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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十三話
53/224

【一刀】④

   ■■■




 明朝、午前五時。

 日課のランニングと素振りを終えた鉄華は自室で新たに追加したトレーニングに挑んでいた。


 目の前には最高硬度の木材、黒檀の板が立てられている。

 鉄華はボクシングのように脇は閉めず、緩く開いた拳を顔の前で構えていた。


 そして思い起こす。

 夏休みの最終日を。

 焼け付く道場の床に転がる鉄華に、不玉は新たな術理の解説を始めていた。




   ◇




「【荊棘(ケイキョク)】は手刀打ちの技術じゃ」


 そう言うと不玉は指を揃えて開掌を作り、剣の打突のように軽く振ってみせた。


「手刀は剣の軌道をそのまま落とし込める無手技じゃ。拳の打撃に比べ面積が狭く急所を狙いやすい。しかし大きな欠点があるが故に一般的な格闘技の場で見る機会はほぼ無い」


 グローブを着けるボクシングはもとより、素手やオープンフィンガーグローブを着ける競技でも基本は拳を閉じてパンチを放つ。

 手刀打ちが打撃のメインにならないことは鉄華でも知っていた。


「手刀は技の起こりが見えやすい。手刀の威力を担うのは肘から先の円運動じゃから、まず『肘を畳む』という振りかぶり動作が必要になる。徒手格闘技の構えから放てば容易に防御されてしまうものよ。必殺の威力とリーチを持つ剣の理合いのようにはいかんのじゃ」


 剣戟と同じ軌道の手刀打ちではあるが、真剣のように一撃必殺の威力を持たない以上、上段や八相といった攻撃に特化した構えを取ることはリスクしかない。

 素手には素手の理合いがあり、現代格闘の場で使われないこと自体が実戦性の欠如であることは考えるまでもなかった。


「しかし、古流にはその動きを消す理論がある。ほれ、復習じゃぞ?」


 突如向けられた質問に鉄華は狼狽する。

 先の激闘の緊張が緩み、怠惰で受け身な本能に支配されかかっていた。


「あー、えーっと、……あっ、刺し面です」

「うむ。振りかぶりを抑えて足腰とスナップで威力を出すという打ち方じゃ。これを素手の手刀技に置き換えたのが【荊棘】よ」


 不玉は鉄華に向けた右腕の手首から先を脱力させ、プラプラと左右に振り払うようにスナップを効かせて見せた。


「鉄華よ、これが出来るか? 荊棘の骨子はこの手首の脱力にある」

「出来ますよ」


 鉄華も同じく右手首を脱力させて埃を払うように振ってみせた。

 ストレッチなのかルーティーンなのか、スポーツを齧った者なら誰でもやったことがある動きである。


「そのままの感じでスナップを効かせて反対の腕を打ってみるがよい」


 右手の振り払う力をそのまま左手に落とすとパチンと弾けるように音が響いた。


「あ痛っ」

「予想外の威力があるじゃろ。たかが手首の運動と侮るでない」


 何気ない動きに篭った初体験の痛みに鉄華は小さな悲鳴を上げる。

 インパクトの瞬間に掠めた小指と薬指の先端が刺すような威力を持っていた。


「野球の投手がボールを百五十キロで投げたとしても、投げる腕が百五十キロで動いているわけではない。円軌道、回転運動の先端部分に掛かる遠心力を利用するから可能な出力なのじゃ」


 エネルギー保存の法則に従えば時速百五十キロで飛ぶボールは、投擲する腕から等しいエネルギーを受け取っていなければならない。

 ボクサーでもハンドスピードは時速四十キロ前後が限界であり、その差を埋めているのが角速度ということになる。

 鉄華は先に痛みを知ったことで体験的に物理を落とし込めていた。

 今しがた自分を打ったスナップ手刀は、肘の円軌道と前腕を構成する橈骨と尺骨の回転を動力源とし、それを手首の脱力で鞭のように先端に伝えていくことで威力を伸ばす技術である。


「荊棘とは回転運動の威力と、直線を辿る打撃速度を両立させる手刀打ちのことよ」


 不玉は改めて構え直す。

 手は開き、義手を顔の前、右手は顎の横に据えて半身。

 呼吸による肩と腹膜の上下が消え、呼気なのか吸気なのか分からなくなった構えから突如、空を切る音が鳴った。

 一度目は目視できなかった鉄華であるが、何度も立て続けに繰り出されてようやく()ることが出来た。

 左の義手がジャブのように押し出され、同じ速さで引き戻されている。


「手の甲を向けたジャブを放ち、インパクトの瞬間に向けてスナップで手刀に変える。即座に腕を引き戻しつつ往復のスナップを入れる。基本は目を斬る。ジークンドーにもフィンガージャブという打撃があるがそれに斬撃を加えた動きじゃな。この動きは剣を構えた状態や相手の打突を受けた防御姿勢からでも一拍子で放つことが可能じゃ」


