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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十三話
52/224

【一刀】③

   ■■■




 喫茶店の隅で西織曜子は途方に暮れていた。

 目の前では津村鈴海を含む四人の友人が談笑している。

 その話題に挙がるのは専ら春旗鉄華に関してのことであった。


 平成撃剣大会。


 真剣を用いて強さを競う大会は競技の範疇を超えているとの反発の声もあり、連日ワイドショーやニュース番組で取り上げられているが、その競技者とセコンドに古武術部のメンバーが全員参加しているのは学内でも大きな反響を呼んでいる。

 文化系の部活に相当する古武術部ではあるが、その実態はこれまで戦う舞台が存在しなかったというだけである。

 鉄華はセコンドでの参加なので実際に参戦するわけではない。

 それでも曜子には理解できた。

 あの日彼女が言った「やりたいことができた」という言葉が意味することは恐らくこの大会に集約されている。


 明らかに普通からかけ離れた異端。

 剣道で日本一になった少女はそれに満足できず、より実戦に近い舞台に移行しようとしていた。




   ◆




「曜子はなんで春旗なんかとつるんでんの?」


 カラオケに行った後の帰宅途中、二人きりになった頃合いを狙って津村鈴海は質問してきた。

 ギャル系のファッションに身を包む鈴海だが、中学時代は至って真面目でクラスの委員長を務める秀才であったというから驚きである。

 そこはかとなく委員長時代の残滓ともいえる面倒見の良さが滲み出ているのを曜子は感じ取っていた。


「鉄華ちゃんは同じ小学校だったんだ」

「へぇ。小学校からあんな感じなの?」

「あんなって、どういうこと?」

「なんつーか、適当な感じが無いんだよね。いつも切羽詰まってるというか、敵に囲まれて生活してるみたいな。そばにいると息苦しくね?」

「……」


 自分のことではないのに曜子の鼓動は早鐘を打ち始めていた。

 立ち位置を選ばなければならない。


 いじめ、という行為がある程度社会の中で許容される傾向にあるのは、それが集団生活の中で必然的に生まれるものだと誰もが思っているからである。

 家庭で、教室で、部室で、職場で、路上で、上下関係や暴力を用いた理不尽がまかり通るのを目撃せずに生きていく方が難しい。

 規模の大小あれど、多くの人は他人と比べ競うことでしか人生に価値を見出すことが出来ないのである。


 とりわけ集団生活に於いて「普通ではない」存在は生け贄になりやすい。

 正道ではない個性や才能を持つ者を糾弾することで自らの立ち位置を盤石にしたいという卑屈な凡人も、数が揃えば多数派という大義名分を得てしまう。

 そこに発生する集団心理はただ見ているだけの傍観者をも取り込んで無軌道に成長していく。

 一度そのサイクルに嵌った集団に対抗できるのは、より大きく正しい集団か、確固たる信念を持って生きている個人だけである。


 であるが故に、春旗鉄華は問題ないだろうと曜子は思う。

 強靭な意思と実力を持った個人であるからだ。

 クラスでも嘲笑う者たちはいるが本人の前でそれをやってのける勇気はないだろう。

 もしここで鈴海の論調に同意して身の振り方を変えても、春旗鉄華は振れない軸を持って自分で選んだ人生を踏破していくだろう。

 むしろ鉄華を擁護することは少数派側になるというリスクがある。

 その時、弱者である西織曜子は鉄華よりも狙いやすいターゲットになることは目に見えていた。


 だから選ぶ。


「鈴海、私は鉄華ちゃんの味方だよ。何があってもね」


 声が震える。

 手足も感覚が無くなったかのように感じる。

 それでも、この意志を曲げて生きていくことは出来ない。


「……あんた、何か弱みでも握られてんの?」

「違う!」


 涙が溢れる。

 反射的に出た大声が薄暗がりの住宅街に響き渡り、どこかの軒先で驚いた犬が吠え始める。

 曜子は思い出す。

 春旗鉄華の痛みは自分の痛みと同じだと。


「ご、ごめん……」 


 その覚悟に気圧された鈴海は曜子を抱きしめて謝ることしかできなかった。




 ――もしも、今の記憶を持ったまま人生をやり直せるのなら、小学六年生のあの日に戻りたい。

 西織曜子は常にそう願う。

 

 羞恥、屈辱、憤怒、悲哀。

 今でも拭えない悪夢の歴史。

 当時、降りかかるイジメは最盛期を迎えていた。

 持ち物は尽く隠され、無意味に殴られ、髪を毟られ、水を被せられ、画鋲を刺され、衆目の中全裸で過ごすことすらあった。


 学友も教師も親も、誰も助けてはくれなかった。


 世界の悪意を一心に受け止める生贄。

 何の力も持たない無害で無抵抗な人間を、都合の良い絶対悪に仕立て上げてしまう集団心理。

 彼らは道徳教育で読み上げる物語に込められた善悪や互助精神を理解しながらも、まさか自分が加害者になっているという認識はない。

 取るに足らない弱者の境遇などもはや見えていなかったのだ。

 社会生活を送る上での一役割であるかのように『虐められ係』を誰もが受け入れていた。


 叫ぶべきだった。

 怒るべきだった。

 抵抗するべきだった。

 一人くらい殺してしまえばよかった。


 そうすれば春旗鉄華とも違う出会い方をしていただろう。

 彼女の手を汚すこともなかった。


 当時、曜子を取り巻く歪んだ世界を見つけた鉄華は、ひとクラス分の生徒を病院送りにして、問題を正常な大人たちの前に引き摺り出した。


 その結果、多くの転校者と謝罪と賠償金を生み出して歪んだ世界は崩壊した。

 自宅での養生を余儀なくされた曜子は以降の義務教育に参加することなく進学し、奇跡的に鉄華との再会を果たすことになる。


 だが、鉄華は曜子のことなど覚えてもいなかったのだ。


 まるでヒーローのようだと曜子は思った。

 きっと彼女は誰かを救ったという認識はなく、ただ己の信条に従って生きていただけだ。

 その道程に転がっていた障害物を蹴飛ばしただけのことである。


 曜子は、不器用で危うい生き方を続ける彼女の為に出来ることはないのかと考えに考え抜いた結果、背中を守る理解者でありたいと思った。

 その決心を忘れそうになっていた。

 生まれ変わろうと思ったのに未だ揺らぎそうな性根に嫌気が差し、友人の胸の中で泣き続けたのであった。




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