【六節】⑤
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不玉は構えを解いて木刀を肩に担ぎ、記憶を探るようにゆっくりと視線を泳がせていた。
「いやなに、大した話ではない。親父の知り合いという伝手で、儂がまだ小学生くらいの頃に数ヶ月ほど剣を教えて貰ったことがあるだけじゃ。手加減を知らぬジジイでな、可憐な少女時代の柔肌を痣だらけにされたぞ」
鉄華の記憶の中にいる祖父とは違い、剣を握れば妥協のない激しい気性であったと不玉は語る。
点での関わりとはいえ小学生の時分に他流を学び始めているのはさすがと言えるが、思わぬタイミングで手掛かりを掴んだ鉄華は、続けて何を質問すれば良いか考えつかなかった。
「……つ、強かったですか?」
「うむ。純粋な剣技という分野では槍術家である親父よりも上じゃったよ。まだ存命か?」
「いえ。五年ほど前に」
「そうか」
クソを二回も付けて呼ぶ相手でも、もはやこの世にいないという事実に不玉は悲しみが混じった諦めの表情を見せた。
関係性を読み解くことは出来ないが、どんな思いであっても相手が死んでしまえば遂げることは出来ない。
「確か一刀流を学んだと言っておったが扱う技はあらゆる流派を詰め込んだオリジナルじゃったな。今思えばその辺りは師である守山の影響かの」
「祖父の師匠は守山蘭道なのですか?」
「そう聞いておる。今や守山の子孫どもは『守山流』を名乗り活動しておるが、鉄斎は特定流派名を名乗らない師の意思を尊重して距離を置いたとのことじゃった」
不玉に教えていた時はまだ剣を捨てておらず、守山の子孫との行き違いで離反するように剣を置いたかのように聞こえる。
――守山流。
鉄華は新たな手掛かりを記憶した。
「守山蘭道が打った刀のことをご存知ですか?」
「知らんな。まぁ剣力一つで生きてきたジジイの更にジジイ世代じゃからな。刀工やってても不思議ではないが、それがどうかしたのか?」
「……いえ」
相変わらず篠咲に関する手掛かりは何も得られなかった。
もっと突き詰めて探ることは出来たのかもしれない。不玉が篠咲の古流団体を知らないということはないだろう。
それでも鉄華は不吉な予感を覚え、泥蓮のサポートを躊躇ってしまった。
冬川の発した「仇討ち」という言葉の重みが、法も倫理も飛び越えてしまうように思えたからだ。
その捕らわれを居着きだと断ずる権利を鉄華は持たないが、手助けすることが恩に報いることになるとは限らない。
「最近は昔を思い出す度に年波を感じてしまっていかん。どうもにも気が沈む。……話が横道に逸れたが、戻すぞ」
不玉は再び中段で構え、対する鉄華も半ば下ろしかけていた木刀を八相で構え直した。
篠咲のこと。泥蓮の兄のこと。
一度タイミングを誤れば二度と聞くことはできない気がしていた。
「お前の技量は大体分かった。それを踏まえて短期間で強くなるトレーニングを組む。一番手っ取り早いのは長所を伸ばすことよな。さて鉄華よ、お前の長所とは何じゃ?」
「えっと、……体が大きいことですよね」
「その通り。どんな格闘技でも身体に恵まれた者は強い。型など知らなくともウエイトトレーニングと組手を続けるだけであっという間に強くなれるものじゃ。しかし武器術になれば話は変わる。威力もリーチも武器そのものが充分に持っているからじゃ。フィジカルの恩恵が少なくなり、デメリットも浮き彫りになる」
事実、鉄華は剣道を体格差で蹴散らしてきたが、ルールと防具の守りが無くなれば冬川に及ばなかった。
ローキックで削りに行ったり、掴んでグラウンドの攻防に持ち込むという格闘技の定石も、もし互いに刃物を持った状態ならば行動選択肢として挙げるのは難しくなる。
「人間、体格が違っても心臓の大きさは然程変わらないものじゃ。故に大柄であればそれだけ負荷がかかる。小柄な者に比べて四肢も重く、スタミナやスピードで劣りやすいということよ。武器術は僅かな速度の差で雌雄が決する故に、このデメリットは必ず対策せねばならぬ。具体的には『引き』と『体当たり』を使う」
そう言い終わるか否か、不玉の身体は一瞬沈み、次の瞬間には三メートルほど間合いを離していた。
剣道の引きのように後方に飛ぶのではなく、ぬるりと滑るように移動する歩法を使う。
それは摺り足でも継ぎ足でもないように見えた。
「相手がどんな技、どんな意図を持っていても、その間合いから引いて距離を取れば恐るに足らない。それを可能にする歩法が【勁草】。そして……」
不玉は引いたときと同じように間合いを詰める。
反応が遅れた鉄華の木刀を鍔迫り合いで抑え込むと、床全体が震えるほどの踏み込みと同時に肩で体当たりを放った。
「がはッ!」
胸部が圧迫され咳のような嗚咽を発する。
床の上に投げ出されて三回転半して止まった後、意識が状況に追いつくよりも先に床を踏み込む音が耳に入り、次打を予感した鉄華は慌てて立ち上がった。
だが不玉は中段のまま動いていない。
