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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十四話
58/224

【短剣道 山雀 州平】③

   ■■■




 武術指導教官の大智真人(マヒト)は自衛隊体育学校の剣道場の配電盤を開き、慣れ親しんだ鍵盤を弾くように順番にスイッチを入れていった。

 それから更衣室で道着に着替えて、軽く柔軟をして水分を補給する。

 いつもと違うのはその後に銃剣道用の木銃ではなく、持参の木槍を取ったことだけだ。

 時計に目をやると午前五時を回っていた。


 道場に戻ると水銀灯の明かりが充分な光量を得て場内を照らしている。

 その中央に、防具を付け終えた一人の男があぐらをかいて座っていた。


「どうも」

「驚いた。……もしかしてずっとそこにいたのか?」

「ええ」


 互いに初対面ではないが、会ったのはまだ教師と生徒だった数年前のことだ。

 傲岸不遜な生徒であったことは記憶しているものの、初めて一個人として向き合った感覚がどこか居心地の悪い大智であった。

 上官に対して朝の挨拶が無いことを咎める気はない。

 これから起きることに比べたら些細な指摘だ。


 大智が着座し剣道の防具を付ける間にも、二人の男の息遣いで早朝の穏やかな空気が揺らぎ始めていた。


「なぁ、山雀。お前はなんで自衛官を選んだんだ?」


 山雀の評価を知っていた大智は、以前から思っていた疑問を口にした。

 この場には二人以外誰も居ない。独断で動く男の本当の動機が知りたかった。


「そうですねぇ……曹長は『コールオブジャスティス』って知ってます?」

「んん? 聞いたことあるな。確か戦争を題材にしたゲームだったか?」

「おぉ、通じるとは思いませんでしたよ。動機はソレです」

「おいおい、そんな動機で飛び込んでよく今まで耐えてこられたな」


 防具を付け終えた大智はバカバカしい冗談を笑い飛ばしながら立ち上がり、その様子を見ていた山雀も目を細めて笑い返す。


「耐えることは得意です。ほら、どんな理不尽な命令も上下関係も『実際に戦ったらこいつは俺より弱い』って分かってれば何でもないでしょう? 心の余裕と言えばいいのでしょうか」


 山雀はあぐらをかいた姿勢から右足を前に伸ばし、左足のバネだけで仕掛け絵本のように立ち上がった。


 歪む。

 目付きが、口元が、気配が、空間ごと湾曲する。

 糸が解けるような歪みの奥から抑え込んでいた闘争心が噴出する。

 大智は笑みを崩さず、徐々に顕れ始めた歪みを正面から受け止めていた。


「生物的に格下の、俺の気分次第でいつでもどうにでも出来るの相手が吠えているだけ――どうです? 優しい気持ちになれると思いませんか?」


 変わっていない山雀の本質を確認した大智は、左足前の半身で槍を腰に構えた。


「同意はできんが、同情はしてやろう。除隊後は大好きなゲーム会社にでも再就職するといい」


 山雀は会話の最後で吐き捨てるように笑い、腰から抜いた木刀をゆっくり構えた。




   ◆




 山雀が選んだ得物は長さ五十センチ程の木刀である。

 剣道の二刀型や短剣道で使われる物で、腰の前に伸ばした右手から垂直に木刀を立てていた。

 卜傅(ぼくでん)流小太刀の型【印の構え】。

 短剣道は競技武道であるが、源流である短剣術は明治期に古流の小太刀術を纏めたものだ。


 対する大智は自身が得意とする銃剣道の源流に遡り、古流の槍術を選んでいる。

 二人は奇しくも自衛隊格闘術の入り口となる二つの武道を軸に対峙していた。


 短剣道と銃剣道。


 その起源は明治維新後に導入された軍刀術に由来する。


 帝国陸軍では当初、装備の西洋化を推し進める過程で銃の普及と共に片手式サーベルのフランス式剣術を兵科に組み込んでいた。

 今で言うフェンシングの原型である刺突技に特化した異国の剣術は、軍刀単体で短剣術、銃に着剣して銃剣術という二つの側面を持つ取り回しの良さを備えていたが、その有用性は実戦の中であっけなく否定されることになった。


