるような技は存在しない。

 古流柔術というものはもはや研究され尽くしているのだ。そこに強みがあるとすれば反則技くらいだろう。


 矢島は頭突きと金的を警戒している。

 ルールで反則負けになってでも最後に立っている姿を残し、後々「試合には負けたが――」などと言い訳をさせるつもりなどない。


 その上で使う武器(・・)

 矢島は敢えて上半身に道着と帯、下半身にスパッツというサンボのユニフォームを選択している。


 元レスリングメダリストのサンボ使い 対 ノーギの古武術家。


 会場の喧騒を割って鳴り響くゴングの音で、戦いの火蓋は切って落とされた。




   ◆




 互いに拳を合わせようと近づく素振りすら見せなかった。

 矢島に隙はない。

 当たり前の挨拶ですら卑怯者の理論では言い訳できない油断となる。


 矢島が両腕を上げて顎を引き打撃の構えを取ると、木崎は両腕を前に伸ばして上下を守る合気道のような構えで相対した。


 寝技が目的である矢島は掴まれることは望むところであったが、実用性のない構えを嘲笑うように数発ジャブの牽制を放つ。

 すると案の定木崎はジャブを掴むことなど出来ず、あたふたと防御姿勢に移行した。

 おいおい、と呆れながら矢島が右のローキックを打つとそれに対しては膝を上げてカットしている。


 ――多少は打撃対策をしている。


 多少は(・・・)。ただそれだけである。

 このまま打撃で押せるのではないかと考えたが、それで済ませる気はなかった。

 1Rの秒殺。それも死を意識するくらい徹底的に終わらせる。

 その為に矢島は絞め技を狙うつもりだ。

 これだけ因縁を深めた以上、簡単にはタップできず限界まで絞め上げることが可能だろう。


 ――終わりにしよう。


 ワンツーの牽制から姿勢を落としてタックルに移行した。

 この時矢島は膝を合わせられる可能性、反則覚悟で背中に肘を落とされる可能性を考慮していたが全くの杞憂であった。


 木崎はタックルを切らない。切り方も分かっていない。


 足が縺れてまるで受け入れるかのように押し倒されている。

 ここから先はメダリストの独壇場であると、観客含め誰もが理解していた。


 倒れる最中、木崎の左腕を掴むと同時に腰を浮かして左サイドに移動する。


 ――ほら、腕ひしぎだぞ?


 意図を理解した木崎が腕を閉じてガードポジションで抵抗するのを見た時、攻防の最中にも関わらず矢島は笑みが溢れた。

 そして間髪入れず、腕を切ろうとする木崎に密着して頭で相手の顎を押し上げる。

 多少勢いはあるがこの頭突きはただの事故、組み付いた時にはよくあることだ。

 もしかしたら木崎が審判に抗議するかもしれない、――がそんな暇は与えない。


 次の瞬間には木崎の首の下に左腕を潜らせ、右腕はギロチンのように喉へ乗せて圧迫していた。

 右手は左袖口を掴んでホールドしている。


 袖車絞め。


 着衣を利用した絞め技である。

 しかも矢島の袖の内側にはしっかり握る為の返し(・・)が付いている。

 審判が止めなければ死のホールドが解かれることはない。


 日本の格闘技興行は着衣規定が甘い。プロレスラーに至っては覆面の着用まで認められている。

 つまり着衣を使うという凶器攻撃がある程度使用可能なのだ。

 もし木崎がノーギにならず道着を着ていたら送襟絞や片手巻絞といったバリエーションも増えていただろう。


 余りにも予定通り。あっけない幕切れだった。



 「っあ!」



 声が上がった。

 それが自分の声だと矢島が気付いたのは絞め技を解いてしまった後だ。


 ――刺された!


 反射的にそう思っていた。

 腕の付け根から五センチほど下の脇腹に木崎の手が置かれた直後、刃物で刺されたような痛みが全身を駆け巡った。

 凶器攻撃を疑ったが、執拗な事前チェックを行った上に木崎はノーギである。

 一秒にも満たない思考の中で出た結論は『貫手』であった。

 触れるような接触から相手の体重を利用して親指を捻じ込む貫手。


 ――可能なのか? いや、


 答えに辿り着いた時には眼前に木崎の姿はなく、ガードポジションから矢島の左足に絡み付いていた。

 そして左足を固定したまま右足を蹴り上げて股下を潜り抜け、矢島の道着の裾と後ろ襟を取ってバックポジションに移行すると、そのまま脇の下を通した手と首に回す手で道着の襟を掴んだ。


 片羽絞め。


 木崎のそれは完全に極ったかに見えたが、矢島が身を捻るとあっさり手が解かれてしまった。


 当然の如く、矢島は自分が着衣を利用される場合の対策もしていた。

 汗を吸い込むと道着の襟と肩が滑るようになっている。

 指摘されても事前のスパーリングでパートナーのワセリンが付着しただけだと言い逃れるつもりであった。


 しかし木崎は抗議する気配も見せず、組み解れた二人はまた立った状態からの仕切り直しで対峙している。


 その態度に強者の余裕を感じた矢島は怒りを覚えた。

 未だ木崎の強さを測り切れていないことも腹立たしい。

 

 ――マグレなのか、寝技に自信があるのか。


 この先寝技を避けて打撃で勝利しても、メダリストの経歴に傷を付けてしまうのは避けられない。

 だが貫手という武器を持つ以上、ある程度削ってからでないと安易に寝技で勝負できない。


 ――勝てない? レスリングのメダリストの俺が? 寝技で?


