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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十二話
47/224

【天真正伝香取神道流:密阿弥】①




 雨音。

 夜半に降り出した小雨は気付けば豪雨となって家屋を叩いていた。

 違和感で目覚めた梅木双円(ソウエン)は雨音を分解(・・)する。


 家屋を取り巻く杉の枝葉が揺れる音

 納屋のトタン屋根を叩く音。

 地面の土に弾かれ吸い込まれていく音。

 農具の金属を打つ甲高い音。

 屋根瓦にぶつかる音

 雨樋を伝って滝のように溢れ落ちる音。

 出しっぱなしにしていた桶にリズム良く雫が落ち続ける音。

 ビニール製の雨具を打つ音。

 顔に当たった雨の雫が表皮を伝い顎先から水溜りに落ちる音。


 表に人間がいる。

 雨中を移動している(・・・・・・)のが分かる。

 数は三人。足音自体は小さく、いくらか用心しているようだ。

 彼らの目的地は中庭に面した寝所、つまり双円がいるこの場所に真っ直ぐ向かって来ていた。


 時刻は午前三時。

 来客の予定などない。


 付け火の心配はないが、金属面を打つ雨音が増えたのを確認して双円もいよいよ覚悟を決めた。

 敵は抜刀している。

 殺す気だ。


 双円が枕元の刀を取ろうと布団を抜け出ようとした瞬間、戸板が蹴破られて敵が侵入してきた。

 敷居から外れて飛び出した戸板が宙を舞い、踏み付けられて床を打つ。

 そして閃光が一筋。

 双円は敵の素性を確認する間もなく、振り下ろされる斬撃を後転で躱してから手繰り寄せた刀を居合腰で構える。


 ――出遅れた。


 入り口から縦に並ぶ三体の影。黒装束。

 多人数が一度に来るのではなく一人ずつ順に斬りかかり、避けたところに二人目三人目が打突を仕掛ける集団戦法。

 かつて新撰組が使っていた天然理心流の兵法だ。

 ただの物取りではなく手慣れた暗殺者であることが伺える。


 双円は誰が仕向けた刺客か考えそうになったが、すぐにそれを心底にしまい込み術理に身を委ねることにした。


 居合腰とは、夜襲で相手より抜刀が遅れた状況に対する技術である。

 視点を低くすることで視野を広く取ることができ、先に闇に目が慣れている被襲撃者の利を活かすことができる。

 常に多敵戦を想定している神道流ならではの備えであった。


 一人目の襲撃者はほんの一瞬居合腰を警戒していたが、即座に真っ直ぐ斬り落とすことを選んだ。

 勝手が行かない暗闇の狭所、横に薙ぐことは難しい。

 双円は選ばせた一撃を避けるように右前方に踏み込みながら抜刀。

 抜き放たれた白刃は正確無比な直線で駆け抜け、ぞぶりっと音にはならない肉を別ける感覚が手元に伝わる。

 動脈を斬る手応え。 

 斬り開かれた大腿部から迸ったであろう鮮血が後頭部を濡らした頃には、意識は残る二人に移っていた。


 頸動脈へ向かう袈裟斬り――の気配を感じ取る。

 二人目はもう屋内の闇に順応し、双円の輪郭を捉えていた。

 下段を振り抜いた背中に迫る袈裟。

 間に合う受け(・・)は無い。

 三人目は剣尖を向け手元を引いている。

 仕損じた時に間髪入れず突きを放つつもりだ。

 後方に避ければ先に斬った一人目の元に戻り、死に際の悪足掻きに付き合わされる羽目になる。

 横に飛ぶしかない。


 双円は襲撃者に倣い、庭へと続く戸板に身を投げ出した。

 二人目の袈裟斬りが袖下一枚を掠めて床畳に埋まり、双円は砕いた戸板と共に雨中の庭を舞う。


 ――着地……出来るのか?


