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どろとてつ  作者: ニノフミ
第九話
33/224

【撃剣】④

   ◆




 ソファーに深く座り、頬杖をつきながら書類に目を通した不玉は、静かに目を閉じてゆっくりと溜め息を吐く。そして紙束をテーブルに放り捨て、ただ呆れたように応えた。


「ごっこ遊びも大概にせいよ阿呆が。最強を決めるじゃと? それがどうした? 勝手に生きたり死んだりしてろ」


 向かい側で相対する能登原は笑みを崩さず、数回頷いてから口を開く。


「私の前で精悍に不参加の理由も並べようと何も出ませんよ。私はスポンサーでしかないのですから」


 言い訳しても逃げ出したという事実しか残らない、と含みを持たせた視線を送る。

 明確な挑発であった。


「ならばさっさと帰るがよい。儂を煽っても茶漬けすら出てこぬよ」


 不玉は笑顔で挑発を受け流した。

 互いの視線が交差し、真意を探り合う。


 二人を挟んだ部屋の奥にはテレビが置いてあり、その背後の壁には日本刀と素槍が掲げられている。

 距離にして約四メートル。

 能登原のスーツは特殊な防刃繊維で作られており、懐中にあるハンドガンはフルオートで十七発の弾丸を一秒以内に射出する。


 能登原は後顧の憂いを断つ意味でも、出場を断るのならその場で殺そうと決めていた。

 目撃者(・・・)ごと皆殺しにするという無駄も発生するが、これほどの山奥ならば隠蔽するのに困ることはない。


 ――まだ早い。

 能登原は目的を忘れないように、机の下で左手親指に巻かれた包帯を弄っていた。


「まぁ義務も責務もないですし、あなたの自由意志を尊重します。――ですが、主催者の言葉を聞いてから判断されても遅くはないと思いますが? 浅からぬ因縁があることは知っていますので」

「ほう。で、その主催者様はどこに隠れておるのじゃ?」

「じきに、」

 

