【六節】④
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「一叢流には六節の段階があり、それぞれ一つの技法を内包しておる」
蔵を改装したであろう道場は充分な広さと高さを持った板張りの空間であった。
身なりを整え食事を終えた鉄華は着古された剣道着に着替え、黒樫の木刀を腰に下げて不玉と対峙していた。
【勁草】、【華窮】、【蔦絡】、【梏桎】、【荊棘】、【档葉】
不玉は大きめのホワイトボードに一叢流の技法を書いていく。
「一叢流の理論は柔術技だけに留まらん。今回はひと月の間じゃからな、剣術に応用できそうな部分だけふわっと教えてやろうぞ」
書かれた順番で覚えていくのであろうか。
しかし並んだ技法の中に【衰枯】の文字は見当たらなかった。
毒を扱う性質上、門外不出の外法として隠されている可能性は高い。
鉄華がその疑問を口にすることは出来ないが、衰枯を求める当の一巴は道場の隅で泥蓮と携帯ゲームに興じていて、講義には興味が無いように見える。
つまり現状は会話を誘導する必要がないということだ。
「よし、では構えよ」
そう言うと不玉は木刀を正眼に構えた。
剣尖は鉄華の目に向けられており、剣道の中段よりはやや高めである。
祖父が型で見せた中段は相手の水月に向けて低めに構えていたことを思い出し、同じ中段でも流派により狙いが異なることがあると理解した。
鉄華は一寸考えてから右八相の構えを取る。
剣道を学びに来たわけではないので、古流に触れて以来、最も体に馴染む構えに頼ることにした。
「ふむ。鉄華よ、お前が喧嘩で敗けた時はこの状況だったか?」
「はい。冬川さんの中段はもう少し低かったですが」
「何故八相を選んだ?」
「この構えからだと右腕を振り下ろすだけで済みます。剣道では余り使いませんが、木刀や真剣の重さなら速さに違いが出ると思いました」
「ここからの攻防はどのようになった?」
「顔を突いてくると思ったので、私は突きを弾きながら小手を打とうと動きました。ですが冬川さんは擦り上げ技に切り替えてきて、そのまま刺し面で私は頭を打たれました。多分その後、柄の体当たりを顎に入れられて倒れたんだと思います」
鉄華は冬川の妙技を思い出さない日はなかった。
恐ろしいのは擦り上げ技でも刺し面でもない。一秒にも満たない瞬間に相手の動作を目視して対応してしまう彼女の反射神経こそが本当の脅威だ。
身体の速さを精密にコントロール出来るようになっている。
昔日の対戦が嘘のように思える成長を遂げていた。
「擦り上げ刺し面か。興味深い攻防じゃな」
不玉は中段を崩すことなく笑い、冬川の技を賞賛した。
「剣道に於いて刺し面は威力に欠ける子供の技とされておるが、古流ではごく当たり前に使うものじゃ。かの宮本武蔵が記した五輪書にも『石火のあたり』という記述がある。振り被らずスナップで斬る代わりに足と腰の力で威力を上げる。喝咄の呼吸とも言うてな、真剣の打ち合いの中では頻出する拍子じゃ」
冬川の技が古流で活かされるというのは体験した鉄華自身認めざるを得ない。彼女は自分が収まる形を中学の時点で見出していたのだ。
「とは言え、解せぬ。今の説明だとお前は勝てる勝負に負けておるのじゃぞ?」
「勝てる勝負、ですか」
「そうじゃ。実際にやってみようかの。今から試しに儂が軽く突くので、お前はそれを打ち落としてみよ」
不玉は剣尖を下げ、喉元を狙う剣道の中段で構えた。
軽く、とは言ったが詰める気迫は重く、何より防具を付けない木刀の攻防というのが否が応でも緊張感を上げていく。
遊び感覚で許されるのは実力で勝る不玉の方だけだ。
鉄華の狼狽を察した不玉は少し笑い、「ゆくぞ」と声をかけてから後ろ足で地面を蹴り、手元は中段から喉元への最短距離を辿る。
淀みも崩れもない綺麗な剣道の突きであった。
――見える。
冬川に迫る速さの突きであったが、タイミングが合えばこれほどまでに見えるものなのかと、鉄華は感心しつつも袈裟斬りを合わせていた。
手加減は出来ない。
結果的に突きが刺さっても、小手を打ってしまってもそれは仕方のない速度だ。
言葉はないが互いに了承した上での打ち合いである。