 これまでの人生で忍者のような中空での身体操作を練習した経験が全く無い。

 しかしもう戸口に追い付いている三人目の襲撃者が揺れる視界に映っている。

 着地に失敗すれば殺される。


 死を意識した刹那の時間に、双円の肉体は初めての動きに順応していた。

 腰から身を捻り、開脚の重心移動で回転を制御。

 下半身は右足前の撞木立ちで着地しながら、上半身は回転力を殺さず下段からの斬り上げに変換する。

 その繋ぎ目のない斬撃が、双円を追って跳躍していた襲撃者の顔面を縦になぞる。

 挺身の思いで相討ちを狙う襲撃者であったが、刃先が脳に到達した時点で意識は絶たれ、脱力と共に水溜りに崩れ落ちていった。


 二人目の襲撃者が畳に埋まった刀を抜き取って庭に飛び出してきた時には、双円は息を整えて余裕を持った中段構えで迎えていた。


「勝負は付いた。()ね」


 敵に勝つ者を上とし、敵を打つ者はこれに次ぐ。

 神道流の思想に従い、退却を促す。

 多勢も夜襲も当たり前の兵法であり、古流では常に想定しなければならない状況だ。

 また一つ成長の機会を与えてくれた襲撃者に双円なりの礼意を持って選択を迫る。


 襲撃者も決して弱くはない兵法者である。

 彼我の剣境と精神力の圧倒的な差は充分に伝わっていた。

 襲撃者が間合いを測りながら後退するのに合わせて双円も構えたまま間合いを詰め、やがて庭の端まで到達すると襲撃者は脱兎の如く背後の生け垣へと飛び込んで消えていった。


 双円は中段構えのまま、数分間動けずにいた。

 人を斬ったという沸き立つ興奮と罪悪感で吐き気がする。

 獣の解体とはわけが違う。

 拳で柄面を叩く神道流の「血振り」も所詮は型の決まり事でしかなく、絡み付く血脂は雨中でも洗い流れることはない。


「さて、どうするべきか」


 声に出して冷静であろうと努める。


 二つの死体。

 本来なら警察に届け出るべきだろう。


 しかし、双円は思い出す。

 一人目の襲撃者が明らかに【抜附之剣(ぬきつけのけん)】を警戒していたことを。

 居合腰から跳躍して抜刀する神道流の技があること、相手がその遣い手であることを知っていたのだ。


 双円は血臭漂う屋内に戻り、電話の受話器を取った。




   ◆




「結論から言えばどの者も修験者です。恐らくは……兄上かと」


 儀式(・・)を司る機関【大舎人(おおとねり)】から派遣された者たちの代表である若い男は総髪の前髪を下ろし、隙間に垣間見える濡れた瞳を双円に向けていた。

 時刻は午前六時を周り、横から照らす陽光が蠱惑的な顔貌を映している。

 暫し見とれた双円は眉間を抑えて首を振った。

 あれから一睡もできていない。


「俺は断ったはずだ」

「それはお伺いしましたが、あなたや兄上、私どもですら選択権は存在しないのです。お力に成れず申し訳ありません」


 そう言うと宝生(ホウジョウ)依密(ヨリミツ)は口を固く結んで謝罪の意を示したが、目元は揺らぎなく虚ろに双円を見据えている。

 依密に限ったことではない。

 機関の人間は儀式の進行のみを存在意義とした人形のような集団であることを双円は知っていた。

 家屋に散らばる死体を片付け終わった大舎人の者たちは今、取り替えた畳と三つの大きな袋を車に詰め込んでいる。

 逃げ出した襲撃者は少し離れた森の中で首を斬って自害していたとのことであった。

 この異常な状況が彼らにとっての日常とは思えないが、粛々と淡々と速やかにつつがなく作業をこなし続ける姿は人形そのもののように思えた。


「兄上には私から厳重に注意しておきます。【神倣備(カミナラビ)】の儀式は何者にも妨害させません」


 宗派の狂った伝統(・・・・・・・・)の為に生まれ育ってきた人形たち。

 他の常識は通用するのに【シロ教】のこととなるともはや議論するだけ無駄なのだ。


「……あの者たちはどうする?」


 双円は車を顎で指して依密に尋ねる。


「死者の魂は山に帰るもの。山上他界の教えに従い無縁仏として手厚く葬るつもりです」


 家族も親類もいなく足が付かない者を暗殺者として選んだのであろう。

 せめて自分だけは本物の哀悼を向けてやろうと、哀れな死者に手のひらを合わせる双円であった。




   ■■■




 ○○県△△市、山中奥深くに位置する枝露(シロ)村。

 人口四千人。

 そこに根付く土着の少数信仰【シロ教】。


 シロ教は密教や浄土真宗の一派を取り込んだ神仏習合と、日本の古神道に由来するアニミズムが合わさった多神教である。

 戦国期の修験道に端を発するとの公式見解であるが、正確な発祥時期は定かではない。


『自然を畏れ、神仏を敬い、万物を尊ぶ』


 他宗教や地域の習俗を否定しない開けた教義を有し、生活の全てが禅行という趣旨で念仏や読経を必要とせず、修行者として峯入りするか、地域社会の生活を優先するかはその者の意思が尊重される。