 本題を言い終わるよりも早く、客間の扉が勢い良く開かれた。


「その話、私も混ぜてもらおうか」


 会話に割り込んできた泥蓮に続き、一巴と鉄華が入室してきて退路を塞ぐように扉の前に立ち塞がった。

 向けられる悪意の視線。泥蓮が帯刀していることに気付いた能登原は、熱を帯びた息を吐く。


 ――あぁ、この若さ、この愚直さ、この想像力の足りなさ、今すぐ引き金を引いてしまいたいくらい愛おしい。


 右手を握り締めることで爪を噛みたい気持ちをなんとか抑えていた。


「儂の客じゃ。出て行け」

「よろしいではないですか。流派の問題ですから娘さんやお弟子さんもご一緒にどうぞ」


 一喝する不玉を窘めながら、能登原はこの部屋を出る時の状況を思い浮かべていた。

 指で唇をなぞり、その瞬間が近づいてくることに興奮を抑えられない。

 何事もなく仕事を終わらせるか、血溜まりに変えるか。

 甲乙付けがたい選択肢に口角を上げ、より一層笑みを深めて少女たちを歓迎した。


「お揃いでようこそ。皆さんは学生さんですか?」

「どーでもいいんだよ。篠咲はどこにいる? 喧嘩は私が買うぞ」

「おいおい、まだ話の途中じゃ。混ぜっ返すな」

「ババアは隠居してんだろ。黙ってネトゲでもやってろ」

「おう、よく言ったの。今すぐ表に出るがよい。貴様の棒遊びなど片手で充分じゃと学習させてやろうぞ」


 能登原は自分を無視して繰り広げられる親子喧嘩を前に冷静さを取り戻して笑顔が崩れた。

 剥き出しの殺意を向けたかと思えば、他愛もない挑発で口汚く低俗な罵り合いを行う。

 同じ人格のわけがない。これはくだらない演技だ。

 そして――この娘は使える、と考えた。

 互いに庇い合う親子の関係性、不玉の真意を推察するに、以後は泥蓮を煽る方向で交渉すれば間違いないだろう。


 親子に代わってバツが悪そうに謝っている一巴に笑みを送ってから、能登原は客間の奥に掲げられたテレビの方を向いた。


「そろそろ時間ですのでテレビの電源を付けて貰っていいですか? 主催者の登場です」




   ■■■




 都内某所のホテル。

 催事場に詰めかけたメディアは一人の女をフレームに収めていた。


『お忙しい中、ご参集頂きまして誠にありがとうごさいます』


 壇上で篠咲が軽い会釈をすると同時に無数のフラッシュが焚かれる。


『この度お集まりいただいたのは当財団法人の活動方針に関わる発表をさせて頂くためです』


 彼女が会長を務める財団法人、撃剣(げきけん)武術振興協会は先日、国有地売却の背任スキャンダルに巻き込まれた形で槍玉に挙げられたばかりである。

 大型多目的ホールを格安で買い取った点に関しては、以前から貸出も少なく採算性の面で政府の重荷なっていたという一定の説得力を提示したものの、改修後の利用目的が明らかにされないままなのは転売利益が目的ではないかと疑われており、今後の金の流れを多くのメディアが注目していたところであった。


『私、篠咲鍵理は剣道の千葉碩胤を倒すことで古流の有用性を証明しました。しかしながら一人の古武術家として未だ疑問を抱えています。それは――我々は何の為に技を磨くのか? ということです』


 そこで篠咲が一呼吸置くと、会場からどよめきが漏れる。


 (国有地スキャンダルを説明する気はないのか?)

 (個人の戦績や精錬さを主張することで、火消しすることが目的だろう)


 今から舞台上で繰り広げられる茶番劇を想像し、誰もが心中で落胆していた。


『古武術家にとって現代剣道は不完全であると言わざるを得ない。打撃も投げもなく、特定部位のみを叩き、気合や残心を評価するという芸術点の如き審査方法は強さの指標となり得ません。素手の格闘技が総合やバーリトゥードへとシフトする中、武器術だけが形骸化し児戯へと貶められています』


 今にも野次が飛び出さんとする状況の中、篠咲だけが薄く笑みを乗せて言葉を紡ぎ続ける。


『例えば精神を磨くという哲学に逃げることもできるでしょう。例えば歴史的な文化遺産を残す為、という逃げ方もあるでしょう。しかし、その言葉を口にする者たちの脳裏には必ず疑問が浮かぶはずです。本当に実戦で使い物になるのか? と。歴史的な剣豪の真偽も分からない逸話を拠り所として祀り上げてはいるが、実際にその技の強さを確かめる場が現代には存在しません。最強を謳う流派、術者は数多く居れど、その裏付けとなるものなど何もないのです』


 一人、また一人と篠咲の言葉に傾注し始めていた。

 火消しが目的にしては剣術論に終始し、話が逸脱しすぎているからだ。

 この女は何が目的で喋っているのか? という疑問の念が会場内に漂っていた。


『だから用意しました。一試合一億、優勝者には一千億円の賞金、階級も男女の区別も無く、真剣を用いた戦いで最強の流派を決めるトーナメント、【平成撃剣大会】の開催をここに宣言します』


 一瞬の静寂。

 その刹那、人々は思い巡らす。


 独自の価値観を愚直に通し、表舞台から去っていった古強者たち。

 得た術理を応用して、スポーツ武道や徒手格闘技の中で生きようとする挑戦者たち。

 武術性や神秘性を盾に逃げ続け、秘匿したいのか公開したいのか曖昧な活動をする詐欺師たち。


 彼ら全てを引き摺り出して、現代で一つの結論を出そうとしている。

 それが財団の多目的ホール買収とリンクした時、会場のどよめきは歓声に変わり、舞台の幕を震わせるほどに沸いた。


 真剣を用いるという現実離れした狂気の沙汰。

 スキャンダルなど消し飛ぶ程の事件が起こっていることに記者たちは気付き、質問が飛び交い出した。


『篠咲さんは出場されるのですか?』

『はい、私は家業である【玄韜(ゲントウ)流】の代表として参加します。シード等の主催者特権はありません』


『武器を用いた競技は安全確保が難しく決闘罪と取られかねないですが、法律的には問題ないのですか?』

『避けては通れない競技化に対する配慮ですが、この大会に向けて用意した防具の開発でクリアしています』


 篠咲の合図で舞台袖から数体のマネキンが運び込まれ、壇上に並べられていく。

 着せられている黒いインナーは頸部から手足の先まで全てを覆う全身タイツのような形状をしていた。


『スポンサー企業である最上紡績の協力の下、ケブラー繊維の五十倍の強度を誇る【BLC繊維】を開発しました。この繊維を使った防刃インナーを道着の下に着用することで運動性を損なわず安全性を確保することが可能になり、必要に応じて頭部や頸部、局部の防具も追加できます。