 判断もつかないまま放った右ローキックは木崎に深く刺さった後、戻りを捕らえられてしまう。

 木崎は矢島の右ローに自身の右足を内股で絡めて、更に背中から倒れ込んで寝技を誘っていた。


 今はまだ足が絡んでいるだけ。

 矢島は立った状態で付き合うべきか考えを巡らせていたが、並列思考の裏側で全く別の結論が出ていた。


 ――これは、足が絡んでいるだけではない!


 矢島の右足首を木崎の右手が掴んだ瞬間、急激に視界が引きずり降ろされる。

 それは股下を潜られた後、後ろ帯を掴まれて引き込まれた結果であった。


 リバースデラヒーバ。


 偶然ではないことに気付いた時には木崎の裸締めが極まって詰んでいた。


 矢島は思い返す。

 貫手が驚異なのではない。

 その後バックポジションを取った動きをもっと警戒するべきだった。

 あれはベリンボロだ。


 競技の中で生まれる、競技に特化した技。

 相手がノーギでは使えない、ポイント制の競技の中で産まれた技術故に、その実戦性を巡る議論は尽きない。


 木崎が使っていたのは近代柔術の技であった。




    ◆




「俺は繕いません。現代格闘技も古武術も結局のところ、動機を支えるのは本能、暴力による支配欲求でしょう」


 試合後、リングの上でマイクを取った木崎は、大歓声を送る観客に向けて語り出す。


「もはや護身じゃないんです、こんな舞台立っちゃうような奴らは。磨いた暴力で相手を屈服させるのが楽しいから、そしてそれが金になるからやってんです。そこを誤魔化してさも自分だけは健全なスポーツで精神性を磨いていますみたいな建前を言う奴はね、それこそ胡散臭い宗教家と同じですよ。

 矢島くんは彼自身が忌み嫌うステレオタイプな古武術家と同じレベルに落ちていただけです。

 もし次の機会があれば彼はもっと恐ろしい強敵になっていると思います。ですが今回は俺の勝ちでした。皆さん、ご声援ありがとうございました」


 木崎が頭を下げると歓声はより一層濃度を増し、テーマソングであるアニメのオープニング曲をかき消すほどに響き渡った。




 意気揚々と勝利インタビューに答えた木崎は、この後準決勝でぶつかったブラジリアン柔術の雄、有里アレシャンドレを相手にTKO負けという戦績で終わっている。

 木崎が近代柔術を使うことを知った有里はノーギで出場し、長い手足を使ってのストライカースタイルで戦う選択をして危なげなく勝利を掴んでいる。


 負けはしたが木崎に不服はなかった。

 ルールが有り、次があれば、見世物興行が成立して金になる。自分の課題も見えてくる。

 古武術家が競技の中で頂点を目指すのは容易でないが、これはこれで良いものだと納得していた。




   ◆



 

 『もし古武術家が現代格闘技の舞台で戦うならどうするか?』


 木崎の答えは単純。


 『現代格闘技で戦う』である。


 古武術が型しかやらないと思っている。古武術家はウェイトトレーニングをしないと思っている。古武術家は古武術しか知らないと思っている。決めつけている。

 ここ近年この手の輩が増加傾向にある。

 何故か?

 実際に紛い物がいるからだ。


 自伝書やTVバラエティで過剰に演出された嘘を披露しては金銭を集める偽物がいる。

 再現性の低い技と理論に全幅の信頼を寄せ、「どんな相手でも殺せる」という根拠のない自信を持つ者も少なくない。

 そんな偽物の醜態をネットの片隅で見つけては観念を固定化させてしまう者が増えているのだ。


 しかしそれは全体論に取って代わるものではない。”古武術”という名前の流派など存在しないのだから。


 心形刀流を修めた木崎にとっての古武術とは、「想定する状況が多い格闘技」である。

 あらゆる場所、武器、人数、時間、法律という入力値に対して自己の性能、コンディションを掛け合わせて最適解を求めるパズルであり、勝利という結果を導き出すのに古武術以外にも選択肢を持たない方がどうかしているとすら思っていた。そこには何の制約もないのだ。


 フィットネスビジネスとして広まる格闘技や武道の中にも、ルール上使えないが実戦を想定している裏の型が存在し、それが何故残され続けているのかを理解しなければならない。

 モラルに準ずる一個人がいても、人間社会とは相互関係の産物なのだから備えは必要だ。



 心形刀流は進化する武術である。


 江戸時代初期に発足し、本心刀流、柳生流、一刀流などあらゆる流派の極意を取り込み進化してきた超派の選択肢を持っている。

 木崎は現代で形骸化しつつある本流の心得を愚直に実践している闘技者であった。


 目的は一つ。

 個人力の到達点を見たい、それだけである。


 とはいえ目標であった戸草仁礼と戦う機会は得られないままであった。

 戸草と同じく総合を始めてみたものの、入れ替わるように引退されてしまっている。

 タイミングの妙を恨んだが、かと言って全力の剣技で戦う場所など現代で用意しようもなく、整える過程で犯罪を犯すのでは進化を止めてしまった他の古武術と同じである。


 テレビで話題性を作っても戸草が名乗りを上げる様子もなく、年月の経過共に目標が霧中に消えようとしていた頃、一通の書簡が届いたのであった。





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