 西南戦争である。


 銃とフランス式剣術で対抗した官軍側は、古流を修めた剣術家には手も足も出なかったのだ。特に薩摩出身者の自顕流は猛威を振るい多くの死者を出すことになった。

 この時の反省を活かして警察局は警視流を作り上げ、帝国陸軍も同じく古流諸派の小太刀術と槍術を参考に技術体系の改良を図った。

 その後戦後に競技化されたのが短剣道と銃剣道であり、今日では軍人のみならず一般層にも広く普及している。


 大智は過去に短剣道と銃剣道にて全国一位の戦績を持つ自衛官である。

 柔道のオリンピック候補生から自衛官に転向し、錬成過程を経て指導教官に抜擢されるという異色の経歴の持ち主でもあった。


 山雀は短剣道では大した戦績を残しておらず、学生時代に一度だけ日本拳法で準優勝を取っている。

 武器防具有りの組討ならば柔道の下地がある自分の方が有利だと大智は考えていた。

 彼我の距離は約五メートル。

 短剣がぎりぎり届く間合いにだけ注意すれば何も恐れることはない。


 互いの呼吸が合った瞬間、道場内の張り詰めた空気が割れるようにミシリと鳴った。


 それは山雀が重心を傾けた時に発生した僅かな床鳴りである。

 その一歩目の足裏が着地する前に大智の槍が山雀の鼻先まで届いていた。


 木槍の長さは三・六メートル。

 練習時に付けるたんぽを取り外した剝き身の先端は鋭く削られている。


 山雀は体の前で立てた木刀をほんの少し左に傾けて槍の軌道を逸らすと、柄部に割り込んでいくように前進するが――見誤っていた。


 二歩目の後ろ足を蹴った時には、既に槍は引き戻され二撃目の射出を始めていたのだ。

 一撃目は牽制、本命は次の突きに込められている。

 特筆すべきは、大智の左手は槍ではなく金属製の円筒を握っていることにあった。


 管槍(くだやり)


 円筒は中に差し込んだ槍をピストンの要領で押し出す為の装置であり、摩擦を減らして放たれる突きは投擲に近い術理と間合いを持っている。

 また突きと同時に手首の捻りを入れることで槍の先端がたわみ、不規則な円運動を加えることが可能である。

 管槍の突きを目で捉えることは容易ではなく、長距離、最速、不規則の突き技、それが撃剣大会に臨む大智の出した結論であった。




 その渾身の突きを、――山雀は左手で掴んでいた(・・・・・)




「―――ッ」


 突如中空で固定された槍の感触で、大智は理解が一瞬遅れる。

 両手で槍を保持する大智に対して山雀は左手で槍のけら首を掴んでいるだけで、引き戻そうと足腰を連動させても掴みから逃れることは出来なかった。


 ――何という握力。


 年齢差があるとはいえ秘める身体的なポテンシャルには大きく差がある。動体視力も尋常なものではない。

 口だけの男ではなく、距離と得物の相性という不利を覆すだけのフィジカルを内包していた。


「ここでクイズです」


 山雀は攻めに転ずることなく槍を保持し、事も無げに告げた。


「光の速さを超える通信方法は何でしょうか?」

「……何だと?」


 有利な状況にも関わらず突拍子もない質問を投げかける。

 これは侮辱だ。


「例えば地球と月の間で通信するとしましょう。光の速さを超える方法があると思いますか?」

「知るか!」


 大智は槍を捻って抜き取ろうするがビクともしない。


「簡単です。地球と月の間に長い棒を置いて押したり引いたりして信号を送るんです」

「そんな巨大な物作れるか。重さを考えろ」

「頭固いですね。今の状況に置き換えてくださいよ。押し、引き、捻り、抉り、手繰る、あなたの全ての意図がダイレクトに伝わってきています。こうなったらお終いなんですよ槍はね」


