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どろとてつ  作者: ニノフミ
第九話
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【撃剣】②




 正午近くになった頃、照りつける日光は山頂を蒸し焼きにしていた。

 今や早朝の肌寒さは消し飛び、砂漠の如き寒暖差で泥蓮と鉄華はすっかりバテていたが、一巴だけは涼しげな様子で不玉の講義に耳を傾けている。


「いやいや、おかしいだろ。なんでお前だけ平気なんだよ」


 泥蓮が毒づく。

 確かにおかしいと鉄華も思っていた。

 暑さへの耐性は代謝による発汗量によるものであり、数滴の小汗に留めている一巴はあまりに異常だ。


「失礼っすね。耐え忍ぶのが忍者っすよ。この程度の暑さ、既に体が適応してるっす」

「嘘臭え~」


 一巴のことだから何らかの対策をしているのだろうと読んだ鉄華は、講義が終わった後でこっそり聞こうと思った。

 

「おい。話に興味が無いなら庭で水遊びでもしてくるがいい。儂もさっさと冷房の効いた部屋に戻りたいのじゃ」


 勝手な雑談に焦れた不玉が気怠げに怒っていた。鉄華たちと同じく夏バテの兆候が見て取れる。


「なんで私らが水浴びでテメエがクーラーなんだよ」

「弟子を甘やかしてはいかん。かつてのファンク兄弟は食べ切れなかったステーキを弟子のスタン・ハンセンにやるのではなく犬に食わせたという。それも弟子を思うがゆえの愛情だったのじゃ」

「何の話してんだよ」


 茹だる暑さで親子喧嘩にもキレがない。

 道場の床に落ちた汗が蒸発して湿度を上げていく中、意識すらも湯気のように揺らめいていくのを誰もが感じていた。


「あー、続けるぞ。よいか? 勁草のポイントは二つある。まずは『浮身』じゃ。古流全般によくある『膝を抜く』という表現がそれに当たる」


 不玉は昨日も見せた例の歩法で動いてみせる。

 待ち構えるように注視していた鉄華はなんとか足の動きを捉えることが出来た。

 滑るように見えるのは摺り足ではなく、地面ギリギリを浮いているからだ。

 動作に音は無く、後ろ足の引き寄せも蹴りのように速い。


「簡単に言うとな、膝カックンされた時のような脱力で体が倒れるのと、小さく飛ぶのを同時にやる感じじゃ。両踵を地に付けた状態からでも重力を利用して加速できる上に、行動の起こりも読まれにくい。これを覚えるだけでぐっと古流っぽくなるのでオススメじゃぞ」

「踵を地面に付けるのは必須ですか?」


 鉄華は改めて浮かんだ疑問を口にした。

 何気なく泥蓮の真似で使っていたベタ足の撞木足であるが、歩法まで変えてしまうのは戦いのスタイルを丸ごと変えることになる。

 剣道の利を捨てるだけの納得できる理由が欲しかった。


「フットワークとフェイントを使った駆け引きも時には必要ではある。――が、基本として理解しなければならないのは、踵を浮かすのは柔道で言う『崩し』が決まった状態と同じということよ。競技化される前の柔道は投げる前に打撃で崩すのが一般的であった。剣道でも鍔迫り合いの時に足を絡めて投げ倒せたら楽なのにな~、とか思うじゃろ?」

「……そうですね」

「武器術の戦いでも体当たりや組討ちは常に警戒しなければならぬ。地に転がされれば剣術の利は消えるからの。また巧者の放つ投げ技は地面を武器とした必殺技になる。だから踵を地に付けて構えの重心を落とすのはある種の備えじゃな」


 防御の為の構え、ということになる。

 互いに武器を持った状態の近接戦闘ほど怖いものはない。肩の動きしか見えないままナイフが向かってくるかもしれない。

 最も見えない下半身の足絡みという選択肢を消せるのであれば、ほんの少しでも気が楽になる。

 無我夢中の戦いでも構えに刷り込まれた利点は自動で働くものだ。


 鉄華は実際の戦いに際しては想像以上に思考してから動いている自覚があり、自分のスタイルは「後の先」向きだと思っている。

 当然防御的な展開になることは避け難く、ベタ足の議論に関して選択の余地はなかった。


「とはいえ密着した状態の攻防は刺して刺されての相打ちになってしまことも多いからの。防御だけでなく回避することも大事じゃ。その対策が――」

「体当たりですか」

「左様。当流では華窮の技術がそれに当たる。短時間の接触で効果的なダメージを与え、相手が崩れたら続く斬撃で真っ二つじゃ」


 全て殺し合いの攻防を想定していることに辟易する鉄華であったが、今更戸惑うべきことではないと自身に言い聞かせる。

 古流の価値観で戦う相手には同じ覚悟でしか対抗し得なく、まずは受け入れて対策しないと死に繋がると思い返した。


「華窮に繋げる為の運足、それが二つ目のポイント『踏鳴ふみなり』じゃ。中国武術では震脚とも呼ばれる強い踏み込みよ」


 不玉が踏み込んでみせると、ドスンと鈍い音が道場内に響き渡った。


「攻撃の瞬間に踏み止まることで緩急を付け、きちんと剣尖まで体重を乗せる事ができる。剣道でもやるから知っておるじゃろ。華窮は瞬間的に増した自重を体重移動で肩や肘に乗せる。初心者は前方斜め下方向にやるのがベクトル的にも楽じゃ」