 繊維は日本刀の切断にも耐えうることが出来ますが、刺突技の有利が突出してしまいますので刀剣の刃先を丸めるという副次的な安全策をルールとしています。こちらで充分な強度の得物を用意しますが参加者自身の持ち込みも可能です。審査を通過した物ならば形状に係わらず好きに使って構いません。

 また会場には手術可能な医療設備も用意しますので救急医療にも対応できます』


 賞金だけでなく安全策に掛ける金額も尋常ではないことは誰の目にも明らかであった。

 篠咲は剣道家でもあり警察関係者に顔が利くが、より実戦に近い新たな興行を認めさせるだけの政治力があるようには思えない。

 国有地買収から始まる一連の流れの中で一体幾らの金が動いたのであろうか。

 財団の資金源には世界規模のセキュリティソフト販売で利益を得るベクターフレーム社のCEO能登原英梨子がいる。しかし会社が傾く規模の出資を彼女一人で全額担っているとは考えにくい。

 勘の良い何人かの記者は篠咲自体に得体の知れなさを感じ、会見の場で目立つことを避けて私生活を追うことを決心していた。


『賞金がかなりの高額ですが、それだと一試合だけ参加して棄権する者が出るのではないでしょうか?』

『賞金が発生するのは二試合目からです。古流経験者に拘ってはいませんが覚悟のない者が参加しても何も得ることは出来ないでしょう。武器術という性質上、部位にかかわらず一撃決まれば勝敗は決すると思いますので、急所攻撃による反則は設けておりません。

 勝敗は三名の審判による失神もしくは重症の判定と、セコンドによる棄権で決まり、闘技者自身が棄権することは出来ません。時間制限も無いですが申し合わせた上での遅延、脱落行為を確認できた場合は両者失格とし賞金も没収します。日程は全五日間を予定しております』


『条件を厳しくしすぎると逆に参加者は居なくなってしまうのではないですか?』

『既に幾つかの流派には招待状を送付しています。

 少なくとも柳生新陰流の奏井(カナイ)至方(シホウ)

 合気剣術の赤羽清雪、

 馬庭(まにわ)念流の安納(アノウ)林在(リンザイ)

 月山(つきやま)流薙刀の滝ヶ谷香集(カスミ)は了承済みです。

 それと恐らくは薬丸自顕流の戸草仁礼、

 心形刀流の木崎三千風(ミチカゼ)も参加することになるでしょう。どなたも現代古流を代表する強者だと言われている方々です』


 専門誌のライターでなくとも奏井や戸草の名を知る者は多いが、とりわけ合気道、赤羽清雪の参戦に感嘆の声が上がる。

 強者とされながらも秘匿側の術者に位置し、世間も彼の強さに懐疑的になっている今、門弟などではない老齢の本人が死闘に参戦するのは話題性が大きい。


 会見時間の終わりに差し掛かり、篠咲は椅子から立ち上がってマイクを握った。

 フラッシュの白光の中でも強く鋭い視線を正面に送り続けている。


『放送を聞いている古流の諸派の方々に告げます。今試されているのはあなた方個人の感情ではありません。これはあなた方の流派そのものにとっての重大な瞬間です。

 いつかの将来、後世の者にこの日を問われた時に何を言いますか?

 負傷が怖くて参加を拒んだ? 逃げることも武術? 安々と耳目に晒すものではない?

 よくよく考えてご決断ください。歴史的にもこれほどの規模で流派を招集したことなどかつて存在しないのですから。いずれ来る戦いの場に備えて何十年、何百年と術理を練り、高め、伝えてきた偉大な歴史に今代で逃げたという汚点を付ければ、以後誰もその流派の武術性を信じることはなくなり途絶えていくでしょう。

 私は女ですが逃げません。自身が最強であることを微塵も疑っていません。

 あなた方も自らを騙さず、偽らず、驕らず、決死の誠意を以て、誇りある選択をされると信じております』


 机の上にマイクを置いた篠咲は、一歩下がって深々と一礼してから舞台袖へと消えていった。

 取り残されたメディアは予想すらしていなかった発表に右往左往し、中継していた番組はスタジオに切り替わると混乱の様相を呈している。

 篠咲の提示した平成撃剣大会のニュースは次の日を待たずとして世界中を駆け巡っていたのであった。




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