 その言葉で気付く。

 山雀はただ槍を保持しているだけではなく、引き抜こうとする起こりを感じ取って絶妙な力加減で以て拮抗しているのだ。


「間合いの余裕があってもその先端を制御する力、『粘り』が無い。身体から離れれば離れるほどに武器ではなくただの道具となるんです。長けりゃ良いってものじゃない」


 大智が槍を諦めて近接組討ちに切り替えようと考え始めた頃、山雀は手を離して開始時と同じように距離を開けた。


「ご高説痛み入る……だが、下らん余裕を見せたな。放したのは失策だぞ」


 返事とばかりに笑顔を返す山雀に向けて、大智は再度迷うことなく突き技を放った。

 足を狙う下段突き。

 管槍の滑りを利用して矢継ぎ早に射出しながらも、いつでもカウンターを取れるように備えている。

 手数を重視した牽制だが木刀よりも穂先が尖る木槍の刺突は充分な驚異であり、大智の意図した通り徐々に相手を壁際に追い詰めていった。


「うわぁ、大人げねえ」


 横移動の運足で対応していた山雀も耐えきれずついには声を上げた。

 どんなに読み切っても小太刀のリーチでは後の先を取れない攻防がある。

 山雀が短剣道を選んだのは近接戦闘に自信があるからだが、武器術はフィジカルの差だけで押し通れるものではない。

 古流という武器を使う戦いの経験則は簡単に覆らないのだ。


 追い詰められた山雀の背が道場の壁にぶつかり、ダンッと音を立てて弾かれた。


 ――もう終わりだ。


 大智は下段構えのまま打ち手を止めて視線を送る。

 ここから先は避けようがない。

 足に複数の小傷を受けて立てなくなるか、無理矢理前進して大腿部を貫かれるかの二択である。

 或いは、山雀の身体力ならば高い跳躍で奇襲出来るかもしれないが、軌道を変えられない中空で槍と相対するのは自殺行為だ。


 ――詰んでいる。


 余裕を見せた挙げ句追い詰められてしまった山雀に、大智は気迫を以て降参しろという慈悲を向ける。

 その意志を察した山雀も挙手して口を開いた。


「曹長、もう飽きたんで最後の問題です」


 またもや気の抜けた調子で問答を始める。

 そうしながらも挙げた左手をゆっくり下げて体の前で拳を固めていた。


「防刃服の着用がルールの撃剣大会で刀剣本来の理、一撃必殺を引き出すにはどうすればいいでしょうか?」


 左足を前に伸ばし、短剣を握る右手が水月の辺りに据えられる。

 素手を前に差し出すのは短剣道の構えでも、小太刀術の構えでもない。

 それでいて近視感のある構え。

 大智は気付く。


 ――これは日本拳法の構えだ。


 山雀に降参する意思はなく、まだ戦いを継続しようとしている。

 最後の悪足掻きを覚悟として受け取った大智は容赦なく足の甲へと槍を狙い放つ――


 

 ――が、突きは何もない床を叩いていた。

 


 槍の引き戻しよりも速く間合いを詰めてくる山雀の両足が消えている(・・・・・)

 それが壁を蹴っての突進だと気付いた時には小太刀の間合いで相対していた。


 またも形勢は一転し、今度は大智が覚悟を決めなければならない。

 後退しているが初弾は避けられないからだ。

 だが一撃さえ耐えれば槍を反転させて柄頭での攻防で距離を取れる。

 そして短剣道の一撃とは剣道と同じく喉への刺突である。

 大智は突きが来るであろう喉元へ小手を置いて防御姿勢に入っていた。


 視線の先では山雀がまた日拳の中段で構えている。

 やがて身を捻りながら短剣の突きが繰り出され、喉を防いでいた大智は予期しない頭部への衝撃で視界が白んだ。


 衝撃は面を跳ね上げ、頚椎を揺さぶっていく。


 薄弱となった意識の最後の瞬間に大智が見たものは、紛うことなき日拳の直突きであった。




   ◆




「答えは拳と剣の融合です」


 もはや動かなくなった大智に向けて山雀は告げる。


「小太刀の先端までならば俺は最大の粘りで全体重を乗せられます。防具も防御も意味をなさない一点突破の直突きです」


 外れた面に突き刺さった木刀は、面金で割り箸のように枝分かれして内部へと続いていた。

 山雀が狙う場所をずらしていなければ大智は失明していたかもしれない。


 山雀は溜め息しか出てこなかった。

 戦いの最中は笑いが込み上げてくるが、終わりはいつも虚しい。悲しくて涙が溢れそうになる。

 身を焼くような自己鍛錬の末に自分だけの術理を完成させていたが、それを全力で使える相手は戦場でも存在しなかった。

 これが完成形だと納得できればいいのだが、課題点が見えなくなるのはどこか落ち着かず焦燥感を煽り続けている。


 ――納得したい。


 山雀は納得する為に自身が認めた最強の相手を倒すことが必要だと考えている。

 そこには強さへの渇望で飢えた獣がいるだけであった。



 戦いの熱が冷め始めたその時、突如剣道場の扉が解放されて裏で控えていた救護班が突入してきた。

 槍を使う特性上、審判という邪魔者を排除したのは他ならぬ大智であったが、当然の如く監視カメラでの観戦は続けられていたのだろう。

 手際良く大智を担架に乗せて運び出すのと入れ違いに、今度は制服組が山雀に向かって歩いてきた。


「ご苦労だったな。私はようやく君の使い方を理解できたよ」


 知らない相手を値踏みした山雀は感傷を邪魔された怒りを向けたくなったが、大きな心で受け流すことにした。


「山雀州平二等陸曹。現時刻を持って特殊作戦群の任を解き、武術錬成班へ合流してもらう。以後は撃剣大会へ向けての調整に入れ」

「はっ! 了解しました!」 


 姿勢を正して敬礼する山雀はふと思う。


 ――その後はどうなる?


 大会以降、彼らが扱いに持て余した隊員を原隊復帰させるとは思えない。

 かと言って雑魚を相手に武術指導教官を務める気も更々無かった。


 優勝しても賞金は没収され雀の涙ほどの恩賞に変えられる。

 どこかの時点で先を考えた独自の行動を選択しなければならない。


 ――まぁいいか。こいつらはいつでもどうにでも出来る相手だ。


 この先訪れる障害とその打開を想像した時、自然と笑みが溢れてくる山雀であった。





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