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どろとてつ  作者: ニノフミ
第十一話
45/224

【臆病】⑦

   ■■■




 人気のない波止場の倉庫街。

 入り口の大きな鉄扉に掛かった錠前を外すのにもたついていると、折られた小指が扉に当たって得も言われぬ激痛が走る。

 男は腹立たしさで扉を蹴飛ばしたが、その大きな金属音は波の音に掻き消されていくだけだった。


 中に入ると壁から照明のスイッチを探り当てて、折れてない方の手で入電する。

 まず照らし出されたのは軽のワンボックスカー。

 脇にあるサイドテーブルにはいくつかのナンバープレートが埃を被っていた。

 それらを取り囲むように木箱とドラム缶が並べられ、床にはウイスキーの空き瓶が転がっている。

 天井には錆びついたクレーンの名残りのようなものがあり、そこから垂れ下がる鎖の先の地面にはオイル漏れとも血の跡とも取れる汚れが付着していた。

 男はボロボロになったフェイクレザーのカウチソファーに腰掛け、足元にあった飲みかけのウイスキー瓶を開栓して飲み干す。

 冷静になろうとした思惑とは裏腹に、呼気は熱を帯び、耐え難い怒りが体中を駆け巡っていく。

 男はサイドテーブルを蹴飛ばすとソファーに身を投げ出し、天井でチカチカと点滅する蛍光灯を眺めていた。


 井澄悟史にとっての武術とは、生きる為の『道具』であった。


 井澄は幼い時分のある日「自身の娯楽とは何なのであろうか」と真剣に考えてみたことがある。

 今やネットを介してあらゆる娯楽が世の中に氾濫しているが、貧しい家庭で育ち、日々の糧を得るので精一杯な日常の中にいた彼が触れられる娯楽というものは、その身一つで出来る原始的なものに限られている。

