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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二話
5/224

【邂逅】④

   ■■■




「春旗さんはこちらをお使いになってください」


 二年生の剣道部員が差し出してきた剣道着と防具は、まるで採寸したオーダーメイド品であるかのように鉄華の身体にフィットした。

 剣道場には専用の更衣室まであるという至れり尽くせりの待遇で、鉄華は流石に気味の悪さを覚えた。

 聞けばこの剣道場も歌月が鉄華の為に新設させたもので、彼女はどうやらこの私立校の運営や就職先に関わる企業の令嬢ということらしい。

 金に物を言わせるにしてもスケールが大きすぎて、その期待の重さに胸焼けしそうになった。


 それはともかく鉄華には時間がない。

 短時間で戦闘態勢を整える必要があった。

 筋肉の出力を上げるためには体温と心拍数を上げなければならない。

 欲を言えば剣道の稽古でウォームアップできれば良かったのだがそれは無理だ。

 鉄華は急いで道着に着替えた後、更衣室内で七分ほどの時間を掛けて腕立てとスクワットを百回ずつこなす。

 その最中に泥蓮対策を考える。

 百六十センチの体にどれほどの筋肉を搭載したとしても体重は精々六十キロ前後、対して鉄華は七十キロ台である。

 故にこの戦いは如何に体当たりで崩すかという一点にかかっている。

 彼我の戦力差は古流技の有無だろう。

 だが鉄華は泥蓮の技を一度見ている。

 一ノ瀬がやったようにリーチ差を活かし上段や八相に構えるのが最良の選択であり、打突の指を狙う部位破壊技も泥蓮の倫理観を考慮して動けば十分対策できる範囲だ。

 古流技は決して妖術や魔法の類ではない。


 更衣室の扉を開いた時、鉄華は想像以上に高揚している自分に気付いた。

 売り言葉に買い言葉で始まった戦いではあったものの、師が敗れた剣術を自分の手で確認できる日が来るとは思っていなかった。

 剣道を否定する泥蓮の態度に苛立ちを感じているが、一方で心の底で何かが目覚める感覚に高揚していた。


 剣道場に入ると新築の木の香りが漂い、木組みの建築様式が持つ厳粛な空気に身を引き締められた鉄華は神座に向かって一礼をした。

 壁際に三人の剣道部員が座っていたが、最初に観戦目的だと明言していた。

 その中に歌月はいない。なんでも精密検査の為に病院へ向かったとのことだ。

 場内はよく磨かれた床が高所の窓から差し込む日光を反射して光り輝いて見えた。

 主審を務める木南一巴が道場の中央に立ち、試合場の一端へと鉄華を誘導する。

 

