【臆病】④
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白いワンボックスカ―は隣県に向かって国道を北上していた。
車中にいる二人は追随する冬川のバイクをバックミラー越しに眺めている。
フルフェイスヘルメットの奥で彼女がどんな視線を向けているのか、鉄華はあまり想像したくはなかった。
「なるほどのう、そういう経緯じゃったか。流石に呉越同舟とは行かぬか、はっはっは!」
運転席の不玉は鉄華と冬川との因縁を聞き、大仰に声を上げて笑っていた。
「冬川とやらが目指すべきは篠咲ではなくバカ娘の方向やも知れぬが、大事な事ほど上手く噛み合ってくれぬものよな。まぁ遠回りするのもまた道よ」
「そういうものですか」
「そういうものじゃ。若き日のライバルが終生の友人になることもある。人生、振り返った時にしか気付けないことばかりじゃ」
そう言うと遠い目で溜息を吐く。
冬川はあの日、泥連から逃げるべきではなかったのかもしれない。
おおよそ後悔のない人生を生きることが出来る人間などいない、というのは鉄華の祖父、鉄斎の言葉だ。
どんなに先人の後悔と教訓を詰め込もうとも、人は自分の正義と直感で行動してしまうことを避けられない。
あと何回後悔すればこの人と同じ境地に立てるのだろうかと、同じく遠い目になってしまう鉄華であった。
「それはさて置き、守山蘭道に関して思い出したことがある」
車が走り出してから二十分、不玉はようやく本題に入った。
ダッシュボード上のカーナビには『目的地まであと十キロ』と表示されている。
「蘭道自身が打った刀があると言っておったろう? ウチの蔵には小枩原家と高端家双方の刀剣が纏めて保管されていての、それを数年ほど前に誰かが持ち出した形跡があったのじゃ」
「泥棒ですか?」
「いや、儂の察知スキルが衰えておらぬのなら恐らくは身内の仕業であろう。しかし泥連が遊ぶ金欲しさに盗むのもありえぬ。刀剣の売買は簡単に足がつくからの」
察知スキルかどうかはともかく不玉なら針の落ちる音でも気付きそうだと鉄華は奇妙な納得を感じていた。
話の流れからすれば犯人の推測は容易である。
「有象さんですね」
「うむ。篠咲が集めているという点で引っ掛かっておった。儂の親父、高端一陽は鉄斎と同じく蘭道に師事した間柄じゃからな。刀を譲り受けていても不思議ではない」
「……同門というのは初耳なんですが」
「む、言っておらなんだか? まぁそれはともかく銘の控えがあったので無くなった刀は特定できておる。鵜戸水泉作、霊依という一振りじゃ」
「鵜戸水泉は守山蘭道の刀工としての名前です」
「繋がったの」
有象と篠咲の戦いは蘭道の刀を賭けていた。
篠咲側が何を差し出したのかは分からないが、彼女の刀集めがかなり昔からの行動であったのは確実だ。
やはり、あの刀には美術的価値を超えた何かがあるのだろうか。
「刀に大した拘りはないが、有象の持ち出した物ならば取り返してやろうとは思う。そこで守山流じゃ」
不玉はハンドルから放した右手で指骨を鳴らして拳を作る。
それは取り返す過程で暴力を振るうのに躊躇いはないという覚悟のようにも思えた。
「盗品として被害届を出せるが、それだけでは篠咲が所持していることにまで捜査の手は伸びぬ。しかし守山流も同じ被害に合っている可能性はある。そうなれば連名で訴え出れるというものよ」
事実ならば篠咲の興行自体にも影響が出るかもしれない。
だが、篠咲の性格を知る鉄華はそう上手く事が運ぶとは思えないでいた。
「……私の場合ですが、篠咲さんは十億という額を提示していますよ。売却した可能性はありませんか?」
「ない。守山流は蘭道あってのものじゃ。流祖の宝剣を売り渡したとなれば流派の存続に関わる。現当主の守山為久とは過去に交流があっての、どういう人物かは心得ておる」
確信する不玉であったが、鉄華の脳裏に『大事な事ほど上手く噛み合ってくれない』という先程の言葉が過る。
それが直感なのか、祖父と折り合いが付かなかった守山流への先入観なのか分からない鉄華であった。
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守山流は全国に二十の支部があり、一般向け講習会や書籍といった副収入も多く、群雄割拠する古流の中でも商業的に成功している数少ない流派の一つである。
その総本山である道場は大きな鳥居に始まり、長く続く参道、奥には寝殿造りの屋敷が鎮座するというある種の風格を漂わせていた。
古来より残る由緒正しき寺社仏閣だと説明されても違和感はない。
「荒稼ぎしておるようじゃの」
豪華な造りの道場は鉄華の通っていた市営武道館くらいの広さはある。
不玉は見上げながら鼻で笑うように言葉を吐き捨て、その後ろに追随する二人も同じく見上げたまま立ち止まっていた。
鉄華は横に並んでいる冬川の気配を探る。
彼女が同行した意図は明白だ。
泥連に会う為に不玉を利用したい、或いは一叢流そのものを知りたいという思いに他ならない。
不意打ちをするとは思えないが、何時どんなタイミングで牙を剥くかまでは分からない。
「冬川さんは篠咲さんが集めている刀について何か知りませんか?」
「知らないわ。あの人にとって私は……いえ、どうでもいいわね」
視線を合わせず淡々と答える彼女は何を思うか。