 学力も絵心も文才も音感もなかったが、体を動かすことだけは無条件に楽しいという経験則はあったので何らかのスポーツをやろうとしていた。

 当然ながら道具を買わなければならない競技は除外され、出来ることならば続けることで金になるものが良いと思っていた。


 井澄が選んだものは武術であった。


 きっかけは二つあり、一つは中学時代の些細な喧嘩である。

 流行に疎く同級生の会話の輪に入ることができない井澄は孤立し、やがて三人組のグループに目を付けられて無意味にからかわれるようになっていた。

 このまま放っておけば明確なイジメに発展することは理解していたので、何らかのアクションを取らなければならない。


 暴力。


 或いはただ湧き上がる衝動に身を任せた結果だったのかもしれない。

 気付いた時には嘲笑う同級生の顔に力任せな右拳が刺さり鮮血が跳ね上がっていた。

 馬鹿していた相手の反逆に激昂するよりも前に左拳、また右拳と振り下ろしていく。

 他の少年たちは動けない。

 急激で徹底した暴力は畏怖の対象に変わり、序列を上書きする。


 最後には夕闇迫る教室の中に顔を腫らして土下座をする三人と、その前で「こんなにも簡単な手段があるのか」と感動している井澄がいた。

 現代の常識の中にいる人間にとって最終手段とも言える暴力を、誰よりも早く取り出すことが出来れは容易く場を支配できるのだ。

 最強にして最速の解法。

 必要なものがあるのなら屈服させてから奪えばいい。

 暴力を制す者は全てを手に入れられる。

 この原初の体験が彼の思考の方向性を固定することになった。


 二つ目は年に一度開かれる守山流の無料講習会である。

 当初は地元民への理解と啓蒙の為の活動であったが、流派の広がりとともに自治体の依頼で行われる年中行事になっていた。

 井澄は自分がやるべき格闘技を探す過程で気まぐれに講習会に参加していたが、守山流の技を見るよりも先に道場の造りや表に並ぶ高級車を見て言葉を失った。

 たかが剣術の一流派であってもその歴史に価値を作り、保護された文化にまで昇華すればこれほどまでに金になるのか、と。


 しかも衆人環視の中、流派を解説している男は道着ではない。

 新調したばかりのようなスーツ姿で腕には高そうな腕時計。

 どこかの企業の重役のような出で立ちは計算の上でのチョイスなのだと分かった。

 流派の頂点である威厳や説得力を残したまま、この場で血気盛んな挑戦者に挑まれても戦うつもりはないということだ。

 変わりに師範代の息子が道着姿になり、親の掛け声に合わせて技を実演していた。


 眩しいと思った。

 ただ引き継いだものだけで悠々自適に生活できている人間がいる。

 報われない努力も、満たされない飢えも、人生の選択肢が少ない劣等感も味わうことなく、産まれ落ちただけでこの世界の上流にいる人間。

 眩しい。

 羨ましい。

 妬ましい。

 憎たらしい。


 次の瞬間には、何とかしてあの息子から奪ってやれないものかと考えていた。

 今は無理でもいつかこの流派の全てを奪ってやりたい。

 この日、井澄は入門を決意した。


 貧乏な家庭であることを強調し、同情を買わせた後は何もかもが順調であった。

 必要なものは全て揃えてもらい、流派を吸収しながら剣道でもある程度の実績を残すことで恩返しを演出する事ができた。

 やがて師範が死に、息子の為久が流派を継いだ時、入れ替わるように師範代に収まることまで難なく進んだ。


 守山為久は親とは違い、バカが付くほど真面目な武人であったが才能には恵まれてはいない。

 小柄で性格も穏やか過ぎる。

 他者と力量を比べる闘争ではなく、自己鍛錬の中にのみ武術性を見出してしまう人間であることを井澄は既に見抜いていた。


 為久を降ろす井澄の策略は単純明快で、他流試合の機会を増やし自信を喪失させることにある。

 全国の猛者たちにあらゆる手段でコンタクトを取り、挑発して場を設ける。

 その一方で自身も師範代であり続ける為に若い門弟を叩いて潰す。

 どんなに才能があろうともいきなり強い人間はいない。

 芽が出る前に摘み取り、服従か脱落かを迫れば簡単に派閥を作ることが出来る。


 流派内に大きな井澄派閥が出来上がった頃、篠咲が主催した大会の召集がかかり事態は一気に好転することになる。

 井澄は為久が大会から逃げたことにほくそ笑んでいた。

 もし為久が流派に固執するならば守山流井澄派を立ち上げて離脱する腹でいたが、他流試合の敗北が思いの外効いていたのだろう。

 もはや守山流の乗っ取りは目前、生真面目な息子が自滅するのを待つのみ、


 ――――であったが、ここに来て問題が発生する。


 あろうことか女に遅れを取り、指の骨まで折られてしまうという失態。

 為久に代わって撃剣大会に出ることができなくなると、流派内の序列を変える事が出来ないばかりか、流派そのものが消えてしまう。

 井澄は計画を変更する必要があった。




   ◆



 

 病院の検査を終えた深夜、井澄は貸倉庫に移動する前に右腕とも言える舎弟、内海にショートメールを送っていた。

 この貸倉庫とも、内海とも長い付き合いである。

 悪事を働く時はいつもセットになる必要不可欠の道具だ。


 井澄の描く新たなシナリオはこうだ。


『卑劣な流派が撃剣大会前に挑んできて退けたが、自身も多大な負傷を負ったため参加を見送らざるを得なかった』


 改めて自身の絵図を思い返し、それが秀逸な選択肢であることに自画自賛を止められない。

 大会に出ることはある意味賭けになる。

 井澄は現状、為久と正面からやりあって勝つ自信はないが、全国規模の大会ともなると為久よりも強い剣客は多くいる。

 試合前に仕掛ける策略には限度があるので、最悪の場合、適度な負傷で棄権することを念頭に置いていた。


 それに比べ新しいシナリオの安全性は素晴らしい。

 急造の苦肉の策ではなく、こうなるべきであった天啓のように思えた。

 あとは一叢流の小賢しい女を人数の暴力で叩き伏せればいいだけだ。

 安全な事この上ない。


 井澄は木箱に隠していた日本刀を一振り取り出すと、刀身に映る自分の悪辣な面構えに笑みを堪えられなかった。

 一頻り笑い終えた溜息の間で、扉の隙間から響く夜風と潮騒の音に混じって足音が近づいてくるのが聞こえた。

 内海が到着したのだろう。


 ――早ければ早い方がいい。


 今夜中に襲撃し、一日の出来事であると事実を書き換えて門弟に広める。

 暴力を制す方法は個人の筋力だけではないというのが井澄が最終的に辿り着いた結論であった。

 幼いあの日に描いた成功はもう手の届く範囲にある。

 その過程であの忌わしい女を心行くまで蹂躙出来るという特典を想像し、今から勃起を抑えられないでいた。


 近づいてくる足音が止まり、貸倉庫の扉がガラガラと音を立てて開かれていく。


「おー、遅かったじゃねえか内海。もう辛抱できねえよ、早くヤっちま……?」


 日本刀を担いで相棒の到着を歓迎した井澄だが、すぐに様子がおかしいことに気付いた。

 見慣れた小太りのシルエットではない。

 長身の体躯にジャージ姿。

 手にはスポーツバッグと金属パイプがそれぞれ握られている。


「やっぱりそうですよね。そうなりますよね」


 女の声だ。

 それもどこか聞き覚えのある声。


「なんだテメエは?」


 女はスポーツバッグを手放し、ポケットから取り出した何かを井澄に向けて投げ滑らせた。

 スマートフォンだ。

 画面には先程内海に送信したショートメールの内容が表示されていた。


「思うがままに生きたいという欲求を抑える忍耐を品性と言います。現代社会では品性のない人間が好き放題できないようにルールが決められていますが、それにも関わらず今日まであなたは平然と生きてこられた。何故でしょう?」

「何言ってんだお前? 変な電波受信してんのか?」

「ルールとは紙に書かれた抑止力でしかないからです。破ろうとする者が現れた瞬間に抵抗できる現実的な力ではありません」


 敬語の中に悪意や侮蔑を込めた口調、井澄はようやく思い出す。

 あの一叢流の女の側で息巻いていた弟子の一人。

 ――それが何でここにいる?


「私は品性のないあなた達が暴力を持ってしまうことが、たまらなく恐ろしい。不玉さんと違って、私は臆病なんです。まぁ、あの人はいつ襲われても問題ないとか思ってそうですけどね。弱い私はそうじゃないです」


 女は後ろ手で入り口のドアを閉めると、握っていた鉄パイプを八相に構えた。 


「なので、今から私もルールを破ります」


 今から闘争が始まるのだと井澄が理解した時には、女は既に飛び出していた。




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