檄を飛ばすように床を蹴っただけであった。
――油断しすぎていた。
実技を介さず術理を得られるのではと、不玉の優しさにどこか甘えていた。
何事も体験しなければ身に付かないと理解したはずなのに忘れかけていた。
「歩法を覚えればフィジカルを活かした体当たりがより有用になり、防御しつつ強力なカウンターを捩じ込める。それが【華窮】」
鍔迫り合いに持ち込む為の体当たりではなく、相手の剣を抑える動作がそのまま肩と肘でぶつかるタックルに繋がる。
打突の多くは踏み込みを前提としているので、後の先で狙えば躱されることはない。
「五輪書にも『身の当たり』と書かれておる非常に強力な攻撃方法じゃ。手足の打撃よりも撃力と力積が大きく、よく鍛錬された体当たりはそれだけで絶命させる威力を持つ。最も脳震盪の多い競技は格闘技ではなくアメフトやラグビーとされておるのもタックルが原因じゃからな」
大柄な者が速さに対抗する術は、体格差を活かした読み合いの拒否にあるのだろう。
鉄華は常に読み合いで上回って合撃を叩き込めば勝てるように思っていたが、実戦の場はそう単純には行かない。
見たこともない剣技、フェイント、長い得物での間合い外からの攻撃もある。
必ず読み勝つ、という不確かなものに命を預けるのは武術とは言えない。
自身が得意とする状況に持ち込む術を身に付けて初めて合撃が活きるのだ。
「まぁそんなわけで、とりあえず勁草と華窮の習得を合宿の最終目標とする。それと同時にお前に足りない粘りを鍛えていくプランも考えておこう」
そこまで言うと不玉は構えを解き、木刀を壁の台座に掛けた。
「では、解散じゃ」
「え」
発せられた言葉に、鉄華はおろか一巴や泥蓮も呆気にとられた。
「儂は忙しいのじゃ。講習は毎日昼前の一時間のみ、それ以外の時間で儂に話しかける時は武術の話は禁止とする」
「おいおい、わけわかんねえ山篭りまでさせておいて丸投げすんなよ。クソゲーのデータ全部消すぞ」
立ち去ろうとする不玉の背に、泥蓮がため息混じりに言葉を投げかける。
「……そんなことしたら戦争じゃぞ? 山に火を放ってでも捕え、同じデータにするまで監禁するのも辞さぬ」
「なんだそれ。焼き討ちとか最高じゃねえか。なんで今まで思いつかなかったんだろうな」
親子喧嘩で焼け野原になる様相を呈していたところを一巴が制した。
「まぁまぁ、何から何まで言われた通りにやっても身に付かないっすよ。講習以外の時間で勝手に道場使うのはいいっすか?」
「うむ。好きにするがいい」
肩を通していたたすきを解きながら出入り口の前に立った不玉は、改めて道場を振り返り、全員の顔を一瞥してから悪戯な笑みを浮かべて告げる。
「鍛錬というものは結局のところ個人のやる気に起因するものじゃからな。よくよく工夫せよ、若人よ」
カタンと木戸が閉じられると道場内は静謐に包まれた。
取り残された古武術部の面々は互いに顔を見合わせてから嘆息する。
生活の全てを覗いたわけではないが、鉄華が見た範囲では不玉自身は鍛錬を止めてしまっているように思えた。
古流に生涯を捧げ、技を習得し、その果てに何を思うのか。
「デレ姉、不玉さんの左腕ってどうしたんですか」
鉄華は聞くべき疑問を不玉ではなく泥蓮に向ける。
義手の扱いは想像以上に慣れている様子であったが、元あった手のようにはいかないだろう。
そこに不玉自身の因縁や、小枩原家の状況が見える気がした。
「あれは親父に斬られたらしい。私が生まれるよりもずっと昔の話だからよく分からんが」
「……とんでもない夫婦っすね」
「愛故に、とか意味不明な戯言言ってやがったな。大した話じゃないから無視していいよ」
多少常軌を逸したドラマが垣間見えたが、鉄華も泥蓮と同様、不玉の恋バナには興味がない。
義手の話は空振りであった。
問題なのはこれまで全く話題に挙がらない兄の存在である。
恐らくは泥蓮の行動原理の根幹にある重要人物であるにも関わらず、その姿が全く見えてこないことに鉄華は漠然とした不安感を覚えていた。
自分の知らないところで何かが起こって、気付いた時には全てが終わっている予感、――それが何にせよ介入できる余地は作っておかないといけない。
「お父さんやお兄さんがいるという話でしたけど、ここには住んでいないんですか」
「死んだよ。断片的に話拾ってるお前でも気付いてるだろ」
泥蓮は詮索されていることに気付いているが、表情は気怠げなまま揺るがない。
その後ろで一巴が地雷を踏んだかのような大仰な顔を向けていたが、鉄華はそれを無視して泥蓮と向き合った。
踏んでしまった以上、二度目はない。
道場ごと吹き飛ばす地雷であっても覚悟を決めて進む他はなかった。
「回りくどく探られるのは面倒だから話してやるよ。――兄さん、小枩原有象についてな」
泥蓮は少しの間目を閉じ、欠伸のような深い溜息を吐く。
やがて瞼を開くと鉄華から視線を切り、道場の天窓を見つめながら口を開いた。