 説明しながら不玉は構えをスイッチし、右手でも同じように荊棘を放つ。

 義手よりも更に速く、それは剣の打突では到達できない速度であった。


 あの日、小枩原家を訪れた能登原に対して放った一撃。

 人体の正面を打つことが不得手な手刀の欠点も克服できている。

 不玉の荊棘はまさしく最速の斬撃と言える境地にあった。


「鍛錬が進めば相手の防御する腕を斬り裂く事も出来る。日頃から立ち木でも打って指先の皮膚を硬質化させ、爪を研いでおくことも忘れるでないぞ」


 鉄華の前に差し出された手は小指の側が大きく盛り上がり親指程の太さになっている。

 爪も猛禽類のように太く、先端は刃物のように研がれていた。


 ――無手? とんでもない。


 全身を武器化して必殺を潜ませる古流の無手。

 鉄華は不玉の相手になる者の不幸を想像すると同情せずにはいられなかった。




   ◇




 とは言え、【荊棘】は泥連が習得を放棄した技術である。

 黒檀の板を小一時間打ち続けた鉄華の手は赤く腫れ上がり、爪側面から血が滲んでいた。

 不玉曰く、手刀をコンクリートブロックに打ち付けて鍛え、最終的には黒檀を削り取る【檀切(ダンセツ)の位】を以てして修得とするらしい。

 これは長い年月を費やした人体改造の果てに現れる技術であり、付け焼き刃の荊棘は自分の指先をも破壊してしまう諸刃の剣である。


 それでも、鉄華は黒檀を打ち続けた。


 指先が潰れてでも打たなければならない瞬間があるかもしれない。

 潰れた指先から飛び出た指骨が相手の眼球を破壊できるかもしれない。

 その時に確実に動けるよう身体に染み付けておく必要がある。

 型のように繰り返し、意識しなくても反射で動いてしまう程に深く細胞に刻みつける。


 競技の枠を超えた時、必ず議論に挙がる技、目潰し。

 たとえ冬川が相手であろうとも躊躇する気はない。


 少しの休憩の後、鉄華は爪が剥がれないようテーピングを巻き付けてから再び板の前に立った。

 ――が、突如鳴り響いた携帯のバイブレーションに驚き、慌てふためきながら床を這い回る。

 座布団の下からようやく見つけて画面を確認した時、そこに表示されている名前を見て更に驚いた。


『木南一巴』


 夏休みの始め以来のコンタクトである。

 想いが錯綜するが、とりあえずは電話に出てみることにした。


「はい……」

『あー、あー、おっすおっす。元気っすか鉄華ちゃん』

「一巴先輩……い、今どこにいるんですか?」

『ん~? 北海道』


 久々に声を聞けた感慨を覚えつつも、取っ拍子もない現在地を訝しむ思いが尾を引くように残り続ける。


「なんで……もしかしてデレ姉も一緒ですか?」

『いんや。デレ姉は今グンマーの寺にいるはずっすよ。何でも念流に知り合いがいるらしいっす。あ、これ言っちゃダメなやつだから秘密ってことでヨロシクね』


 ――念流。


 ありえない話ではないと鉄華は思った。

 泥連と初めて会った時、剣友会の一ノ瀬を圧倒した剣技『続飯付(そくいづけ)』は念流の技である。

 不玉が何かのついでに剣技を教えたのかもしれないが、一ノ瀬に通用するレベルを修めるのに流派を訪ねていた可能性はある。


「じゃあどうして一巴先輩だけ北海道に?」

『今は網走の沖に向かうんすけど、ちょっくらスキューバダイビングでもしようかと』

「はい? こんな朝早くですか?」

『仲良くなった漁師のオッチャンの船っすからね。漁のついでならいいぜってことっす』


 一巴が別行動で北海道にいることの意味がさっぱり理解できない。

 セコンドとして泥連を裏切ることになる可能性があり、同行し情に絆されないようしているのかもしれないが、夏休みオーバーの休学をしてまでレジャーに勤しむ性格だとは思えなかった。


「そんな趣味があったんですね。てっきりデレ姉と一緒に修行しているもんだと」

『いやいや、これは重要なことなんすよ? いいっすか鉄華ちゃん? 一九九五年に屈斜路湖の潜水調査で旧日本軍のルイサイトという毒ガスが発見されているっす。そんでその後の調査で網走沖の海底にも廃棄されていることが判明し、』

「あ、はい。頑張ってください」


 鉄華は即座に電話を切り、また黒檀の板と相対した。

 一巴の毒欲(・・)は留まることを知らず、とうとう毒ガスにまで食指を伸ばしている。

 それが大会の戦略とは別物であることを祈りつつ、深く考える事と関わる事を拒絶したのであった。




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