二本の木刀が中空でぶつかり合い、勝利を確信した鉄華の思いは予想外の結果で砕かれる。
不玉の突きは軌道を変えることなく、鉄華の喉元の数センチでピタリと止まった。
ぶつかり合ったはずの打突は、鉄華の木刀だけが一方的に弾かれていたのであった。
「なっ、なんで」
「見たことか。上から振り下ろした剣が真っ直ぐに迫る剣に弾かれてどうする。これは威力が無いだけではないぞ。お前の剣には粘りがない」
不玉は剣尖を突きつけながら目を細めて鉄華を睨む。
「粘りとは打突の軌道を維持する力じゃ。横から何がぶつかろうとも軌道を歪められることなく抑え込めれば、お前は意図した通りに小手を打てたのじゃ」
思えば泥蓮の突き技にも弾かれていたし、冬川の擦り上げ技にも押し負けていた。
互いの剣が交わる瞬間を制する力が欠けている。
「これも剣道との違いじゃな。打突後に剣を離し残心を優先するのではなく、しっかりと斬り落とすように振り切る覚悟が粘りを生み出す。速くても手打ちになってはいかんということよ。これはお前が抱える目下の課題じゃぞ」
冬川との戦いを話しただけで弱点を見抜かれた鉄華は、悔しさを通り越して逆に素直に受け入れていくことができた。
おそらくは泥蓮も一巴も冬川もとうの昔に乗り越えている初歩の術理を懇切丁寧に解説してくれている。
こんな機会は二度とはないだろう。
鉄華は今だ入り口にしかいないことを思い知らされていた。
「しかし、お前も面白い技を選んだものよ。相手の剣を弾きながら斬り伏せる技、これも古流に散見される技じゃ。とりわけ柳生新陰流の合撃という技が有名じゃな。相打ちのように斬りかかり紙一重の差で勝つという絶技中の絶技よ。一体、誰に習ったのじゃ?」
「誰にと言われましても……」
口籠る鉄華をよそに、一連のやり取りを目の端で追っていた泥蓮が口を挟んできた。
「そういや私と戦った時も狙ってたよな。もしかしてあの場で閃いたのか?」
鉄華は自然に身体が動いたものだと納得し深く追求していなかったが、改めて聞かれるとどこか既視感のある技のように思えた。
「なんと! 自力で編み出したのかえ。ロマサガやりすぎてもそう簡単にはいかんぞ」
「いえ、そうではなくて……」
剣道ではない。座学で学んだ知識でもない。
それでいて記憶の中にある剣技といえば、答えは一つであった。
「あっ……確か、私の祖父が見せてくれた型の中にあった技です」
鉄華は幼き日の夜の庭の記憶を引き出した。
頑なに剣術の披露を拒んでいた祖父が気まぐれに見せた型。
それは明確な映像の記憶として脳裏に焼き付いていた。
鉄華は実際に演武してみせる。
一度目は、半歩斜め前に出ながら刀を担ぎ、半円を描く軌道で反転して、斜めに斬り下ろす。
二度目は、斬り下ろした刀が手の内で向きを変え、下段から後方に向けて斬り上げる。
三度目は、斬り上げたままの体勢でまたもや後方に向き直りつつ真っ直ぐに斬り下ろす。
そして蹲踞から右拳で柄の部分をトンッと叩いてから納刀。
三度目のただ真っ直ぐ斬り下ろす技。
子供の頃は何がどのように返し技になっているのか分からなかったが、あれこそが合撃だ。
泥蓮との対決で居着きを捨て去った瞬間、記憶からあの技を引き出してその術理を理解する前に身体を動かしていた。
「……なんとも奇妙な型じゃ。見たことがあるようでそうでもない。最後の柄を叩く血振りは神道流じゃが打ち込み自体はいくつか他流の動きが混じっておる。キメラ剣術とでも呼ぶべきか」
「祖父は春旗鉄斎といいます。何か知りませんか?」
元々、祖父の過去を探るために不玉に会いに来たことを鉄華は失念していた。
それはもはや一ヶ月も前のことで、その間に起こった様々なことが脳のタスクを上書きしすぎていたのだ。
年上といっても祖父と比べればあまりに世代がかけ離れている不玉に質問すること自体、それほど優先順位が高いわけでもない。
剣を捨て、家族にも隠し続けていた祖父である。
その剣歴を辿ることは、闇の中の黒猫を探すようなものである。
しかし、不玉から返ってきた応えは意外なものであった。
「なんじゃお前、あのクソハゲクソジジイの娘、いや孫なのか?」