 対手に座するは小枩原泥蓮。

 あの日と同じように道着から防具まで白一色の出で立ちである。

 但し、異なる点が一つ。

 彼女の横には竹刀ではなく長さ二メートル半の赤樫の棒が横たわっていた。

 鉄華の視線を追っていた泥蓮は口を開く。


「剣でも槍でも鎖鎌でもと言ったな? リクエストに答えてやるよ」


 そう言うと泥蓮は立ち上がり、棒を左脇に挟んで外向きに構えた。

 先端には安全の為に白革のたんぽ(・・・)がてるてる坊主のように付いていた。


「私の自己紹介がまだだったな。一叢流(いっそうりゅう)槍術、小枩原泥蓮だ。全力で相手しよう」


 鉄華は不意に笑みが込み上げてくる。

 拙い対策を封じるようにいきなり予期しない得物を持ち出してきて、リーチ差が逆転した。

 それどころか槍術という全く未知の技を相手にしないといけない。

 剣技だけでも厄介な相手だと言うのに、手心や妥協といったものが全く感じられない泥蓮の在り方に感動すら覚えた。

 初めて名乗った流派名どおり、本来の彼女は槍術家であり、これから展開されるのは竹刀という制約を取り払った本当の意味での全力だ。

 恐怖がもたらす緊張で笑みが溢れた。


 ギャラリーにいた剣道部員の内の一人が鉄華に近づき、「お好きな方をお使い下さい」と竹刀と木刀を差し出す。

 鉄華は迷わず木刀を掴む。

 赤樫製の槍を遠心力を乗せて振り回されたら、竹刀では防ぎきれない。

 木刀は五百グラム竹刀に近い重さで、柄の部分には滑り止めのグリップテープが巻かれている。長さも申し分ない。

 それは不思議なくらい鉄華の手の内に馴染んだ。

 感覚を確かめるように五回ほど軽く素振りしながら、集中力を上げる。

 緊張を感じているのではなく、これは興奮しているのだと脳内で置き換えていく。


 泥蓮は礼をせずに試合上に踏み込み、蹲踞もなく左肩を前にした中段で槍を構えた。

 防具を付け終えた鉄華は一礼した後に抜刀しながら歩を進め、同じく蹲踞をせずに中段で構えて相対する。

 もはやリーチの有利はない。

 鉄華は槍の長さを図る意味でも中段に構えざるを得なかった。

 泥蓮の中段構えは槍の中ごろを握り、身体の前に伸びている長さは鉄華の構える木刀と大差はない。


 両者の覚悟を確認した一巴は諦めたかのように一寸目を閉じて溜息を吐いた。


「はぁ……。一応確認しておきますが、ルールは剣道っすからね。小手、面、胴、突き以外の打突で怪我させた場合はその時点で負け、槍の有効打突部は素槍を想定して先端から三十センチまでです。特別ルールとして春旗さんは一本、デレ姉は二本先取で勝利っす。自分で言い出したことなんでちゃんと守ってくださいよデレ姉」