 その簡素にして合理的な在り方に賛同する者も多く、地域では古くから入信するしないを問わず風習のように親しまれてきた。


 しかし特異な点が一つ。

 修験道特有のシャーマニズムの延長として、修行者に神が宿る『権現(ごんげん)』を絶対信仰の対象に置くことが挙げられる。

 権現が確認できた最高位の僧を【密阿弥(ミツアミ)】と呼び、神域の代弁者として祀り上げることがシロ教の本質である。


 そして修行とは主に剣術を指し示し、密阿弥とは宗派最強の剣客のことでもある。


 これはシロ教の歴史が迫害の歴史であった事が原因であるとされている。


 一六一二年、江戸幕府はキリスト教の弾圧を目的とした禁教令の発布し、それと共に全国各地の民衆の信仰を調査する宗門改(しゅうもんあらため)という制度を打ち出した。

 地域土着の少数信仰の多くは隠れキリシタンや、体制側に与しない不受不施と呼ばれる派閥の隠れ蓑だと疑われていたからだ。

 シロ教も例外ではなく、悪魔信仰だという虚偽も流布されて排斥弾圧の格好の的となった。


 明治になり神仏分離令が発布されると、修験道は禁止され廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の流れの中に晒された。

 この時もシロ教は神殿や本尊を破壊され、既存宗教への帰依か解散を迫られることになっている。


 それでも今日までシロ教が生き残っているのは、人里離れた山中で独自の自治体制を敷くという戦略を取っていたからである。

 立地的な難航と、武術を修めた神職による抵抗はある種の要塞と化していて、活動の実体や解散の真偽を暴ける役人は終ぞ現れることはなかった。


 そんな宗派を基盤とした村社会の形成に寄与したのが初代の密阿弥である。


 天真正伝香取神道流を使う剣客であった彼は、元は仕官を諦めた地方の浪人であったという。

 流れ着いた地で食い扶持として広めた神道流がシロ教と迎合するという、一般的な武術史とは異なる変遷を歩む原因を作ることになった。

 農民武術である「馬庭念流」や修験道と密接な「法典流」などではなく、祭事的側面を持つ「神道流」が受け入れられたのも民間宗教との融合が容易かったからだと考えられている。


 天真正伝香取神道流は剣術三大源流にも挙がり、日本最古の総合武術とも呼ばれる程の長い歴史を持つ流派である。

 剣術のみならず、あらゆる外物武器、忍術や兵法にも及んでいる教えは、体制側と戦い、欺き続けたシロ教の存続に大きく貢献してきたのは言うまでもない。


 とはいえ高度経済成長期を境に村落も大きく変貌した現代である。

 一般世間でのシロ教の認識とは地域土着の歴史や風習として宗教であり、祭事で執り行う演舞としての神道流であり、お飾りの象徴としての密阿弥でしかない――




 ――が、その内情に関わる者たちの見解は違っていた。

 永々と受け継がれてきた暗黙のルールがあったからだ。


『密阿弥に成れば、宗派の全てを手にすることが出来る』


 シロ教が管理する山々、物件、運営する法人、企業。

 数千億とも言われる総資産の全てが、相続を無視して密阿弥に移譲されるというものだ。


 今回もこれまで通り、代々密阿弥を排出してきた宝生家の長男、宝生和密(カズミツ)がその座を継ぐかと思われていたが、そんな宝生家の思惑は他でもない先代の密阿弥、宝生忠蜜(タダミツ)によってを裏切られたのであった。


 彼が指名したのは宝生和密と梅木双円の二人。

 教義に倣い剣力の高い方が密阿弥として選ばれることになる。

 そして剣力では双円の方が上であることは宗派の誰もが知っていたのだ。


 当然のように継げるものだと思っていた和密は怒り心頭で抗議するが、既に両者の決闘に向けて動き出した大舎人は一切聞く耳を持たなかった。

 分不相応だと断った双円も同じ結果である。

 ここで両者が気付くことになった。


 常識や家柄を超越した宗教という異常に。


 権現を確認する決闘、【神倣備(カミナラビ)】の日は明後日へと迫っていた。




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