 見る限り、不玉の踏み込みはほとんど足を上げないにも関わらず、空間を震わせるかのような威力がある。

 その場で足を踏み落とすのではなく、浮身の移動からひと繋がりで地面を蹴る、それが踏鳴の正体であると鉄華は理解した。


「なんだか八極拳みたいっすね」


 壁際で腕組みして聞いていた一巴が口を挟んだ。


「うむ。一叢流には中拳の理論も入っておるからの。なんなら今一度、流派の歴史について聞かせようかえ?」

「い、いえ、結構です。間に合ってるっす」

「なんじゃ。つまらぬ」


 顔を青くして震える一巴の後ろで、泥蓮があぐらをかいて深い欠伸をしていた。


「ふん、今更聞き直しても何も学ぶことはないな」


 その様子を横目で見ながら鉄華は考える。

 幼少期から一叢流を学んでいた泥蓮にとっては勁草は初歩中の初歩なのだろう。

 どの段階まで習得しているか確認しておく必要があった。


「……デレ姉はどこまで使えるんですか?」

「私は四節の【梏桎】までだな。そもそも柔術技に興味がないし、五節【荊棘】は手刀の技法だ。馬鹿みたいな鍛錬で手先をぶっ壊すつもりはない。武器術なら勁草と華窮覚えりゃ充分だよ」


 勁草、華窮、蔦絡、梏桎。

 どれほどの時間が掛かるかも分からない先にいる。

 それに加えて、槍術用の別の技体系も修めているのだろう。

 鉄華は三十センチ近い身長の有利があるにも関わらず、素手の戦いでも泥蓮に勝てないことを悟って歯噛みした。


「焦るでない。何事も地道な積み重ねよ。まずは歩法、下肢の鍛錬からじゃ。――さて、そこで儂が考案した特訓メニューを発表しようぞ!」


 じゃじゃーん、と言いながら不玉が取り出したのは古びた段ボール箱。その中に収められた金属製の物体には車輪が付いていた。


「……もしかしてローラースケートですか?」

「お、よく分かったの。近頃の若者はカセットテープすら知らんようじゃからのぉ。嘆かわしい」


 取り出されたそれは、履いている靴に革紐で固定して使うワラジのような構造になっていた。

 摩擦で荒く削れた四つの車輪、磨り減ったゴム製ブレーキから相当な年期が伺える。


「これは儂が中学生の頃、当時好きだったアイドルが履いていたから真似して買った物じゃ。しかしこれが思いの外、勁草の鍛錬に役立つことに最近気付いた」

「生活の知恵レベルの発想で習得させんなよ……」


 苦言を呈す泥蓮を無視して素足にローラースケートを装着した不玉は、弧を描いて道場内を滑ってみせた。

 ――確かに勁草の動きに近い、と鉄華は思う。

 しかしローラースケート本来の動きではなく、習得は想像以上の困難であることが予想できた。


「最初は膝の脱力のみで滑るように移動する感覚を身につけるのじゃな。慣れたら飛び込みで距離を伸ばし、踏み込みで止まれるようにする。肘膝のサポーターもあるから安心して転ぶがよい。最後は外した状態で出来れば卒業じゃ」


 昔を思い出したのか半ば夢中になって滑っていた不玉は、正午を告げるサイレンの音でピタリと止まった。


「よし、今日の講義は終わり! 下肢筋は重く、階級のあるスポーツでは付けにくいが、古流の強さを求めるのであれば必須じゃ。その辺りも念頭に置いてトレーニングせいよ。因みに、打突の粘りを上げる鍛錬じゃが、――そっちを教える必要はもうないようじゃな」

「ああ、朝から『立ち木打ち』をやらせてる。そういうことでいいんだろ?」


 面倒そうに腰を上げた泥蓮はジャージの膝を払いながら、今朝方、鉄華に教えた示現流の練習法を語る。


「なんじゃ、しっかり先輩やっておるではないか」

「うっせ。おら、オメーら水浴びすっぞ、表出ろやー!」




 開放された扉から流れ込む風が心地良く鉄華たちの頬を撫でた。

 夏の盛りを迎えた草木は水分を失って茶色く変色し始めている。

 石畳の上で仰向けになる蝉は、自身の命運を悟ったかのように空を仰ぐ。


 ホースを絞った水飛沫で出来た虹を見ながら鉄華は思う。

 今はきっとそれぞれの目的の為に、偶々道が交差した瞬間でしかない。

 目を放したらあっという間に離れていく三叉路。

 行く先の暗雲は既に見えている。


 それでもこの時間がずっと続けばいいのにと、諦め混じりに願う鉄華であった。




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