「分かってるよ」


 鉄華もルールに依存はなかった。

 泥蓮が槍を使うように、鉄華も相手の発言を利用する。

 試合前から始まっている勝負であればこのハンデ戦は相手のミスだ。

 フォローしてやるつもりはなかった。


 開始するまでの数秒間、両者ともに呼吸を潜めつつ相手の呼吸を探り合い、重い沈黙が流れた。

 体当たりで崩してから打突を狙うという鉄華の方針に変わりはない。

 槍のリーチを警戒していたが、剣道の一足一刀の間合いから開始するのであれば労せず近距離戦に持ち込めると考えていた。


「はじめー!」


 開始と同時に放たれた鉄華の一打目は、向けられた槍の穂先を上から叩き落とした。

 型演武の時のように樫の木同士がぶつかる甲高い音がカコンと響く。

 小手先の動作は「続飯付」の要領で封じられることも考えていたが、掴み方が異なる槍では軸を取ることが難しいのであろうか、初打は拍子抜けするほどあっさり成功した。

 構えが崩れたことを確認した鉄華は大きく踏み込みながら次打を放つ。

 それは面と言うよりも体当たりが目的の突進である。

 防御されても問題はない。

 もはや勝利は見えたようなものである。


 ――かに思えた。


 突如、鉄華の視界の端から面打ちが飛来する。

 泥蓮は打ち落とされた槍の穂先を手を支点にそのまま回転させ、後ろに隠れていた槍の柄部分を上から振り下ろしてきたのだ。

 構えも右足を踏み込んだ右半身にスイッチしている。


 そのまま体当たりをすれば闘牛の様に紙一重で躱されつつ面打ちを貰うことになる。

 槍の柄部での打撃は有効打突にはならないが、面打ちである以上ルールに反してはいない。

 だがこれは木刀と木槍の戦いであり、まともに入れば大ダメージは避けられない。

 鉄華はすんでのところで踏み止まり、槍の面打ちを防御しながら鍔迫り合いに持ち込もうとする。


 しかし降ってきた槍は面を狙ったわけではなく、木刀を握る鉄華の右腕と左腕の間に入ってきた。 

 一瞬、鉄華の目前に木槍が直立している状態になる。


 鉄華はそこでようやく泥蓮の意図に気付いたが、もう遅かった。

 眼前の槍が右回りに旋回し、鉄華の左脇を持ち上げつつ後ろに周り込んで関節を決める。

 これは投げ技だ。

 本来であればここに足技を加えて確実に投げ飛ばす事ができるが、鉄華は剣道のルールに救われていた。

 固められた左腕を解放するために竹刀から手を離し、崩れる勢いに任せて走り充分に距離を開ける。

 泥蓮の近距離対応力を甘く見積もっていた。

 離れた状態で仕切り直さないといけないと思い、もう一度構えを取ろうとした次の瞬間、鉄華の視界が暗転する。


(!!??)


 息ができない。

 思考が追いつかない。




 ほんの一瞬の失神状態から回復した鉄華は、朦朧としながら辺りを見回す。

 目の前に壁があると思っていたが、どうやらそれは床のようだ。


「はい、突きありっす」


 ぼやけた視界の中で一巴の旗が上がっていた。

 鉄華はそれが何を意味しているのか分からなかった。




   ◆




 鉄華は木刀を杖にして藻掻くように重たい体を持ち上げながら、少しずつ鮮明になっていく意識で今起きたことを追認していく。


 それは突き技だった。

 四メートル近い距離を一瞬で飛び越え、寸分の狂いもなく穂先を喉元に刺し込む片手突きを決められたのだ。


 信じられない正確さだ。

 硬い赤樫の木槍とはいえ、その穂先は想像以上にたわんで(・・・・)いて制御できるものではない、と思い込んでいた。

 そこにどんな工夫があるのか理解できなかったが、泥蓮は四メートル先の遠距離戦を完全にコントロール出来ている。

 かと言って近距離戦に持ち込むと槍全体を使った棒術がある。

 近すぎて術理を確認する間もなく防戦一方に追いやられる。

 離れて槍術、寄れば棒術。

 安全圏は開始時の一足一刀の間合いにしかなかった。


 鉄華は恐怖で足腰の感覚を失いそうだった。

 今なら一ノ瀬の心境を理解できる。

 ただただ本能的に恐怖の感情が込み上げてくる。

 この怪物は何が目的でここまで強くなる必要があるのだろうか?