肩に掛かる黒革の竹刀袋には何が入っているのだろうか。
並んだ位置での足置きは、距離は、備えはどうしているのだろうか。
鉄華は今すぐにでも戦いたいという気持ちを抑え込む。
戦えば勝敗に関わらず無事では済まない故に、大会を控えた今、興味本位の私闘をするわけにはいかない。
対して、同じくセコンドを任されている身であるのに、直情的で束縛のない冬川が少し羨ましく思えた。
「たのもうー」
入り口を潜り抜けると土間になっていて、その先には板張りの道場が広がっている。
中央で談笑していた道着姿の若い男が二人、不玉の呼びかけに反応した。
「何だ? ネーチャン達。お揃いで見学か?」
ツーブロックの頭頂を金髪に染めた男が木刀を肩に担いだまま応える。
隣りに立つ坊主頭で小太りの男と一緒に、女性だけの集団を睨めつけるように観察し始めた。
「いや、守山為久は居るか? 一叢流の小枩原が会いに来たと言えば伝わる」
「あぁ、師範ならもう少しで来ると思うけど」
「ならば見学に切り替えよう。隅で待たせてもらうぞ」
「好きにしろよ。まだ稽古始めてねーけどな」
三人を一通り見分した後、金髪の男はもう一人の男と視線を合わせて相槌のようにニヤつくと、鉄華たちに向かってゆっくりと近づいてきた。
その様子を見た鉄華は靴下を脱ぎ始める。
「俺は師範代行の井澄っつーもんだ。よろしくな」
「小枩原不玉じゃ」
向ける視線は侮蔑の見下し、浮かべる笑みは嘲笑そのものである。
一番最初に気付いたのは鉄華だが、誰もが気付ける程に露骨な悪意が滲み出ていた。
自身が暴力での強者であるという自負心が日常の所作に表れている男。
鉄華は父親を思い出していた。
「やっぱりな。あんた、確か撃剣大会に出るんだったか。結構話題になってんだぜ。アラフォー女が柔術のみで出るとか何の冗談だ、つってな」
「ふふふ、ファンならサインくらい書いてやってもよいぞ」
「アホか。俺も出るんだよ、守山流を代表してな」
道場内の木刀立てと防具の位置を確認し終えた鉄華は息を潜めて戦闘に備え、その気配を察した冬川は巻き込まれる可能性を考えて小さく溜め息を吐いた。
「……ほう。為久ではないのか」
「師範はやる気ねえんだってさ、笑えるよな。全力で相手ぶっ殺して一億円、優勝で一千億円。これで出ねえインポ野郎が武術なんかやんなって話だよな」
「お前はなかなか肝が座っておるではないか」
不玉はあからさまな挑発を受け流し続けている。
鉄華は真意を測らせない師の在り方に歯痒さを覚えた。
「で、せっかくだからちょっくら手合わせしてくれよ。制服のガキ引き連れて師弟ごっこやってんなら、ここらでカッコつけとかないと損だぞ」
「大会はまだ先じゃ。せっかちな男は嫌われるぞ」
「今ここで身の程を知っておくのもいいと思うけどな。これは親切心だぜ? 生理上がってそうなババアの割にはいい女だから忠告してやってんのさ。ははは!」
井澄の侮辱に涼し気な笑みで応えていた不玉だが、鉄華の方はもう限界だった。
――理解させてやらなければならない。
痛みを与えるということは誰かの特権ではなく、平等であることを思い出させてやらなければならない。
半歩歩み出た鉄華は上から井澄を見据えて会話に割り込んだ。
「なんでしたら私が相手しましょうか?」
「テメエには聞いてねえんだよ、デカブツ女。女型の巨人が喋んじゃねえ」
震えはない。
怒りが度を越したのを感じてはいるが、脳内は不思議と思考が冴え渡っている。
もう半歩前に出て【荊棘】の間合いに入った。
「おい、話聞いてたかテメエ」
「不玉さんとあなたは大会参加者同士。もう一人の彼女は一叢流とは無関係です。私が相手しますよ」
間合いを詰められても警戒しないことを確認した鉄華は、次に井澄が口を開いた時が始まりの合図だと決めていた。
相手は道場を任されている武術家であり、この状況でも強者の余裕を崩さない人間だが、その態度には強さ以上に油断とプライドの高さが感じられる。
女子高生が何でもありの死闘を挑んでくるとは思ってもいないだろう。
社会的にも男女の差が考慮され、全力でやっても事件にはならない。
「まぁ待て。儂がやろう。よく考えれば若い男の親切心を無下にするのは無作法やも知れぬ」
引くに引けない激尺の間で今にも火蓋が切って落とされるかという直前、やり取りを見かねた不玉が笑みを崩さず私闘を了承した。
鉄華はすぐさま犯した誤ちに気付いて後悔した。
これでは師を担ぎ出す協力をしたのも同じだ。
「不玉さん! ここは私が、」
「よい。師範代自ら守山流を見せてくれるというのじゃ。お前は見ておれ」
どんなに煽られても戦いを回避しようとしていたのは保身の為ではない。
その意味が分かってももう遅い。
責めるでもなく穏やかに嗜められた鉄華は、喉元まで出掛かった闘争心を抑え込んで着座するしかなかった。
「ははっ! メスガキ共は隅で見てろよ。競技でも古流でも、女の入る余地なんかねえってこと勉強して帰れ」
道場の中央に戻りながら井澄は尚も煽りを止めないでいた。
策略ではなく、ただ侮辱したいだけの挑発。
その背景にあるのは、女性への侮りだ。
――ならば問題ない。
先程までは相打ち覚悟であった鉄華だが、井澄は自分が戦っても負けない相手だと悟り、これから起こる結末を想像することで冷静さを取り戻した。
そして師の戦いを逃さず学び、取り込むことでミスを挽回しようと努めるのであった。




