【一刀】①
最上歌月は高度経済成長期に成功した繊維産業の最大手、最上紡績の令嬢である。
現在では多数の連結子会社を有する複合企業であり、伝統的に子息が通う学校にも多額の寄付を行ってきている。
また卒業生の進路先としても関連企業の採用枠を設けており、刃心女子での歌月は実質影の支配者と言っても過言ではない影響力を持っていた。
歌月自身も必要であればその特権を振るうのに躊躇はない。
鉄華が断った剣道部の勧誘も、成績操作や退学を匂わせていれば抗いようがない脅迫になっていたはずだ。
そこに救いがあるとすれば、歌月は自分の努力で手の届く範囲ならば家の力を使わないと決めていたことである。
歌月は学業が終われば、親類間の権力闘争に身を投じていくことになる。
狡猾にして貪欲な老獪たちの世界。
独力で掴めることを増やしておかなければ太刀打ちできない戦場であることを知っていた。
歌月は床に投げ出され息を整える間、面金の格子から漏れる水銀灯の明かりを眺めながら未来に遭遇するであろう葛藤を予測していた。
それから我に返り、少し目眩を覚えた歌月は小手で視界を遮りつつおもむろに拳を握る。
――掴めない。
悔しさを通り越した先にある畏怖と感嘆。
過去に一度味わっている思い故に、これはもう自分ではどうにも出来ない次元の問題だと即座に理解できた。
「……だ、大丈夫ですか?」
仰向けに倒れる歌月に声をかけたのは、弾き飛ばした張本人である鉄華であった。
「え、ええ」
行われたのは紛うことなき剣道の試合である。
構えや技が異端であっても、剣道のルールで負かされた。
受けるのではなく躱す体捌き、こちらの打突を潰す打突、来るのが分かっていても堪えきれない体当たり。
剣道の定石以外の何かを得てしまった鉄華は小枩原泥連に比肩する領域へと踏み入っている。
戦ったことはないが、恐らくは木南一巴も鉄華と同じかそれ以上だろう。
古武術部のアンタッチャブルがまた一つ増えてしまった。
友人でありライバルである泥連が撃剣大会などという死闘に向かっているのを止める為、自身の位置を再確認する意味での試合であったが、もはや歌月には打つ手がないことを思い知らされるだけであった。
その思いを汲んだ鉄華が口を開く。
「……私も試みましたが、デレ姉を止めることは誰にもできないですよ。大会は手段であって目的ではないですから。一番安全な選択肢が大会に参加させることです」
「目的とは何の事ですの?」
「言えません」
歌月は身を起こし、袴の裾を払いながら向けられる言葉と視線の意図を読む。
義理を通す鉄華であるが、恐らくは助けを求めている。
要は、泥連にとって死闘で戦いたい相手が参加者の中にいるということだ。
最上紡績は平成撃剣大会の防具を提供するスポンサーであり、運営に関して発言できるだけの出資もしている。
最上歌月ではなく最上紡績の力を借りたいという頼み事が見え隠れしている。
摂取した成分から高強度の糸を紡ぐ蜘蛛を参考に開発したバーク・リンペット・カーボン繊維は、多くの人年分資源を投じた歴史に残る研究成果である。
その経過を知る歌月は、宣伝に古流の決闘を利用するという炎上じみた話題作りには元々批判的なスタンスを取っている。
ここに来て大会に関することで家の力を借りたくはなかった。
「腹が立ちますわ。あなたの頼みであれば叶えて差し上げたいですが、それは私個人に出来ることであって欲しいですわね」
「……ごめんなさい。でもほら、歌月さんは剣道で負かせばなんでも願いを叶えてくれるって一巴先輩が」
「酷すぎる風評被害ですわ!」
古武術部の便利道具扱いされていることに激昂しつつも、脳裏では最善策を探り始めている。
鉄華の言葉を額面通り受け取るのであれば、倫理上の観点で成人未満の参加者を弾いても、泥連は裏で決闘を仕掛けるということだ。
審判を買収して未消化のまま敗退させても同じ結果になる。
武器検査で細工をして慣れない武器を使わせるのは危険度を増すだけ。
トーナメントの組み合わせで仇敵を離せば双方が戦うことなく敗退となるかもしれないが、運営システムを管理するのは同じくスポンサーであるIT企業である。
どのような抽選方法を取るのか明らかでない以上そこに細工をするのは不可能だ。
「無理難題ですわね」
「そうでもないです。試合中の事故はセコンドの一巴先輩が防ぐはずですから、歌月さんにお願いしたいのはトーナメントで離れて配置されてしまった場合です。その場合のみ、試合外の決闘になる可能性があると考えています」
「出場者の警護を強化して決闘を先延ばしにしても、結局いつかは挑むのでしょう? あなたが言ったことですわよ」
「ええ。ですので試合外でも医療設備とスタッフを待機させておいて欲しいというのがお願いです」
「決闘自体は黙認する気かしら?」
「はい」
歌月は鉄華の価値観が法を外れていることに少しの失望を覚えてしまった。
法治国家で撃剣大会を何度も行うのは不可能であり、それを現代古流の最終目標とするのは無理がある。
何処にも辿り着けない、何者にも成れない愚道。
競技の枠に収まらない強者だけが見える景色があるとしても、現実的物質的に収まる終着点など存在しない。
『日常的に起こりうる何でもありの闘争で最強の個人』を目指す意味などなく、そんな一過性の称号を手にしても延々と戦い続ける人生にしかならないのだ。
いつかほんの少し気を緩めた瞬間に背中を刺されるような人生を望むとでも言うのだろうか。
「……お願いの件は了承しました。ですが、あなた達がまだ友人であることを信じて忠告だけはさせて頂きますわ。古流などに人生を委ねるのはお止しなさい。一見、本物の強さを突き詰めた極地に見えるかもしれませんが、それは幻想ですのよ」
「……」
返事は無い。
剣道ですら勝ち目は無く、権力という代替手段を持っている人間の言葉は重みがないのかもしれないが、それでも踏み越えてしまう瞬間、彼女らの心底から呼び起こされることを信じて言葉を紡ぐしかない。
「ちなみに、デレ子の仇敵は誰ですの? 名前も知らない相手に気を回すなど出来ませんわ」
「主催者の篠咲鍵理です」
歌月は絶句してしまった。
剣道家のみならず、騒動の中心にいる有名人として世間の注目を集める剣の女王。
彼女と泥連では余りにも組織力に差がある。
決闘の場を作ることは出来ても、それは後の人生を考慮しない特攻でしかない。
今更ながらに鉄華の気苦労と、視線の先に立ち込める暗雲を共有できた歌月であった。