「……は、ははっ……」


 不鮮明な視界の中、鉄華は笑いがこみ上がってくるのを抑えられなかった。

 恐ろしいことに、まだ勝負は終わっていないのだ。

 もう一度あの突きを喰らえば死ぬかもしれない。


 ついさっきまで友人と楽しく談笑していたのに、今はここで命を賭けて戦っている。

 そんな日常がひと繋がりである事自体が馬鹿げている。

 認めたくない。

 認めたくないが、それが当たり前なのだ。

 一寸先のことなど誰にも分からなく、何かの拍子で目まぐるしく変化するのが本来の世の中なのだ。

 平穏な日常を望むあまりそればかりを見ようとするから変化に対応できない。

 心を一地点に留めず、その瞬間ごとに起こる現実を受け入れる。

 そうならなければ、この恐怖からは逃れられない。


 鉄華は曖昧な意識のまま、自然と構えていた。




   ◆




 泥蓮は鉄華の構えを見て驚く。


 立てた剣を顔の右側で八相に構えている。

 足は左足前の撞木足。


 直線上の進退を念頭に置いた現代剣道の運足では、槍の技に対抗できないことを理解したのだ。

 或いは、一ノ瀬との戦いを思い出して泥蓮の物真似をしているだけなのかもしれない。

 それでもたった数合の打ち合いで悟り、それまでの剣道を捨ててでも利のある選択をするというのは単純なことではない。


「二本目、はじめーっす!」


 先程の熱誠たる攻め様とは一転して、鉄華は自分から仕掛けることはなかった。

 一足一刀の間合いを維持し、相手から動くのを待っている。

 後の先だ。

 払い除けによる剣尖のコントロールでは確実に剣の方に分があり、八相の構えからの袈裟斬りとぶつかれば槍の穂先は簡単に弾かれてしまう。


 これが剣道のルールでなければ泥蓮は迷わず足を狙いながら間合いを広げたであろう。

 例え槍技の『起こり』が捉えられようとも反撃可能な距離には限界があるからだ。

 遠間であれば先の先、先、後の先の「三先」を一方的に掌握できる。


 ひどく限定した状況下ではあるものの鉄華は自身が有利になる活路を見出したのだ。


 泥蓮は感動していた。

 今この瞬間だけは、鉄華は一ノ瀬を超えている。

 剣道にはない軌道の技や晦まし(フェイント)で拍子を狂わせるのは簡単だが、彼女の成長を確認したい気持ちが強くなった。


「意地を通してみせろ」


 そう言うと泥蓮は、素槍を駆使する流儀を持ってして、ただ真っ直ぐに全身全霊、手加減なしの諸手突きを解放する。


 呼応するように鉄華も袈裟斬りを振り下ろす。

 彼女が狙うのは打突を打ち落としながら相手を斬る一挙動の技だ。

 一刀流では「切落し」、新陰流では「合撃(がっし)」と呼ばれる奥義を、古流を知らない鉄華が放つ。


 剣閃と穂先が交わり、かち合い、弾かれ、打ち込まれる。


 最後に立っていたのは、泥蓮の方であった。




   ■■■




「でさぁ~私は結局漫研入ることにしたんだ! なんか面白そうだったし! やっぱ食べ物に釣られるのは良くないかなぁってね」


 後日、鉄華に入部届を見せながら曜子が目を輝かせていた。

 結局茶道部の後、順番に全ての文化部を見て回っていたらしい。もぬけの殻であった古武術部を除いて。

 諸事情で合流できなかったことを詫びた鉄華は、心の何処かで保護者気取りになっていたことを恥じた。

 部活程度のことはちゃんと自分で判断できる慧眼を曜子は持っていた。


 後から聞いた話だが、鉄華の予想した通り調理部は黒い噂が絶えなく、見学会で部員数の割に予算の多さが伺えたのは、部費を部員から調達するシステムにあるらしい。

 また部費の使い道でも決定権を握るカーストが存在し、そのせいで多数の幽霊部員を保有するという闇部活であり、一巴曰く「タコが自分の足を食べてるような部活っすね」とのことであった。


「んで、鉄華ちゃんのそれマジ? というかその部活存在したんだ。見に行ったら誰もいなくて、何かの冗談かと思ってたよ」

「あははは…は………実は私も今だによく分かんないんだ…」


 古武術部と書かれた紙を見ながら曜子は訝しむ。


 鉄華は約束を守った。

 今朝方再会した歌月は「そんな約束破ってしまえばいいのよ!」と激昂していたが、そういう不義理だけは性格上出来なかった。



 あの時―――

 鉄華の合撃打ちは、泥蓮の諸手突きを止めることはできなかった。

 上から落としたはずの袈裟斬りが逆に弾かれて、無防備な喉元に神速の突きが刺さった瞬間、鉄華は死を覚悟した。

 だが泥蓮は紙一重で手を引き戻して衝撃を抑えていたのだ。

 その時の顔が今でも鮮明に浮かぶ。


 まるでおもちゃを取り上げられた子供のような悲しみで溢れていた。

 あれは本気の失望だ。


 腹の立つ話だ。

 勝手に期待して勝手に失望する泥蓮に、そしてそんな期待に応えられない程弱い自分自身に苛立つ。

 次はあんな顔をさせない。

 その為なら古武術部でもなんでも利用してやろうと思った。


 鉄華はいつの日か泥蓮を倒すという目的を得て、古流の入り口に立ったのであった。




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